安楽死はなぜ許容されないのか?
僕は昔から「安楽死」を制度化すべきだと考えてきたし、どうしてそうならないのか不思議だなとも感じている。正直なところ、今はそこまで「希死念慮」はないのだが、それでも安楽死の制度はあった方がいいと思う。
まずそもそもだが、「生きていることがつまらない」というのは個人の努力でどうにかなるものではない。別に「生きてて楽しい人」のことをとやかく言うつもりはないが、「どうしたってつまらないと感じてしまう人間はいるんだ」ということも分かってほしいなと思う。以前読んだ『自分探しと楽しさについて』(森博嗣)の中にも次のような文章があって共感させられた。
生きていても「楽しくない」から死ぬ、という理屈は、非常に正しい。これを論破することはかなり難しいだろう。
で、こういう話をすると、「死ぬ気になれば何でも出来るんだから」みたいなことを言う人が出てくる。いやいや、意味が分からんん。どうして「やりたいことがある前提」で話が進んでいるのか謎だ。「何もしたくないこと」が問題なのだから、「死ぬ気」になったって、ただ死にたいだけである。
また、「死んだら悲しむ人がいる」みたいな話も出てきがちだが、「じゃあ、その人を悲しませないためだけに生きてなきゃいけないわけ?」と感じてしまう。んなアホなことがあるかいな。その「悲しむ人」が僕の人生に深く介入して、何か面白がらせてくれたりするなら話は別だが、そういうわけでもないなら、「ンなこと知らん」としか感じられない。
そんなわけで、「さっさと人生から退場したいなぁ」という気持ちが僕の中から消えることはきっとないと思う。
もちろん、人生の中で「楽しいこと」もちょいちょいあったし、これからもあるかもしれない。だから、「20代の頃に死ななくてよかった」と考えることも可能だ。でも、死んじゃえばそもそも後悔も出来ないわけで、そう考えると別に大した問題じゃないなとも思う。「今生きている僕」は「死ななくてよかった」と思える状態にいるが、死んじゃえばそういう状態を知ることもないわけで、だから20代の頃に死んじゃってても別に悪くはなかっただろう。
そんなわけで僕にとっては「安楽死」はかなり合理的な選択肢に感じられているし、同じように考えている人は一定数いるんじゃないかと思う。宗教で自殺が禁じられている欧米なんかで安楽死の話が進まないのは不思議じゃないけど、日本で進まないのは何でなんだ?
もちろん、「自由意志」が問題になるという懸念は僕も理解できる。「脅されている」とか「家族に介護してもらうのが申し訳なくて」といったような「本人の意志」とは違った理由で安楽死を選ぼうとする人もいるだろうし、そういう人を死なせてしまう可能性を完全には排除できない、みたいな理屈はその通りだと思う。
けど、僕の体感としてはなんとなく、そういう理由だけじゃない気がするんだよなぁ。仮に、先の「自由意志」のような「運用上の問題」をすべてクリア出来る理想的な状況を想定してみたとしても、やはり「安楽死」は議論が進まない気がする。倫理的に問題があるのはもちろん分かるけど、議論ぐらいはしてもよくないか? と思うのだけど、そうはならないよなぁ。
これに関連して、僕が嫌だなと感じるのは「日常から『死』が遠ざけられているように思えること」である。もちろん、感染症の蔓延防止など疫学的に必要な側面は多々あるだろうし、そういうのは別に全然いいのだが、そうではなく、「汚いものは目にしたくない」みたいな全体の風潮が強すぎて、その中に「死」も含まれてしまっているように感じられるのが嫌なのだ。
なんなら日本の場合(欧米のことは知らないが)、例えば祖父母が「そろそろお迎えが近いから」みたいなことを言うと、「そんな縁起でもないこと言わないでよ」と制するみたいな、「死」に関する会話が忌避されてしまう傾向さえある。僕は正直、こういう風潮には「気持ち悪さ」さえ感じてしまう。「日本で生活していたらほぼ罹患することはないだろうエボラ出血熱」について「そんなこと言わないでよ」みたいな話をするなら分かるが、「死」は誰に対しても平等に訪れるわけで、それが遠ざけられる理由が僕にはよく分からない。不健全とさえ思えるほどだ。
また、「『生』は本人の意志ではないのだから、せめて『死』ぐらいは自らの意志で選びたい」みたいな感覚が僕の中にはあったりする。「反出生主義」という「生殖や出産は非倫理的であり、すべきではない」みたいななかなか過激な考えがあるが、僕はここまでではないものの方向性としては理解できるなと思う。本人の意志なく産み落とされるわけだから、正直「暴力」と言ってもいいだろう。そしてそんな「暴力的な行為」によって本人の意志とは無関係にこの世に誕生させられているのだから、そこから退場する権利ぐらいは与えられてもいいような気がするのだ。
まあこういう話は、「生きたい人」「生きてて楽しい人」には理解できないだろうし、そしてそういう人が政治家やら有力者なんかになることが多いはずなので、それで安楽死の議論が進まないなんて側面もあったりするのだろう。まったくやってられねぇぜ。
さて、今後テクノロジーが進んでいけば、「肉体を捨てて、意識だけを機械に移植する」なんてことも出来るようになるんじゃないかと思う。そしてだとすれば、それが新たな「安楽死」と見做されたりもするかもしれない。「肉体を生かすのはダルいが、意識だけなら悪くないかもしれない」みたいな感覚は何となく想像できるし、そういう新しい形の「死」が出てきたりしてもおかしくはないだろう。
まあ何にせよ、さっさと安楽死が制度として認められないかなと思う。電車に飛び込んで自殺するとか、老衰で亡くなっただけなのに事故物件になる、みたいな「死」にまつわる不合理は色々あると思うが、それらの一部も安楽死によって解消されるだろう。それに安楽死って「ちゃんとお別れが言える死に方」なわけで、そういう観点からも評価されていいんじゃないかと思うんだけどなぁ。
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