「パーソナル編集者」を受け始めたら、生きづらさの理由が見つかった
何かを上手になりたいと思ったとき、すごく上手な人と自分のつたなさのギャップというのは、よーく分かるもの。文章でもそう。
noteを書きたいという気持ちはあってもなかなか書けない。いや、書こうとがんばって毎週のように更新していた時期もあったのだけど、「もっとうまく」「もっと面白く」といつの間にか自分を追い込んでしまって、書くことがつらくなっていた。
そんな私が、2025年2月からnote執筆を伴走してくれる「パーソナル編集者」を利用し始めてもうすぐ半年。今では、ほぼ毎週更新ができるようになった。
今日は、「パーソナル編集者」を利用し始めての気づきをお届け。
書き始めた理由。そして挫折
もともと書くことは好きな方。現在45歳の私は、インターネット黎明期から場所をいろいろと移しながら、ブログ的なものを書いたり辞めたりを繰り返してきた。
仕事はフリーランス。「はたつく研究所」という団体を主宰して、「働く」を軸に講座や対話の場の企画をしたり、女性フリーランスコミュニティ「ホクレア」を運営したり、時々ライターや事務のお仕事をするなど、複数の仕事をもっている。
つまり、個人でお仕事する以上、自分の考えを発信したり、セルフブランディングをする必要性がある、ということ。
そんなわけで、2024年春「これからnoteをがんばるぞ!」と意気込んで、更新を始めたものの2カ月ほどでストップ。
タメになることを書こうとし過ぎて、だんだん何を書けばよいのかわからなくなり、迷子に。誰に言われたわけでもないのに、何を書いてもつまらない気がして、書くことが怖くなってしまったのだ。そして気がつくと、半年以上が経っていた。
理想が高すぎて、自分の見積もりが低すぎる
でも、やっぱり書くことを諦めきれない。もう一度noteにチャレンジしたい。
そう思っていた今年のお正月。「パーソナル編集者」代表のみずのけいすけさんのXで、新規募集の投稿を発見!存在は知っていたけど、申し込む踏ん切りがつかなかった「パーソナル編集者」。お正月にこの投稿を見たのは運命と思ってすぐに申し込んだ。
いまから、パーソナル編集者、2月スタート枠の募集をしまーす!編集者をつけてSNSどんどん伸ばしていきたいひとはどうぞ。だいたい3〜5日で埋まっちゃって1週間で満了になります
— みずのけいすけ|goodbuff Inc. (@mikkemac) January 1, 2025
最初に担当してくださったのは、数々のWEBメディアの編集をされている、えるもさん。パーソナル編集者とのやりとりはSlackで行われる。いきなりnoteが書ける気がしなかった私は、Slackで日々の気づきをえるもさんに送ることからスタートした。
すると、月に一度の1on1で、えるもさんから「Slackで送ってくれた気づきを記事だとすると、ちひろさん的には何割ぐらいの出来ですか?」という質問が。私が「5、6割ぐらいですかね?」と返すと、なんと、えるもさんから「私からすると8割はいってる。少し整えたら出せるぐらいですよ!」との返事。
それを聞いたときには、「えー!こんな浅い気づきでいいのか」とびっくり。
「もっと深めないと」「気づきが1つじゃ足りない。2つはないと」とやってるうちに書くことすらできなくなってしまった私にとって、えるもさんの指摘は衝撃的だった。
でも、私が「浅い」と感じた気づきも、本当にnoteに出せないほど浅かったなら、えるもさんからストップがかかったはず。「ちひろさんは浅いと思うかもしれないけど、この気づきを知ることで、『読んでよかった』と思う人はいると思いますよ」と言ってもらえたことがうれしかった。
そのほかにも、「自分的には大したことではない。これぐらいでどやってはいけない」と思っていたことに、「すごいですね!もっとアピールしていいですよ!」と言ってもらえたことも度々。もともと前に出ることが苦手な私。どうやら控えめが過ぎるらしいと薄々気づき始める。

パーソナル編集者を始めて2カ月ほど経った頃、「記事の完成度の感覚も、等身大の自分を見せることも、なんだか私バグってる?」というのが、だんだんと見えてきた。
超えられないハードルを設定したり、必要以上に自分を控えめに見せたり。自分を過小評価して、目標ばかり高くしてたら、そりゃ苦しくなるに決まってる。
もっと力を抜いていいんだと気づいた頃から、noteを書くことが怖くなくなった。今日面白いと感じたことを、今日、書き留めておきたい。そんな衝動のままに書くことができるようになっていった。
書いて見つけた初めて知る自分
理想ばかり高くて、やる前から自分には無理と諦めてしまっていた。えるもさんとのやりとりで気づいたのは、上手くなるには、下手でも書くしかないという当たり前のこと。でもそれが、今の自分にできることだった。
そこでふと思ったのが、「これって文章のことだけなんだろうか」ということ。
理想と現実のギャップを前に、本当はやりたい気持ちがあったのに、手を伸ばさなかったことが、これまでにたくさんあった気がした。
たとえば、海外留学やバックパックで世界中を旅行すること。たとえば、他の誰かがやることになったプロジェクト。やりたいなら、実現までのプロセスを細分化して、5cmぐらいの低い低いハードルを越えることから始めればよかったのに。ゴールまでの道のりの遠さに、一歩踏み出すこともしなかった。
他にも、もっと小さな選択でさえ、無意識に自分にできなさそうなことは選ばずにきたような気がする。少し背伸びするぐらいならいいけれど、手が届かなさそうなものには手を出さない。勝てない勝負はしない。そんな思考のクセが私にはある。
たぶんこれは、1人でnoteを書いていたら絶対に気づけなかったことで、えるもさんに指摘されることで、初めて見つけた自分だった。
初めて気づいたことなのに、今まで「どうしてうまくいかないんだろう」と思っていたことの理由がストンと腹に落ちる。それに気づいたら、もう書かないわけにはいかない。
これからは書くことで自分を癒したい
noteを毎週更新できるようになって気づいたことがもう1つある。それは、書かなければ記憶から消えてしまうことも、書くことで残すことができるということ。
これまた当たり前のことのだけど、どんなに今日が良い日でもその感覚は薄れていくもの。子どもがびっくりするような深い発言をしたり、これまでの家事のやり方を少し変えてみたらうまくいったり、そういう日常の小さな発見は、残しておかないとついつい流れて忘れていってしまう。
でも、そういう取るに足らない小さな出来事が自分をつくっている。忘れてしまうぐらいなら、下手でも何でも、残しておいた方が良いに決まってる。
遠くの理想ばかり見てしまいがちな自分にとって、日々の出来事を見つめて、今いる場所を確かめ、それを残していくことはとても大切なことのように思う。
書くからこそ見える景色
noteに溜まっていく記事は、スノードームの中のパウダーのようだ。大きな粒もあるけれど、ほとんどは小さくて、少しずつ澱のように溜まっていくもの。それらは時々ふわっと舞い上がって、きれいな景色を見せてくれる。
noteを書いていると、日常で「これはあのことだったんだ」とか、点と点が結びつくようなタイミングが時々訪れる。記事を書くことで、自分が見ている世界がより鮮明になっているからだろう。
そんなご褒美のような景色をこれからも見ていきたい。そのために、つたなくても、ちりのように小さな記憶のかけらを書き溜めていこうと思う。
半年間で思い出に残っている記事たち
半年間を振り返ると、書く記事の幅も少し広がったような気がする。特に心に残っている記事を少しご紹介。
▼パーソナル編集者主催のnote投稿コンクール「春になると思い出すこと」で佳作に選んでもらった記事。高校生の頃の思い出を初めて書いてみた。楽しみに聞いているPodcastを配信されている方から、コメントがもらえてうれしかった。
▼えるもさんに伴走してもらって書いた記事。向き合っておきたかった、ここ1年ほどの自分の変化について。自分が伝えたいことほど客観視が難しいので、伝わりにくいところを指摘してもらった。
▼初めて「今日の注目記事」に選んでもらえた記事。更新できるようになっていたからこそ、旅の思い出をすぐに記事にできた。鮮度が高いうちに出すって大事。
P.S
えるもさんが6月から産休・育休に入られ、6月からは、ライターのおばたわたるさんにご担当いただいている。書くうちに、もう一つの大きな壁に気づいたので、9月からの半年は、おばたさんに伴走してもらいながら、また一つ人生につながる壁を越えていく所存!
