丹生の龍神
【記録◆2025年9月12日】
「丹生都比売」を祀っていたはずの神社が、なぜ、「丹(辰砂)」ではなく水の神社になっているのか………と、先週に考えていました。
「答えが問いと対になる瞬間」があったので、この記事の最後に記します。
◇◇丹生神社(吉野郡 吉野町 六田)◇◇
「丹生都比売」が大和で、主祭神として最後まで残ったのはここだろう。
そう感じられて、「冬の晴れた日に行ってみよう」と考えていました。
冬には、凍った山道を走れないので、あまり街から離れられないのです。
でも、そういう場所は、「雷雨の予報が出ている夏」にも向いています。
黒い雲が広がるより速く、街へ戻れますから。
ただし、国道が通っているのは『吉野川』の北側で、南側の県道は狭く、そこから山に入ると、村道は林道よりも進むのが困難。
両側に人家の塀がある場合は特に。
(林道は「谷との間にガードレールが無いだけ」ですが。)
奈良県内で、これまでに行ったのは、
〇丹生神社(宇陀市 榛原 雨師)
〇丹生神社(奈良市 丹生町)
〇丹生神社(吉野郡 東吉野村 小)
[以下の3記事。]
近くまで行けたけれど、山の懐まで入っていけなかったのは、
〇丹生神社(宇陀市 菟田野 入谷)
〇丹生神社(吉野郡 吉野町 六田)←こちらが本日の行き先。
20年ほど前には、「御祭神は丹生都比売」と、書物に記されていました。
しかし、ここも、水の神さま「ミツハノメノカミ」に変わっています。
「罔象女神(みつはのめのかみ)」については、以下の記事。
わたしは、自国の歴史に「卑字」を使いません。
「どのような場も蘇生の方向へ導く微生物」のような文字を使います。
それで、わたし個人は、「光波(みつは)」という字を当てるのです。
(かえって失礼になっていないだろうか、と考えもしながら。)

まるで入り江のような場所です。山の懐だから、海は無いけれど。
神名を削る勢力との間には広い『吉野川』と、神社を囲む山々もあって、「丹生都比売」が最近まで残れたのか………

鈴緒に、赤い糸も使われているよう。
8ヶ月前、「みむろ山(三輪山)の神語りに記された赤い糸」は、赤土で染まった麻糸だから、「辰砂(水銀朱の原料)」を意味するのでは………と考えていたら、たまたま開いた本に「縄文晩期の糸玉」が載っていて、
『糸に水銀朱の赤漆を塗り、束ねて輪にした製品』と説明文にあったため、
「調べていたわけでもないのに、実物と照合できた」とおもったのでした。
「辰砂(シンシャ)」は、古代日本で「丹(に)」と呼ばれていました。
この神社も、かつては赤く塗られていたのでしょうか?


「吉野川沿いに、水銀鉱床は見当たらない」と、どこかで読んだのですが、わたしが行った「丹生神社」はすべて、採取した土を分析した結果により、古代の産地であったと判定されています。
ここは「吉野川沿い」なのに、たしか、他所より含有量が高かったはず。
では、『櫻實神社(宇陀市 菟田野)』の「八ツ房杉」のように、ここでも巨樹の樹皮は、他所より赤く染まっているのでしょうか……?

そういえば、「和歌の浦(和歌山県)」で大きな龍の頭部のような雲を、【丹生都比売が、「元寇」という未曽有の危機に際し、神々の先駆けとして出陣され、十四万もの大軍を暴風雨によって退けた】ときの姿だと、なぜか感じたこともありました[写真は、以下の記事内]。
「丹」の女神を「龍神」と感じた理由は解らないまま、「大軍を退けたのはクシナダヒメ」という話も知り、クシナダヒメが海面を埋め尽くす蛇たちと戦場へ向かったというのは、「記紀で蛇神にされた出雲神族」の暗喩なのかと考えもしたのでした。
クシナダヒメは、出雲の伝承によると、「出雲王国初代の王」の妻です。
(注:記紀には、別の人物の妻になったと記されていますが。)
「国難を救う神風」を起こしたのは『龍田大社』だという話も知ったとき、【鎌倉時代の「元寇」の話ではなく、それより昔、外来勢力が入り込もうとしたときの話なのでは】という気もしました。
九州から攻めてきた勢力は、「紀の川」河口で敗退する前後、淀川からも大和川からも入り込もうとしていません。
大和(奈良)で融和したひとびと(「縄文」「出雲」「丹生」と仮定)が各々の祖神を護国の女神として、最も近い川から出陣したのでしょうか?[その考えを最初に書いたのは、以下の記事。]
本殿の向こうに、美しい形の山が見えます。
もしかしたら、この山が最初に「信仰の対象」となったのかも………


次の行き先は決めていなかったけれど、帰るには早いし、雷雲はどこにも見えないから、「晩夏の吉野山を走ろう」と考えました。
◇◇吉野山◇◇


鳥も虫も、わたしの足音がしたくらいでは、少しも声をひそめません。
「吉野山」では、ひとは、居させてもらっているのです。

冬に来たとき(1月21日)と同じ場所から撮っています。
以下は、冬に撮れなかった「2頭の鹿が駈け下りていった斜面」。
通り道なら、足跡が残っているかも。


冬には行かなかった『吉水神社』から「晩夏の吉野山」を見渡して、
「しばしば写真を見かける『春の吉野山』の場所だ」と気づきました。

『吉水神社』という名だから「水の神社」かとおもったのですが、御由緒にそのようなことは記されていません。
けれども、『吉野水分神社』から下っていった先が『吉水神社』なので、
かつては、「吉野川に流れ込む清流」が神だったのでは………
奈良県内の「丹生神社」の御祭神が、「丹生都比売」ではなく水の女神に変わっているのは、「採鉱の民が農民となったため」と言われています。
でも、わたしは、「信仰の対象が生活によって変わるだろうか」と疑問におもうのです。
「丹生」という名を残しているのに、自分たちの祖神「丹生都比売」の名を消すだろうか、と。
古い神々を消すのは、入り込んできた権力者です。
祭神の変更を強いられる、ということはあっても、自ら消していくとは、ましてや、新しい生活の中で忘れていくとは考えられません。
そこで不意に、「丹生都比売は、もとから水神でもあった」という考えが生じました。
さっき居た『丹生神社』から「吉野山」は、意外なほど近かったのです。
「丹(辰砂)」を採掘しながら進んでいくと、どこかで水が湧き出ます。
すると、その「丹井(堅坑)」は、放棄しなくてはなりません。
仕事を始める前には、「丹生都比売」に祈ったのでしょう。
「地中でも、無事でいられますように」
「地下水脈を避けて掘り進めますように」
「水光姫」は、「瀬織津姫」は、なにを配ったのか。鉱物なのか水なのか。「丹生都比売」を祀っていたはずの神社がなぜ、「丹(辰砂)」ではなく、水の神社になっているのか………という問いを、前回の記事に書きました。
源流に近い山間で、「水分(みくまり)の神」に「水を配ってください」と祈る必要があるのか………という問いを、前々回の記事に書きました。
「水は、必要とされる所へ流れるように」
「水が、丹井(堅坑)に湧かないように、流れ込まないように」
ひとびとは、そのように祈ったのではないでしょうか。
『水光姫』に、『瀬織津姫』に、『丹生都比売』に。
[注:『note』の記事は、学問を修めていない者が想像した内容で、歴史や神道や地質学を学ぶ方の参考にはなりません。念のため。]
