第61〜65話まとめ 「Good News」を知り、「救い」「新生」「御国」「祈り」へ。|Buddhaの弟子だった私が、「父なる神」を知るまで。
気づけば、全部つながっていた。
61話から65話までを書き終えて、改めて振り返ってみると、この5話は最初から一つの物語だったように思う。
福音とは何なのか。悟りと救いは何が違うのか。覚醒することと、新しく生まれることは同じなのか。天国とは、死んでから行く場所なのか。そして祈りとは、いったい誰に向かってするものなのか。
私は昔から、ずっと答えを探していた。Buddhaの教えを学び、スピリチュアルにも浸かり、瞑想し、引き寄せを試し、石や宇宙、目に見えない世界にも答えを求めた。
世界の真理を知りたかった。自分が何者なのかを知りたかった。生きる意味を知りたかった。
でも、この5話を書きながら改めて気づいた。
私が最後に見つけたのは、「究極の答え」ではなかった。
私を初めから知り、愛してくださっていた、
父なる神だった。
第61話 「福音」って、結局なんなの?
61話では、「福音」という言葉そのものを考えた。
クリスチャンではない頃の私にとって、「福音」は日常生活でほとんど聞かない言葉だった。でも英語にすると、Good News。良い知らせ。
そこで初めて、ものすごくシンプルになった。
福音とは、「もっと良い人になりなさい」「もっと正しく生きなさい」「頑張って神様のところまで登ってきなさい」という話ではなかった。
私たちが神様へたどり着いたのではなく、
神様の方から、私たちのところへ来てくださった。
イエス・キリスト。
罪のない方が私たちのために十字架へ行き、死んで、三日目に復活された。救いは、努力の報酬ではなかった。
誰でも受け取れるGiftだった。
そしてこの話を書いた時、Buddhaの弟子だった自分の過去と、今の自分が一本につながった。
私は真理を探していた。
でも、私が真理を見つけるより先に、
イエスさまが私を見つけてくださった。
▶ 第61話 「福音」って、結局なんなの?|Good Newsは、「いい人になりなさい」という話じゃなかった。
第62話 「悟り」と、「救い」。
では、私が以前学んでいたBuddhaの教えと、イエス・キリストの福音は何が違ったのだろう。
62話では、そこを真正面から書いた。
私は今でも、Buddhaの教えから学んだことすべてを「悪かった」とは思っていない。苦しみを見つめること。執着に支配されないこと。自分自身を観察すること。そこには、私自身が「なるほど」と思ったものもあった。
でも、
それでも私は満たされなかった。
もっと学ぶ。もっと知る。もっと正しくなる。もっと自分を整える。私はいつの間にか、自分で自分を完成させようとしていた。
そして知識が増えるほど、「自分は、周りより分かっている」そんな高慢さまで生まれていた。
ところが聖書を開いた時、私が出会ったのは「さらに優れた教え」だけではなかった。
イエスさまは、
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」
と言われた。
私は真理という「情報」を探していた。でも、
真理である「お方」に出会った。
私に必要だったのは、苦しみのない状態だけではなかった。
愛してくださる、お方だった。
▶ 第62話 ブッダの教えと、イエス・キリスト。|私はなぜ、「悟り」ではなく「救い」で満たされたのか?
第63話 「覚醒」ではなく、「新しく生まれる」。
Buddhaの教えだけではなく、私はスピリチュアルの世界にも深く触れていた。
瞑想。クリスタル。引き寄せ。宇宙。高次元の存在。アセンション。
地球全体が次元上昇していく。自分もそこから置いていかれないように、もっと意識を高くしなければならない。そんな世界観の中にいた。
もっと目覚めたい。もっと高くなりたい。もっと真理を知りたい。
でも結局、それも「今の自分を、もっと上へ持っていく」という方向だった。
そんな私が聖書で知ったのが、
「新しく生まれる」
という言葉だった。
「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
コリント人への手紙第二5章17節
古い自分を、もっと高性能にするのではない。古い私のアップグレードではない。
新しいいのちを受け取る。
私は次元上昇したかった。
でも神様がくださったのは、
新しいいのちだった。
▶ 第63話 「覚醒」って、結局なんなの?|「次元上昇」を求めていた私が、イエスの「新しく生まれる」を知った。
第64話 天国は、死ぬまで待たなくてよかった。
そして次に考えたのが、「天国」だった。
昔の私は、天国と聞けば基本的に死後の世界を想像していた。一方で、スピリチュアルをやっていた頃には、「ここは天国」という曲まで作っていた。
美しい緑。鳥が歌う。風が歌う。人々が手を取り合う。
今いる場所を天国だと思えば、ここが天国になる。そんな感覚だった。
でも現実では、さまざまな問題が起きた。何とか「ここは天国だ」と思おうとしても、人生が思い通りになるわけではなかった。
そして聖書を知って、私は「御国」を知った。
「御国が来ますように。
みこころが天で行われるように、地でも行われますように。」
マタイの福音書6章10節
御国は、ただ死後まで待つ場所ではなかった。
神様の御心が行われる。神様の愛が現れる。神様の平安が現れる。
今、
ここから始まる。
私はそれを、家族の中でも、JTMという神の家族の中でも見るようになった。
奪い合うのではなく、与え合う。自分だけの幸せではなく、相手の幸せを願う。誰かが苦しんでいたら祈る。誰かが助けを必要としていたら支える。
朝起きて、隣でDavyが寝ている。妻がいる。一緒に食事ができる。祈れる。笑える。
そんな「当たり前」に見える瞬間さえ、神様が良くしてくださったことを忘れなければ、
奇跡に見える。
以前は「ここは天国」と思い込もうとしていた。
今は、
思い込まなくていい。
実があるからだ。
▶ 第64話 「天国」って、死んだ後に行く場所なの?|「ここは天国」と歌っていた私が、イエスの「御国」を知った。
第65話 そして、祈る相手が分かった。
御国を知った。父なる神を知った。
では、その父とどうやって関わるのか。
65話では、「祈り」について改めて考えた。
昔の私にとって祈りは、そこまで重要なものではなかった。神社で手を合わせる。宇宙に感謝する。自然に感謝する。石に感謝する。精霊や、高次元と呼ばれる存在に言葉を投げかける。
「ありがとうございます。」
という言葉は、たくさん口にしていた。
でも、
私は誰に話しているのか分かっていなかった。
そんな私が聖書を開いて驚いた。イエスさまは、祈る相手をはっきり教えてくださった。
「ですから、あなたがたはこう祈りなさい。
『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。』」
マタイの福音書6章9節
宇宙よ。
何か分からない存在よ。
ではなかった。
私たちの、
父よ。
だった。
私はスタジオで祈った。祈り方なんて分からなかったから、普通に話した。
「神様、私はどうしたらいいんですか。」
「あなたの愛を、私に分かるようにしてください。」
そう祈っていたら、身体がポカポカしてきて、涙が溢れてきた。
そして私は、
「お父さん。ラップがしたいです。」
と祈った。
そこから、私の音楽も再び動き出した。
今では祈りは、願いをどこかへ飛ばす行為ではない。
父との会話になった。
▶ 第65話 「祈り」って、結局なんなの?|宇宙へ願いを投げていた私が、「父なる神」と話すようになった。
61話から65話までを書いて、見えたもの。
福音。救い。新生。御国。祈り。
一見すると、別々の聖書用語に見える。でも、私の中では全部つながっている。
Good Newsを知った。救いは、自分で悟りへ到達することではないと知った。キリストにあって、新しく生まれたことを知った。新しいいのちを生きる場所として、御国を知った。
そして、
その御国の父と、祈りによって話すようになった。
気づけば、私がずっと探していたものが、一つずつ埋まっていった。
私は真理を探していた。でも、真理であるイエスさまを知った。
私は愛を探していた。でも、初めから父なる神に愛されていた。
私は高い場所へ行きたかった。でも、神様は私を新しく生まれさせてくださった。
私は天国を探していた。でも、御国のいのちは今ここから始まっていた。
私は宇宙へ願いを投げていた。
でも、
話しかけることのできる父がいた。
私が探していたのは、「父」だったのかもしれない。
この5話を書きながら、一番強く感じたことがある。
私はずっと、何かを探していた。Buddhaの教え。スピリチュアル。宇宙。石。瞑想。引き寄せ。次元上昇。
その一つひとつの奥で、「自分は何者なのか」「なぜ生きているのか」「この世界は何なのか」「本当の愛って何なのか」と問い続けていた。
でも今思う。
もしかしたら、
私が一番探していたのは、
父だったのかもしれない。
自分を造ってくださった方。自分を知ってくださっている方。良い時だけではなく、失敗した時も、遠くへ行っていた時も、それでも愛してくださっていた方。
父なる神。
その父を知った時、心に空いていた穴が、少しずつ埋まっていった。
でも、受け取った愛を「自分だけの幸せ」で終わらせたくない。
父なる神の愛を知った。家族が回復した。神の家族を知った。祈ることを知った。
だったら次は、この愛を外へ流していきたい。
家庭だけで終わらせない。教会だけで終わらせない。日曜日だけで終わらせない。
私たちが暮らしている、
この社会の中へ。
JTM(Jesus Tribe Ministries)では今、「みんなDE国づくりプロジェクト」という働きが進んでいる。

スピリチュアル。健康医療。政治。教育。エンターテインメント。土地。メディア。食。ビジネス。家庭。
10の領域。
一人のスーパースターが全部を変えるのではない。それぞれに神様から与えられた賜物があり、それぞれが置かれた場所で愛を流していく。
家庭を愛する人がいる。子どもたちの教育を考える人がいる。食を通して人を支える人がいる。医療に携わる人がいる。土地を整える人がいる。ビジネスをする人がいる。政治に関わる人がいる。
そして、音楽や映像、エンターテインメント、メディアを通してGood Newsを届ける人がいる。
全部違う。
でも、
父は同じ。
私は、この景色が好きだ。
御国を、この地上へ。
64話で書いた。
「御国が来ますように。
みこころが天で行われるように、地でも行われますように。」
マタイの福音書6章10節
だったら、私たちが生きているこの場所にも、神様の御心が現れてほしい。
家庭に。学校に。仕事場に。病院に。政治に。音楽に。インターネットに。街に。
そして、
日本に。
奪い合いではなく、与え合う。裁き合うのではなく、愛し合う。自分だけが豊かになるのではなく、隣人の幸せを本気で願う。
そんな御国の文化を、
みんなで築いていく。
これが、私たちが今見ている「国づくり」だ。
そして、この夏。Good Newsが日本へ。
そして今、私たちの歩きは、また一つ大きな時を迎えようとしている。
私たちがRa‘ahと呼ぶ、預言者Uebert Angel。
ロギオンの霊的父であるRa‘ahが、日本へ来られる。
GOODNEWS JAPAN。
名前からして、
Good News。
61話で「福音って、結局なんなの?」と書いた、この5話の始まりが、ここでまたつながってくる。
Good Newsとは、宗教へ勧誘するための言葉ではなかった。
神様が人を愛しているという知らせ。
イエス・キリストによって、
父のもとへ帰る道が開かれたという知らせ。
私は、そのGood Newsによって人生を変えられた一人だ。
Buddhaの弟子だった私が、今ではイエス・キリストの弟子として、
このGood Newsを日本へ届けたいと思っている。
一人ではない。
家族と。
神の家族と。
みんなで。
Good Newsを、日本へ。
61話から65話まで。
福音を知った。救いを知った。新しく生まれることを知った。御国を知った。そして、父なる神と祈ることを知った。
でも、
これはゴールじゃない。
受け取ったものを、次の人へ渡していく。
私が救われたように、誰かが救われるために。
私が父を知ったように、誰かが父の愛を知るために。
私の家庭に光が入ったように、誰かの家庭にも光が入るために。
御国を、この地上へ。
Good Newsを、日本へ。
Buddhaの弟子から、キリストの弟子へ。
そして今、
イエス・キリストの弟子たちとともに、
国を築いていく。
痛みは証に。光は闇に勝つ。
GOODNEWS JAPANへ。
Blessings to you.


── この5話 ──
▶ 第61話 「福音」って、結局なんなの?|Good Newsは、「いい人になりなさい」という話じゃなかった。
▶ 第62話 ブッダの教えと、イエス・キリスト。|私はなぜ、「悟り」ではなく「救い」で満たされたのか?
▶ 第63話 「覚醒」って、結局なんなの?|「次元上昇」を求めていた私が、イエスの「新しく生まれる」を知った。
▶ 第64話 「天国」って、死んだ後に行く場所なの?|「ここは天国」と歌っていた私が、イエスの「御国」を知った。
▶ 第65話 「祈り」って、結局なんなの?|宇宙へ願いを投げていた私が、「父なる神」と話すようになった。
── 一緒に聴いてほしい曲 ──
▶ Pistiss『KAMINOKO/神の子 feat.Davy』
▶ Davy feat.Pistiss『MORNING STAR / 明けの明星』
▶ Pistiss & Eunice『LET THERE BE LIGHT/光、あれ。』
