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精神医療の「パターナリズム」超克についての呼びかけ

統合失調症を発症した学生さんの、医療や地域福祉関連機関との連携のもとでの学業の継続を自分の臨床の要と考えてきました。

精神医療、および地域精神保健ネットワークとの連携なしに心理職は全く成立しないと身に染みて感じてきたつもりです。

私自身は、自分のことを「薬物療法ができない精神医療チームの一員」くらいに自分のアイデンティティを位置づけてきています。

心理職の高度な精神医療専門知識と経験は必要不可欠と考えており、心理検査のことは別として(たいていの心理検査自体はできますが)、心理職を「主として #心理療法 を専門的に行う立場」として位置付けてきた従来の臨床心理士アイデンティティの描き方と専門教育に非常に疑問を感じてきたひとりです。

むしろ #コメディカルスタッフ としての力量、精神医療および地域精神障がい者福祉の機関とのリエゾン増力を高め、いわば「心理療法については高度の専門性を持ちつつも、実務的には #精神保健福祉士 に限りなく近い専門的スキル(すなわち #ケースワーク および #リエゾン のスキル)の向上が、#今後の心理士養成研修の要 くらいに考ています。

すなわち、心理職を「カウンセリングルーム」という #密室 に常駐するというモデルではなく、むしろ閉鎖病棟の #ナースルーム に常駐する「遊撃隊」と位置づけ、他のスタッフとのやりとりや、病棟内を「ぶらつく」中での患者さんとの「世間話」の中での患者さんからの訴えに、ごく短時間で「小精神療法」的なスキルを発揮できるくらいにならないと、たいていの精神科病院で実は #臨床心理士#公認心理師 を雇用する「メリット」を「本音のところでは」まるで感じていない日本の現状は打破されないと日ごろから感じています。

私は #精神科医自身に精神療法的スキルはほぼ期待しなくていい 、という立場です。 まずは各科共通の医学的専門スキルを前提として患者の #身体面での 医療の必要性を担保し、次に #薬物療法 や入院休息、患者の一時休業などについての、必要なだけの専門スキルの拡充にのみ傾注していただくのが望ましいと考えております。

おおせの通り、精神科医が精神療法にたずさわることは、措置入院や精神障がい者認定のための診断書の発行主体としての、法的拘束力のある「#上下関係」を前提としているため、対等な「契約関係」を基本モデルとする心理職にはない、構造的な、#権力的「#パターナリズム」を内包しており、非常に難しい側面があると思います。

医療看護福祉関係者の「パターナリズム」の弊害から患者(クライエント)の身を守り、時によっては(あえてこの言葉を使いますが)「救出」することが「心理職独自の使命」とすら感じています。

医療看護福祉関係者は、患者(利用者)の生命および生活できる環境維持という最低限の目標達成を何より優先する職務とならざるを得ず、一つ間違うと、仮に善意からのものであっても「ただ生きながらえている」以上の尊厳を患者(利用者)から奪い、「おとなしい羊」のように施設内処遇に「甘んじる」パーソナリティを #暗に期待している ことの「恐ろしさ」(いまだに映画「カッコーの巣の上に」が象徴的に描いたように、患者に精神的「ロボトミー」を無意識のうちに施しかねない点)に、良心的な医療施設従事者すら無自覚なことが少なくないと、苦々しく感じています。

医療関係者に精神療法についての「理解」は十分にしていただき、医療従事者としての「助言」は率先してしていただきたいのですが、こうした点についての医療従事者の認識の深まりを日ごろから期待しております。

さもなくば、「#人畜無害」の患者、「#問題をおこさない」患者の枠からはみ出て、本来の社会内での、健康には留意しながらの、得てして制約と限界のあることは自覚しながらの「#自己実現」こそが「夢」である患者をスポイルした状態を「理想」とする、#事なかれ主義 の(きつい表現ですが)「#保身」の構えを医療看護福祉従事者に生み出す危険があると、日ごろから考えています。


(ある精神科医の書き込みへのレス全文の転載です)


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