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《倫理・哲学×サステナビリティ》正解なき時代に、企業はいかに「問い続ける力」を育てるのか ──哲学対話がひらく、新たな可能性

先行きが見えず、変化のスピードが速い時代に、企業経営はますます難しさを増しています。不確実性が高まる状況は「VUCA」と呼ばれ、さらに近年では、もろさや不安、予測不能性が強まる「BANI」の時代とも言われています。

ビジネスの現場でも、これまでの前例や成功体験の「勝ちパターン」が通用しない環境の中で求められているのは、トップや一部の人だけが考えるのではなく、従業員一人ひとりが自ら考え、判断し、主体的に行動できる状態です。しかし日々の仕事の中では、速さや効率を優先せざるを得ず、立ち止まって考える機会は減っていると感じられます。

あなたの組織では、最近、自社の存在意義や事業の本質を改めて考え直す機会はありましたか?

今回のインタビューでは、その状況を乗り越える一つの手がかりとして「哲学対話」に注目しました。
哲学対話とは、答えを出すことを目的とするのではなく、問いを立て、考え続けるプロセスを、他者との対話を通じて体験する取り組みです。哲学対話に実践的に取り組まれてきた、対話力育成コーチ 武氏へのインタビューを通じて、なぜ今、企業にとって哲学対話が意味を持つのかを探ります。

公益財団法人流通経済研究所
研究員 寺田 奈津美


お話をうかがった方 対話力育成コーチ 武 つぐとしさん
(聞き手:寺田、石川)

1.      「哲学対話」とは

――「哲学対話」とは何ですか?

武さん:「哲学対話」という言葉自体は、日本でも比較的なじみのある表現ですが、その中身を見ると、実はさまざまなやり方があり、発祥や背景も異なっています。私が主に関わっているのは、「子どものための哲学(Philosophy for Children:P4C)」と呼ばれる手法です。

P4Cは、アメリカの哲学者・教育学者マシュー・リップマンが1970年代に開発した探究学習の手法で、学校教育を中心に世界的に実践が広がってきました。その成果を日本の教育関係者が取り入れ、教育現場で広まってきたという経緯があります。

日本では「哲学カフェ」という言葉の方がなじみ深いかもしれませんが、こちらはフランスの喫茶店文化を起源とする対話の場で、教育手法として体系化されたP4Cとは成り立ちが異なります。哲学対話には他にもいくつかの方法がありますが、P4Cはその一つに位置づけられます。

※「哲学対話」の手法には、P4C(Philosophy for Children、子どものための哲学)以外にも、哲学カフェ、ソクラティク・ダイアローグ、本質観取などがあります。

出所:ユニアデックス株式会社「自分の頭で本質を考える“哲学対話“を解説!」の図に一部加筆

 ――「哲学対話」の具体的な実施方法やテーマの例、得られる効果についてお教えください。

武さん:哲学対話は基本的に学校の授業の中で行われることが多いです。特定の教科の中で、子どもたち自身が「もっと深く考えたい」と思うテーマを問いとして立て、その問いについてクラス全体で対話しながら探究していきます。

効果としては、思考力や主体性が育まれることに加え、対話を通じたコミュニティ形成が挙げられます。私たちは、「考える力」「聴く力」「語る力」「つながる力」という4つの力を育てることを目標に取り組んでいます。

学校教育に哲学対話が導入された背景には、学習指導要領の改訂があります。その中で掲げられたのが、「主体的・対話的で深い学びの実現」、いわゆる「アクティブラーニング」の推進です。従来のように、教師が一方的に知識を教えるのではなく、子どもたち自身が主体的に学ぶ力を身につけていく。そのための方向性が、国として示されたわけです。従来の一方向的な授業から、子どもが主体的に学ぶ授業へと転換する流れの中で、その具体的な方法の一つとして哲学対話が活用されてきました。

哲学対話は、学問としての哲学を教えることが目的ではありません。重視しているのは、「哲学すること」そのものを体験することです。

「哲学する」とは、「問いを立て、考える」というプロセスそのものです。そこに対話が加わることで、他者の話を丁寧に聴き、自分の考えを言葉にして伝えるという、思考と対話の往復が生まれます。この営みを私たちは「哲学対話」と呼んでいます。哲学対話のテーマの多くは身近なもので、対話を通して他者の意見を聴き、自分の考えを言葉にすることで学びを深めていく活動です。

 ―― 一般的な会議やブレインストーミングと比べて、哲学対話の特徴・違いは何でしょうか?

武さん:一番大きな違いは、参加者全員が対等であることです。通常の会議は結論や意思決定を目的としますが、哲学対話では結論をゴールにしません。大切にしているのは、「考えること」そのものと、考え続ける姿勢です。

もう一つの特徴は、ファシリテーターの関わり方です。議論をまとめたり方向づけたりするのではなく、基本的には参加者同士のやりとりに委ねます。

さらに大きいのが、「なぜ?」と聞いてもいい、ということです。私たちは日常では、「なぜ?」を叱責や追及の文脈で使いがちです。しかし哲学対話における「なぜ?」は、相手を責めるためではなく、理由や背景を純粋に探究するための問いです。トヨタの「なぜを5回繰り返す」という考え方にも通じるものがあります。

 哲学対話を始める際には、まずいくつかの「約束事」を共有します。参加者が安心して自由に話せるためのルールです。対等な対話を促すために、話す人を明確にする道具を使うこともあります。

そのうえで、参加者自身が「考えたいテーマ」を出し合い、その問いについて対話を深めていきます。問いが決まり、誰かの発言に別の問いが重なりながら、対話は自然に広がっていきます。

たとえば環境のテーマであれば、「なぜプラスチックを減らす必要があるのか」「持続可能とは何か」といった問いを改めて考える。国や地域による違いに気づくことで、認識が深まっていきます。

哲学対話は、対話で終わることもありますが、そこで得た気づきが次の行動や新たな問いにつながることもあります。たとえば「なぜ東北地方は塩分摂取量が多いのか」という問いから、雪深い冬の間、食料を長期保存しておくために塩漬けが必要だった保存技術の歴史を知り、そこから「保存技術が発達した今は、別の選択肢は何があるのか?」と問いが広がり、さらなる探究活動につながります。

こうした問いは、実は私たちの日常にもたくさんあります。それを改めて問い直してみる習慣こそが、大切なのではないかと感じています。

 ――なぜ、「正解のない問い」を持ち続けることが、今の社会やビジネスにおいて重要なのでしょうか?

武さん:科学技術の進化はこれまでにないスピードで進み、同時にグローバル化が進展する中で、多様な人々と共生していくことが、もはや避けられない前提になっています。

その結果、社会やビジネスを取り巻く課題は、あまりにも複雑に絡み合い、過去の成功事例や前例がそのまま通用しない状況になっています。

かつては先人のやり方を踏襲すればある程度うまくいきましたが、今は誰も明確な答えを持っているわけではありません。だからこそ、「本質的に何が起きているのか」「何を問うべきなのか」を自分で考え続ける必要があります。

これからの時代は、答えを出す力以上に、問い続ける力そのものが重要になっているのだと思います。

2.      哲学対話の実践と効果

――武さんが哲学対話に出会われたきっかけや、これまでの活動の経緯についてお教えください。

武さん:以前、学校支援を行っている一般社団法人に、3年ほど関わらせていただいたことがありました。ちょうどその頃、新しい学習指導要領のもとでアクティブラーニングが本格的に導入され始めました。その一環として、東京大学の梶谷真司先生をお招きし、高校を中心に哲学対話を取り入れた授業を実践しました。これが、私が哲学対話に関わるようになったきっかけです。

――最初のきっかけは、お仕事とは別のところで関わられていた活動から始まった、ということなのですね。

武さん:そうですね。それまで、哲学に特別な関心があったわけではありません。大学は工学部出身で、卒業後も一貫してIT分野、とくに業務システム開発に携わってきました。

特に食品関連の企業様とのお付き合いが多かったのですが、より良いシステムを作ろうとする中で、「コンピューターだけでは解決できない問題」に直面するようになりました。現場を理解しなければ、本当に役立つ仕組みは作れない。そう感じ、現場の人と対話しながら声を拾うことの重要性を感じるようになりました。

その後、製造から物流、販売まで幅広く関わる会社で現場経験を重ねましたが、当時はまだ「対話」という言葉を強く意識していたわけではありません。

転機になったのは、ビジネスの効率や理論だけでは、誰も幸せになっていないと感じる出来事に直面したことです。「これはビジネスの理屈だけでは解けない問題だ」と感じ、別の視点を探す中で対話の活動に出会いました。実際に参加してその面白さに惹かれ、自ら主催するようになり、やがて学校支援の団体とのご縁へとつながっていきました。

寺田:なるほど。一度、ビジネスだけでは解決できない壁にぶつかったことが、大きな転機になった、ということなのですね。

――学校などで実施された哲学対話の中で、印象深い事例や場面、エピソードがあればお教えください。

武さん:印象深かったのは、都立大山高等学校の取組です。もともと進学校という位置づけではありませんでしたが、「哲学対話」を取り入れたことで、生徒たちの変化が注目されました。

放課後、生徒たちが輪になり、身近な問いについてじっくり考え合う。意見を否定しない、結論を急がない――そんな約束のもとで対話を重ねていきます。

その積み重ねの中で、自分の考えを言葉にする力や、他者の意見に耳を傾ける力が育っていきました。結果として、進路意識が明確になり、難関私大や国公立大学への進学者も出るなど、学びの成果につながっています。

私が活動する中で特に感じたのは、哲学対話は「もともと成績の良い生徒」よりも、そうではない生徒にこそ大きな変化をもたらすという点です。

勉強ができる生徒は理解力が高く、「大人がどんな答えを求めているか」を察してしまい、いわゆる「模範解答」を出すことが得意で、本気で問いと向き合う姿勢が生まれにくい場合があります。

一方で、あまり勉強が好きではない生徒は、たとえば「なぜ勉強するのか」という問いに対し、「したくない」と率直に答える生徒がいます。そこで改めて「なぜそう思うのか」と問いを重ねることで、自分の本音や価値観と向き合う機会が生まれます。

そうすると、「今やっている勉強が自分には身についている実感がない」「自分の役に立つと思えない」といった声が出てきます。そこからさらに、「身につく勉強と身につかない勉強の違いは何か」「自分は何をするために、どんな勉強が必要なのか」と問いを深めていくことができる。こうしたやり取りは、哲学対話の効果が非常によく表れる場面だと思います。

もう一つ強く感じているのは、哲学対話は継続すれば、確実に変化が生まれるということです。学校では1年間続けることが多いのですが、最初は発言できなかった生徒も、次第に「自分の考えを伝えたい」と思うようになります。

そして、そうした生徒が発する言葉は、とても的確で、驚かされることが多い。「そんなところまで考えていたのか」と感じるような、心理的に深い気づきを含んだ発言が出てくることも少なくありません。

考えるスピードや理解のペースは、生徒一人ひとり異なります。生徒が自分なりに身につけたものを、自分の言葉で表現できるようになる。その積み重ねこそが、哲学対話の大きな価値だと感じています。

――都立大山高校の例のように、「哲学対話を行った結果、大学合格という成果につながった」と聞くと、少し飛躍があるようにも感じますが、その間にはどのような変化があったのでしょうか。

武さん:大きかったのは、「自分は何をやりたいのか」を考えられるようになったことです。さまざまなテーマについて考え続けるうちに、自分なりの軸ができていく。その軸ができると、進路選択も驚くほど明確になります。

また、哲学対話では「聞く力」「話す力」を継続的に鍛えます。自分の言葉で語る力が身についたことも、面接などで強みとして発揮されたのではないかと思います。

――学校で哲学対話を行うことで「自分の中に軸ができる」というお話がありましたが、その後、大人になってからも違いは感じられますか。

武さん:はい、かなり違いを感じます。哲学対話を経験した人と、そうでない人とでは、自分自身で考えて行動する力や主体性に大きな差があると感じています。

――初めて参加する人や話すのが苦手な人でも、安心して自由に話せるような工夫には、どのようなものがありますか。

武さん:まず大切にしているのは、「話さなくてもいい」ということを伝えることです。発言しなければならない場だと思うと、人は無難なことを言ってやり過ごそうとします。話さなくていいという前提があるからこそ、安心して本当に話したいことを自由に話すことができる場になります。

もう一つ大きいのは、否定や批判をしないことです。意見を否定されないという安心感があるからこそ、自由に考えを表現できます。哲学対話では、そのようなことが起きない場づくりを徹底しています。

また、話す人と聞く人を明確に分ける仕組みも取り入れています。話している間は遮られず、自分のペースで話せる。そうした環境が、対話の土台になります。

――哲学対話では、正解のないテーマに向き合いますが、ファシリテーターが答えの方向に導くことはあるのでしょうか。

武さん:基本的には、何もしません。正解がないテーマだからこそ、「一緒に考える」という姿勢を大切にします。「なぜそう思うのか」「どういう意味か」といった問いを重ねながら、探究を深めていく。それが役割です。

ファシリテーターも参加者の一人として考え、問いかけ、時には一緒にわからなくなる。そのプロセスそのものを大切にしています。

3.      企業における哲学対話の可能性

――なぜいま、企業に哲学対話が必要だとお考えでしょうか?

武さん:率直に言えば、「今すぐすべての企業に必要か」と言われれば、そうではないかもしれません。現在の企業文化は、どうしても利益や効率を優先せざるを得ません。その前提の中で、「答えを急がずに考え続ける」という哲学対話の姿勢は、なじみにくい部分もあります。

ただ、少し先の社会を見据えれば、状況は変わってくると思います。これまでの成功パターンが通用しにくくなり、多様な価値観や背景を持つ人と共に働くことが当たり前になる。そうした環境では、「問いを立てて考える力」や「異なる他者と向き合う対話の力」が不可欠になります。持続可能性を本気で考えるなら、価値観そのものを問い直す姿勢が求められるからです。

実際、物流や冷凍倉庫の現場では、日本人だけで業務を回すことはほぼ不可能で、外国籍の方々とチームとして機能することが前提になっています。立場や背景の違う人同士が協働するには、最低限の相互理解が欠かせません。

企業で哲学対話を行った結果、部署を越えた関係性が生まれた事例もあります。劇的な変化が起きるわけではありませんが、「あの人なら相談できる」という小さなつながりが生まれる。それが、組織の結束力や問題解決力につながっていくのだと思います。

もう一つ重要なのは「主体性」です。哲学対話では、自分が何を話すか、何を話さないかを、自分で選ぶことができます。プライベートを開示したければすればいいし、したくなければしなくていい。その選択を自分でコントロールすること自体が、主体性を育てる訓練になります。そうした訓練を積める場としても、哲学対話には大きな意味があると思っています。

――企業で実施された哲学対話の事例で効果があったものがあれば、教えてください。

武さん:まず、「ご飯のお供」をテーマにした対話事例です。ある企業で哲学対話を実施した際、複数の部署から参加者が集まりました。そのときのテーマが、「ご飯のお供は何がいいか」という、とても身近なものでした。哲学対話のテーマは、必ずしも仕事に直結している必要はなく、こうした日常的な内容も十分テーマになりうるのですが、実際にこのテーマで対話をしてみると、全然違う部署の人同士が「自分は鮭が好きだ」「え、私も鮭派です」のような、他愛のない会話が生まれていました。一見くだらない話に思えるかもしれませんが、共通点を見つけることで心理的な距離が縮まり、何かあったときに声をかけやすくなる。そうした関係性の変化が生まれました。

さらに、この「ご飯のお供」というテーマから、その人が大切にしている価値観や、普段はなかなか聞けない生い立ちなども自然に知ることができます。たとえば、「ご飯のお供は必ず四品必要だ」という方がいたのですが、「なぜ四品なのか」と問いを重ねていくと、子どもの頃に親が十分に食事を用意してくれなかった経験があり、「食事をするときは、きちんとおかずがそろっている状態を大切にしたい」、という思いがあったのです。こうしたやり取りを通して、相互理解が深まっていきました。

次に、「自社の良さを問い直す」という事例です。これは、ある派遣会社の社員の方々と行った哲学対話です。派遣社員の多くは、派遣元の自社ではなく、派遣先企業で働いています。そのため、久しぶりに自社の社員が集まった際に、「自分たちの会社の良さとは何だろうか」というテーマで対話を行うと、最初は、「社長との距離が近い」「意見が通りやすい」といった、比較的表面的な答えが出てきました。そこで、「それは本当にこの会社でなければできないことなのか」と改めて問い直してみたのです。すると、次第に「自分たちの会社ならではの価値」について、より深い気づきが生まれていきました。

印象的だったのは、ある社員の発言です。その方は、「自分の会社は、本当に大切な人にだけ紹介したい」と話してくれました。派遣業界では、「条件がいいから」「仕事に困っているなら」といった理由で人を紹介することも少なくありません。しかしその方は、「自分が大切に思っていない会社を、大切な人に紹介することはできない」と語ったのです。その言葉から、この会社が社員に深く愛されていることが伝わってきました。

この企業の代表は、社内の対話をとても重視していました。派遣社員は、派遣先で相手のニーズをくみ取りながら働く必要があります。そのためには、日頃から対話を通じてコミュニケーション力を磨いておくことが重要です。

そうした力が高まれば、派遣先での評価が上がり、結果として会社全体の信頼や仕事の拡大にもつながります。個人の対話力の向上が、組織の成長へと循環していく。その可能性を感じさせる事例でした。

――特に、食品流通業のように、多層的な現場やステークホルダーが関わる業界では、哲学対話はどのような意義を持つとお考えになりますか?

武さん:率直に言えば、企業ビジネスと哲学対話は、必ずしも相性が良いとは思っていません。企業活動には立場や利害があり、どうしてもパワーバランスが生まれます。その中で「全員が対等に、答えを出さずに考え続ける」という前提を共有するのは、現実的には簡単ではありません。

哲学対話は、立場や利害をいったん脇に置き、「答えを出すこと」ではなく「考えること」に向き合う姿勢が共有されていないと成り立ちません。そうした環境が整っていない場では、なかなか根づかないだろう、というのが正直な意見です。

寺田:社内での対話の取り組みという意味では、卸売会社の国分さんでは、「パーパスワークショップ」を行い、自社の価値や自分の仕事の意味を見直す対話をされている例を聞いたことがあります。国分さんでは、立場の異なる人たちが対話を重ねる中で手応えを感じ、ファシリテーターを増やしながら取り組みを広げているそうです。

ワークショップへの参加を通じて、「この会社は自分に合わない」と感じ、実際に退職を選ぶ人もいるそうですが、そのような人が一定数いることも、やむを得ないこと、むしろ自然なこととして受け止められていると聞きました。こうした点も含めて取組全体は前向きに評価されており、結果として、会社全体の働く幸福度は高まっているとのことでした。
そのようなことから、企業内部において、哲学対話は一定の意義があるのではないかと感じています。

寺田:武様ご自身のビジネス現場でのご経験の中では、「哲学が必要だ」と強く実感される場面は、それほど多くなかったのでしょうか。

武さん:現在「パーパス経営」を取り入れる企業が増えていますが、パーパスや理念を考える場面では、哲学的な思考は役に立つと思います。ただ、「哲学そのもの」をそのままビジネスに持ち込む、という感覚とは少し違う気もしています。

一方で、「一緒に考える」というプロセスには意味があると思っていますトップだけで結論を出すよりも、多様な社員と共に考えることで、見える世界は確実に広がりますし、その中から導かれた結論のほうが、より納得感のあるものになると感じています。

また、「哲学対話は利益に直結しないのではないか」という疑問については、ある意味その通りだと思います。効果は定性的で、「何回やればこう変わる」と単純に数値化できるものではありません。ただ、それは「役に立たない」ということとは別です。

たとえば食品工場では、整理・整頓・清掃といった3Sや衛生管理を徹底します。これ自体が直接利益を生むわけではありませんが、それがあるからこそ安全で質の高い商品が生まれ、結果として利益につながります。

哲学対話もそれと同じで、利益に直結はしないけれど、決して無駄ではない。むしろ、組織や人が考え続けていくための「土台」や「素材」のような役割を果たすものだと思います。整理整頓や衛生管理にコストをかけるのと同じように、哲学対話も、当たり前の基盤として位置づけられるのであれば、十分に意味のある取り組みになるのではないでしょうか。

石川:企業と哲学対話の相性には難しさもありますが、企業の中でも価値観や行動を見直そうとする動きは出てきています。ただ、「哲学ワークショップ」という打ち出し方だと、ハードルが高いと感じられるかもしれません。その場合、コーチングや研修の一部として哲学対話の要素を取り入れるといった形であれば、企業にもなじみやすいのではないでしょうか。

武さん:私が関わっているのは主に中小企業ですが、感じるのは、経営層が対話や理念に関心を持っていても、それが現場まで十分に浸透していないケースが多いということです。理念は「意識の高い層」には響きますが、本当に必要なのは、日々の業務を担う現場の人たちです。ただ、その人たちに哲学対話をやってもらうのは非常に難しいです。

企業の現場では、どうしても目の前の課題への対応が優先されがちですが、哲学的な視点で見ると、「急がば回れ」という考え方がとても重要です。直接業務に結びつかないテーマで対話をしたほうが、結果的に仕事への向き合い方や問いの立て方が変わることもあります。

競争や場当たり的な対応だけでは、本質的な解決には至りません。本気で変わろうとするなら、暗黙の前提を問い直す深い対話が必要です。その意味で、経営者にその覚悟があるかどうかが、大きな分かれ目になると思います。

4.      企業と哲学対話が相容れない理由

武さん:哲学は、使い方を間違えると危険でもある、とよく言われます。薬にもなりますが、毒にもなり得る。本気で問い続ければ、「この仕事に本当に意味はあるのか」「この会社は存在し続ける必要があるのか」といったところまで行き着く可能性もあります。

企業は存続と発展を前提に動いていますから、どうしても「良い部分だけを取り入れたい」と考えがちです。しかし、哲学的に向き合えば向き合うほど、「この仕事は本当に必要なのか」「この商品は自分たちが作らなくてもいいのではないか」といった根源的な問いが立ち上がってきます。そこに企業との緊張関係があります。

寺田:先ほどの「自社の良さを考える」というテーマはなぜ選ばれたのでしょうか。

武さん:あのテーマは、従業員の皆さん自身が選んだものです。事前に社長と打ち合わせを行い、いくつか候補は用意していました。ただ、当日の場の雰囲気を見て、「このまま予定通り進めないほうがよい」と感じたのです。そこで準備していたテーマはいったん脇に置き、「いま本当に考えたいことは何ですか」と参加者に問いかけました。その中から多数決で選ばれたのが、「自社の良さ」でした。

重要なのは、「与えられた問い」ではなく、「自分たちが考えたい問い」だったという点です。自分たちで選んだ問いだからこそ、表面的な答えにとどまらず、「それは本当にこの会社でなければならないのか」といった深い問い直しが生まれました。

哲学対話は本来、「自由に考えてよい」という前提に立っています。しかし企業では、「利益を最優先しなくてもいい」とは簡単には言えません。この緊張関係が、企業と哲学対話の難しさです。

それでも、ここで「だから無理だ」と結論づけてしまうのは違うと思っています。規模は小さくても、関心を持つ人は必ずいます。まずは身近な同僚や部署から、小さく始めればいい。継続して関わる人たちは、確実に思考の姿勢が変わっていきます。

その成果を定量的に証明することは難しくても、問いに向き合い続ける力が育つこと自体に、大きな意味があると感じています。

5.      哲学対話で実現したい「社会の姿」

――武さんが、哲学対話を広げることで実現したい「社会の姿」はどのようなものでしょうか?

武さん:これについて、実は昨日の夜にいろいろ考えていて、最終的にたどり着いた言葉があります。それは、「誰しもが自分なりの幸せを実現できる社会」です。

共通の、みんなにとって同じ形の幸せというものは、やはり存在しないと思うんです。ただし、自分で幸せを見つけ、自分が置かれている環境や目指す方向に応じて、その人なりの幸せがきちんと実現できる。そんな社会になっていけばいいなと感じています。

寺田:ありがとうございます。もう一つ、私自身が日頃感じている疑問を伺ってもいいでしょうか。

私自身は、哲学対話を企業に導入することには賛成です。ただ目の前の仕事に一生懸命取り組んでいるうちに、気づいたら日々がどんどん流れていく、そんな感覚を持つ人も多いと思います。

そのように、目の前の仕事に追われる中で、立ち止まって考える時間を持つことは、とても大切だと感じています。ただ、それはビジネスの世界では限られた人にしか必要ないものなのでしょうか。

武さん:正直に言うと、うまくいっている人には、あまり必要ないのかもしれません。能力的にも環境的にも恵まれていて、深く考えなくても物事が前に進んでしまう人は、それでやれてしまう。

一方で、何かにぶつかった人、立ち止まらざるを得なくなった人にとっては、哲学対話は非常に意味を持つと思っています。逆に、「常に全戦全勝でうまくいっている企業」にとっては、「そこまで必要ないのでは」という位置づけになるのかもしれません。

そしてもう一つ重要なのは、「自分で考えること」を習慣化できている人が、社会全体として増えていかないと、かなり危険だという点です。インターネットが発達し、声の大きい意見に流されやすい環境の中で、極端な意見が「正しいもの」として拡散してしまうことがあります。

一人ひとりが、ちゃんと自分自身で考えられるようにならなければ、社会は次のステージには進めない。流され続けていると、基本的には良くない方向に流れてしまう、という危機感を持っています。

寺田:その点は、私も最近、生成AIを使っていて、自分の頭で何も考えなくなってしまう危機感を強く感じます。AIはネット上の多数派の、それっぽい答えを集約して提示するので、多数派の意見が集約され、社会全体が均質化していくようにも感じます。

現在、ビジネスの現場では「AIを使いこなせること」が強調されていますが、それ以上に「それは本当に妥当なのか」と一歩引いて考えられる視点を持つ人は、実はそれほど多くないのではないでしょうか。社会の大きな方向性や将来を決めていく立場にある人たちには、特にそうした視点が重要になってくるのではないかと感じています。

まとめ

今回のお話の重要なポイントを整理します。

■哲学対話とは?
「(学問としての)哲学を学ぶ」ことではなく、
「哲学する=問いを立て、考えるプロセス」を体験する対話の場。

哲学対話が育む力
哲学対話を通して育まれるのは、
「考える力」「聴く力」「語る力」「つながる力(コミュニティ形成)」

■なぜ企業に哲学対話が必要か?
① これからの環境変化に対応する基盤になる
社会・職場がより多様化し、異なる背景の人と「共に働き、生きる」ことが前提になる。
そのとき必要なのは、
「異なる他者とどう共生するか」を考える力=「対話の力」

② 正解がない時代に「問いを立てる力」が必要
前例踏襲が通用しにくく、課題が複雑化している。
答えを出す力以上に、問い続ける力が重要。

 ③ 現場ではすでに必要性が出始めている
障害者雇用、外国人労働者、時短勤務など、多様な働き方・背景を持つ人が同じ職場で働く状況が増えている。

研究員として、このインタビューを通じて考えたこと

今回のインタビューを通じて、哲学対話は短期的な業績に直結するものではないかもしれませんが、企業が持続的に成長していくうえで、長い目で見れば欠かせない取り組みだと感じました。
そしてそれは、経営陣だけでなく、日々の業務を担う現場の従業員にこそ必要なのではないかと思います。

その理由は、大きく三つあります。

① コンプライアンスの質が変わっている
現在、企業に求められるコンプライアンスは、単なる法令遵守にとどまりません。人権への配慮、ハラスメント防止、デジタルリテラシー、環境問題など、明確な正解がなく、個々の判断が問われるテーマが増えています。不祥事が発生すれば、顧客や社会からの信頼を一気に失い、事業継続そのものに大きな影響を及ぼします。

このような環境においては、現場の一人ひとりが、「これは本当に適切なのか」「どこにリスクが潜んでいるのか」を自ら考え、判断できなければ、組織として適切に対応することは難しくなっています。

② 人口減少や市場の成熟・縮小により、前例が通用しなくなっている
「今までやってきたことを続けていれば成長できる」という時代は終わり、人口が増えれば自然と儲かるビジネスモデルも成立しなくなっています。消費スタイルや人々の価値観も大きく変化しており、過去の延長線上にある施策を繰り返すだけでは、生き残れない企業が増えていくのは避けられないと感じます。

こうした状況では、部門ごとの最適化だけでは限界があります。異なる立場や価値観が交わる対話の中でこそ、これまで見えていなかった可能性に気づくことができます。そうした気づきから生まれる新しい視点や発想をイノベーションにつなげていくことが、企業が持続的に成長していくうえで重要になっています。

③ 働くことに対する価値観の変化
近年、働き方の多様化や価値観の変化により、従業員は給与や安定だけでなく、「何のために働くのか」「この会社で何を実現したいのか」といった働く意味そのものを重視するようになっています。一方で、経済成長を実感しにくい環境下では、従来の評価制度や業務目標だけでは、従業員の納得感や主体性を十分に引き出すことが難しくなっています。

一人ひとりが「なぜこの仕事に向き合うのか」を自分なりに理解し、納得している状態は、単なるモチベーション向上にとどまりません。自ら動こうとする姿勢や、仕事の質の向上、新たな発想を生み出す力へとつながっていきます。

その結果として、エンゲージメントの向上や組織全体のパフォーマンス向上にも波及していくのではないでしょうか。

以上の三つの理由から、哲学対話には重要な意味があると考えます。
哲学対話は、問いを立てる力や聴く力、考え続ける姿勢を育てます。さらに、他者との対話を通じて自分自身への理解が深まり、「自分は何を大切にしたいのか」を自分の言葉で語れるようになります。
そうした積み重ねが、結果として「自分で考えて動ける人材」を育てていくことにつながるのではないでしょうか。

おわりに:哲学対話は個人にとっても重要になる

最後に、企業だけでなく、個人にとっても哲学対話がなぜ重要なのかについて触れておきたいと思います。

いま、私たちを取り巻く情報環境は大きく変わりました。「タイパ」が重視されるようになり、SNSやショート動画を通じて、結論だけが切り取られたり、深く考える前に次の情報へと移っていくことが当たり前になりました。

さらに、生成AIの急速な普及により、「最も確からしい答え」をすぐに得られる環境が当たり前になりつつあります。便利である一方で、自分の頭で問いを立て、迷い、考え続ける機会は、意識しなければ確実に減っていきます。

AIは答えを提示してくれますが、その答えが本当に妥当なのかを判断し、責任を持つのは、最終的には私たち自身です。
(AIがおすすめのランチを教えてくれても、最終的に決めるのは自分で、その結果おいしくなくてもその責任は自分にある)

このような変化が、個人レベルで無意識のうちに私たちの思考や行動を変えています。そう考えると、これからは「どうすれば成果が出せるか」「どうすれば成功できるか」以上に、「善悪を判断できるかどうか」が重要になってくると考えます。

哲学対話は、そのための実践です。問いを立て、他者と向き合い、自分の言葉で考え、判断する。

AI時代において、私たちがどのように思考を保ち続けるのか。このテーマについては、あらためて別の機会に考えてみたいと思います。(終)

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