レビュー/ドラマ1122/③家族愛と性欲は両立できる?-セックスレスについて-
1122(いいふうふ)は元々漫画が原作のドラマである。
ここ最近では2024年11月19日に
主人公を演じた高畑充希さんと、
その夫役の岡田将生さんが
このドラマをきっかけとして真剣交際ののち、
結婚したことでも話題になった作品だ。
主人公である一子(いちこ)と二也(おとや)。
二人は結婚7年目の夫婦で、
夫婦仲がいいものの、
何故か「公認不倫」をしているという内容のドラマ。
現在Amazonプライムにて公開されている、
このドラマは様々な観点から味わい深い。
夫婦の関係性、お互いの性についてや、
結婚に対しての考え方。
結婚と不倫との関係性や、
子供、そして不妊治療のこと。
様々な問題が複雑に絡み合い、
そして混じり合いながら
緩やかに物語が進んでいく。
今回はそんな1122のドラマを視聴し
私自身が感じたことや、
ドラマ自体の問題提起部分について触れながら
複数回に分けて話していきたいと思う。
第三回目は「家族愛」と「性欲」について。
(第一回、第二回はこちら☆)
家族愛と性欲。
これはとても両極端にあるように見えて
とてもつながっているものだと私は思う。
例えば良くあるのは、
付き合いが長くなったり結婚生活が長くなると起こる「レス」問題。
私自身、大学生で初めて付き合った相手と
レスになった事がある。
私は初めての恋人らしき恋人に浮かれ、
お互いにとってお互いのことが大切で
ずっと一緒にいたくて
私たちは身を寄せ合うみたいにして、
お互いの家はあるものの、
私は彼の家に殆ど住みついた。
自分の家に帰る時は洋服の衣替えの時期だけ。
今考えると何とも無駄なことに思うが、
多分私はあの関係性が心地よかった。
いつでも自分の家がある。
そんな逃げ道を残しながら誰かの胸に飛び込み
そして甘え尽くす日々は私にとって丁度よかったのだろう。
レスになったのはいつだっただろう。
付き合って2年ほど経った時だっただろうか。
私は洋服が好きだったので
結構変わった洋服を着たりすることもあり、
田舎の大学では若干「浮いている」人ではあった。
しかし出会った頃の彼は洋服には興味がなく
というより、
基本的に生きているのか死んでいるのか
よく分からない感じの人だった。
仲良くなるにつれ、
彼の不器用で、そして温かな性格に惹かれ
私たちは付き合うようになった。
私はその頃、
既に15年以上の腐れ縁であるパートナーと出会っていたし、自分の性癖に気づいてはいた。
それでもその当時一緒にいた彼はノーマルな人で
というより、セックスに対してあまり興味がないような人だった。
「棗とは家族みたいな存在だから、
そういう対象に見えない」
そう言われ、気づいた頃にはセックスレスになっていた。
私は当時から子供も欲しくなかったし、
パートナーもいたので、最悪セックスは外注すればいいやと思っていた。
それでも
求めてもらえない、必要とされていない、
私の体で興奮してもらえない、というのは
すごく悲しいことではあった。
“私の価値なんて、
この体ぐらいしかないのに。
セックスさえしてもらえないなら、
私の価値なんてなんにもないじゃないか。“
でもその一方で、
体を求められていないのに、
セックスを強要されてもいないのに、
それでも私といると楽しそうな彼に
もしかしたら安心していたのかもしれないと思う。
私は当時から「全てを曝け出す」ことに対して
並々ならぬ思いがあったので、
(全てを曝け出すの意味はこちらの記事をどうぞ)
https://note.com/cheeky_prawn2742/n/n293748232c4d
彼と半同棲をしている時も、
一人でいるのと同じように行動した。
彼にとっては、もしかしたらそれが
性欲と繋がらなかったのかもしれない。
彼は私によって
服に興味が湧き服にこだわり始め
同じアルバイト先でバイトをし、
常に一緒にいたのに、
それでも家に帰ったらいつも
夜遅くまでくだらない話を沢山した。
色んな場所にも行ったし、
色んな経験をした。
ただセックスだけはしなかった。
私は人よりも
性欲が強いからオナニーだってするし、
当時は彼がいるからリアルでは
他の男の人と会ったりしてなかったから
ストレスの吐口がなく、
私の暗い澱んだものは常に心に溜まり続けた。
それでも私たちは、
確実に一つに近づいていた。
大学の友人や周りの人やバイト先の人からは、
私と彼はいつもセットで考えられていた。
私は彼のことが好きだったし、
彼も私のことがとても好きだったと思う。
でも私たちは若かった。
若かったという言葉だけで片付けても良いのか分からないけど、
結局私は我慢できずパートナーに会いに行き、
そしてそれを疑った彼が私の携帯を見て、
私たちの関係は3年半ほどで呆気なく終わった。
(まぁその後も色々とごたついたがそれは省略する事とする)
・・・話を戻そう。
ドラマの中でも、その当時の私と似ている状況が描かれていたので二也と一子の言葉を借りながら、ここに記していきたい。
二也は一子に公認不倫を提案され、
傷つきながらも受け入れ
その後華道教室で出会った不倫相手と
関係を続けていた頃、
記念日旅行で一子と行った旅館で
一子から、セックスモーションを受け、
それを不器用に拒否する。
(まぁでもこれは一子が言った言葉の大きさを思うと至極当たり前である)
一子は「セックスが出来ないならせめて抱きしめて」と言い、
二也はその言葉を受けとり、バックハグをしながら二人は眠りについた。
二也はその後、そのエピソードを「一子ちゃんを抱きしめながら昔飼っていた猫をおもいだしていた」と振り返っている。
「あの温かさは確かに愛おしさでもあって、でもその愛おしさは欲情や興奮といった類のものとは程遠くて、限りなく鎮静していた」
その猫が、まあまあデブ猫だった事は
若干何とも言えない気持ちになったが
(やっぱり二也はそこはかとなく天然で失礼なのである)
それでも二也は公開不倫を申し出られるまで
一子とのセックスを望んでいた描写があったため、
この感情はきっと、一子への「好きからくる性欲」が減退しているという事なのかな、と感じた。
じゃあ一子はどう捉えていたのだろうか。
別のシーンで一子自身も夫である二也のことを、
友人に対してこんな風に語っている。
「おとやん(二也)とは元々好みや考え方も近くて、一緒にいるうちにどんどん思考も似てきて、『お前が俺で、俺がお前で』みたいになってたんだよね。でも恋焦がれたり、性欲とかって違う部分を持っている他者同士であることが重要だと思うんだ」
「ほんとは全然違う人間なのに、楽で良いことと思い込んでしまったあたりから、私のおとやんへの性欲が霧散していった気がするのですよ・・・」
この感覚は、結婚している人や、
長年恋人と付き合っている人なら誰しも思い浮かぶ所ではないだろうか。
一緒にいすぎると、人は相手のことを「自分」だと思ってしまう。
何も言わなくても相手がわかってくれると思ってしまう。
そして自分と相手が馴染んでいけばいくほど、
「ひとつ」になり、「家族」になる。
そういう感覚の人同士が付き合って結婚すれば
なんにも問題ないと思うのだが、
世の中にはいろんな人がいて、
私のようにセックス自体が大切な人や、
コミュニケーションの一環で取り入れている人からすると
セックスレスは、
まあまあの打撃を喰らうことになるのである。
セックスを拒絶する人たちは
よく公認不倫を提案したような一子のように
「家族にセックスって必要?」という
考え方になることが多い気がする。
その気持ちは大変に分かる。
なぜなら人は言葉を持っているから。
だからセックスがなくても
言葉を使えばコミュニケーションは取れる。
それでも、
肌が触れ合うことで
それでしか伝わらない「何か」が
私にはあると思ってしまうのだ。
家族と性欲は、
なんとなく両極端に見えるけれど、
それでもセックスをして子供が産まれ
そして家族になる過程を考えると
(勿論子供がいない家庭が「家族」ではないなんて思っていませんので悪しからず。分かりやすい例として書いています)
家族と性欲は、
決して両極端ではなく「表裏一体」なのだと分かる。
勿論、性欲なくても情が湧く場合もあるし、
性欲がなくても愛情があるケースもある。
その全てがセックスにつながることがないと
今の私なら少しは分かるつもりだ。
でも、それでも。
やっぱり愛する人に触れていたい、
一つになりたいと思う感情は
とてもキラキラして温かくて大切なものだと思う。
もしこの記事を読んでいる人が
大切な人や結婚相手とセックスレスで、
そしてそれを拒絶している側なのだとしたら
せめてセックスが出来なくても
裸で抱き合ったり、手を繋いで眠りについたり、
行ってきますのチュウを心の底からしてみたり。
そういう事を意識してでも良いから
積極的にしてあげてほしいと思います。
セックスができなくて苦しいのは
きっとあなた以上に拒絶されている相手だから。
相手を労って、そして慈しんでほしい。
そして逆に今、
セックスレスで困っている人は、
「あなたが拒絶されているわけではない」
という事を伝えたい。
そして「セックス」がしたいのか
「その人とセックス」がしたいのか、
それについてよく考えてみるというのも
いいのかなと思います。
もし前者なら
意気揚々と風俗でも何でも
使っちゃってください!!!笑
あなたが一人で苦しんだり悩んだりする必要はない。
そしてあなたにはそれを出来る権利がある。
(勿論先に対話できるのが本当はいいのだけれど)
あなたの苦しみや悩みは
セックスレスの相手と共有すべきだし、
でもそれすらも共有してくれない相手なら
そんな相手に義理立てする必要なんてないのです。
他にもっと良い相手でも見つけて
乗りかえっちゃったら良いと思います。
(子供がいるとそう簡単にもいきませんが)
みんなに幸せが訪れるように。
そして本当に大切な人たちに囲まれて
みんなが生きていけるように、
私は今日も文章を書きます。
きっとそれしか出来ないけど
それこそが私にできる事だと思うから。
今日も頑張って生きていきましょう、ともに。^^
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