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スイスの旅 〜 1983年6月, たったの 3日間

写真は 1983年6月14日のマッターホルン, 日本を出てから50日目, 筆者撮影。


前説

今日のタイトル上の写真は 1983年6月14日, 日本を出てから50日目, スイス南部, 標高1,600 m 超, かつイタリアとの国境まで直線距離 約10km の位置にある山岳リゾート地で, アルプス山脈の山々の中でも一際(ひときわ!)美しい山として有名なマッターホルン(標高4,478m)の麓の町でもあるツェルマットに滞在中に, カメラは ナイコン, いや ニコン, いや違った, コニカ(社名のコニカは2003年からコニカミノルタ, 同社は2006年にはカメラ業界から撤退)で, フィルムは コダクロームで撮った, マッターホルン。

フィルムは 1936年から発売されていた(その後, 2009年6月までに製造打ち切り)世界初のカラー写真フィルム「コダクローム」,

でも「想い出はモノクローム」。

ナン ナン だ, いきなり(笑)。話が スイス じゃなくて, ナン, イランペルシャ)起源のパン, じゃなくて, アメリカや日本の歌, 歌詞和訳などの話になってしまっていた。ワザとらしい。はい, 技です。いや, 業です。業は「わざ」とも「ごう」とも読みます。瞬時の「ごう」なら, 即時の業なら, 即時のカルマなら, インスタント・カルマ, インスタント・カーマ, Instant Karma

話, 飛び過ぎ。何の意味があるのか, とりあえず Stop Making Sense 🎶

閑話休題。1983年4月26日に横浜港からのフェリーで日本を発ち, 今は無きソ連, そして北欧(ソ連はあくまでソ連! .. フィンランドから「ヨーロッパ」入り, その後はスウェーデン, ノルウェー, デンマーク), ドイツ(当時の「西ドイツ」および「東ドイツ」「東ベルリン」), フランスを旅した後, スイスに入った。直前のパリには 9泊10日滞在したが, ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)一周の旅はまだまだ先が長い, あの頃一番旅したかったのは中東(西アジアだね)やインド, ってなわけで, スイスには 3日間しかいなかった。

ジュネーヴ 滞在 〜 1983年6月13, 14日

ジュネーヴ 滞在 〜 ジュネーヴ第4条約を想起しつつ BGM は King Crimson, Pink Floyd & more ♫

まぁ確かに, ジュネーヴ って, 属する国, スイスのお国柄あってのことか, ジュネーヴ の名を冠した様々な国際的協定, 国際的条約とかあるし, 歴史に残る世界の大国首脳級会談とかもあったりする。

で, ジュネーヴ条約とか, ジュネーヴ諸条約とか, ジュネーヴ第1条約・第2条約・第3条約, 第4条約とか .. そんな言葉も, 時事系ニュース, 国際政治に係るニュースの中で耳にする, 目にすることは多い。

さてさて, フィルムの節約に「執心」ぎみだった日本からのいわゆる「貧乏旅行者」, 別名を海外「放浪」もどきバックパッカー, つまり筆者, ジュネーヴ ではなんと(なんと, というほどのことでもないが, でもあの頃が既に今のようなスマホ時代なら, もっともっと撮っていた, ジュネーヴは実際 美しい都市だったし, 残念と言えば「残念ながら」), この 1枚の写真しか撮っていなかった。

下掲 note 第3章より

スイス, ジュネーヴ滞在 〜 1983年6月13日, ジュネーヴ第4条約を想起しつつ BGM は King Crimson, Pink Floyd & more ♫

"Time" by Roger Waters

前節のテキストおよび ジューネーヴの花時計の写真は, リンク掲載 note 第3章からの転載。その第3章の章見出しは「ジュネーヴ の花時計を眺めながら 〜 ジュネーヴ第4条約 と イスラエル を思い出す」。そして 写真は 花時計,

時計 と アンチ・イスラエル とくれば, BGM はこれ, Time by Roger Waters

LIVE の場所は ジュネーヴ じゃなくて メキシコシティ だけど!

"The King Will Come" by Wishbone Ash, 歌詞和訳 〜 教皇フランシスコ に「テロリスト」認定された「イスラエル」に捧ぐ

前々節のテキストは, 同節での リンク掲載 note 第3章からの転載。その第3章の章見出しは「ジュネーヴ の花時計を眺めながら 〜 ジュネーヴ第4条約 と イスラエル を思い出す」。

さて, The King Will Come 歌詞和訳 note は, 以下の note リンクの 2つ目の方。その下方に, 音源, 英語歌詞(原詞)リンク, そして 筆者による歌詞和訳をあらためて載せます。

ウィッシュボーン・アッシュ "The King Will Come" 〜 ローマ教皇 フランシスコ による イスラエル 「テロリスト」認定に寄せて

ウィッシュボーン・アッシュ "The King Will Come" 歌詞和訳 〜 教皇 フランシスコ に 「テロリスト」認定された アパルトヘイト国家, アパルトヘイト社会, 「イスラエル」に捧ぐ

The King Will Come, from Wishbone Ash's 1972 album Argus

英語原詞 https://genius.com/Wishbone-ash-the-king-will-come-lyrics

炎に包まれて 王がやって来る
雷鳴が轟く*なか, 鼓笛隊を伴って
邪悪な息子たちは 蹂躙される
彼らが犯した罪を数える, その裁きの日が来るのだ

昼夜を分かたず 為される裁定**
ある者は生命を奪われ, ある者は救われる
天は崩れ落ち, 大地は祈りを捧げる
裁きの王がやって来て, その日を宣言するとき

預言者の言葉を見よ
彼が手にしたその石に
苛烈な言葉で彩られた黙示*** を
それともそれは ただ砂上に残された跡だったというのか?

昼夜を分かたず為される裁定**
ある者は生命を奪われ, ある者は救われる
天は崩れ落ち, 大地は祈りを捧げる
裁きの王がやって来て, その日を宣言するとき

預言者の言葉を見よ
彼が手にしたその石に
苛烈な言葉で彩られた黙示*** を
それともそれは ただ砂上に残された跡だったというのか?

…… 🎶 …… 🎶 …… 🎶 ……

訳注)
*「とどろく」と ひらがなで書くよりも, 漢字で書いた方がある種の「おどろおどろしさ」が 出るような気がしたので。

** checkerboard は 逐語訳すると「(ボードゲームの)チェッカーの盤」ということだろうけど, ここは上記のような意訳でよいかと。

*** revelation は ここでは "啓示" もしくは "黙示" を意味する。「最後の審判」と「イエス・キリストの再臨」は, キリスト教の「新約聖書」の最後に置かれた「ヨハネの黙示録」に記されている。

(詳しくは 上掲 note にて!)

ではでは。

ツェルマット 滞在 〜 1983年6月14, 15日

マッターホルンが 真正面に 〜 BGMは "Ballad of the Beacon" by Wishbone Ash ♫

マッターホルンを観た感動が, いたってシンプル(1983年6月14日付・旅日記からの転載)。

ツェルマット駅より YHへ。マッターホルン が真正面に見える!

ツェルマットで泊まった宿(ユースホステル)の文字通り「真正面」が, マッターホルンだった。

以下, 写真掲載 note, 及び同 note より一部転載。

さて, 旅をしていると, いろんな人に会う。いろんな旅人にも会う。いろんな日本人の旅人にも会う。以下, 上掲 note 第2章「新植民地主義者ヘルムート君」より。

「新植民地主義者ヘルムート君」というのは, 随分と昔, 要するに少なくとも 1983年以前の小田実の著作の中に登場してきた人物だったものと思う。いや, この記憶はかなり確かなものだという気がする。調べりゃはっきりするだろうが, ま, 今日はいいや(笑)。

当時の旅日記に, こんなくだりがあった(2ページに跨っていて, 左右の頁それぞれの上は旅先で知り合った人たちの名前や住所, 電話番号が書かれていたので「個人情報」ということでカット)

1983年6月14日の日記に「63才」と書いてあるから, 1920年辺り, 日本の年号で言えば「大正9年」頃の生まれか。

要するに,「面白い」日本人旅行者と会った。「大正」生まれの日本人と言えば, 当時だったら海外旅行するとしても殆どが JALパックみたいな団体旅行だったろう。しかし彼は一人旅をし, 高いホテルには泊まらず, 安宿を好んだ。その旅のスタイルの「外形」は, その時の筆者のそれと, おおよそ似たようなものだ。そういう意味では, 面白い。

しかし, アフリカについて「黒いのはレベルが低いから.. 」と語り, 中東については(たぶん筆者がヨーロッパの旅の後に中東を旅すると言ったからだろう)「商社の人が(中東は)つまらんと言ってましたよ」と語る。「ほぼ」(いや完全にと言うべきか)レイシストであり, かつ, 戦前の「脱亜入欧」的な発想を戦後40年近く経ったその頃も依然として持っていた可能性がある日本人。

「面白い」日本人, 「面白い」日本人旅行者ではあった。いま健在なら, 100歳とか 101歳ぐらいかな。健在であれば, 幸い元気にしている筆者の両親, 1928年(「昭和3年」)生まれの父親, 1931年( 「昭和6年」)生まれの母親よりも, さらに高齢の「戦前」育ち, さらに高齢の「戦争」体験者の日本人ということになる。

人それぞれの人生だ。何が幸せで何が幸せでないか, それはシンプルに語れることではないけれど(*), できればあの後, あの日本人の考え方が変わり, 例えば, アフリカや中東の歴史とか文化などへの理解を深めたり, 実際にアフリカの人や中東の人と知り合って, あるいは彼らと親しくなって考え方が変わり, そして, あの日本人自身, 平和でかつ「幸せな」人生を生き, 今も健在でいてくれたらいいなと思う。でも仮に考えがあまり変わらなかったとしても, 生きていてくれればいいなと思う。

ではでは!

「僕が 山に登ったとしたら」 〜 "Ballad of the Beacon" by Wishbone Ash, 歌詞和訳

今日のタイトル上の写真は, マッターホルン。ここは 単なる「」つながりで(!), "Ballad of the Beacon" by Wishbone Ash の 歌詞へ

Say if I climbed to the mountains, would you still follow me there(*)「教えてほしい, 僕が に登ったとしたら, 君はそれでもついて来てくれるかな」

The mountains will always be there(**)「は いつだってそこにあるんだよ」

* Say if I climbed to the mountains … この Say は, 間投詞と解釈し「ねえ」「なあ」「教えて..」といったところかなと。mountains は 歌詞の和訳の中では シンプルに「」としたけれど, この mountain の複数形は「山々」のほか「山地」「山脈」などの意味にもなるから, 下掲 note 第1章第1節「前説」で触れたウェールズにある山岳地帯 Brecon Beacons を思い浮かべてもいい, のかもしれない。自分の感覚では, あくまで「かもしれない」程度だけど。

** The mountains will always be there … 下掲 note 投稿後のこと, イギリスの登山家 George Mallory が, "Why did you want to climb Mount Everest?" という質問にこう答えたとされる, あの有名な言葉を思い出した。"Because it's there." これを「そこに山があるから」とする広く知られた訳はかなりの意訳で, 実際には, そもそも質問内容からしても明らかに「そこにエベレストがあるから」だろうが(とは思うものの記者とのやりとり全文の英語原文を確かめて文脈等みないと訳の確定など出来ないが, そこまでしてない, とりあえずこの訳に関する議論, 自分自身は遥か昔の学生時代に読んだ本多勝一の著者で知った, 実に懐かしい!), ともあれ, この歌の作詞者 Martin Turner も George Mallory と同じイギリス人, "The mountains will always be there" は Mallory への「オマージュ」みたいなものだったりして!.. Maybe I think too much考え過ぎかな, 笑)。

Ballad of the Beacon from Wishbone Ash's 1973 live album Live Dates

Ballad of the Beacon from Wishbone Ash's 1973 album Wishbone Four

英語原詞 https://genius.com/Wishbone-ash-ballad-of-the-beacon-lyrics

朝になれば 僕らはこの街を出る (*1)
明日になれば 分かるさ (*2)
都会はもう僕には十分だよ (*3)
彼女も僕のことをもうたくさんって思ってる (*4)

教えてほしい, 僕が山に登ったとしたら (*5)
君はそれでもついて来てくれるかな
木霊の中に僕を連れ去ってほしいんだ (*6)
山はいつだってそこにあるんだよ (*6-2)

そうなんだ, 僕は田舎に目を向けてるよ
持ってたものは全て売り払ったさ
煌びやかな街の灯から離れるんだ
風を感じられる場所を探してるのさ (*7)

教えてほしい, 僕が山に登ったとしたら
君はそれでもついて来てくれるかな
木霊の中に僕を連れ去ってほしいんだ
山はいつだってそこにあるんだよ

朝になれば 僕らはこの街を出る
明日になれば 分かるさ
都会はもう僕には十分だよ
彼女も僕のことをもうたくさんって思ってる

教えてほしい, 僕が山に登ったとしたら
君はそれでもついて来てくれるかな
木霊の中に僕を連れ去ってほしいんだ
山はいつだってそこにあるんだよ

… ♫ … ♫ … ♫ …

訳注
*1, *3 We'll be leaving this town in the morning … I've had me enough of the city, というわけで, それぞれを「この街」「都会」と訳し(分け)てみた。

*2 中学校に入学した年に習った(今や小学生が習う)単語と思われる seeで「ひとり『基本英語』あらためてやり直し勉強会・半世紀ぶりの復習かい?」のコーナー(笑)

Tomorrow we'll be able to see … この see は「会う」なのか, あるいは(何かを)「見る」なのか, ちょっと迷うな, と最初は思ったのだが, しかしよくよく考えてみると, see が「会う」の意になるためには, 文法的には他動詞である必要があり, 目的格を伴わなければならないはずだ。例えば「明日になれば 僕らは会える」であれば, Tomorrow we'll be able to see each other であり, あるいは see を使わないのであれば, meet なら自動詞でも「会う」の意になるので Tomorrow we'll be able to meet となる。

歌の歌詞の場合, 文法が無視されることは珍しくないものの, ここはとりあえず文法を気にしてみようかと思い, あらためて考え直すことにした。

see は自動詞の場合は, 「見える」("Owls can see in the dark"「フクロウは暗闇でも目が見える」, "A newborn kitten can't see"「生まれたばかりの子猫は目が見えない」), 「目に入ってくる」「目につく」「目に触れる」("There is nothing but forest as far as the eye can see"「目が届く限り 森しかない」「森しか見えない」)の他に, 「分かる」「理解する」("Do you see?"「分かりましたか」「ほらね」), 「確かめる」「調べる」「見てみる」("Let's see"「さて どうかな」, "I'll go and see"「僕が行って見てくるよ」), その他には(命令形で)「ほらごらん」「ほら見たことか」「やっぱり(そうだろう)」「いいですか」("See, here comes the bus!"「ごらん, バスが来たよ」, "See, you are again assuming that what he says is wrong"「ほら, また君は 彼の言うことは間違ってると頭から決めてかかってる」, などなど。以上で, オンライン辞書漁りはやめ,

この辺でようやく, 「ひとり『基本英語』あらためてやり直し勉強会・半世紀ぶりの復習かい?」(笑)のコーナーにキリをつけるけど,

結局のところ, あのラインの意味は なんなのか, それは Tomorrow we'll be able to see … 明日になれば 分かるさ!

で, 「分かるさ」って 何が「分かる」のか, ということをあらためて考えてみると, これがまた抽象的で, I've had me enough of the city「都会はもう僕には十分だよ」The mountains will always be there「山はいつだってそこにあるんだよ」Well I'm turning my sights on the country「そうなんだ, 僕は田舎に目を向けてるよ」.. だから「山」や「田舎」などの「都会」とは違う世界の良さが「分かる」とか? となると「明日になれば 違う世界が見えるさ」みたいなメッセージかな, と。ふーっ, 以上, 想像の世界。

*4 And she's had enough out of me … この she は 前のライン I've had me enough of the citythe city だろうか。代名詞 it にしないで, 擬人法的に she と。断言するほどの自信は無いけれど, そんなふうにも思える。

*5 Say if I climbed to the mountains … この Say は, 間投詞と解釈し「ねえ」「なあ」「教えて..」といったところかなと。mountains は mountain の複数形で「山地」「山脈」の意味にもなるから, 上掲 note 第1章第1節「前説」で触れたウェールズにある山岳地帯 Brecon Beacons を思い浮かべてもいい, のかもしれない。自分の感覚では, あくまで「かもしれない」程度だけど。

*6 Steal me away in an echo … Take me away では平凡, それを Steal me away と。なお, こだまを「木霊」と漢字にしたのは, 歌詞全体の雰囲気を踏まえてのことです。

*6-2 The mountains will always be there … イギリスの登山家 George Mallory が, "Why did you want to climb Mount Everest?" という質問にこう答えたとされる, あの有名な言葉を思い出した。"Because it's there." これを「そこに山があるから」とする広く知られた訳はかなりの意訳で, 実際には, そもそも質問内容からしても明らかに「そこにエベレストがあるから」だろうが(とは思うものの記者とのやりとり全文の英語原文を確かめて文脈等みないと訳の確定など出来ないが, そこまでしてない, とりあえずこの訳に関する議論, 自分自身は遥か昔の学生時代に読んだ本多勝一の著者で知った, 実に懐かしい!),

ともあれ, この歌の作詞者 Martin Turner も George Mallory と同じイギリス人, "The mountains will always be there" は Mallory への「オマージュ」みたいなものだったりして!.. Maybe I think too much考え過ぎかな, 笑)。

なお, mountains については *5 を合わせて参照。

*7 Looking for where the wind blows .. 直訳するなら「風が吹く場所を探してる」。でも 風はもちろん this town, the city でも吹くわけで, あえてここは「風を感じられる場所を探してるのさ」と意訳。

"Persephone" by Wishbone Ash, 歌詞和訳

これは 単なる前節からの Wishbone Ash つながりで!(笑)

因みに,

“Well, that was written by our bass player at the time, Martin Turner. And like the Lorelei, it was really another metaphor – actually for our original guitar player, Ted Turner, who quit the band. The song was really written as an ode to a guy, actually. It was the Persephone of the Greek legend.”
-- Andy Powell (476)

“A slow, moody piece. Lyric is not about gods and things — it’s about a pop singer who’s going down the drain, then in the last verse starts to come back — real strong. Model for the character? It could be someone like Ella Fitzgerald, though it wasn’t written specifically about any one person in particular.”
-- Martin Turner (910)

https://unmask.us/songwriters-t-z/wishbone-ash/ (数字)は出典の索引ナンバー

とはいうものの, リスナー側が この歌を解釈するに際しては, この曲 Persephone のメロディアスで且つ幻想的・神秘的な趣があるサウンドを大事にするなら, 歌詞が語るストーリーの具体的な意味合いを探り過ぎないようにして, ある程度 抽象的なままで受けとめた方がいいのではと思う, まぁあくまで個人的な思考, 嗜好によるものだけど, 勿論。「的」が多いな(笑)。

歌(音楽)も 他のアートの作品と同様に, 作者(作詞作曲者や「歌い手」)の手を離れたなら, つまりリリースされたなら, その作品は(著作権云々かんぬんの問題とは別次元の話!)受け手のものでもある。だから リスナーの側の作品解釈は, ある程度は自由です, 真面目な話。

下掲 note リンクに続けて, 音源 および 歌詞和訳 🎶

前節リンク掲載 note 第3章第2節より

Persephone from Wishbone Ash's 1974 album There's the Rub

英語原詞 https://genius.com/Wishbone-ash-persephone-lyrics

ペルセポネーを照らす光がある
彼女の瞳にはいつも炎が宿ってる
それで 最後に彼女に会いに行ったとき
何かおかしいと気づいたんだ(*1)

僕はただ 君の歳月が無駄に過ぎていくのを見たくないんだよ(*2)
君の瞳にもう魔法はないんだ

生きているうちは, 君は周りの誰よりも輝けるかもしれない(*3)
だけど舞台から離れたなら 退屈になるんじゃないかな(*4)
喝采に応えてお辞儀をし, その後は舞台から降りるしかないんだ(*5)

僕はただ 君の歳月が無駄に過ぎていくのを見たくないんだよ
君の瞳にもう魔法はないんだ

僕は 君が脚光を浴びる此処にいようとやって来た
すべての歌が歌われる間, 君と過ごすためにね
君の顔が 平和な野辺を映し出すなら(*6)
これから幕が下りることになるなんて信じられないよ(*7)

いま 僕は分かる, 君の歳月は決して無駄ではなかったんだ
今夜 僕は君の瞳に魔法を見たのさ(*8)

… ♫ … ♫ …

訳注(*1~8)は, 上掲 note の中で!
今日の最後は, 彼らの 1976年の, 当時の西ドイツ・ケルン(リンク先は脱線, 1983年!)でのライヴから。

Persephone, Wishbone Ash LIVE in Cologne, then-West Germany, 1976

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