[紹介]愛しのクリエイターさんたち〜Part2〜
私には行きつけの喫茶店がある。
noteの世界に静かに佇む
『喫茶ブルーモカ』である。
店主のブルーモカさんは、長い髪に高い背丈。
物腰は柔らかで話はいつも整理されていて聞きやすい。
年齢もそこまで変わらない。
落ち着いた雰囲気と、肩肘張らずに過ごせる場所。
私はこのお店のファンになった。
足繁く通ううちにブルーモカさんは様々なことをぽつりぽつりと教えてくださった。
彼自身も以前漫画家を目指していたこと。
編集者の方から様々な助言や指摘をうけ、それが今の物語創作に結びついていること。
さらに彼の話を読み進めると、その人となりの様々な輪郭が浮きあがってくる。
そこにはご両親への深い尊敬、家族への愛情、自身が歩んでこられた多種多様な経験の数々。
同性から見てもカッコいいなと素直に思える。
「ダサいことはするな」
お父様から受け継がれたその言葉を咀嚼し、自身に落とし込み、本質的なカッコよさとはなにかを追求するその姿勢は、人として見習わなければならないと感じさせてくれる。
父親として、そして創作仲間として、これからも共に歩んでいきたいと思いまたドアを開けるのである。
「ブルーモカさん、そういえば捕まえたスッポンってどうなりました?」
また聞かせてください笑
喫茶ブルーモカへはこちらからお入りください。
そんな喫茶ブルーモカでコーヒーを傾けながら読みたい作品がある。
ふじの葉さんの作品だ。
軽やかなユーモアが散りばめられてあって、思わずクスリと笑ってしまう場面も多い。
文章から人柄が溢れていて、まるでそこにふじの葉さんがいて話しているような、そんな感覚に触れることができる安心感も大きい。
ご自身のスタンスをしっかり持ち、それを隠さずに見せてくださるところが心地よい。
ふじの葉さんの作品の柔らかな空気感や安心感こそ居心地のよさが宿る理由のひとつかもしれない。
堂々としていて、でも物語に優しさや繊細さのギャップがあって、それもまた魅力的。
この作品の主人公の女の子の心模様、繊細な心の揺れにどんどん引き込まれて、気づけば「なっちゃん!!」と心の中で叫んでおりました。
喫茶ブルーモカを出て、太陽が街を黄昏色に染めあげる頃、スマートフォンがある通知を受け取った。
拙作、ジハードの読書感想文。
書いてくださったのは、note初期に右も左も分からぬ僕がフォローさせていただいたなつめさんだった。
noteを始めた頃は、分かりやすく伝えることや文章力を色々な人から学ぼうという気持ちがなによりもあった。
そんな中でふとひとつのなつめさんの作品と出会ったのだ。
読み進めていくうちに景色が広がった。目の前に広がる穏やかな瞬間、親の心遣いに癒された。
どんな人かとプロフィールを見て衝撃が走った。
「MENSA会員」
メンサ!!!
説明しよう!メンサとは、超優秀な人の集まりである。
100人いたら2人とかの『選ばれし者』の世界!!
そんな時、風鈴の音色と蝉の鳴き声と共にあの高校2年の夏の出来事が脳裏をかすめる。
「裕哉、わりい、ちょっと見せて」
全く答えが分からず友人の数学のテストをカンニング。
よし、あとは大船に乗ったつもりでいればいい。
この船は沈まない。
数日後、テストが返却された。
2点だった。
「おい裕哉!2点しか取れなかったんだけど!」
「俺は正解だけど?」
「嘘!?」
答えはすぐにわかった。
カンニングした解答欄が一列ずつズレていた。
頭以外にも色々出来の悪いわたくしだ。
そんな人間からしたらメンサ会員という人々は羨望の眼差しで穴が開くまで見つめたくなる。
きっと数式等を日常生活に駆使して、計算から何かを導き出したり、辞書編纂者しか使わないような言葉で会話するんだろうなと思いつつそのほかの記事を読むと…
めちゃくちゃわかりやすい!!
本当に頭のいい人は、何かを伝える時に誰でも分かる言葉を選ぶと聞いたことがあったが、まさにその通り!
なつめさんの記事は小説等の創作ではなく、エッセイやロジカルなコラムが中心だ。
だが、様々な勉強になることを分かりやすく、そしてユーモラスに伝えてくださっている。
noteには様々な有料記事が溢れている。
なつめさんも有料記事はあるけれど、考え方や知識を確実に受け取れることが分かりきっているので安心して買うことができる。
なつめさんは記事作りにAIを一切使用しないらしい。
そのあたりの考え方に関する記事を買うためにお小遣いをコツコツ貯めるのが最近のささやかな楽しみなのである。
なつめさんの創作大賞2026参加作品。
ただ、仮説を立てるだけではなく実際に手や足を動かして検証する。
まさに現場、現物、現実の三現主義!!
夜も更けた静寂の中で、
ルイーザ・ジューン・ボルコットさんの作品をそっと開く。
初めてルイーザさんの作品を読んだ時の衝撃は昨日のことのように思い出せる。
言葉の選び方、使い方がもはや芸術。
お気に入りの雑貨を探し出してそっと置くように、ひとつひとつの言葉を吟味して並べているんじゃないか?と。
主人公のアリサは、母の前では自慢の娘、そして職場の病院では「やさしくて頼りになる完璧なアリサ先生」を"演じる”。
心の中ではストッキングを
『こんなにすぐに汚れて破れてしまう贅沢に何の意味があるのか、と毒づき』、
着る服装に関しても
『SNSで作られた虚ろな「流行」の布切れに敢えて袖を通す。』
とある。
「服を着る」という部分をこう記すことで、アリサがひとつひとつの物や事柄に対して、冷静、感情はなく、無味無臭の情報として受け止めいく様を表している。
なぜアリサがそうなってしまったのか?
小学生に遡ったパートは、、、なんとアリサの感覚の表現が普通なのである!
説明などではなく並べる言葉のみでこの感受性の変化を感じさせてくれるなんて!!!
そんな感動をルイーザさんにコメントすると…
その返し自体がもはや作品のよう!!
俺はルイーザさんについて深く知りたくなっていた。
この人は何を食ってこんな表現ができるようになったのだろう…
数々の作品に登場する「トマト」だろうか…
プロフィールを拝見するとこう記されている。
『トンカツを好きなだけ食べられるくらいにはお金は必要と思っています』
そうか!トンカツだ。
翌日、妻が言う。
「今日の夜トンカツでいいー?」
神のお告げだと思った。
これで俺も自在に言葉を操れるようになるぞ!!!
咀嚼すると黄金色の凹凸が口内の粘膜をざらつかせる
とか書けるようになるんだ!!
トンカツを一心不乱にむさぼった!!
そして食後。
口の中がヒリヒリした。
あれから数週間が経過した。
悪玉コレステロールや中性脂肪は向上したと思う。
ただ言語能力の飛躍的な向上は見受けられない。
茨の道は続く。
けどもお前それでええんか?
ハッキリと声が聞こえた。
作品の中からそう問いかけられた。
オドーイタルさんの小説『6195』を読んでいた時のことだった。
それが、友人知人間でのみ公開していた拙作『ジハード』を創作大賞2026に応募するきっかけになった出来事だった。
オドーイタルさんの作品をここで事細かく語ることは、素直にいうと『出来ない』
どうしてかというと、答えは単純。
オドーイタルさんの小説『ケドモ』は、どんな言葉を並べても言い表せない黒く底なしのエネルギーが渦巻いている。
自身の表現力で、言い表そうと言葉を並べてみると、どうしてもそれを読んだ人に『へぇそうなんだ』で終わる紹介しか書けないのだ。
なので、作品の紹介は置いておき
ここではそのケドモの生みの親、オドーイタルさんについてを語ろうと思う。
いくつかの記事を公開してしばらくした頃にオドーイタルさんからスキをしていただいたことがあった。
どんな人なのかと自己紹介を読むと
幼い頃から、創作好きでした。
小学生の時、「画用紙でつくる帽子コンテスト」のようなもので、何かの大臣賞を受賞。
中学生の時、鉛筆をサイコロ代わりにして、鉛筆一本あればできる「鉛筆野球」ボードゲームを発明。
高校生の時、バンドにのめり込み、ステージのバックドロップ(垂れ幕)のイラストを自らデザイン。そのイラストが最終的に高校軽音部のTシャツに。
その後大人になっても創作は続け、知人の披露宴のためにオリジナル曲を作詞作曲し、披露したことも何度かありました。
・・・とまあ、そんな風に書けば、さぞやキラキラした、光に溢れた人生のように映るかもしれませんが、実際は、真逆でした。
虐待、イジメ、逮捕、適応障害・・・。打ち続く、屈辱と孤独の日々。
気が付くと、天真爛漫だった少年は消え失せ、超内向型、HSP気味の、孤独なおっさんがそこにいました。
すげー人だ!
コメントしようにも凄すぎてなんとコメントしても相手にされないのではないか?
そんな気がしてしまう。
しかしながら何かを残したい。
そんなことをあーだこーだとやっているとオドーイタルさんが、まるでこの状況を見ているかのようにコメントをくださった。
"ある方”に陽夢さんを強く紹介されました。と。
その"ある方“はきっと天使の つばさ をお持ちで縁を繋げてくださる素晴らしいお人だと直感しつつお礼を返したところから全ては始まった。
オドーイタルさんの着眼点は、非常に興味深い。
文章の書き方に、オリジナリティが溢れている。
読めば、あ、オドーイタルさんの作品だ。と感じられる絶対的な存在感。
そして作品の中にほんの一握りのユーモアを絶妙に混ぜ込むことで、ふっと軽くなる瞬間があったりと、読む側への配慮も抜かりない。
そこに触れてくれる!?というような汲み取り方をしてコメントを残してくれたり、そんな時に画面の向こう側で「ニヤリ」と静かに笑うオドーイタルさんの表情が垣間見える気がする。
先日、ジハード27話にこんなコメントをいただいた。

まるで状況を見ているかのような、と感じていたが
いや、これは見てる!!と確信した笑
なぜならジハードは行き詰まる瞬間も多く、とりあえず思いついていたここから書き始めていたのだ。
恐るべし観察力!
こんなすごい人との共通点を見出したい。
そうだ!オドーイタルさんは広島県に住んでいて、作品には呉市が登場する。
一方の俺は静岡県浜松市在住。
広島、静岡。
バランスの取れた都市で、新商品の売れ行きを見るために実験場として使用される地域ということは聞いたことがある。
つまり僕とオドーイタルさんが美味いと思えばそれは売れる!…かもしれない。
うーん、なんかしっくり来ない。
それ以外にもないだろうか…
僕はおもむろに日本地図の画像を表示。
呉と浜松に一本の線を引いてみることにした。

……!!!
なんということだ!!
その直線上に淡路島がある!!!

淡路島。
それは日本神話で、イザナミノミコトとイザナギノミコトが、初めに生み出した島とされている!
そして浜松市はかの徳川家康が日本統一の足掛かりとして過ごした地であり、呉はあの戦艦大和が生まれた、いわば日本防衛の象徴であったともいえる。
つまり、オドーイタルさんと俺の間で
国が始まり、政治そして軍事、文明の三位一体モデルが成り立っていると言っても過言ではない。
その二者が対面する場所は淡路島がいいだろう。
よくある映画の悪役が青リンゴ貪るような感じで淡路島特産品の玉ねぎを生で齧りながら2人で涙するVTRがあったら視聴者のつかみはオッケーだな…
…このくらいにしておこう。
このままだと陽夢の妄想の暴走が始まってしまう!!
少し逸れましたが
出会いが人を成長させる。
色々な人と出会い、刺激をいただく。
それは創作に限らず、生きていく上で必要不可欠な要素である。
だからこそ出会いを大切に、そして感謝して今日も過ごそうと思えるのだ。
陽夢でした!
愛してます!!

