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Ballad of the Beacon ウィッシュボーン・アッシュ, 歌詞和訳

タイトル上の画像は Wishbone Ash 1973年11月リリースの LP 2枚組ライヴ・アルバム Live Dates の「ジャケット」(あの頃は日本語ではこれが普通の呼び名, その後, カヴァーとかスリーヴとか)からとったもの。その 1枚目 B面 2曲目に収録されていたのが, Ballad of the Beacon だった。その前, 同年5月リリースの彼らの 4作目のスタジオ・アルバム Wishbone Four に収録されている曲なのだが, 中学生(1973年4月, 中学校入学!)のころ 先にライヴ盤の方で聴いていたので, 個人的「思い出」優先の選択。

以下では, 音源はライヴ, スタジオ, 両ヴァージョン(リンクを)載せます。


Ballad of the Beacon, 歌詞和訳

前説

Ballad of the Beacon スタジオ・ヴァージョンが収録されたアルバム(Wishbone Four)の前作, つまり彼らの 3作目のアルバム Argus では, 様式美を包含したハード・ロック調あるいはプログレ風なサウンドなどをリスナーに聴かせていた Wishbone Ash, そういう意味では, この曲 Ballad of the Beacon は 前作の一連の曲とは趣が異なる作品, と言えるのではないかと思う。どちらかというとフォーキー(folky, folkie)もしくは フォーク・ロック風のサウンド, その音・歌詞・メロディが相俟って伝わってくる爽快感や清涼感などが, この曲を特徴づけていると言っていいだろう。

Beacon は歌詞の中にはないけれど, この歌のタイトルとの絡みで考えられる意味は「導き手」「案内役」, あるいは(昔, 丘や塔の上で燃やして合図として使われたという)「かがり火」などだろうか。一方で, 歌詞の中の "Say if I climbed to the mountains" から想像してググって探すと, イギリス(イングランドでなくウェールズ)に Brecon Beacons と呼ばれる山岳地帯があるようで, そこにある山を思い描いて(単数形で)Beacon と言っている可能性 .. なんてあるのかな。絶体ないとも言えない。文字通り「わからない」。

そういうわけで, 歌詞そのものは特に難解なものではないものの, 歌のタイトルである Ballad of the Beacon の具体的な意味に関しては, 意外と分かりくい。日本語に訳すなら(実際いわゆる邦題がそうだった)カタカナ表記で「ビーコンのバラッド」とするしかなく, その「ビーコン」の意味は 歌詞の中身から察するに, 日本語にそのまま置き換えると堅苦しい語感になるけれども「導き手」もしくは「かがり火」といったニュアンスで解釈していいように思える。

で, 歌詞の方は ..

"Ballad of the Beacon" from Live Dates

Ballad of the Beacon from Wishbone Ash's 1973 live album Live Dates

英語原詞 https://genius.com/Wishbone-ash-ballad-of-the-beacon-lyrics

朝になれば 僕らはこの街を出る (*1)
明日になれば 分かるさ (*2)
都会はもう僕には十分だよ (*3)
彼女も僕のことをもうたくさんって思ってる (*4)

教えてほしい, 僕が山に登ったとしたら (*5)
君はそれでもついて来てくれるかな
木霊の中に僕を連れ去ってほしいんだ (*6)
山はいつだってそこにあるんだよ (*6-2)

そうなんだ, 僕は田舎に目を向けてるよ
持ってたものは全て売り払ったさ
煌びやかな街の灯から離れるんだ
風を感じられる場所を探してるのさ (*7)

教えてほしい, 僕が山に登ったとしたら
君はそれでもついて来てくれるかな
木霊の中に僕を連れ去ってほしいんだ
山はいつだってそこにあるんだよ

朝になれば 僕らはこの街を出る
明日になれば 分かるさ
都会はもう僕には十分だよ
彼女も僕のことをもうたくさんって思ってる

教えてほしい, 僕が山に登ったとしたら
君はそれでもついて来てくれるかな
木霊の中に僕を連れ去ってほしいんだ
山はいつだってそこにあるんだよ

… ♫ … ♫ … ♫ …

訳注
*1, *3 We'll be leaving this town in the morning … I've had me enough of the city, というわけで, それぞれを「この街」「都会」と訳し(分け)てみた。

*2 中学校に入学した年に習った(今や小学生が習う)単語と思われる see で「ひとり『基本英語』あらためてやり直し勉強会・半世紀ぶりの復習かい?」のコーナー(笑)

Tomorrow we'll be able to see … この see は「会う」なのか, あるいは(何かを)「見る」なのか, ちょっと迷うな, と最初は思ったのだが, しかしよくよく考えてみると, see が「会う」の意になるためには, 文法的には他動詞である必要があり, 目的格を伴わなければならないはずだ。例えば「明日になれば 僕らは会える」であれば, Tomorrow we'll be able to see each other であり, あるいは see を使わないのであれば, meet なら自動詞でも「会う」の意になるので Tomorrow we'll be able to meet となる。

歌の歌詞の場合, 文法が無視されることは珍しくないものの, ここはとりあえず文法を気にしてみようかと思い, あらためて考え直すことにした。

see は自動詞の場合は, 「見える」("Owls can see in the dark"「フクロウは暗闇でも目が見える」, "A newborn kitten can't see"「生まれたばかりの子猫は目が見えない」), 「目に入ってくる」「目につく」「目に触れる」("There is nothing but forest as far as the eye can see"「目が届く限り 森しかない」「森しか見えない」)の他に, 「分かる」「理解する」("Do you see?"「分かりましたか」「ほらね」), 「確かめる」「調べる」「見てみる」("Let's see"「さて どうかな」, "I'll go and see"「僕が行って見てくるよ」), その他には(命令形で)「ほらごらん」「ほら見たことか」「やっぱり(そうだろう)」「いいですか」("See, here comes the bus!"「ごらん, バスが来たよ」, "See, you are again assuming that what he says is wrong"「ほら, また君は 彼の言うことは間違ってると頭から決めてかかってる」, などなど。以上で, オンライン辞書漁りはやめ,

この辺でようやく, 「ひとり『基本英語』あらためてやり直し勉強会・半世紀ぶりの復習かい?」(笑)のコーナーにキリをつけるけど,

結局のところ, あのラインの意味は なんなのか, それは Tomorrow we'll be able to see … 明日になれば 分かるさ!

で, 「分かるさ」って 何が「分かる」のか, ということをあらためて考えてみると, これがまた抽象的で, I've had me enough of the city「都会はもう僕には十分だよ」The mountains will always be there「山はいつだってそこにあるんだよ」Well I'm turning my sights on the country「そうなんだ, 僕は田舎に目を向けてるよ」.. だから「山」や「田舎」などの「都会」とは違う世界の良さが「分かる」とか? となると「明日になれば 違う世界が見えるさ」みたいなメッセージかな, と。ふーっ, 以上, 想像の世界。

*4 And she's had enough out of me … この she は 前のライン I've had me enough of the city の the city だろうか。代名詞 it にしないで, 擬人法的に she と。断言するほどの自信は無いけれど, そんなふうにも思える。

*5 Say if I climbed to the mountains … この Say は, 間投詞と解釈し「ねえ」「なあ」「教えて..」といったところかなと。mountains は mountain の複数形で「山地」「山脈」の意味にもなるから, 前節の「前説」で触れたウェールズにある山岳地帯 Brecon Beacons を思い浮かべてもいい, のかもしれない。自分の感覚では, あくまで「かもしれない」程度だけど。

*6 Steal me away in an echo … Take me away では平凡, それを Steal me away と。なお, こだまを「木霊」と漢字にしたのは, 歌詞全体の雰囲気を踏まえてのことです。

*6-2 The mountains will always be there … この注釈は「スイス 〜 1983年6月, たったの 3日間」第3章第2節(「僕が 山に登ったとしたら」 〜 "Ballad of the Beacon" by Wishbone Ash, 歌詞和訳)(2026年6月13日投稿後にリンク)下書き中に加筆。加筆は 2026年6月10日。

イギリスの登山家 George Mallory が, "Why did you want to climb Mount Everest?" という質問にこう答えたとされる, あの有名な言葉を思い出した。"Because it's there." これを「そこに山があるから」とする広く知られた訳はかなりの意訳で, 実際には, そもそも質問内容からしても明らかに「そこにエベレストがあるから」だろうが(とは思うものの記者とのやりとり全文の英語原文を確かめて文脈等みないと訳の確定など出来ないが, そこまでしてない, とりあえずこの訳に関する議論, 自分自身は遥か昔の学生時代に読んだ本多勝一の著者で知った, 実に懐かしい!),

ともあれ, この歌の作詞者 Martin Turner も George Mallory と同じイギリス人, "The mountains will always be there" は Mallory への「オマージュ」みたいなものだったりして!... Maybe I think too much考え過ぎかな, 笑)。

なお, mountains については *5 を合わせて参照。

*7 Looking for where the wind blows .. 直訳するなら「風が吹く場所を探してる」。でも 風はもちろん this town, the city でも吹くわけで, あえてここは「風を感じられる場所を探してるのさ」と意訳。

"Ballad of the Beacon" from Wishbone Four

Ballad of the Beacon from Wishbone Ash's 1973 album Wishbone Four

英語原詞 https://genius.com/Wishbone-ash-ballad-of-the-beacon-lyrics

朝になれば 僕らはこの街を出る (*1)
明日になれば 分かるさ (*2)
都会はもう僕には十分だよ (*3)
彼女も僕のことをもうたくさんって思ってる (*4)

教えてほしい, 僕が山に登ったとしたら (*5)
君はそれでもついて来てくれるかな
木霊の中に僕を連れ去ってほしいんだ (*6)
山はいつだってそこにあるんだよ (*6-2)

そうなんだ, 僕は田舎に目を向けてるよ
持ってたものは全て売り払ったさ
煌びやかな街の灯から離れるんだ
風を感じられる場所を探してるのさ (*7)

教えてほしい, 僕が山に登ったとしたら
君はそれでもついて来てくれるかな
木霊の中に僕を連れ去ってほしいんだ
山はいつだってそこにあるんだよ

朝になれば 僕らはこの街を出る
明日になれば 分かるさ
都会はもう僕には十分だよ
彼女も僕のことをもうたくさんって思ってる

教えてほしい, 僕が山に登ったとしたら
君はそれでもついて来てくれるかな
木霊の中に僕を連れ去ってほしいんだ
山はいつだってそこにあるんだよ

… ♫ … ♫ … ♫ …

訳注は 前節にて。

ではでは,

Say if I climbed to the mountains 〜 「山」で, ちょっと「ひと休み」

「山に登る」絡みの, ちょっと「ひと休み」。

「ひと休み」1, マッターホルン

「ひと休み」2, ダラムサラ(インド北部) 〜 チベット難民が住む 標高2,000m超の山中で 暮らした, 1983年12月の10日間

「ひと休み」3, 筑波山(写真は "筑波さん" に登ったときの筆者のカミさん)〜 note の中身は Paul Simon "Kathy's Song"歌詞和訳(「拙者による訳」だから「拙訳」, 実際には「良薬」ならぬ「良訳」!)

ではでは!

ウィッシュボーン・アッシュ の 思い出

Wishbone Ash 〜 Argus, Wishbone Four, Live Dates, There's the Rub

今も活動してはいるんだけど個人的には随分と「懐かしの」ブリティッシュ・ロックのバンド, ウィッシュボーン・アッシュ。ツイン・リードのギター・バンド(和製英語のカタカナ表記っぽいかも), ウィッシュボーン・アッシュ。中学生(1973年入学)から 高校生の頃にかけてよく聴き, 大学に入って(1979年)からはそれほど聴かなくなってしまい, しかしわりと近年になって また聴くようになった Wishbone Ash, 中高生の頃の我が家にレコード, LP があった, そんな彼らのアルバムをまたフィジカルで欲しくなり, 今の我が家には残念ながらレコード・プレイヤーを置いてないので CD で, とりあえず 2枚買った, それがほんの 2週間ほど前に我が家に着。

1枚は 彼らの 3作目のスタジオ・アルバム Argus, 邦題「百眼の巨人アーガス」, 1972年4月リリース。これは 3歳年上の兄が 高校時代に(筆者は中学時代)友人から借りてきたものが一時 我が家にあったんだったかな。もう 1枚は, 1974年11月リリースの 5作目のスタジオ・アルバム There's the Rub, こっちは自分か兄のどちらかが買った LPが 我が家にあったはず。

この 2週間, ちょくちょく, 今の我が家の居間で, CDコンポ で聴いてる。

いずれ, 4作目のスタジオ・アルバム(これはおそらく兄が友人から借りてきた LP が一時的に我が家にあったもの), つまり 1973年5月リリースの Wishbone Four, それから 1973年11月リリースの 2枚組ライヴ・アルバム(これは兄が買った LP が 田舎の我が家にあったね)Live Dates なども 欲しいと思ってる。まぁフィジカル, とりわけ(LP でなく)CD は「在庫切れ」になることがしばしば, という時代になってきた昨今だけど。

以下は 今日の次章第2節にリンクを載せる 過去 note その第1章前半部から転載。

1970年代前期から後期にかけて活躍した, 一時期, 少なくとも一部ロックファンの間では(ことわり書きが多い形容だな)絶大な人気を誇った, そして とりわけツイン・リードのギターが話題になっていたイギリスのロックバンド, ウィッシュボーン・アッシュ。

結成は1969年で, 1980年代以降は往時(あるいは「人気の全盛期」)と比べるとアルバムなどの売れ行きはだいぶ落ちているものと思われるが, その意味では些か驚くところでもあるけれど, 彼らは 2025年の今も音楽活動を続け, その間, '80年代, '90年代, 2000年代, 2010年代と, コンスタントにアルバムをリリースしている(今現在の最新作は 2020年リリース)。

もっとも 1970年代のバンドメンバーで今も「ウィッシュボーン・アッシュ」に残っているのは ヴォーカルとギターの Andy Powell だけなのだが, しかしそれでも, このバンドが「時代」を survive し, これまで数十年の長きの間を生き延びてきたことには, 「些かの驚き」と共に, 何とはなしに「喜び」を感じる。プロフェッショナル, 職業とはいえ, 音楽, 売れるだけが能ではないのは確かだ。

Ballad of the Beacon, The King Will Come

自分には 3歳年上の兄貴がいて, 二人はそれぞれ高校時代にロック・バンドを組んで, 学園祭で演奏したりしていた(二人ともギター)。自分は才能なく上手くならず, 大学に入って以降の数年間はギターから離れ, その後もただの音楽好き。兄貴の方は, 大学生の頃だったかな, いやその直後ぐらいか, とにかく その頃のバンドでヤマハのライト・ミュージック・コンテストというのに出て東海地区でバンドがグランプリ, 自身も最優秀ギタリスト, その後の全国大会でもバンドがグランプリ受賞して, 現在はそのバンドに兄貴はいないけれども, 何はともあれ, 以降, ギタリストだったりレッスンの教師だったり教材作りしたり, アレンジャーだったりCMやラジオの音楽作曲したり時にはミュージカルの音楽ディレクターだったりの, 萬(よろず!)請負人的職業音楽家, 要するに(形容が長いか, 笑), プロのミュージシャンになった。

二人の父親(1928年, 「昭和3年」生まれ!)は 戦後の娯楽(の種類)が少なかった時代, 各地の「のど自慢大会」に出まくり鐘を全部鳴らしまくった人で, でもどうやらその「音楽の才能の血」はほぼ全て長男の方に行ったようで, 次男坊の方はカッコだけ。

話を兄弟の中高生時代(いや歳の順番合わせるなら「高中生時代」か, 笑)の思い出バナシに戻すと,

兄貴が 高校時代にバンドで学園祭でやったのは Cream だったり Deep Purple  だったり「はっぴいえんど」だったり色々だったけれど(要は完コピ演奏), そのレパートリーの中に, Wishbone Ash の 2曲があった。

それが, 今日 歌詞の和訳で取り上げた Ballad of the Beacon, それから, The King Will Come の 2曲。2曲とも, アルバム Live Dates 収録のライヴ・ヴァージョンの方だった。

Ballad of the Beacon from Wishbone Ash's 1973 live album Live Dates

そして,

The King Will Come from Wishbone Ash's 1973 live album Live Dates

いいね, やっぱ。
因みに この曲 The King Will Come の歌詞の和訳は, 次章第1節にリンクを載せる 過去 note の中で。

Flying V

なぜこれを話題にするかというと, 

Andrew Powell (born 19 February 1950) is an English guitarist, singer and songwriter. He is a founding member of the British band Wishbone Ash, whose use of twin lead guitars was influential. He was voted in the top 100 greatest guitarists by Rolling Stone magazine. Powell's trademark guitar is a 1967 Gibson Flying V.

https://en.wikipedia.org/wiki/Andy_Powell

高校時代, バイトで貯めた金で買った Flying V を持ってた。もちろん 筆者のは Gibson のモノホンじゃないけど(笑)。

その後, 大学入る前の頃だったか, 売ろうと思って雑誌の「売ります」コーナーに投稿したら他県のやはり高校生ぐらいの相手と商談成立, よし!と手を叩いたその数日後, その彼の父親を名乗る人物(嫌な感じはなく丁寧に話すオジサンだったけど)から電話があり, 「申し訳ないですが(商談は)なかったことにしていただけませんか」と。

息子よカネはどう工面するんだ的な問題だったのか, エレキなんか弾いてないで勉強しなさい的な問題だったのか, もはや謎だけど, でももう高校生ぐらいなら本人が電話してくればいいのにね, と当時の自分が思ったかどうか, たぶん思ったんだろうけど, その種の感想はもう忘れてる, え?売れると思ってたのに, ぐらいの気分は微かに憶えてる気がするけど。何しろもう白亜紀かジュラ紀ぐらいの昔の話(笑), その商談破談後, どうしたのか, ただで手放すのではもったいない, 結局 何処かに(誰かに)売ったと思うんだけど, それがなぜか具体的に思い出せない。半世紀近く経つと尚のこと, 記憶なんて何処かいいかげんなもんだ。

以下, 次章第2節にリンクを載せる 過去 note その第1章後半部から転載(引用形式にせず, そのままで)。

Wishbone Ash の)Wishbone は「(鳥の)叉骨」の意だが,

英語の "wishbone" はこの骨を用いた占いによって願いが叶うという風習に由来し19世紀に遡る。

https://ja.wikipedia.org/wiki/叉骨#名称

Wishbone Ash, いまもこのバンドは音楽を続け, Ash 灰になどなっていない。ash は "ashes" と表記すれば「遺灰」「遺骨」の意味にもなるが, どっこい往時からのメンバー Andy Powell がいる。"ashes" にもならないさ。

そう言えば Wishbone は「(鳥の叉骨に似た)V 字形の物」の意味もあるのだが, 再び「そう言えば」, Andy Powell は Gibson の Flying V を弾くね。

https://www.vintageguitar.com/2965/andy-powell/

再三の「そう言えば」, 筆者, 高校時代, バンドをやっていて(後に「職業音楽家」になる実兄とは「段違い平行棒」の差で筆者は下手だったけど), その頃, もちろん Gibson ではなく別メーカーのモデルものながら, Flying V を持ってたよ。バイトして貯めた金で買ったのさ。あれはフェルナンデスだったかな, ヤマハだったかな。とにかく, 懐かしいね!

因みに筆者の今現在のギターの「持ち物」は, 以下の第2章第4節に写真掲載。エレアコもエレクトリック・ギターも「持ち物」だけは立派(笑)。

ではでは!

ウィッシュボーン・アッシュ Argus から 1曲, There's the Rub から 1曲 〜 歌詞和訳

The King Will Come, 歌詞和訳

下掲 note リンクに続けて, 音源 および 歌詞和訳 🎶

The King Will Come from Wishbone Ash's 1972 album Argus

The King Will Come from Wishbone Ash's 1973 live album Live Dates

英語原詞 https://genius.com/Wishbone-ash-the-king-will-come-lyrics

炎に包まれて 王がやって来る
雷鳴が轟く*なか, 鼓笛隊を伴って
邪悪な息子たちは 蹂躙される
彼らが犯した罪を数える, その裁きの日が来るのだ

昼夜を分かたず 為される裁定**
ある者は生命を奪われ, ある者は救われる
天は崩れ落ち, 大地は祈りを捧げる
裁きの王がやって来て, その日を宣言するとき

預言者の言葉を見よ
彼が手にしたその石に
苛烈な言葉で彩られた黙示*** を
それともそれは ただ砂上に残された跡だったというのか?

昼夜を分かたず為される裁定**
ある者は生命を奪われ, ある者は救われる
天は崩れ落ち, 大地は祈りを捧げる
裁きの王がやって来て, その日を宣言するとき

預言者の言葉を見よ
彼が手にしたその石に
苛烈な言葉で彩られた黙示*** を
それともそれは ただ砂上に残された跡だったというのか?

…… 🎶 …… 🎶 …… 🎶 ……

訳注)
*「とどろく」と ひらがなで書くよりも, 漢字で書いた方がある種の「おどろおどろしさ」が 出るような気がしたので。

** checkerboard は 逐語訳すると「(ボードゲームの)チェッカーの盤」ということだろうけど, ここは上記のような意訳でよいかと。

*** revelation は ここでは "啓示" もしくは "黙示" を意味する。「最後の審判」と「イエス・キリストの再臨」は, キリスト教の「新約聖書」の最後に置かれた「ヨハネの黙示録」に記されている。

Persephone, 歌詞和訳

因みに,

“Well, that was written by our bass player at the time, Martin Turner. And like the Lorelei, it was really another metaphor – actually for our original guitar player, Ted Turner, who quit the band. The song was really written as an ode to a guy, actually. It was the Persephone of the Greek legend.”
-- Andy Powell (476)

“A slow, moody piece. Lyric is not about gods and things — it’s about a pop singer who’s going down the drain, then in the last verse starts to come back — real strong. Model for the character? It could be someone like Ella Fitzgerald, though it wasn’t written specifically about any one person in particular.”
-- Martin Turner (910)

https://unmask.us/songwriters-t-z/wishbone-ash/ (数字)は出典の索引ナンバー

とはいうものの, リスナー側が この歌を解釈するに際しては, この曲 Persephone のメロディアスで且つ幻想的・神秘的な趣があるサウンドを大事にするなら, 歌詞が語るストーリーの具体的な意味合いを探り過ぎないようにして, ある程度 抽象的なままで受けとめた方がいいのではと思う, まぁあくまで個人的な思考, 嗜好によるものだけど, 勿論。「的」が多いな(笑)。

歌(音楽)も 他のアートの作品と同様に, 作者(作詞作曲者や「歌い手」)の手を離れたなら, つまりリリースされたなら, その作品は(著作権云々かんぬんの問題とは別次元の話!)受け手のものでもある。だから リスナーの側の作品解釈は, ある程度は自由です, 真面目な話。

下掲 note リンクに続けて, 音源 および 歌詞和訳 🎶

Persephone from Wishbone Ash's 1974 album There's the Rub

英語原詞 https://genius.com/Wishbone-ash-persephone-lyrics

ペルセポネーを照らす光がある
彼女の瞳にはいつも炎が宿ってる
それで 最後に彼女に会いに行ったとき
何かおかしいと気づいたんだ(*1)

僕はただ 君の歳月が無駄に過ぎていくのを見たくないんだよ(*2)
君の瞳にもう魔法はないんだ

生きているうちは, 君は周りの誰よりも輝けるかもしれない(*3)
だけど舞台から離れたなら 退屈になるんじゃないかな(*4)
喝采に応えてお辞儀をし, その後は舞台から降りるしかないんだ(*5)

僕はただ 君の歳月が無駄に過ぎていくのを見たくないんだよ
君の瞳にもう魔法はないんだ

僕は 君が脚光を浴びる此処にいようとやって来た
すべての歌が歌われる間, 君と過ごすためにね
君の顔が 平和な野辺を映し出すなら(*6)
これから幕が下りることになるなんて信じられないよ(*7)

いま 僕は分かる, 君の歳月は決して無駄ではなかったんだ
今夜 僕は君の瞳に魔法を見たのさ(*8)

… ♫ … ♫ …

訳注
*1 can tell は「~が分かる」「見分けられる」など。上の歌詞では could tell, 過去形。

*2 care to は「~したい(と思う)」, これは疑問文・仮定法で使うことが多いようだが, 歌詞では否定形 don't care to だから「~したくない」。

*3 outshine は他動詞で「~より強く光る」「~よりよく輝く」, あるいは「~より勝る」「~より優れている」。

*4 off-stage は 副詞なら「舞台裏で」「(舞台から離れた)私生活では」, 形容詞で「舞台裏の」など。way はシンプルに「道」「道路」「通路」の意味のほかに「(人生などにおける)道, 歩み, 成り行き, 山や谷」といった意味にもなり得る(歌詞では ways, 複数形)。bore は「うんざりさせるもの(人)」「退屈なこと(人)」。

*5 take a bow は「(舞台に出て)礼をして拍手に答える」「拍手喝采に応えてお辞儀をする」。

*6 field は「野原」でも「野辺」でも「田畑」「田園」でも。「野辺」は「野原」と同意だが, 日本語で「野辺の送り」は「死者を埋葬場あるいは火葬場まで見送ること」「とむらい」「火葬」。ペルセポネは ギリシア神話における冥界の女王。一方で, ローマ神話ではペルセポネはプロセルピナと呼ばれ, この世に春をもたらす農耕の女神になるというわけだから, ローマ神話のペルセポネ(「プロセルピナ」)を想起するなら field は「田畑」「田園」だね。

ギリシア神話のペルセポネ ではなく, ローマ神話におけるペルセポネ, (つまり)「農耕の女神」プロセルピナを メタファーとしてイメージするのなら, こっちのミュージック・ヴィデオもいいかもしれない。

さて,

訳注 に戻ります。

*7 the curtain has to fall だから「幕が下りなければならない」でもあるけれど, 運命づけられているニュアンスでやや意訳気味に「これから幕が下りることになる」。

*8 歌詞の前の方に "There's no longer magic in your eyes" と繰り返されるラインがあるけれど, 最後は "Tonight I saw the magic in your eyes", magic は「奇術」「手品」であり「(魅了されるような)不思議なもの」でもあり「(超自然的なものを生み出すような)魔術, 魔法, 不思議な力」でもあり「魔法の呪文, おまじない」でもあり。最後の magic は日本語では「奇跡」としてもいいかもしれないとも思いつつ, 前方と同様に「魔法」のままにしました。

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