生きることの理不尽(生まれたくなかった)
先日参加した哲学カフェの中で、その時のテーマそのものではなかったのだが、「生きる意味」についての話が出た。そしてそれに関連する形で、ある参加者が「時間を遡って生まれる前に戻って、それで、仮に自分で生まれるかどうか決められるとしたら、生まれたい? 生まれたくない?」と問いかける。それに対し、僕と女子大生2人が「生まれたくない」と答える、みたいなやり取りがあった。
「生まれたい派」の人にはその理屈がなかなか想像できなかったようだ。そこで僕が、昔から考えていたある喩え話をしてみることにした。それはこんな話である。
【ある時突然、自分が演劇の舞台上にいることに気付かされた。でも、どうも自分には役がないようだ。もちろん、セリフもない。他の人は役もセリフもあって、舞台上でその役割を演じているのに、自分にはどうもそれがないみたいだ。しかしにも拘らず、「舞台から下りてはいけない」と厳命される。これはとても理不尽だろう。
で、僕にとって「生きること」は、こういう理不尽さに塗れている。】
すると、女子大生2人が僕のこの喩え話にメチャクチャ共感してくれて、「凄く分かりやすいですね」と言ってくれたのだった。一応書いておくと、その女子大生は、名のある大学に通っているし、容姿も人並み以上だと言っていいと思う。にも拘らず、「自分で生まれるかどうか決められるなら、『生まれない』一択です」「演劇の喩え、メチャクチャ分かりやすいですね」という反応になるのだ。
さて、この感覚、理解できるだろうか?
最近、希死念慮は大分減ってきて、ってかあんまりそんなことを考えることもなくなってきたが、昔は割と「死にたい」と感じることが多かった。でもある時、「別に『死にたい』ってわけじゃないんだよなぁ」と気づいたんだと思う。正確には「生きていたくない」である。で、その最大の理由が、先程説明した「役もセリフもないのに舞台から下りちゃいけない理不尽」の話に繋がるのだ。
「生きる意味なんて自分で見つけるもんだ」みたいな意見もあるだろうし、そう思える人は良いなとも感じるが、「別にそういう話じゃないんだよな」と思う。「『生きる意味を自分で見つけなきゃいけない』という状況そのものが理不尽すぎる」という話をしているつもりなのだ。別に望んで舞台上に立っているわけではないのに、舞台から下りちゃいけないと言われるし、その割に舞台上にいたところで別に「やるべきこと」はない。そんなのあまりにも理不尽すぎないか? と感じてしまうだけなのだ。
こういうことについて考える時、「宗教ってのは強いんだろうな」と思ったりする。宗教によっても色々だろうが、概ね「神さまは何らかの理由で自分をこの世に誕生させたんだ」みたいに考えられるのだろうし、だとすれば「『自分がこの世に存在する意味』はあるはずだ」というマインドで生きていられる気がするからだ。まあ、宗教を信じていない僕には錯覚にしか思えないが、錯覚だとしてもそれで「意味のある人生を歩めている」と感じられるなら、それはそれでアリだと思う。
個人的には、この「役もセリフもないのに演劇の舞台上から下りられない」という感覚は、あまり人に話す機会もなかったし、話しても共感されないことが多かったので、先日「まさにその通り」という反応を得られたのが凄く嬉しかった。ホント、生きてることは理不尽すぎるし、今もやっぱり時々「生まれたくなかったな」と思う。ってか、人生ダルすぎ。
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