ものを減らしたら、写真が自由になった|ミニマリストと写真の話
東京を離れて、3ヶ月。
ようやく部屋が、少し落ち着いてきた。
引っ越しをきっかけに、たくさんのものを手放した。
Leica M11も。
何本かのレンズも。
照明機材や、古くなった三脚も。
東京にいた頃も、そこまでモノが多い方ではなかった。
でも、引っ越しを機に本当に必要なものだけが手元に残った気がする。
そして不思議なことに、ものが減ったことで、写真まで変わった。
撮り方ではない。
見えるものが、変わった。

東京で撮っていたもの
以前の僕は、東京という街を撮っていた。
LeicaやZfを持って、街の中にある違和感を探していた。

ビル群。
駅のホーム。
人の流れ。
基本的に人は写っていない。
写っていても、スローシャッターで少しぶれている。
無人の背景に、人の気配だけが残っている。
そんな写真ばかりだった。

正直、人混みは苦手だった。
東京であえて人が映らないようにするのは、ある意味では東京という場所に対する、アンチテーゼだったのかもしれない。
僕が撮りたかったのは、人ではなく、
その街にある空気みたいなものだった。
ただ同時に、
「撮らなくちゃ」という気持ちも、どこかにあった。
写真らしい写真。
いいねがつく写真。
良いと言われる写真。
そういうものを、無意識に追いかけていた気がする。

少し疲れていた
写真だけではない。
東京にいた頃は、常に何かを追いかけていた。
仕事。
情報。
SNS。
新しい機材。
誰かの写真。
もちろん、それが悪いわけではない。
刺激もあったし、東京にいたから出会えた写真も間違いなくある。
でも、少し疲れていた。
そのことに気づいたのは、この部屋に来てからだった。

何もない部屋で、深呼吸ができた
今の部屋は、広くて、何もない。
大きな窓があって、空がよく見える。

黒いフレームと木目の机は仕事をするには少し手狭だけど、その分無理に部屋で仕事をしなくなった。
置くものを決めるより、
置かないものを決めた部屋だ。
最近、
少しゆっくり深呼吸ができるようになった。
余白があると、思考も少しずつ整理されていく。
何が好きなのか。
何を心地いいと思うのか。
何に疲れていたのか。
そういうものが、少しずつ戻ってくる感覚がある。

参考記事:なぜ僕は15年間、同じモンブランのシャーペンを使い続けているのか
写真が変わった
そして不思議なことに、写真も変わった。
Zfを持って近所を歩いても、以前みたいに「何か特別なものを撮ろう」とは思わなくなった。
ただ、光が綺麗だった。
水面が揺れていた。
風で木が揺れていた。
それだけでシャッターを切る。

家の近くの川の写真がある。
特別な場所でもない。
ただ、光が水面に反射しているだけ。
でも、なぜかすごく満足した。
わざわざ人が通りかかるのを待つこともなくなった。
光。
影。
空気。
何気ない瞬間。
今はそれが楽しい。

日常的に使っているカメラはNikon Zfだ。
デザインが好きで、持ち出すたびにテンションが上がる。
購入して一年以上経つのに、いまだに。
全く飽きがこない、稀有なカメラだと思う。
そして、レンズはAstrHori 50mm F2。
無段階絞りで、光を感覚で追い込める。
世界を見る角度が変わった
写真は、何かを証明するためではなく、自分が世界をどう見ているかを残すもの。
そんなふうに思うようになった。
部屋が変わって。
空気が変わって。
写真が変わった。
でも一番変わったのは、たぶん、世界を見る角度だったと思う。
あなたが一番、
深呼吸できる場所はどこだろう。
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