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34話 イエス・キリストの人生、ミラクルすぎる。


水をワインに。嵐を静め。パンを増やし。病を癒し。死者を起こし。そして、自ら死に勝った。


イエス・キリスト。

世界中で、

その名前を知られているお方。

でも、

「イエス・キリストって、

実際、

何をした人なの?」

と聞かれたら、

意外と、

答えられない人も多いのではないでしょうか。

十字架にかかった人。

クリスマスの人。

キリスト教の人。

そんなイメージはある。

ほんの数年前の私がそうでした。

でも、

どんなふうに生きて、

誰と出会って、

何を語り、

何をした人だったのか。

私は、

聖書を読むようになって、

思いました。

いや、

この人の人生、

めちゃくちゃ面白い。

というか、

ミラクルすぎる。🤣

でも、

ただ奇跡がすごいだけではない。

その奇跡の向こう側に、

いつも、

人がいる。

泣いている人。

病気の人。

怖がっている人。

お腹を空かせた人。

嫌われている人。

誰にも見てもらえなかった人。

そして、

イエスさまは、

そんな一人ひとりを、

見ていた。

今日は、

そんなイエス・キリストの人生を、

聖書の物語をたどりながら、

できるだけ時系列に沿って、

一緒に見てみたいと思います。

イエスさまの人生、実は「空白」が多い。


イエスさまは、

ベツレヘムで誕生します。

幼い頃の出来事があり、

そして、

12歳の時。

両親と共にエルサレムへ行き、

神殿で教師たちの話を聞きながら、

質問をしている場面が出てきます。

大人たちは、

その理解力と答えに驚いていた。

ここまでは分かる。

そして、

次に本格的に登場する時には、

イエスさまは、

もう約30歳。

え。

ちょっと待って。

13歳から29歳くらいまで、

何してたの!?🤣

聖書は、

そこを詳しく書いていません。

12歳のイエスの神殿での出来事が記され、のちに公の働きを始めた時は「約30歳」とされています。

でも、

聖書が詳しく見せてくれるのは、

そこから始まる、

あまりにも濃すぎる公生涯です。

約30歳。イエスさま、公の働きを始める。


イエスさまは、

バプテスマのヨハネから洗礼を受けます。

そして、

父なる神から、

「愛する子」

として語られる。

私は、

ここがとても好きです。

イエスさまが、

大勢の人を癒す前。

パンを増やす前。

嵐を静める前。

十字架へ向かう前。

まず、

父から愛されている。

存在そのものを、

喜ばれている。

そこから、

イエスさまの歩みが始まっていく。

そして、

荒野での試みを経て、

弟子たちを招き、

人々の中へ入っていきます。

※【荒野でのとてつもない試みはこちらで記事にしてあります、是非ぜひお読み下さい。】
35話 千と千尋の神隠しと、荒野の40日。

ここから、

ミラクルの連続が始まります。

最初の奇跡、水がワインになる。


ヨハネの福音書で、

イエスさまが最初の「しるし」を行ったと記されている場所。

それは、

戦場でも、

王宮でもない。

結婚式でした。

カナという場所で行われた婚礼。

ところが、

途中で、

ぶどう酒が足りなくなる。

結婚式です。

これは、

ちょっと困る。

かなり困る。

私なら、

世界を救うMessiahが最初に起こす奇跡と聞いたら、

山を動かす。

雷を落とす。

空が割れる。

みたいな、

ド派手なものを想像します。

でも、

イエスさま。

水を、

ぶどう酒に変える。

最初から、

想像の斜め上です。🤣

でも私は、

ここにもイエスさまらしさを感じます。

人の喜びの場所にいる。

家族が生まれる場所にいる。

困っているその場に、

ちゃんといる。

ヨハネ2章では、カナの婚礼で水がぶどう酒に変わり、これがイエスの最初の「しるし」として描かれています。

そこからイエスさま、癒しまくる。


公の働きが進むと、

イエスさまの周りには、

どんどん人が集まってきます。

病気の人。

歩けない人。

目の見えない人。

耳の聞こえない人。

重い皮膚の病に苦しむ人。

長い間、

苦しみ続けてきた人。

そして、

イエスさまは、

癒していく。

でも、

ただ、

「能力を見せる」

ためにやっているようには見えない。

そこには、

いつも、

人がいる。

屋根から人が降ってくる。


ある時、

イエスさまが家の中で話をしていました。

人が多すぎて、

入れない。

そこへ、

歩くことのできない人を、

友人たちが連れてきます。

でも、

入口から入れない。

普通なら、

「今日は無理か。」

となる。

でも、

この友人たち、

諦めない。

屋根へ上がる。

屋根を開ける。

そして、

病人を、

上から下ろす。

いやいやいや。🤣

家の中にいた人たち、

絶対思ったはずです。

「なんか屋根、

開いてない?」

「え?」

「人、

降りてきたんだけど。」🤣

でもイエスさまは、

その人たちの信仰を見る。

そして、

歩けなかった人に、

立ち上がって歩くよう命じます。

その人は、

自分の寝床を持って帰っていった。

しかもこの場面でイエスさまは、

身体の癒しだけではなく、

罪を赦す権威についても語ります。

マルコ2章では、群衆で入れなかった人々が屋根を開けて麻痺した人を降ろし、イエスが赦しと癒しの権威を示す出来事が記されています。

イエスさまが見ていたのは、「病気」だけじゃなかった。


ある女性は、

12年間、

出血に苦しんでいました。

長い。

12年です。

病気だけではない。

お金も使った。

苦しみ続けた。

人の目もあったでしょう。

そして、

大勢の群衆の中で、

その女性は、

イエスさまの衣に触れます。

「触れることさえできれば。」

そう信じて。

すると、

癒された。

でも、

私がこの場面で好きなのは、

イエスさまが、

そのまま通り過ぎないことです。

大勢の中にいた、

その一人を、

見つける。

イエスさまにとって、

人は、

「群衆の一人」

ではなかった。

一人。

一人。

ちゃんと、

見ていた。

マルコ5章には、12年間出血に苦しんだ女性がイエスの衣に触れて癒される出来事が記されています。

そして、その同じ流れで、少女を起こす。


その時、

イエスさまは、

ヤイロという人の娘のもとへ向かっていました。

でも、

知らせが来ます。

娘は、

もう亡くなった。

間に合わなかった。

普通なら、

ここで終わりです。

でも、

イエスさまは、

少女のもとへ行く。

そして、

起きるように語る。

少女が、

起きる。

病気を癒すだけではない。

ついに、

「死」

というものにまで、

イエスさまの権威が向かっていく。

ヤイロの娘と12年間出血に苦しんだ女性の出来事は、マルコ5章で一つの流れとして描かれています。

泣いている母親を見た。


ナインという町では、

葬列に出会います。

亡くなったのは、

ある女性の一人息子。

しかも、

その女性は未亡人でした。

イエスさまは、

その母親を見る。

そして、

心を動かされる。

私は、

ここが好きです。

誰かが、

「奇跡を見せてください!」

と頼んだ場面ではない。

イエスさまが、

泣いている母親を、

見た。

悲しみを、

見た。

そして、

息子を生き返らせた。

奇跡の前に、

愛がある。

力の前に、

憐れみがある。

ルカの福音書7章、ナインでは、未亡人の一人息子の葬列を見たイエスが母親を憐れみ、息子を生き返らせる出来事が記されています。

そして、私の大好きな場面。先生、寝てる場合じゃないです!!🤣


ある日、

イエスさまと弟子たちは、

船で湖を渡っていました。

すると、

激しい嵐。

波。

水。

船の中に、

どんどん水が入ってくる。

弟子たち。

「やばい!!」

「沈む!!」

「このままじゃ死ぬ!!」

そして、

イエスさまを見る。

……。

寝てる。

しかも、

マルコの福音書では、

船尾で、

クッションを枕にして寝ている。

いやいやいや。

先生!!

寝てる場合じゃないです!!🤣🤣🤣

弟子たちは、

慌ててイエスさまを起こします。

すると、

イエスさま。

起きる。

風を叱る。

波に語る。

「静まれ。」

……。

シーーーーーン。

風、

止まる。

湖、

静まる。

弟子たち。

「…………。」

もう、

さっきまでの嵐より、

イエスさまの方が怖い。笑

そして、

弟子たちは言う。

「この方は、

一体誰なんだ。」

風も、

波も、

従う。

ここなんです。

弟子たちも、

最初から全部分かっていたわけじゃない。

イエスさまについて行っていた。

奇跡も見ていた。

それでも、

嵐が来たら、

怖い。

私たちと同じです。

でも、

イエスさまは、

そのたびに、

弟子たちに見せていく。

「私は誰なのか。」

マルコ4章では、激しい嵐の中でイエスが船尾で眠り、起こされた後に風と波を静め、弟子たちが「風や波まで従うこの方は誰なのか」と驚く場面が描かれています。

闇の力にも、怯えない。


福音書には、

悪霊に苦しめられていた人々が、

イエスさまによって解放される場面も、

何度も出てきます。

人々が恐れているものを、

イエスさまは恐れない。

闇に対して、

闇より強い闇で戦うのではない。

権威を持って、

解放する。

32話の『呪術廻戦』の記事でも、

私は「呪い」という入口から、

イエス・キリストについて書きました。

でも、

福音書を読むと、

イエスさまは、

闇に振り回されている人ではない。

闇の中へ、

光を持って入っていくお方として描かれています。

そして、罪人と一緒にご飯を食べる。


イエスさまのすごさは、

奇跡だけではありません。

私は、

この生き方が、

本当に好きです。

人々から、

「あの人は罪人だ。」

「あの人とは関わらない方がいい。」

そう思われていた人たちと、

イエスさまは、

一緒に食事をする。

ある時は、

罪深い女性と呼ばれていた人に対して、

その人の信仰と愛を見て、

赦しを語る。

周りの人が、

過去を見ている時、

イエスさまは、

その人を見ている。

ルカの福音書7章では、罪深い女性と呼ばれていた人にイエスが赦しと平安を語る場面があります。

パン5つ。魚2匹。人、多すぎ。🤣


そして、

超有名な奇跡。

大勢の人が、

イエスさまのもとに集まっていました。

時間も経つ。

みんな、

お腹が空く。

弟子たちからしたら、

「帰ってもらいましょう。」

という話です。

だって、

人数が多すぎる。

そこにあるのは、

パン5つ。

魚2匹。

……。

いや、

無理でしょ。🤣

弟子たちの気持ち、

めちゃくちゃ分かります。

5つですよ。

2匹ですよ。

でも、

イエスさまは、

それを受け取る。

天を仰ぎ、

感謝する。

そして、

分ける。

みんなが食べる。

満腹になる。

しかも、

余る。

弟子たち。

「いや、

増えてるんだけど。」🤣

五つのパンと二匹の魚から大群衆が食べ、残りが十二かご集められた出来事は四福音書すべてに記録されています。

その直後。湖の上に、誰かいる。


そして、

私めっちゃ大好き。

みんな大好き。

この場面です。🤣🔥

夜。

弟子たちは、

船に乗っている。

風が強い。

波もある。

そこへ、

遠くから、

誰かが来る。

でも、

船じゃない。

湖の上。

歩いてる。

弟子たち。

「…………。」

「お、」

「おばけーーーーー!!!」🤣🤣🤣

本当に、

聖書に出てくる弟子たち、

人間味があって好きです。

そりゃ怖いですよ。

夜の湖です。

人が、

水の上を歩いて近づいてくる。

でも、

イエスさま。

「怖がらなくていい。」

そして、

ペテロ。

ここで、

なかなかすごいことを言う。

「私にも水の上を歩かせてください。」

イエスさま。

「来なさい。」

ペテロ。

船を降りる。

歩く。

おおおおお!!

歩いてる!!!

でも、

風を見る。

怖くなる。

沈む。

「主よ、助けてください!!」

すると、

イエスさまは、

すぐに手を伸ばす。

私は、

この場面が、

本当に好きです。

ペテロは、

完璧な信仰の人として描かれていない。

歩く。

怖がる。

沈む。

叫ぶ。

そして、

助けてもらう。

これ、

私たちそのものじゃないでしょうか。

イエスさまを見て、

一歩踏み出す。

でも、

状況を見る。

怖くなる。

沈む。

それでも、

「助けてください」

と言った時、

イエスさまは、

手を伸ばす。

マタイの福音書14章では、弟子たちが湖上を歩くイエスを見て「幽霊だ」と恐れ、ペテロも水の上を歩いた後、風を見て怖くなり沈みかけ、イエスに助けられます。

イエスさまは、子どもを邪魔者にしなかった。


大人たちが、

イエスさまのところへ、

子どもたちを連れてきます。

弟子たちは、

止めようとする。

忙しい。

先生には、

もっと大事なことがある。

そんな感覚だったのかもしれません。

でも、

イエスさまは、

子どもたちを来させる。

抱き、

祝福する。

私は、

ここにもイエスさまを見る。

社会の中で、

「後でいい」

「今じゃなくていい」

と扱われるような人を、

イエスさまは、

後回しにしない。

子どもを見る。

女性を見る。

病人を見る。

嫌われている人を見る。

誰にも見てもらえなかった人を見る。

マルコの福音書10章では、イエスが子どもたちを来させ、抱いて祝福する場面が記されています。

そして、ラザロ。


ここから、

物語は、

さらに深いところへ進みます。

イエスさまの友人、

ラザロ。

病気になる。

そして、

亡くなる。

姉妹たちは、

悲しむ。

人々も泣く。

そして、

イエスさまも、

涙を流す。

私は、

この場面が好きです。

死者を起こす力があるなら、

泣かなくてもいいように思える。

でも、

イエスさまは、

泣いた。

人の悲しみを、

遠くから眺める神ではない。

悲しんでいる人のところへ来て、

共に涙を流す。

そして、

墓の前に立つ。

石を動かす。

そして、

呼ぶ。

「ラザロ、

出てきなさい。」

そして、

ラザロが、

出てくる。

病気。

自然。

悪霊。

飢え。

そして、

死。

福音書を読み進めるほど、

イエスさまの権威が、

広がって見えてくる。

ヨハネの福音書11章では、イエスがラザロの死を前に涙を流し、その後墓の前で呼びかけ、ラザロが出てくる出来事が記されています。

でも、イエスさまのすごさは、奇跡だけじゃない。


ここまで読むと、

イエスさまは、

とんでもない奇跡を起こす人。

そう見えるかもしれません。

でも私は、

本当にすごいのは、

その力を、

何のために使ったのか。

そこだと思う。

自分を有名にするためだけじゃない。

お金を集めるためでもない。

自分だけが偉くなるためでもない。

苦しんでいる人を、

助ける。

泣いている人を、

見る。

お腹を空かせた人を、

食べさせる。

病人を、

癒す。

孤独な人に、

近づく。

罪人と呼ばれた人と、

食事をする。

子どもたちを、

抱く。

そして、

人々に、

父なる神のことを教える。

どれだけ力があるか。

ではなく、

その力を、

誰のために使ったか。

私は、

そこに、

イエスさまのグレイトネスを見る。

そして、ザアカイ。


エリコという町に、

ザアカイという人がいました。

取税人の頭。

金持ち。

でも、

人々からは嫌われていた。

イエスさまを見たい。

でも、

背が低くて、

人が多くて、

見えない。

そこで、

木に登る。

なんか、

ちょっとかわいい。笑

そして、

イエスさまが来る。

通り過ぎると思う。

でも、

止まる。

上を見る。

「ザアカイ。」

名前を呼ぶ。

ここです。

みんなが、

「あいつは嫌なやつだ。」

と見ていた人を、

イエスさまは、

名前で呼ぶ。

そして、

「今日はあなたの家に行く。」

と言う。

周りの人は、

ざわつく。

「なんであんな罪人の家に?」

でも、

その出会いで、

ザアカイが変わっていく。

財産の半分を貧しい人に与え、

不正に取り立てたものがあるなら、

4倍にして返すと語る。

そして、

イエスさまは、

救いがこの家に来たと語る。

ルカの福音書19章では、イエスがザアカイを名前で呼び、その家に泊まると告げ、ザアカイは財産の半分を貧しい人に与え、不正があれば4倍返すと語ります。

人は「罪人」を見た。イエスさまは「失われた人」を見た。


私は、

これが、

イエスさまなんだと思います。

人々は、

レッテルを見る。

過去を見る。

職業を見る。

噂を見る。

失敗を見る。

でも、

イエスさまは、

その人を見る。

そして、

ただ、

「そのままでいいよ。」

と放置するわけでもない。

愛されることで、

その人が変わっていく。

赦されることで、

生き方が変わっていく。

ザアカイも、

変わった。

私は、

ここに、

福音を見る。

ここまで奇跡を起こした人が、なぜ十字架に?


さて。

ここで、

一度考えてみたい。

水を、

ぶどう酒に変えた。

病人を癒した。

歩けない人を歩かせた。

嵐を静めた。

悪霊から人を解放した。

パンと魚を増やした。

水の上を歩いた。

死んだ少女を起こした。

未亡人の息子を生き返らせた。

ラザロを墓から呼び出した。

なら、

なぜ。

そんな人が、

十字架で死ぬのか。

逃げられなかったのか。

奇跡を起こせなかったのか。

違う。

ここからが、

イエス・キリストの物語の、

最も深いところです。

イエスさまは、十字架から降りなかった。


イエスさまは、

捕らえられる。

裁かれる。

馬鹿にされる。

鞭で打たれる。

十字架を負う。

そして、

十字架につけられる。

ここまで、

数々の奇跡を起こしてきたお方。

風と波さえ、

従ったお方。

死者さえ、

起こしたお方。

そのお方が、

十字架から、

降りない。

私は、

ここを知った時、

思いました。

奇跡を起こせなかったからではない。

自ら、

従ったのだ。

罪のないお方が、

私たちのために。

私たちの罪を負うために。

私たちを、

父のもとへ連れ戻すために。

十字架へ向かわれた。

ルカの福音書23章にはイエスの十字架刑が、続く24章には墓が空になり、復活が告げられる出来事が記されています。

そして、最大のミラクル。


十字架で、

イエスさまは死なれた。

墓に葬られた。

弟子たちは、

終わったと思った。

希望が、

消えたと思った。

でも、

三日目。

墓は、

空だった。

イエス・キリストは、

よみがえられた。

ここです。

私は、

イエスさまの最大のミラクルは、

死を避けたことではないと思う。

死を、

通り抜けた。

そして、

死に勝利された。

これが、

Good News。

福音。

イエス・キリストは、

ただ、

「すごい奇跡を起こした昔の人」

ではない。

私たちを救うために来られ、

十字架で死なれ、

よみがえられた救い主。

Messiah。

四福音書を読んでも、これで「全部」ではない。


ここまで、

いろいろ書いてきました。

でも実は、

これでも、

全部ではありません。

ヨハネの福音書には、

イエスさまが行われたしるしは、

この書に記されているもの以外にもあったと書かれています。

つまり、

私たちが聖書で読んでいるのは、

イエスさまの働きのすべてを記録した、

完全な日記ではない。

それでも、

記されたものを読むだけで、

見えてくる。

この方は、

誰なのか。

何のために来たのか。

弟子であるヨハネは、記録されたしるしの目的を、イエスがMessiah、神の子であることを信じ、いのちを得るためだと説明しています。

奇跡を見たら、その向こうに「人」がいた。


水をワインに変えた。

そこには、

結婚を祝う人々がいた。

パンを増やした。

そこには、

お腹を空かせた人々がいた。

病を癒した。

そこには、

長い間苦しんでいた人がいた。

嵐を静めた。

そこには、

恐怖で震える弟子たちがいた。

水の上を歩いた。

そこには、

沈んで、

「助けてください」

と叫ぶペテロがいた。

死者を起こした。

そこには、

泣いている母親がいた。

泣いている姉妹がいた。

ザアカイを呼んだ。

そこには、

みんなに嫌われていても、

本当は、

自分を見てほしかった一人の人がいた。

だから、

私は思う。

イエスさまの奇跡は、

ただのショーではなかった。

愛だった。

神さまの国が、

人のところへ近づいてきた。

そのしるしだった。

私が「この人の生き方、めっちゃいいじゃん」と思う理由。


私は、

イエスさまを知れば知るほど、

思います。

この人の生き方、

めっちゃいいじゃん。

力のある人が、

弱い人を踏みつけない。

知識のある人が、

人を馬鹿にしない。

聖なるお方が、

罪人を遠ざけるだけで終わらない。

偉いお方が、

子どもを邪魔者にしない。

すごい権威を持つお方が、

その権威を、

人を愛し、

癒し、

解放し、

救い上げるために使う。

そして最後には、

自分の命まで、

差し出す。

こんな王が、

いるだろうか。

イエス・キリストって、本当に何者なの?


弟子たちも、

最初から全部分かっていたわけではありません。

嵐を見て怖がった。

湖の上を歩くイエスさまを見て、

「おばけー!!」

と叫んだ。🤣

ペテロは、

歩いたと思ったら、

沈んだ。

逃げた弟子もいる。

疑った弟子もいる。

それでも、

イエスさまは、

彼らを育てた。

一緒に歩いた。

そして、

彼らは少しずつ知っていく。

この方は、

ただの先生ではない。

ただの預言者ではない。

Messiah。

神の子。

救い主。

イエス・キリスト。

「なぜ十字架なの?」と思った方へ。


ここまで読んで、

「でも、

どうしてイエスさまが、

私たちのために十字架にかかる必要があったの?」

と思った方へ。

私は、

十字架について、

こちらの記事でも書いています。

特別編 イエス・キリストと十字架。


奇跡を起こしたイエスさまが、

なぜ、

十字架へ向かわれたのか。

その先には、

私たちに向けられた、

神さまの愛があります。

「イエスって本当にいたの?」という方へ。


そして、

もっと最初のところから知りたい方。

「そもそも、

イエス・キリストって本当にいたの?」

「キリスト教って、

正直よく分からない。」

そんな方へ。

私は以前、

イエスさまをまだ知らない、

大切なお母さんに向けて、

ラブレターを書くような気持ちで、

Good Newsについて書きました。

26話 お母さん、イエスさまって本当にいたの?
“ただの昔話”だと思っていたキリスト教を、ゼロから考えてみる。

最後に。


水をワインに。

嵐を静め。

パンを増やし。

病を癒し。

悪霊から人を解放し。

水の上を歩き。

死者を起こし。

嫌われている人と食事をし。

子どもを抱き。

泣いている人と共に涙を流した。

そして、

十字架へ。

そして、

復活へ。

私は、

このイエス・キリストを、

もっと多くの人に知ってほしい。

宗教のイメージだけで、

このお方を知らないまま、

通り過ぎてほしくない。

まず、

一度、

その人生を見てほしい。

何をしたのか。

誰を愛したのか。

誰の隣に座ったのか。

誰の名前を呼んだのか。

そして、

誰のために、

十字架へ向かったのか。

その答えを知った時、

もしかすると、

あなたも、

弟子たちと同じ問いを、

口にするかもしれない。

「この方は、一体誰なんだ。」

そして、

その問いの先で、

あなた自身が、

イエス・キリストと出会うことを、

私は願っています。

光は、

闇に勝つ。

死よりも、

強いいのちがある。

救い主は、

もう来られた。

愛であるお方、

イエス・キリスト。

Blessings to you.

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