カフカ 『変身』 〜 過負荷 『返信』
タイトル上に貼り付けたのは, 昔々, 自分のホームページ上に掲載していた, まぁ今も放置・掲載してるけど, 2006年10月2日付のオンライン「日記」からのスクリーンショット。詳しくは今日の第1章「前説」。
予め「前口上」しておくと, 今日の本題は第2章。しかし短い。何しろ「プチ」感想文, しかも実際には超「プチ」, 短い。カフカの『変身』は面白かったけど, 当時「人生のポケット」(第1章「前説」の *5, 6)に嵌まり込んでいた自分があれを読んで何を思ったのかを此処に載せようという試みなので, 本 note としてはそれで十分なのです。
その他, 短い本題に入る前の第1章は, 脱線気味の注釈が矢鱈と長い「前口上」。一方, 本題に続く3章分は自分のカフカ『変身』プチ感想文に絡む 3曲の歌詞和訳。
最終章は 些か強引な付録。カフカを「シュルレアリスム(シュールレアリスム)の先駆者」とする評者もいるようなので(確かに!), シュルレアリスムの画家の一人 ルネ・マグリット(とその妻)についての歌を聴き, それで 今日の note は 了。
前説
最初に書いた通りで, 今日の note タイトル上に載せたのは, 昔々, ジュラ紀の昔の自分のホームページ(「ホームページ」って言葉, 近頃あまり聞かないような気がする)に掲載した, 今も掲載している, 2006年10月2日付のオンライン「日記」, その冒頭部分のスクショ(*1, 2, 3)。だいぶ前, 以前, カフカの『変身』を読んで, そのプチ感想文をホームページ上の日記の中に書いていたことを想い出し, まぁそれはプチもプチ, 文字通り, 正真正銘の「プチ」, ちょっとふり向いてみただけの異邦人, いやそれは久保田早紀, そのうえ『異邦人』はカフカじゃなくてカミュ(*4), いや話を戻せ正真正銘の「プチ」, ちょっと書いてみただけ, いや ちょっとだけ書いた, ちょっとプチ, いや超プチ感想文なわけだけど, 何はともあれ, 今から20年近く前, 「人生のポケット」期(*5, 6)を生きていた, 当時40代半ば過ぎの自分が書いた, 小市民, プチブルの(*7, 8, 9), その幸と不幸を描いたかのようなカフカ著の小説『変身』の読後「プチ」感想文について, 20年近く前の自分の心の中の様子と共に, ちょっとふり向いてみただけの(*10)ノートを記してみよう, そう思ったのです。
前口上, 長い。いや その「前口上」本文より, その注釈が長い。長過ぎると思ったら, その瞬間, 次章に飛んでください。
注釈 自体, 随所で話が飛んでいる。「飛びます、飛びます」(坂上二郎)。
*1 今から 24年近く前, 2001年夏に「完成までたったの 3日間 ゼロからのホームページ作り」(成美堂出版)という本を買って html を独学し, (当時 激務の仕事をしていたし, 実際には)「3日間」ならぬ 5日間ほどで立ち上げ, その後, 仕様をずっと旧態依然とした体裁のままにしている(そして軽く10年以上 放置中, おそらくこれからも)自前のホームページ上。その, まるで windows95以前であるかのような(いやいくら何でもそこまでは, それにそれは流石に有り得ないのだが)旧態依然とした仕様のホームページは実際にはトップページから menu, main のフレームを組んでいるのだが(*2), 件のオンライン「日記」へのリンクを貼りにくいので menu の枠を外すと, 2006年10月2日付のオンライン「日記」へのリンクは以下の通り。
*2 ほんと, windows95時代よりも更に 1億4550万年前ほど前のジュラ紀(*3)に存在していたかに見える(そこまで卑下するか, 笑)旧態依然でも泰然自若として放置中のホームページ, その入り口。
*3 ジュラ紀, ジュラ期, 作詞した松山猛(作曲はもちろん, 加藤和彦)は 漢字を間違えたのか, それとも何か意図があったのか,
さあ 不思議な夢と遠い昔が好きなら, さあ そのスヰッチを遠い昔に廻せば, ジュラ期の世界が拡がり, はるかな化石の時代よ ♫
これって 昨年の(ノンクリ筆者による)クリスマス note, その最終章からの一部転載だった。
*4 これも(上記 *3同様!)自分の過去 note からのリユース(しかしリサイクルではありません)。
なんだ, そもそも「グレゴール・ザムザ」要するにカフカ『変身』にも触れていた, 使い回しが多いぞ。
ある朝, グレゴール・ザムザがなにか胸騒ぎのする夢からさめると, ベッドの中の自分が一匹のばかでかい毒虫に変ってしまっているのに気がついた。それは過負荷, いや カフカだろう。「異邦人」はカミュ, しかも俺がここで連想(「おもいだ」)しているのは, カミュではなくて 久保田早紀の ちょっとふり向いてみただけの「異邦人」, あとは哀しみをもてあます「異邦人」。
*5 自分の「人生のポケット」は(*6)、2001年の晩秋頃もしくは2002年初夏辺りから、2016年1月終わり頃まで。同年1月末か2月初め頃、脱出した。
*6 誰もが「人生のポケット」を経験するわけではないだろうとは思う。
幸いにして(幸いにして空は青く澄んでた、嘘のように *3)自分は既に「人生のポケット」から出ている。そして、2度とあの「ポケット」に嵌まり込むことはないだろうと断言できる。まぁ起きていない先のことについて断言するのは本当は誰にも出来ないんだろうが、主観で言うなら断言していいだろうと。
タイトルの上に載せた写真は、2016年7月に撮った写真。家から歩いて10分程度のところで咲いていた向日葵。日が落ちてから散歩に出たら、暗がりで綺麗に咲いている向日葵を見つけたので、思わず撮りたくなって、手持ちのスマホで撮影した。向日葵といえば普通は黄色い花を思い浮かべるが、そこには黄色い向日葵だけでなく、赤い向日葵も一緒に咲いていた。
自分は来月 911 には還暦を迎えるイイ歳をしたオヤジなのだが、過去、不惑のはずの40歳を過ぎてから惑い、その後、13年半という長い年月にわたって、人生の中の「暗くて長い」トンネルに入っていた(今これって「黒の舟唄」の歌詞にあったような気がすると思ったのだが、早速調べてみたら、あれは「深くて暗い」だった、まぁ勿論あっちはトンネルじゃなくて川なんだが、しかしのっけから脱線かよ、これはしかし癖なのだ)。
暗くて長いトンネル、それをここでは「人生のポケット」という。ポケットなんだから、中に入れば暗いだろうが、長いというのは妙だな。しかし、自分の場合は長かった。「人生のポケット」に嵌まり込んだことがある、しかしそこから出ることができた、そういう人は当然ながら、世を見渡せば自分以外にそこそこの人数いるんだろうと思う。ポケットが浅くて、わりと早く出られた人もいるだろうし、そういう場合は、そう長くはなかったが、しかし暗いトンネルではあった、そのトンネルを脱出することができた、そういう言い方も出来るのかもしれない。
自分の場合は、とにかく長かった。暗くて長いトンネルだった。そして、入っている時は、出口は全く見えなかった。脱出する直前まで、いや、脱出するその時まで、出口は見えなかった。
ある日、気づいたら、出ていたのだ。兎にも角にも、自分の場合は、暗くて長かった。「人生のポケット」は、思い切り深かった。
*7 ここで言う「小市民, プチブル」は, "資本家階級と無産階級との中間に位置する人々" "自営の商工業者や自営農民", "中産階級" "中間階級", いわゆる "プチブル" よりも, 単純に "ごく一般の人"(抽象的な表現だな) "普通の人"(ロバート・レッドフォード監督・ドナルド・サザーランド主演の『普通の人々』という名作映画がその昔ありました, 日本での公開当時, 学生時代, 札幌の映画館で観たのです *8, まぁあの映画の物語の中の家庭はけっこう裕福な家庭だったけれど), あるいは "市井の人"(*9)を指す。
*8 札幌の映画館で観た『普通の人々』のことは何も書いてないのに, 何はともあれ, 懐かしの札幌。
*9 *8 でいう "市井の人" は, 1983年冬にインドで出会ったような「哲人」顔の「市井の人」とはだいぶタイプが違います(おそらく, だけど)。

*10 ちょっとふり向いてみただけの …
ではでは, ようやく, 本題・次章へ。
カフカ 『変身』, プチ感想文 〜 2006年10月21日(土), 過負荷な秋の「休日」
以下, 昔々の自分のホームページ上の「オンライン日記」(*1)から転載。
06年10月21日(土) 過負荷な秋の「休日」。
今週も多摩乱坂な1週間であった(である)。月曜は何時か忘れた、火曜は終電帰りで帰宅後のバン飯開始は午前1時を回ってから、水曜は終電の1本前でバン飯開始が午前0時半頃か、木曜もそこそこ遅かった、金曜は早くないがトンデモな遅さでは全然なかった、そして今日は土曜。
明日の日曜は在宅シゴトせねばならぬ。いろいろ持ち帰り、ファイルもカイシャから自宅PCに送ったよ。嗚呼。
カフカの「変身」 は読み終えました。まぁ短いしね、だけど時間ないから、疲れきった帰りの電車で気が向いた時間帯のみ読み進めてたわけ。嗚呼、しかし面白かった。しかし辛かった。
不条理な世界を条理の世界に侵入させ、非日常を日常に隣り合わせ、小市民の不幸と幸を、そして共同の中に潜み込む疎外、そして顕わになる疎外を描き出す。超現実と現実をない交ぜにしながら、しかしウルトラ・リアルに登場人物の動きをリアルタイムに描くかのように描写する。
こんな冒頭(有名だから出だしは前から知ってる)を以前書いたけど、僕が読んだ版では、こう始まる。
ある朝、グレゴール・ザムザがなにか胸騒ぎのする夢からさめると、ベッドの中の自分が一匹のばかでかい毒虫に変ってしまっているのに気がついた。(山下肇 訳、1958年1月7日第1刷発行、「岩波版ほるぷ図書館文庫」1975年9月1日第1刷・1976年4月1日第2刷発行)
そして、そのまま、この非日常は日常に戻ろうとしてあがきつつ、時に諦観し、時にすべてを忘れそうになり、そして最後に日常への帰還を遂げられないままに完全なる疎外を遂げ、「非日常」が巻き込んだ日常の「非日常」世界が「日常」に戻ろうとするところまでで物語は幕を閉じる。
はて、僕の日常はどんなものか。夜中に帰宅して真夜中に晩飯を食い、翌朝きちんとカイシャに「出社」し、そしてまた過負荷な1日を過ごして戻ってくる、その日常は僕の「日常」なのか「非日常」なのか。まぁ間違いないのは、僕には還ってくる場所があり、そこに幸せがあり、それは必ず僕らが守り続けるものであるということです。
普通の話にしましょう。今日は息子は中学の文化祭。クラスの演劇で3ミリーズの一員の役をする。なぜ「3ミリ」かって、それは息子を含む一団が見事な坊主頭であるかららしい。役作りのため、息子はこのあいだ安~いグラサンを買ったよ。
妻は中学の文化祭でのバザーの手伝いに行っている。それで、その後は一家の団欒がある。それで、明日は僕は在宅シゴトをする。しかしできる限り休息もとりたいと思う。そして、一家の団欒がある。今日は土曜、明日は日曜日だ。それでは今日もスローガンを。題目は3つにしよう。
お身体を大切に。
僕には見える。
Life, I love you.
*1 前章「前説」でも 以下書いた通りで,
今から 24年近く前, 2001年夏に「完成までたったの 3日間 ゼロからのホームページ作り」(成美堂出版)という本を買って html を独学し, (当時 激務の仕事をしていたし, 実際には)「3日間」ならぬ 5日間ほどで立ち上げ, その後, 仕様をずっと旧態依然とした体裁のままにしている(そして軽く10年以上 放置中, おそらくこれからも)自前のホームページ上。その, まるで windows95以前であるかのような(いやいくら何でもそこまでは, それにそれは流石に有り得ないのだが)旧態依然とした仕様のホームページは実際にはトップページから menu, main のフレームを組んでいるのだが(*2),
件のオンライン「日記」へのリンクを貼りにくいので menu の枠を外すと, 2006年10月21日付のオンライン「日記」へのリンクは以下の通り。
ではでは。
Paul Simon "Run That Body Down" 〜 歌詞和訳
なぜ此処でこの歌かというと, それは単純。前章に カフカ『変身』プチ感想文として載せた, 2006年10月21日付の日記の最後にある「お身体を大切に」のリンク先が, 筆者によるこの曲の歌詞和訳だから。
日記を記した当時 嵌まり込んでいた「人生のポケット」(第1章「前説」の *5, 6)期の, 自分の日常の BGM の 1曲なのです。
邦題「お体を大切に」はわるくなかったと思うけれど, 原題のニュアンスは「へとへとになって」に近い。
Run That Body Down from Paul Simon's self-titled and second solo studio album released in January 1972 🎶
英語原詞 https://genius.com/Paul-simon-run-that-body-down-lyrics
昨日医者に行ってみたら
女医が言うには大丈夫そうだって
彼女はこう言ったよ
「ポール、よく考えてみて
これからどのくらい体を
こき使えると思ってるの?」
「これまでやってきたことを
あとどのくらい繰り返せると思うの?」
「誰を騙してるつもりなの?」
僕は家に帰ってきて床に着いたんだ
頭を休ませていたのさ
妻が入ってきてこう言ったよ
「どうしたの、どこか具合が悪いの?」
それで僕はどこが悪いか話してこう言ったのさ
「ペグ、よく考えてごらん
これからどのくらい体を
こき使えると思ってるの?」
「これまでやってきたことを
あとどのくらい繰り返せると思うんだい?」
「誰かを騙してるつもりなのかい?」
若い人もよく考えた方がいいよ
これからどのくらい体を
こき使えると思うかってさ
これまでやってきたことを
あとどのくらい繰り返せると思ってるのかな?
それとも誰かを騙してるつもりかい?
…….. 🎶 …….. 🎶 ……..
今日 2025年4月9日 現在 24曲, 筆者による「ポール・サイモンの歌」歌詞和訳集, 以下の中の「歌詞和訳 8」が "Run That Body Down" ♫
さて次は, 軽蔑する, 大嫌いな, ボブ・ディランが作った歌。
軽蔑するボブ・ディランの歌 "I Shall be Released" 〜 歌詞和訳
I Shall be Released 〜 歌詞和訳
なぜ此処でこの歌かというと, これも単純。前々章に カフカ『変身』プチ感想文として載せた, 2006年10月21日付の日記の最後にある「僕には見える」のリンク先が, 筆者によるこの曲の歌詞和訳だから。
日記を記した当時 嵌まり込んでいた「人生のポケット」(第1章「前説」の *5, 6)期の, 自分の日常の BGM の 1曲なのです。
英語原詞 https://www.azlyrics.com/lyrics/bobdylan/ishallbereleased.html
ディランはアレを知って以来 大嫌いだから(次節), 此処ではディラン抜きで The Band, それから Jack Johnson で 🎶
このカヴァーもいいね(まぁディランの曲は 時事ネタ・社会問題抜きにして純粋に「音楽」そのもので カヴァーの方がよいのが, 俺の音楽センス上のノーマル)。
ではでは,
「軽蔑するディラン」に関しては, 次節にて。
ディランをなぜ軽蔑するのかは
軽蔑するディラン。そもそも "キャンセル・カルチャー" 議論そのものに興味がないが, とりあえず, 俗に揶揄される類の "キャンセル・カルチャー" と筆者のディラン批判は一切関係ないので, 念の為(*2)
*1 下掲 note 第5章 "All Along the Watchtower と言えば, もちろん 〜 ボブ・ディランよりも, ジミ・ヘンドリックス(歌詞和訳つき!)" より以下転載。
英米のロックを聴いて育った自分にとって, かつて, ボブ・ディランは数多く存在する好きなミュージシャンのうちの一人に過ぎない存在だったのであり, 特別な存在だったことはない。また, 彼が作った歌の中に自分にとって好きな歌は少なからずあったものの, いつも彼本人が歌うヴァージョンよりも他のミュージシャンによるカヴァーの方が好きだった(ただし 2016年4月に遅ればせながら初めて且つ2度 ディランのライヴを観た際はそのカリスマ性を感じさせるステージに感銘を受けた, それは正直に書いておく)。
そして, ディラン自身が歌う歌は, 2016年秋に今日の note でも取り上げた彼の恥ずべきイスラエル支持ソングの存在を初めて知って以来, 一切, 聴かなくなった。
もちろん, 通常は, アートにおける作品とその作者の政治的態度は切り離してアートを鑑賞している。いちいち音楽家や画家などが(例えば)どの政党を支持するか, あるいはどんな政治思想を持っているか, などによって音楽や絵画の選り好みなどしていたら, キリがない。
しかし, それにも限度はある。一線を超えたら話は別だ。例えば, 「ゲルニカ」で有名なピカソが, もしも実はナチスを賛美する絵画を描き, 生涯それを恥じることもなかったと知ったら(もちろん仮定の話, ピカソに関してそんな事実はない), あるいは, "Imagine" や "Give Peace a Chance" などを歌ったジョン・レノンが, もしも実はベトナム戦争時の米軍によるソンミ村虐殺事件の直後に「アメリカ合州国」支持を旨とする歌を書いていたことが分かり, それを彼が生涯恥じることなどなかったのだと判明したら(これももちろん仮定の話である, 実際のところはジョン・レノンがそんな歌をそんなタイミングで歌う, 歌ったなどということは有り得ない話だ), 仮にそんなことがあったとしたら, 二人に対する後世の評価はどうなっていただろうか。
なぜ, ボブ・ディランだけは, その「不都合な真実」が「不都合」なものとして広く世に知れ渡らない? なぜディランだけは許容される? それはディランだから?
ディランはポピュラー音楽史において触れてはならない, 批判してはならない絶対の「神」のような存在だとでも言うのだろうか(そもそも筆者は一切の宗教について信者ではないのでそんな莫迦莫迦しい心理は理解に苦しむが)。文字通り, 莫迦莫迦しい。
さて, 上にも書いた通り, 筆者はもともと, つまり2016年以前から, ディランが作った歌に少なくない好きな歌はあっても, いつも彼本人が歌うヴァージョンよりも他のミュージシャンによるカヴァーの方が好きだった。それは "All Along the Watchtower", 邦題「見張塔からずっと」にしても然り。
元々この歌の歌詞は, ユダヤ系アメリカ人であるディランが, ユダヤ教の「旧約聖書」(「イザヤ書」第21章)にある逸話をもとに書いたものらしいのだがね。
*2 下掲 note 前口上より。
「ボブ・ディラン」ボイコット運動でも起きれば, 協力なり参加なりすると思うよ。しかし自分でそれを起こすような気はないし(今再び ディランが 破廉恥なイスラエル支持ソングをリリースでもしたなら「ボイコット運動」の意味はあるだろうが, でなければ 既に昔ほどの影響力を持たないディランに対する社会的つまり世間を巻き込んだ「ボイコット」運動を組織することは俺個人にとっては時間の無駄だと感じる, 括弧長ぇ), 何はともあれ, 俺のディラン「ボイコット」はまずは 俺のアティチュードもしくはその意思表明, まぁ後者もアティチュードに含まれるけれども, 要するに 個人的なレベルのアティチュードであって, それ以上でも以下でもない。「ジャーナリズム」なりメディアなり「評論家」なり 世論なりが「ディランだから」という理由で 彼への批判を控えるのなら, 実際「控え目に言っても」「控えてる」と思うし, 神聖化して不可侵扱いしてる向きもあるだろう, 俺はそれに対しては あくまで批判者だけどね。
もちろん, 普段は, アートにおける作品とその作者の政治的態度は切り離してアートを鑑賞している。いちいち音楽家や画家などが(例えば)どの政党を支持するか, あるいはどんな政治思想を持っているか, などによって 音楽や絵画の選り好みなどしていたらキリがない。しかし, それにも限度はある。一線を超えたら話は別だ。
続く第1章の見出しは(長ぇ見出しだなぁ),
仮定の話, ゲルニカを描いたピカソが 実は一方で ナチス賛美の絵画を描いた過去を持ち 生涯それを恥じることもなかったとしたら, あるいは Imagine を歌ったジョン・レノンが もしも実はベトナム戦争時のソンミ村虐殺事件の後に「アメリカ合州国」支持ソングをリリースし 彼がその後も後悔なり反省なりの考えを公にしなかったのだとしたら 〜 〜 〜 〜 〜 実際の話, ディランは 1982年のイスラエルによるレバノン侵略とイスラエル包囲下でのパレスチナ難民虐殺事件の直後に イスラエル支持ソングをリリースし, その後, 撤回・撤収・回収はもちろん 一切の反省の言辞もないままに時は過ぎ, イスラエルに対する態度は不変のまま
*3 因みに, 以下の 2020年9月17日付 note "ボブ・ディランの恥ずべきイスラエル支持ソングと、サブラ・シャティーラ、パレスチナ難民虐殺事件 38周年", その第2章に, 2021年6月から1年間 イスラエルの首相を務めたナフタリ・ベネットの生い立ちを書いている。奴の両親は, 1967年にイスラエルに移住したユダヤ系アメリカ人。イスラエルがどんな国かを示す典型例 の一つ。
*4 ハロルド・ピンター と ボブ・ディラン 〜 共に ユダヤ人ノーベル文学賞受賞者ながら 雲泥の差, もちろん 泥 は ディラン
*5 こんな新聞, 要らない, 朝日新聞。(1)はその下。
*6 おまけ(おまけがチョムスキーか, 笑), 以下の最終章の「見張り塔からずっと 〜 "All Along the Watchtower" 歌詞和訳」の第1節「軽蔑するディランの歌」の終わりの方に, 「チョムスキー, ディランを語る」なども掲載。
ではでは。
Paul Simon "The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy)" 〜 歌詞和訳
なぜ此処でこの歌かというと, それは単純。第2章で カフカ『変身』プチ感想文として載せた, 2006年10月21日付の日記の最後にある "Life, I love you" のリンク先が, 筆者によるこの曲の歌詞和訳だから。
日記を記した当時 嵌まり込んでいた「人生のポケット」(第1章「前説」の *5, 6)期の, 自分の日常の BGM の 1曲なのです。
下掲 note(2021年1月21日付)から引用,
そういうわけで 、本当はガキの頃に馴染んで、且つ子供心にでも気に入ってたフレーズ,「人生? 愛してる」は今も好きで、今この歌の歌詞を訳すなら、これはガキの頃に持ってた LP の歌詞カードに確かこんなふうな和訳フレーズが載っていて、ここは今でも気に入ってるからってことわり書きして「人生? 愛してる」というフレーズを拝借すると思うんだけど、まぁ 18年以上前の「人生のポケット」初期のトンネルの中の暗闇を歩くような毎日だったあの時は、たぶん自分を奮い立たせたかったんだと思う、今ならやっぱ小っ恥ずかしいかなとか思うような「生きてるって最高さ」という和訳にしていた。
自分の趣味シュミ「歌詞和訳」作業による和訳歌詞の中身は自分の人生の記録みたいなところがあるから、今日のこの note 掲載に当たっても、まぁ少なくともこの歌に関してはあの時のママで掲載しておこうと思う。
The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy) 〜 from Simon & Garfunkel's third studio album "Parsley, Sage, Rosemary and Thyme" released on October 24, 1966 🎶
英語原詞 https://genius.com/Simon-and-garfunkel-the-59th-street-bridge-song-feelin-groovy-lyrics
スピード落とせよ 急ぎ過ぎだぜ
朝の気分を楽しまなきゃ
敷石を踏みつけながら
楽しいことを探すんだ
そうすりゃいかした気分になれるよ
全くいかした気分さ
街灯さんよ元気かい 何かニュースはあるかな
僕は君の足下に花が咲いているのを見に来たんだ
何か韻を踏んでみせてよ
ハハハ
本当にいい気分さ
全くいかした気分さ
気乗りもしない義理はないし 約束なんか何もないのさ
僕はふらっとまどろんじゃって すぐに眠れそうだよ
朝のひとときさんよ その花びらをみんな僕に降りかけてくれないか
生きてるって最高さ
全くいかした気分だよ
…….. 🎶 …….. 🎶 ……..
今日 2025年4月9日 現在 24曲, 筆者による「ポール・サイモンの歌」歌詞和訳集, 以下の中の「歌詞和訳 14」が "The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy)" ♫
ではでは, 次は,
"Rene and Georgette Magritte with Their Dog after the War" by Paul Simon
なぜ?
なぜ此処でこの歌かというと, まぁ安直にウィキ使っちまうけれど。
フランスでは1928年に、代表的な文芸誌『新フランス評論』にてA・ヴィアラットによる『変身』の仏訳が3号にわたって掲載され、続いて1930年にはピエール・クロソウスキーによる「判決」の仏訳が、1933年にはヴィアラットの訳による『審判』が出ている。これらの作品はまず シュルレアリストたちによって注目され、シュルレアリスム の指導者であるアンドレ・ブルトンをはじめ、マヤ・ゴート、マルセル・ルコントらがカフカに言及した。彼らのカフカへの理解はブロートやハースらによる宗教的解釈に沿ったものであったが、特にその夢と現実が入り混じったような表現に注目し、カフカを シュルレアリスム の先駆者と見なした。
そして,
The song is about the surrealist artist René Magritte and his wife Georgette. The title derives from a photograph of the Magrittes and their dog in Belgium by photographer Lothar Wolleh. He took two photographs of them: one, "René and Georgette Magritte With Their Dog During the War", was a black and white photo, purportedly from the World War II era, but likely taken during the 1960s. The second, "René and Georgette Magritte With Their Dog", was taken in their home in Belgium in 1967.
そういうわけで,
Rene and Georgette Magritte with Their Dog after the War
というわけで(前節より),
Rene and Georgette Magritte with Their Dog after the War from Paul Simon's 1983 album Hearts and Bones 🎶
Rene and Georgette Magritte
With their dog after the war
Returned to their hotel suite
And they unlocked the door
Easily losing their evening clothes
They dance by the light of the moon ..
