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【創作大賞2026 エッセイ部門】コンビニと私と|立ち読み図書館で育った私が、働く側に立つまでの話

Project MOON No.X-2

第一章
コンビニと私と|遠回りしてでも寄りたい図書館

私は小学生のころ、
コンビニを「立ち読み図書館」と呼んでいた。


家と学校と「最寄りのコンビニ」は、
三点を結ぶ一直線上にあった。
学校からコンビニに行くには、
必ず家の前を通らなければならなかった。

なぜ帰りにコンビニへ寄るのか。
それは、
そこにコンビニがあったからである。

私は学校帰りでも、
友達の家から帰るときでも、
どこから帰るときでも、
家に帰る前には必ずコンビニに寄り道をした。

小学生の私にとってコンビニは、
漫画も読める「立ち読み図書館」だった。

コンビニエンスストアとは、
一般的には
「生活に必要な商品やサービスを、
便利な場所・長い営業時間の中で、
短時間で利用できる形で提供する小型店舗」
のことを指すらしい。
日本では一般に「コンビニ」と呼ばれている。

もっとも、
私にとってのコンビニは少し違っていた。

私にとってコンビニとは、
「生活に必要ではないがワクワクするエンタメを、
便利な場所・長い営業時間の中で、
長時間立ち読みできる小型店舗」
だった。

コンビニからすると、
非常に迷惑な小学生だったと思う。
それでも私なりの作法はあった。

まず背筋を伸ばし、
なるべくまっすぐ立つ。
体をできるだけ
雑誌コーナーや新書コーナーに寄せ、
後ろを通る人の
邪魔にならないようにする。

そして漫画や雑誌、
新書を丁寧にめくり、
綺麗な状態で棚に戻す。

雑誌コーナーのラックには
「座り読み禁止」
の張り紙が大きく貼られていた。
当然、
座り読みなどしたことはない。

放課後になると、
私はコンビニに居座り──
いや、立ち続けた。

ひどいときには三時間くらい、
週刊誌から月刊誌へ、
さらに
気になる新書へと読み進め、
足が疲れるまで
活字を読み漁った。

いくら読んでもお金がかからない。
延々と暇つぶしができる。
最高のエンターテインメントだった。

小学生の私にとって
コンビニは
買い物をする場所ではなく、
漫画や雑誌を読む場所だった。
当時の私は、
コンビニで物を買う
という発想そのものを持っていなかった。

寄り道をして
雑誌コーナーに立ち続け、
そして颯爽と悪びれもせず帰っていく。

コンビニの店長は
透明なメガネをかけ、
髪はきちんと短く七三に分けていた。
いつも厳しい眼差しで
店内を見回っていたが、
雑誌コーナーの立ち読みについては
許容しているようだった。
特に気にかける様子もなく、
日常業務にあたっていた。

私はとにかく立ち読みをしていた。
小学校で熱が出て早退するときでさえ、
家を通り過ぎてコンビニに寄り、
一通り雑誌に目を通してから帰った。

雑誌の扱いだけは丁寧にしていた。
そして
元の場所に戻すことを
特に意識していた。

店長が
意図して並べているであろう雑誌の配列を
間違って棚に戻している人がいれば、
必ずそっと元の位置に直した。
雑誌コーナーを離れるときには、
必ず整理してから帰った。

立ち読みをしている人の中には、
雑誌を
投げるように棚に戻す人もいた。
私はそれに嫌悪感を持った。

立ち読みをしているのは同じだが、
小学生なりに
その場所のルールを感じていたのだ。

コンビニは漫画や雑誌のある、
時間無制限の立ち読み図書館だった。
小学生の私は、
そこに通っていた。


第二章
コンビニと私と|通り道になってからの話

私は中学生になった。

私の家と通っている中学校、
そして「最寄りのコンビニ」は、
三点を結ぶと
直角二等辺三角形の形になっていた。
つまり、
家へ帰る道から
四十五度進路を変えれば
コンビニに寄ることができたのだ。

小学生のころなら
「なんでわざわざ」
と思われただろう寄り道にも、
自分なりの理由ができた。

誰に聞かれたわけでもないのに
私は自分にそう説明していた。

中学生になると、
小遣いをもらえるようになった。
さらに部活が昼をまたぐ日には、
「弁当代」
という追加のお金まで確保できるようになった。

こうしてコンビニは、
ただの
「立ち読み図書館」
から、
「弁当も買える便利な図書館」
に変わった。

それでも私は、
変わらず
部活が終わると
くたくたのままコンビニに通った。
週刊誌。
月刊誌。
新書。
と読み進めていく習慣も変わらなかった。

店長は
変わらず透明なメガネをかけ、
髪はきちんと七三に整えていた。
そして
相変わらず
厳しい目で店内を見回っていた。
ただ、
少しだけ白髪が増えていた。

私は
午前と午後にまたがって
部活がある日にだけ、

コンビニで弁当を買って
部活に通うようになった。
コンビニは、
どんなに朝が早くても開いていたからだ。

当時のコンビニは、
今のように
棚に弁当が並んでいるわけではなかった。
レジの横のガラスケースの中に
いくつかの弁当が並んでいて、
その中から一つ選び、
店員さんに温めてもらう仕組みだった。

私は海老ピラフ弁当と
焼き肉弁当が好きだった。
コンビニに寄るときは、
そのどちらかを必ず選んでいた。

弁当を買うようになって、
私は少しだけ
大人になった気がしていた。

立ち読みをして
弁当を選び、
レジへ向かう。
それが、
私にとって
当たり前のコンビニとなった。

コンビニは、
いつでも気軽に立ち寄れる、
小さなエンタメの場所。

ただ、
その当たり前は、
高校入学と同時に静かに終わりを迎える。


第三章
コンビニと私と|距離が遠くなったころの話

私は高校生になった。

通う高校は
歩いて行ける距離ではなくなり、
バスで通学するようになった。
通学路も、
長く通い続けていた
「最寄りのコンビニ」
とは反対の方向になった。

さらに、
バス停のそばには
別のコンビニがあり、
小学校から中学校まで
九年間通い続けていた
「立ち読み図書館」とは、
だんだん疎遠になっていった。

家と高校と
「最寄りのコンビニ」の位置関係も、
大きく変わった。
家とコンビニは相変わらず近かったが、
高校だけが遠く離れ、
三つの場所のバランスは
すっかり崩れてしまった。

地図の上では、
もう三角形ではなく
一本の長い線だった。
その並びは小学生の頃と変わらない。
ただ、
変わったのは、
その一本の果てしない長さだけだった。

そして私は、
コンビニに通わなくなった。


私の通っていた高校は
進学校だった。

ゼロ校時という
早朝学習の時間があり、
ホームルームの前には
全員で読書をするという、
不思議な習慣もあった。
それでいて部活も活発だった。

遅くまで練習をし、
そのあと勉強をしてバスで帰る。
家に着くころにはくたくたで、
そのまま横になる。
そんな生活が続いていた。

当然、
コンビニに立ち寄る余裕はなく、
私の生活とコンビニには
少しずつ距離ができた。

私は、
中学校までは勉強が得意だった。
部活ではレギュラーとして活躍し、
走るのが速いという理由で
別の部活にも呼ばれた。
絵や文章を書けば
賞をいただくこともあった。

誰かに言われたわけではない。

それでも私は、
心のどこかで
「自分は天才なのかもしれない」
と本気で思っていた。

ところが、
高校でその思い込みは、
あっけなく打ち砕かれる。

私は地元で一番の進学校へ進学した。

毎朝七時前に
家を出てバスに乗り、
朝早くから授業を受ける。
放課後はそのまま部活へ向かい、
帰宅すると山のような宿題が待っていた。

中学校では
上級生として自信満々に歩いていた私も、
高校では最下級生の一年生だった。

勉強は、
どれだけ頑張っても上位には届かない。
部活でもレギュラーには程遠く、
練習は中学とは
比べものにならないほど厳しかった。
先輩たちも個性が強く、
毎日気を張って過ごしていた。

そんな生活を続けるうちに、
私の小さな脳みそは、
七月が終わる頃には
完全にショートしてしまった。

こうして、
真面目な進学校の生徒としての
私の生活は、
静かに終わりを迎えた。

夏が終わる頃には、
自分の立ち位置は
すっかり変わっていた。

成績は下がり、
部活でもレギュラーにはなれなかった。

私は勉強をやめた。
そして、
部活もやめた。

そうして思った。
「勉強や部活だけが、すべてじゃない。」
それなら、
アルバイトをしてみよう。

真っ先に思い浮かんだのは、
コンビニだった。

ただ、
私が通う高校は
アルバイト禁止だった。

学校に知られず働くには、
学校から離れた店を選ぶしかない。
教員や生徒と鉢合わせしないくらい、
十分に距離のある場所で働く必要があった。

そこで私は、
通学路のバス停にあるコンビニで
アルバイト情報誌と履歴書を買い、
候補になりそうなコンビニを五店舗選んだ。

そして、
面接の準備を始めた。

まずは少しでも大人っぽく見られようと、
行きつけの理容室で
ストレートパーマをかけた。

続いて写真館で証明写真を撮る。

履歴書には、
英検や漢検など
中学時代に取った資格を
できるだけ書き並べた。
採用とは
ほとんど関係のない資格だったが、
とにかく空欄を埋めたかった。

さらに、
履歴書に付いていた
「履歴書の書き方」を何度も読み返し、
「これで受かる履歴書になった」
と本気で信じていた。

五店舗を候補にしていたが、
一店舗目で採用されれば
残りの四枚は使わずに済む。

そんな楽観的なことを考えながら、
私は面接へ向かった。

ところが、

結果は五店舗すべて不採用だった。

私は心の底から驚いた。

面接では、
どの店長もこう言っていた。
「採用の場合はこちらからご連絡します。」

だから私は、
毎日電話を待った。
しかし、
何日経っても連絡は来ない。

「もしかして
履歴書の電話番号を書き間違えたのでは?」
そう思い、
確認のためにコンビニへ電話までかけた。
だが、
電話番号は間違っていなかった。

つまり私は、
五店舗すべてに正式に不採用だったのである。

コンビニのアルバイト面接で
五連敗する高校生なんて、
日本中どころか、
世界中を探しても私くらいではないか。
そう思うほど、
当時の私は本気で落ち込んでいた。

なぜ採用されなかったのだろう。

顔だろうか。
面接で余計なことを話したのだろうか。
緊張しすぎて頼りなく見えたのだろうか。
スタッフルームのドアを
強く閉めすぎたのだろうか。
帰りにトイレを借りたのが
失礼だったのだろうか。

そうだ。
入店したとき、
自動ドアの前のカーペットにつまずいた。
あれは実は高級なカーペットで、
店の大切な備品だったのかもしれない。
そこでつまずいたせいで、
「この子はダメだ」と思われたのではないか。
そんなことまで、
本気で考えていた。

もちろん、
いくら考えても答えは出ない。

悩み続けた末、
私は不採用の理由を直接聞くことにした。

ただ、
それは当時の私にとって、
とてつもなく勇気のいることだった。

私は、
なけなしの勇気を振り絞って
コンビニへ電話をかけた。

理由は一つ。

「なぜ不採用だったのか」
を知りたかったからだ。

電話で話す内容は、
一言一句紙に書き出した。

部屋のドアを閉め、
電気を消し、
家族が近くにいないことを確認してから、
受話器を握った。

そして返ってきた理由は、
想像していたより、
ずっとシンプルだった。

「だって、
学校からも家からも、
うちのコンビニまで遠いでしょう?
高校生は夜十時までしか働けないし、
学校が終わるのも夕方五時半。
そこからバスで来ても早くて七時半。
それなら
近くに住んでいる高校生を採用したいんだよ。」

なるほど。
そこは完全に盲点だった。
店長に丁寧にお礼を伝え、
私は静かに電話を切った。

原因は単純だった。
私に足りなかったのは、
遠いバイト先まで通うための足。
つまり、
原付バイクだった。

私はすぐに親へ頼み込み、
小遣いを前借りして
原付免許を取り、
原付バイクを買った。

「これでもう大丈夫。」
そう思っていた。

しかし、
五回もコンビニに落ちた私は、
すっかりコンビニが怖くなっていた。

次は
ファミリーレストランの厨房に応募した。
そして、
あっけなく不採用。
これで六連敗だった。

……そうか。

私に足りなかったのは、
バイクではなかった。
実力だった。

進学校では落ちこぼれ、
部活も辞め、
アルバイトにも受かる気配がない。

暗い自室で、
私は一人肩を落とした。
誰に励まされることもなく、
ただ、
落としまくった。


第四章
コンビニと私と|それは突然やってきた

人生は、
ときどき一勝がすべてを変える。

私は高校卒業後、
一年間浪人することになった。

地域で一番の
進学校に通っていたにもかかわらず、
高校三年間のうち、
二年半ほどはほとんど鉛筆を握らなかった。

勉強から離れ、
部活を辞め、
アルバイトの面接を受けては落ちる。

気づけば開幕六連敗だった。
「七連敗だけは避けたい。」
そんな小さな意地だけを胸に、
中学校時代の友人が
働いていた飲食店を紹介してもらった。

緊張しながら面接へ向かうと、
店長は履歴書を一通り眺め、
いくつか質問をしただけだった。

そして、
あっさり採用が決まった。
拍子抜けするほど簡単だった。
「あれだけ落ち続けたのは何だったんだ。」
帰り道、
私は何度も採用と言われた瞬間を思い返しながら、
バイクを走らせていた。

その後の高校生活では、
いくつかのアルバイトを掛け持ちした。

仕事を覚え、
お客様と話し、
給料日に少しだけ大人になった気がした。

こうして私は、
「アルバイトで
少しだけ社会を知った気になっている高校生」
として、
高校を卒業したのである。

ところが、
卒業しても人生は、
私を甘やかしてはくれなかった。

「せっかく地域で一番の進学校へ行ったんだから、
もう少し勉強を続けたらどうだ。」
そんな親戚の一言もあり、
私は浪人して大学を目指すことになった。

母は、
食卓越しに静かな口調で言った。

「高校三年間ほとんど勉強しなかった。
それでも大学へ行きたいと言うなら、
覚悟を見せなさい。」
「予備校代も生活費も、
自分で働いて用意しなさい。」

私は一瞬だけ、
(最初の四か月くらいは勉強していたけどな。)
と思いながらも

しかし、
その言葉は飲み込み、
小さく「わかった」とだけ答えた。

部屋へ戻り、
天井をぼんやり見つめながら考えた。

働くしかない。

そうだ。
高校時代に疎遠になっていた
最寄りのコンビニで働こう。

そう思い、
数日後、
久しぶりに店へ向かった。

見慣れた中学の通学路を歩き、
角を曲がる。

「あ、見えてきた。」
そう思って顔を上げた次の瞬間、
私は立ち止まった。

コンビニが、ない。

そこにあったはずの店は、
健康食品販売店へと変わっていた。

私は
しばらく入口の前に立ち尽くした。

私が通わなかったせいだろうか。
いや、
立ち読みばかりして、
お金をほとんど
落とさなかったせいかもしれない。
雑誌コーナーに入り浸っていた報いだろうか。

そんなことを
本気で考えながら、
私は深く肩を落として家へ帰った。

その日は、
ご飯が一杯くらいしか喉を通らなかった。
……いや、
正直に言えば、わりと普通に食べていた。

それでも、ショックだった。
その瞬間、
私の中から
「コンビニで働く」という選択肢は静かに消えた。

その後、
友人の紹介で、
新しくオープンする
イタリアンレストランのアルバイトを
始めることになった。

私は、コンビニを諦めた。

諦めたはずだった。


第五章
コンビニと私と|働く側に立った日

人生は、
何度断られても、
同じ扉をもう一度ノックすることがある。

大学四年間で、
私はすっかり勉強への情熱を取り戻していた。

そして何を血迷ったのか、
司法試験に挑戦し、
弁護士を目指すことを決意した。

司法試験の専門学校へ通うには、
学費も生活費も必要だった。

働かなければならない。

そうして私は、
通算六度目となる
コンビニのアルバイト面接へ向かった。

高校時代、
五店舗続けて不採用だった
あの「コンビニ」である。

ただ、
履歴書を手に面接室へ入る足取りは、
高校生の頃とは違った。

肩の力は抜け、
必要以上に自分を大きく見せようともしていない。

店長の質問にも、
落ち着いて答えられた。

面接は、あっさり終わった。

そして四月。
私は、
ようやくコンビニ店員になった。

家からは少し距離があったが、
司法試験の専門学校からは
歩いて通える場所だった。

地図の上で見れば、
自宅、
専門学校、
コンビニがちょうど無理のない
三角形を描いている。

私は高校や大学で
いくつかのアルバイトを経験していたこともあり、
コンビニの仕事をどこか軽く見ていた。

五店舗連続で
不採用になった過去があるにもかかわらず、
である。
人の記憶というものは、
本当に都合がいい。

…いや、
私だけかもしれない。

私が働くことになったその店は、
地域で最も売上の高いコンビニだった。

年間売上は約三億円。
月にすると約二千五百万円、
一日でも約八十万円を売り上げる。

大学生活をのんびり過ごしていた私には、
その数字は現実味がなかった。
ただ、
その売上は店長一人の力ではない。

駅や幹線道路に近いという立地が、
大きく支えていた。
さらに、
その店舗はコンビニチェーン本社の直営店だった。

直営店には、
大きく二つの特徴がある。
一つは、
新卒で入社した社員が店長を務めること。
もう一つは、
将来フランチャイズオーナーになる人が、
研修のため一定期間配属されることだった。

店内には、
制服姿のアルバイトだけでなく、
社員、
店長候補、
未来のオーナー候補が行き交っていた。

バックヤードでは
売上や発注の話が飛び交い、
事務所の壁には
数値目標やシフト表が整然と貼られている。

レジの向こうでは、
お客様が絶え間なく出入りし、
店全体が休むことなく動き続けていた。

それまで働いてきたアルバイト先とは、
空気がまるで違った。

そこには、
一つの店というより、
一つの会社が
動いているような仕組みがあった。

私は初めて、
コンビニという仕事の
「中」に足を踏み入れた。

最初に驚いたのは、
コピー機だった。

それまでの私は、
コピー機とは
コピーや印刷をするための
機械だと思っていた。

大学のレポートを印刷し、
会社の書類を出力する。
その程度の認識しかなかった。

ところが、
コンビニのコピー機はまるで別物だった。

トナー交換をする。
写真を印刷する。
各種証明書を発行する。
さらには、
コンサート、
水族館、
美術館、
航空会社など、
さまざまなチケットまで発券する。

しかも、
サービスごとに
操作方法が違う。
画面も違う。
手順も違う。

「なんなんだ、この謎の機械は。」
私は本気でそう思った。

操作が分からないまま、
お客さんに声を掛けられるのが
何より怖かった。

だから私は、
できるだけ平静を装いながら、
コピー機とは
物理的にも
心理的にも距離を取っていた。

次に驚いたのは、
タバコだった。

私はタバコを吸わない。

だから知っている銘柄は、
せいぜいセブンスターとマルボロくらいだった。

ところが棚を見ると、
何百種類も並んでいる。

「本当に全部売れているのか。」
そう疑いたくなるほどだった。

すると先輩が笑いながら言った。
「タバコ覚えないと仕事にならないっすよ。」

仕事にならない。
その一言は重かった。

種類は三百以上。
お客さんは正式名称ではなく、
「マイセン。」
「セッター。」
そんな略称で注文してくる。

一瞬、
バレーボールのセッターが頭をよぎった。
もちろん違う。

聞き返せば舌打ち。
場所が分からず探していても舌打ち。

そして私はようやく気付く。
コンビニの仕事は、
レジだけではなかった。

宅配便の受付。
公共料金の支払い。
各種チケット。
宅配便の伝票。
印紙。
印鑑を押す場所まで決まっている。
支払い用紙も、
バーコードを読むものと
読まないものがある。

分からなければ先輩へ聞く。
しかし、
その間にもレジには列が伸び、
お客さんの視線が刺さる。

コンビニには、
とにかく急いでいる人が多かった。

お金を投げるように置く人。
釣り銭がレジの下へ転がる。
少し手間取るだけで、
後ろに並ぶ人の苛立ちが
空気で伝わってくる。

安心できるのは、
時間に余裕のあるご年配の方や、
のんびりした大学生、
小銭を握り締めて
おつかいに来る小学生くらいだった。

私は、
コンビニの仕事が怖くなった。

もうバーコードだけ読んでいたい。
「ピッ。」「ピッ。」
「ありがとうございました。」

それだけで
一日が終わってほしかった。

宅配便も来るな。
公共料金も持ってくるな。
コピー機も壊れるな。
どうか
通常レジだけの世界で生きさせてほしい。

私は割と本気で、
そう願っていた。

お客さんがレジ待ちをしながら
後ろのタバコ棚を見始めると、
背筋が凍る。

コピー機へ歩き出す人を見ると、
目をそらしたくなる。

ポーチから
支払い用紙を取り出した瞬間には、
歯がガタガタ震えた。

コンビニは、
私が思っていたような
「楽なアルバイト」ではなかった。

ただ、
コンビニの先輩たちは、
とても優しかった。

そして、
とにかく変わった人が多かった。

年齢不詳で、
真っ白な髪が根元からびっしり生えそろった
ベテランスタッフのハギさん。

現役高校生で夜間学生。
ビジュアル系バンドマンのような見た目なのに、
カラオケでは見事に音程を外す、
たっちゃん。

店で最高ランクの
「三ツ星スタッフ」でありながら、
コミュニケーション能力だけは最低ランク。
いつも少し近寄りがたい雰囲気をまとっていた
ソトキバさん。

在籍中に名字が二度変わるほど
波乱万丈な人生を送りながらも、
いつも健気な笑顔を絶やさなかった
ニヘイさん。

そして、
大手ハンバーガーチェーンで
部長まで務めたあと退職し、
フランチャイズオーナーを目指して
研修に来ていたカツさん。
仕事ができる人特有のオーラを
隠しきれない人だった。

まだまだ紹介したい人はいる。
この店には、
それくらい個性的な人たちが集まっていた。

私は、
そんな先輩たちに助けられながら、
少しずつ仕事を覚えていった。

怖かったコピー機も、
タバコも、
宅配便も、
少しずつ慣れていった。

気づけば店内の評価は、
上から二番目の
「二ツ星スタッフ」まで上がっていた。

ときには、
一ツ星スタッフのハギさんに
無言でマウントを取り、
癖の強い先輩たちとも
冗談を言い合えるようになっていた。

気づけば私は、
コンビニという小さな世界を、
すっかり楽しんでいた。

しかし、
大きな不満が一つだけあった。
雑誌コーナーに対する店の方針である。

うちのコンビニでは
回転率を上げるため、
雑誌コーナーの書籍は
すべてビニールひもで固く縛られていた。
立ち読みは許されていなかった。

この一点だけが、
私にとって唯一の不満だった。

それでも
会社の方針に逆らうわけにもいかず、
私は毎日、
出勤前や休憩明けの時間に
ほかのスタッフと雑談しながら
雑誌を縛る作業をしていた。

エッチな雑誌は特にきつく縛った。
その開封を誰にも許さぬよう、
物理的なセキュリティを守っていた。

そんななか。
私はふと、
何気ない会話の中で、
ときどき店舗に来る
スーパーバイザーに質問をしてみた。

「この店舗って、
すべてのフランチャイズオーナーが
研修先として関わったことがあるんですよね」

「そうだよ。
何か気になることがあるの?」

私が知りたかったのは、
「最寄りのコンビニ」は
本当につぶれてしまったのか、
それとも別の理由があったのか、
ということだった。

スーパーバイザーはこう答えた。

「あの店舗のオーナーは、
本社に相談して別の店舗に移ったんだよ。
あの店舗は駐車場がなかっただろ。
この地域で駐車場が取れないのは
死活問題だからね。
ずっと交渉していたらしいよ」

そうだったのか。

私が立ち読みばかりしていたせいで
店がなくなったわけではなかったのだ。
私は心の底から救われた気がした。

その日の勤務が終わると、
帰りにスーパーバイザーから
教えてもらったコンビニに立ち寄った。

そこには、
以前と変わらない鋭い眼差しの七三分けの店長が、
店内を見回っていた。
髪は真っ白になっていたが、
表情は若々しく、
精力的に動き回っていた。

私は店に入り、
ホットスナックと
新作スイーツを一つずつ購入した。

そして、
わざと店長の横を通り、
軽く会釈をして店を出た。

立ち読みをしていた小学生の私は、
もうそこにはいなかった。

なんとなく、
七三分けの店長の眼鏡の奥に、
あたたかい光が灯ったような気がした。



🌙初めてMOONへ来られた方へ

▶︎「MOON|違和感の記録」の観測ガイドです。

どこから読むか迷ったら、
まずはこちらからどうぞ。

📚コンビニには、
まだ続きがあります。

▶︎コンビニシリーズです。


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