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河森正治「迷宮のしおり」ティーチインスペシャル (1) 河森さんはチベットネイティブの住民たちの交流で何に気づいたか

予定よりかなり遅れ、お待たせいたしました!

実は私の一人語りYouTube動画では話しているコンテンツなんですが、そこからの文字起こしパージョン、やっとスタートいたしますね。

どうも一気に河森さんのティーチインの内容を集中してまとめようとすると、私のADHD(注意欠陥多動性障害….恐らく河森さんにもその傾向あり)特性が億劫がるみたいです。

そこで、まずはいきなり「掴み」の一発、独立して、話題提供してみましょう!!

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河森さんは、チベットにかなり長期滞在して、ネイティブの人たちと生活を共にしたことがあるそうです。

それがどういうきっかけで、いつ頃のことなのかはお話になりませんでしたので、いずれそのあたりもおうかがいする機会があればと思いますが、河森さんは「思い立ったが吉日」という、私と同じADHDタイプと思ってますから、財力にものを言わせて(爆)、かなり唐突に敢行したのではないかと想像いたします。

河森さんがチベットで一番びっくりしたのは何か?

住民たちが、1キロ離れた同士で、大げさな身振り手振り交えて、対話を始めたそうです。

河森さんは、裸眼視力2.0とのこと。でもその河森さんにすら、1キロ離れた相手側の住民の顔や表情は、コメ粒ほどにも見えないわけですね。

限りなく「点」に見えたでしょう。

更に、谷間から響いて返ってくる声は、ほんとうに微かなものに過ぎない。

ところが、住民たちは、まるで目の前にいる人物とのやりとりであるかのように、相手の表情や仕草込みで、お互いのやり取りについて、「今あいつはこう伝えて来やがった」みたいにして実況してくれたそうです。

河森さんは、この住民たちが、当たり前にように発揮している能力に、いたく感銘を受けたとのこと。

私たち先進国の人間は、文明の発達によって、こうしたすばらしいコミュニケーション能力を、退化させてしまったわけですね。
これはほんとうにもったいないことだと思います。

河森正治「迷宮のしおり」ティーチインin大阪

凄いレヴェルのことを河森さんは言い出した、と、私は思いました。

まるで文化人類学者フィールドワークである。

ちなみに、私の古くからの知り合いに、文化人類学者の上田紀行氏がいます。彼はスリランカの悪魔祓いのフィールドワークで著名です。

その上田氏からは、そのスリランカ滞在時のエピソードを、学会等で詳しく聞いていたわけですが、河森さんの語ったエピソードは、単にそういう上田氏を彷彿とさせただけではなくて。

河森氏は、このチベットネイティブの住民たちの能力についいて、次のような、びっくりするような表現で分析を始めました。

インターネットの発達、殊にAIの発達の中で、私たちは、一から十までわかりやすく言葉で「解説」してもらわないと「理解」できないというふうになってきていると思うんです。

これは、こういうふうに、映画を作る際もそうでして、「謎解き」を全部説明してくれないようなストーリー作りをしないと聴衆には受け入れてもらえないようになってきています。

でも、それでいいのだろうかと思うんですよね。

それでは、物語の「行間を埋める」力、「脈絡を読む」力が観客から衰えていくばかりとなります。

実は、チベットの人たちが遠距離コミュニケーションで発揮しているのは、まさにこの「行間を埋める」力、「脈絡を読む力」だと思います。

映像作品の演出っていうのは、まさにこの、観衆が「脈絡を読む力」を作り手が信頼した時に、醍醐味があると思うんです。

これからは、ちょっとしたTVシリーズアニメくらいなら、生成AIを活用すれば、ストーリーから何から皆、作れる時代になるのではないか?

でも、生成AIそれ自体は、過去の膨大なデータの蓄積に過ぎませんので、この「脈絡を読む力」があってはじめて理解できる演出ってのだけは、作れないと思います。

物語制作者としての私にとって、最後の砦は、まさにその、生身の人間にしかできない、「脈絡を読ませる」演出です。

そういう演出に賭けられるからこそ、制作意欲は掻き立てられるってものですよ。

河森正治「迷宮のしおり」ティーチインin大阪

・・・絶句。

これは実は「迷宮のしおり」という、精緻なまでに象徴的(メタファー的)演出技法を意図的に仕込んで、「実は3回観てはじめて全貌が伝わる(河本さん自身の表現)」ように作った作品の方法論への確信を、河森監督自身が堂々と宣言していることになります。

だから、一回観て「わけわからん」と批判するレビューが大量に出て来ても、気にしない気にしない、ということですね(笑)

それどころか、この、現代人における、「脈絡を読む」コミュニケーション能力を、まさにその力を「退化」させたかに見えるネット媒体=SNSを活用して、むしろ「復権」させることはできないか?という、壮大な実験それ自体が、この「迷宮のしおり」という物語の「テーマ」それ自体であり、更に言えば、(ここから先は監督が直接語ったことではないのですが、恐らく)観衆にとってのこの映画の鑑賞体験それ自体が、まさにその「脈絡を読む能力」再賦活の成就のための「祝典」参加である、という、壮大で志高すぎるプロジェクトということが明らかになってきたのです。

最後の点については、この記事を読んでいる読者の皆さん、

「ウッソー!それはさすがに阿世賀誇大妄想

と言い出しそうですが、ちゃんと根拠あるよ。

この「迷宮のしおり」という映画のキャッチコピーのひとつ、覚えてます?

ラスト30分で、あなたの人生は変わる。

映画「迷宮のしおり」のキャッチコピーのひとつ

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さて、こうして、河森さんが、現代人から「退化」したが、現在のチベットのネイティブの住民たちは保持している能力について「行間を埋める能力」あるいは「脈絡を読む能力」という言い方をしたわけですが。

河森さーーん。

ティーチインの場では、敢えて追加でコメントするの止めておいた重要なこと、今から書きますので、お覚悟を!!


私、これにあたる、現代人が失った能力について、すでにピンときていたんです。

私が今もその「脈絡を読む」能力自体を十分保持していて、だからこそ、河本さんも私のコメント(次回「後編」の記事で具体的には初披露、読者の皆様、乞うご期待!)を聴いて「こいつ、一回観た時点であっさりそこまでこっちの演出意図を読み解けたのかよ!」とドン引きした事態は生じたわけですが、それだけではなく、ちゃんと、既成の、情報工学的、あるいは、文化人類学的観点からの「説明概念」、知ってたんですう。

(これを読んでる、河本さん、恐らく茫然・・・)

デジタル音響工学(オーディオ工学)あるいは、音響認知物理学の領域でいうと「過渡特性」(の高さ)、という概念にあたります。

更に認知数学的に言えば、

t≒0における微分回路認知


による、その後の変化傾向の完全予測といいます。

・・・はい!! これで心理学系・精神医学系おたくの皆さーーーん、

察する人は察したよね。

はい、せーーーーーの!!


この阿世賀浩一郎のnoteアカウントで、また出たまた出た、精神科医の中井久夫先生、空前絶後の名著、「分裂病と人類」の紹介タイムが、また来てしまったではないか!

狩猟採集民族は、微かな風のざわめきから、草原の向こうにどういう肉食動物がいて、息をひそめてこちらを狙っているのかを察知できる力を今も維持している。

動物の足跡ひとつ地面に見つけただけで、それがどの動物の足跡で、しかも何時間前に歩いた足跡か判定できる。

これを中井久夫先生は「微分回路認知」と名付け、分裂病(S)になる因子を持つ人物=「S親和者」のDNAに現代も塗り込まれてる、情報処理、認知特性であるとしたわけです。

これは、農耕文明以前の、狩猟採集民の時代には、遺伝的に一番有利な形質だったが、農耕文明の勃興によって、少数派に追いやられる。

つまり、狩猟民の身体にしみ込んだ、一身具現的技能などは、計画的な、全住民一斉キャンペーンとしての農作業暦に従った集団活動としての農作業や、治水・灌漑プロジェクトの労働力として必要な、「執着気質」的=うつ病親和的な、マニュアル化された一斉作業向けの適応能力=「積分回路的認知」スキルの優越状況の前では、「ノイズ成分」に過ぎなくなり、狩猟民族の遺伝子を強く持ったままの人たちは、むしろ農耕社会では不適応者、少数派に陥落、この結果、その症状としての「統合失調症」が、人類史にはじめて登場することとなる・・・という、ウルトラ級に壮大な仮説を、中井久夫先生は、確かまだ40代頃に立てたわけです。

ところが、農耕文化に適応的な、脳神経系の「積分回路認知」的な情報処理過程は、(宮台真司ふうにいえば)「終わりなき日常」が延々続くかに見えた平穏無事な時代には有効だろう。

しかし、例えば、大干ばつ、大地震、大津波、巨大台風、火山大噴火などの大災害、戦争、革命、大暴動などの「緊急非常事態」となると、「積分回路認知」に依存してきた大多数の国民は無力である。

そうした「戦時」や「革命期」に再び時代の中心にいつの間にか躍り出る「革命家」体質の人間は、いまだに「微分回路認知」の持ち主でないと、刻々と変化する状況や事件に、即決即断で次々対処していく決断を重ねるのに必要な、「変化の傾向性」についての精密な予測はできず、臨機応変で、時として大胆、あるいは残酷な「政治・軍事判断」を瞬時に次から次にして行く「独歳者」であることも引き受けるスキルが備わっている。

ただし、それは、周囲に決して迎合しない、孤独への耐性を持つ一方、「思い込みの激しさ」もあり、判断の「独りよがり」な誤りの蓄積による反発を招いた結果陰謀された「クーデター」で断頭台の露と消えたり暗殺されたりして(わかるよね。ロベスピエールのこと。彼は清廉潔白な人物として有名だった。ナポレオンのように、島送り禅譲で引退で済めば幸い)、革命期が終わると、表舞台から再び立ち去る宿命にある。

また、小さなスケールでは、異性の微妙な表情や声の調子の変化から気持ちを「察する」のが得意ではあるか、これも「失調」すると、求愛相手への告白「自爆」の繰り返し(若き日の私やがな・・・)で済めばいいが、ストーカー化する暴走の危険もある。

(まあ、こういえばわかるでしょうが、私が隠している恋愛「不祥事」って、そういうことです、もちろん相手に身体的傷害とか与えてないです)

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・・・以上、私が日本有数のレジェンドとなる「フォーカシング」と出会う前、「座右の書」だったのが、ズバリまさに、中井久夫先生の「分裂病と人類」でした。

河森さん・・・そういうことですので、私の「ホームグラウンド」で若い頃から周知のことそのものを、河森さんは、チベット体験として語り出して考察して、私は仰天していたのでした。


実は、河森さんの語る、チベットのネイティブの人たちが、1キロ離れた
米粒にも見えない相手
とですら「あたかも目の前にいるかのように」コミュニケーションできる、という話に私が特に驚かなかったのは、私自身が次のような経験をしたことがあったからでもあります。

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次回、「後編」では、いよいよ、河森さんが「迷宮のしおり」の脚本と演出で意図的に仕込んでいた、深層心理学的なメタファーの精密そのもの仕掛けについて、まさに河森さん自身の口から語られた内容。

結論から言えば、私がすでに、

でのYouTube動画、

で、この作品を初めて観て終映2分後の暗い客席からビデオカメラを回して語り始め、

でとりあえず書いていた、

物語構造と演出についてのユング心理学的仮説

は、

すべて

河森さん自身がユング心理学を応用して、意識的に仕組んだ演出意図

そもそのでした。







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