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Cory Wongバンドインタビュー’26-② // Yohannes Tona & Kevin Gastonguay

KINZTOのDr.ファンクシッテルーだ。今回は「どこよりも詳しいVulfpeckまとめ」マガジンの、74回目の連載となる。

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今回はサンフランシスコのWarfield Theatreに出演したCory Wongバンドに、ヨウヘイさんが現地でインタビューを敢行!
(ヨウヘイさんは日本でのCory Wong、Vulfpeckの通訳兼マネージャー)

前編ではCory WongとPetar Janjicのインタビューを掲載し、
この後編ではYohannes TonaKevin Gastonguayのインタビューを掲載。

Petar、Yohannes、Kevinの3名については、日本語で掲載されるインタビューは初となる。彼らのバックグラウンドを知ることで、より次の来日を楽しむことができるだろう。是非最後までお読みいただきたい!




Yohannes Tona

――では、まずは自己紹介をお願いします。

Yohannes:僕はYohannes Tona(ヨハネス・トーナ)。エチオピア南部の、アワサという都市で生まれ育った。音楽一家の出身で、父はオルガンやアコーディオンを演奏し、母は歌手だった。そうした環境の中で、幼い頃から音楽に触れてきたんだ。

僕がまだ子供だった頃、エチオピアは共産主義政権で、教会はすべて閉鎖されていた。だから母の聖歌隊が僕の家でリハーサルをしていたんだ。僕は自分の寝室から静かにそれを見ながら、初めてギターに触れるようになった。

教会のギターを弾くことは許されていなかったから、こっそり忍び込んで弾いていたんだけど、ある日それが母に見つかった。だけど、母はそれにどう反応すればいいのか分からなかったと思う。でも僕がこっそり弾いていたこと、そして自分なりに弾き方を見つけていたこと、それが現実だった。それが僕のミュージシャンとしてのスタートだったよ。


――最初の楽器はギターだったんですね。それから、どうやってベースを弾くようになったんですか?

Yohannes:ベースを始めたきっかけは、教会の大きなイベントへの出演だった。ドイツ人の伝道師、Reinhard Bonnke(ラインハルト・ボンケ)が主催したもので、東アフリカ巡回の一環として僕の町で大規模な集会を行うことになったんだ。

その数ヶ月前から、母の聖歌隊のベーシストに「ベースを見せてほしい」と何度もお願いしていた。ベースの音を聴いて興味を持っていたからね。そうしたら、彼は一度だけ音楽室に入れてくれて、ベースに触らせてくれた。僕は弦の太さに驚いて、とても難しい楽器だと感じると同時に、すごくワクワクしてもいた。あの低音はこの楽器から出ているのか、ってね。それは数分程度の短い体験だった。

でもその大きなイベントの直前、その聖歌隊のベーシストが出演を依頼された際に「申し訳ないが自分は町を離れる。ただリトル・ジョニー(Yohannes)なら弾ける」と言ってくれたんだ。数分しか触ったことがなかったのに、なぜ僕が弾けると思ったのかは分からない。

それで、その大イベントでベースを弾いてほしいという依頼が僕のところに来た。約250人の聖歌隊が集まり、2万人の観客が集まる大きなイベントだ。僕は「もちろん弾けます」と答えたけど、内心は驚きと不安でいっぱいだった。ギターとは全く違う感触だったし、本当に弾けるか分からなかったからね。

彼らが帰った後、すぐに大工のところへ行き、アコースティックギターに4つ穴を開けてもらった。そしてベースの弦を張り、チューニングしたんだ。そして1ヶ月間、毎週土日の午後にリハーサルを重ね、結果として約2万人の前での演奏が、僕の初めてのベースの仕事になった。


――なるほど、ギターに穴を開けて……では、最初のベース体験はギターだったんですね?

Yohannes:そうだね、アコースティックギターだった。ただ、最初の衝撃のあと、改めてベースに触ったときには少し楽に感じたんだ。最初の印象が強すぎたのかもしれないけど、「これなら弾けるかもしれない」と思えた。

それで希望が持てたから、その後のリハーサルで少しずつ学んでいった。その中で、別のエチオピア人のベーシストがスラップをしているのを見て、自分でも試してみた。リハーサルが終わる頃には手が血だらけになっていたよ。でもそれもいい経験だった。当時は13歳くらいで、緊張するという感覚もあまりなく、とにかくベースを弾くことだけに集中していたんだ。


――では、いつ実際にベースを手に入れましたか?

Yohannes:その後、首都アディスアベバに移り、音楽学校に進んだんだ。エチオピアでは各バンドが楽器を用意してくれるし、音楽学校でも同様だったから、自分のベースを持つ必要がなかったんだよ。

バークリー音大に奨学金で行くことが決まった時に、初めて自分のベースが必要だと知った。その時、日本に行っていたエチオピアの友人たちが帰国し、「Cobra」というブランドのベースをくれたんだ。それが僕の最初のベースだよ。


――なるほど。いつ頃、バークリーに行くことを決めたのですか?

Yohannes:1998年頃、音楽学校の先生たちが「君は音楽を追求すべきだ、西洋に行くべきだ」と言ってくれたんだ。ジャズやゴスペル、フュージョンなどに対する適性を見てそう判断したんだと思う。そして、先生がバークリーの出願書類などを渡してくれた。


――ではバークリーの後、どうやってCoryと出会ったのでしょう?

Yohannes:バークリーで数学期過ごした後、プロとして活動するチャンスを掴んだ。バークリーではプロのチームにドラフトされるような形で、チャンスが来れば卒業を待たずに活動できる仕組みがあるんだよ。

ミネアポリスのエチオピア教会が僕のことを知っていて、クリスマスコンサートで演奏する機会をくれた。その後、その教会で音楽ディレクターとして働く話もあり、学費や移民手続きのサポートもしてくれたんだ。それでミネアポリスに移り、6〜7年ほどゴスペルやR&Bのシーンで活動した。

その時に、CoryやPetarと出会った。当時彼らはマクナリー・スミス大学に通っていて、Coryがジャズプロジェクトに誘ってくれたんだ。一緒に演奏した後、お互い「またやろう」と感じた。その頃にはKevinもいて、徐々に関係ができていき、自然とForeign Motionを結成したんだよ。

その後、僕はシーンに少し先行して入っていったような形になり、幸運にもミネアポリスや全米の素晴らしいアーティストたちと仕事をする機会に恵まれていった。

その頃、Coryも自分自身の活動を発展させることに非常に意欲的だったから、僕が他の仕事で忙しくしている時でも、彼はレコーディングセッションに呼んでくれた。もちろん僕はそれに参加したし、また彼は(Sonny T.など)他のベーシストともコラボをしていった。そうやって関係が深まっていったんだ。


――なるほど。ちなみにForeign Motionというバンド名は、みんなのバックグラウンドが違うことに由来しているんですか?

Yohannes:そうだね、僕たちの国際的なルーツが違うことを表している。Coryは中国系のルーツを持っていて、僕とPeterとKevinもそれぞれ異なるルーツを持っている。誰一人として完全に同じ出身ではない、だから言葉遊びとしてForeign Motionという名前にたどり着いた時、全員が「これだ」と思ったんだ。

その後は曲を書いて、Coryがスタジオの手配をしてくれて、レコーディングしやすい環境を作ってくれた。それぞれが曲を持ち寄って、みんなでアレンジして録音したんだ。


――CoryのバンドやForeign Motionは、他のバンドと比べて特別な点はありますか?

Yohannes:まず、僕たちが非常に親しい友人であるということが言える。長年の間に共通の経験やストーリー、引き出しをたくさん持っている。だから、言葉でも音楽でも「こういうサウンドが好きだ」と伝え合うことができる。

また、僕が彼らの後から参加したDr. Mambo’s Comboからも大きな影響を受けている。Dr. Mambo’s Comboは25年以上前から活動していて、僕たちはその音楽へのアプローチに強く影響されているんだ。

あのバンドではメンバーに責任を持たせる文化があった。ネガティブ・リインフォースメントと呼ばれるメソッド、つまりミスをした時に指摘されることで成長するというやり方があったんだ。それによって、恥をかきたくないから完璧に演奏しよう、という気持ちになるんだよね。それは良いこともあるし、時にはやり過ぎになることもあるけど。

僕たちには素晴らしい友情があり、相性もいいし、お互いを大切に思っている。ただ、これはもともと僕たちが予想していなかった形かもしれないけど、結果的にいまの僕たちには完璧主義の傾向があって、リハーサルやレコーディングで決めた通りに、ほぼ完璧に近い演奏を求めがちなんだ。

その完璧な基準に達しないと、納得できない。他のバンドではそこまで求めない場合もあるけど、いまの僕たちはお互いに対する基準と責任感が非常に高いと思う。それは良い点でもあり、同時に挑戦でもある。ベストを出せなかった時は、他のバンド以上に強くそのミスを意識してしまうんだ。


――確かに、さっきのサウンドチェックでもそんなシーンがありましたね。

Yohannes:そうだね。誰かが間違えたり音を外したりしたら、それを指摘しなければならない。他のバンドも同じように正確さを求めるかもしれないけど、ここまでそういった要素を優先順位として高く持っているとは限らないよね。それが他のバンドとの違いかな。


――では、あなたのベースにおける影響源は誰ですか?

Yohannes:これについては、成長の各段階で影響を受けた人たちがいる。最初は、コミュニティの中で見ていた教会のプレイヤーたち。まずは彼らの演奏を真似しながら学んだんだ。その後、エチオピアの地元のミュージシャンたちからも大きな影響を受けた。テレビやラジオで彼らを聴きながら学んでいった。

さらに音楽に興味を持つようになると、Bob Marley & The Wailersなどからも影響を受けるようになった。エチオピアではジャマイカ人が歓迎されていた歴史があって、特に南部ではレゲエやスカが盛んだったんだ。そして教会音楽、スピリチュアル、ゴスペル、ブラック・アメリカン・ミュージックも僕のボキャブラリーに入るようになった。


ベーシストとして大きな転機だったのは、アメリカに来る直前にMarcus Millerを知ったことだと思う。彼の演奏は衝撃的だったよ。でも不思議なことに、僕にもできそうだと感じたんだ。それが僕のプレイを変えた。そしてアメリカに来て数年後には、彼にかなり近い演奏ができるようになったと感じた。

その後ニューヨークで彼のライブを観る機会があって、非常に感銘を受けたんだけど、同時に彼のコピーをしている人たちも聴いて、自分は誰かのコピーになりたくないと思うようにもなった。アフリカ音楽、ジャズ、ゴスペル、ファンクといった自分のルーツを大切にしたいと思ったんだ。

そして2000年代初頭にJaco Pastoriusを知り、彼からも大きな影響を受けた。彼のソロ作品からは多くを学んだね。


――それでは、あなたの音楽を形作ったアルバムを3つ挙げると?

Yohannes:まずはWes Montgomeryのストリングス入りアルバム。エチオピアでカセットで持っていたもので、あの作品からは大きな影響を受けた。特に彼の音楽的なアイデアや、ジャズ的なボキャブラリーといったものからね。(筆者注:Wesのストリングス入りアルバムは複数ある)

それからMarcus Millerの『The Sun Don’t Lie』、そしてKim Burrellのゴスペルアルバム『Everlasting Life』だね。この3つは僕の音楽的な要素をよく表していると思う。


――ありがとうございます。では、日本での演奏はどうでしたか? そして最後に、日本のファンにメッセージをお願いします。

Yohannes:日本の人々には、尊敬や忠誠心という点で、エチオピアの文化と似たものを感じるんだ。初めて日本に来たのは2012年頃で、Sounds of Blacknessというグループでの演奏だった。その時、日本の観客の情熱や献身、礼儀正しさといったものに非常に感動したんだ。

それ以降、特にCoryと一緒に来るようになってからは、さらにエネルギッシュで、深く関わってくれる観客だと感じているよ。日本のファンは本当に長く応援してくれる人たちで、たとえ自分の活動が直接関係なくても、SNSで反応してくれたりする。例えば僕が母とコーヒーを飲んでいる投稿にも反応してくれるんだ(笑)。そういう意味で、とても大切な存在だと思っている。

これからも日本に来て演奏したいし、Coryだけでなく自分のプロジェクトでも来たいと思っているよ。日本の観客はどんな音楽でも受け入れてくれる信頼がある、とても励みになる存在だ。いつも本当にありがとう。



Kevin Gastonguay

画像出典:Kevin Gastonguay's Keyboard Rig - March 2023

――ではまず最初に、自己紹介をお願いします。

Kevin:僕の名前はKevin Gastonguay(ケヴィン・ガストングエイ)。出身はミネソタ州バーンズビルだ。ミネアポリス、セントポールの南にある郊外の街だよ。


――音楽を始めたのはいつからですか?

Kevin:たぶん、4歳か5歳くらいの頃だったと思う。僕には年上の兄が2人いて、彼らがピアノのレッスンを受け始めたんだ。それで家にピアノが来た。

僕はピアノレッスンを受けていたわけではなかったんだけど、兄たちの譜面を弾くようになった。でも譜面を見て弾いたんじゃなくて、彼らが弾いているものを耳で聴いて弾いていた。それで両親は、僕に何かの能力があることに気づいたんだと思う。何かを聴いてそれを弾ける、あるいは少なくともその音をかなり早く見つけ出せる、ということにね。

それで6歳の時にピアノのレッスンを受け始めたんだ。近所の先生に習って、伝統的なレッスンをね。でも僕はそこでも自由に弾いていた。いつも、遊ぶように弾いていたんだ。


――なるほど。ご両親も演奏していたんですか?

Kevin:父は少しだけギターを弾いたり歌ったりしていて、それから父の母、つまり僕の祖母は、たくさんピアノを弾いていたらしい。僕が生まれる前に亡くなっているんだけど、後になって彼女の譜面を手に入れて、その曲を少し弾いたりもした。彼女は素晴らしいピアノ奏者だったらしいんだ。それから、僕のいとこも素晴らしいミュージシャンだよ。だから、その血筋がどこかにあるんだろうね。


――ではそれから、Coryと出会うまでの間のことを教えてもらえますか?

Kevin:4年生の時に、僕はドラムを始めたんだ。ドラマー、パーカッショニストになりたかったんだよね。パーカッションのレッスンも受け始めて、いろいろな種類の打楽器を学んだ。マレットを使う鍵盤打楽器なんかもね。

学校でバンドもやって、ドラムラインにも入った。秋にはスネアドラムを演奏して、パレードやフットボールの試合、そういうものに出てたね。冬にはウィンター・ドラムラインで競技にも出たんだ。ミネソタには、WGI(筆者注:Winter Guard International マーチングバンドの大会)みたいなものがあって、そこで僕はピット・キャプテンだったんだよ。

それで、4マレットのマリンバ演奏にかなり入れこんで、高校時代にはそれを本当にたくさん演奏した。それだけじゃなく、兄たちはギターとベースを弾いていて、僕はドラムを叩いていた。一緒に地下室でジャムっていたんだよ。だからドラムも気軽に演奏していたんだよね。

それからコンサート・バンドもやった。ミネソタ・オーケストラで演奏している先生に習って、ティンパニやトライアングル、そういうものも学んだよ。

だから当時は、そういうドラムやパーカッション関係のことを、全部やっていたんだ。その傍ら、ピアノも続けていた。6年生の時に別の先生に変わったんだけど、その先生はジャズが弾けたから、僕をジャズの理論へと導いてくれた。それから、ミュージシャンであるということがどういうことなのか、そのほんの一端を見せてくれたんだ。彼はとても高い技術を持っていたしね。

当時の僕は若かったし、子どもでいたかったんだと思う。それでも、楽器に真剣に取り組んではいた。10年生、11年生くらいの頃には、かなりジャズピアノに没頭して、学校のジャズバンドや、それから小さなジャズ・トリオもやったよ。友達と一緒に、ベース、ドラム、ピアノでスタンダードを演奏した。そうやって、この世界に少しずつ入っていったんだ。

でも僕にとって本当に大きかったのは、高校を卒業した後だった。外の世界に出て、そこで初めて、それらが何を意味するのかを本当に理解し始めたんだ。そして今に至るまで、成長を続けられていると思う。


――では、その後はどうでしょう。大学は音楽学校ですよね?

Kevin:そう、マクナリー・スミス音楽大学に行った。そこでCoryに出会ったんだ。学校の初日、2005年のことだね。同じアンサンブルに入れられて、一緒に演奏したんだ。ジャズ・アンサンブルか何かだったと思うけど、それですぐにお互いの演奏を気に入った。

当時、CoryはPat Methenyになりたがっていて、僕はChick Coreaになりたがっていた。まだ二人ともあまり上手くなかったよ(笑)。だから面白かったよね。でも僕たちはとても気が合ったんだ。


――なるほど。二人はジャズ・コースにいたんですか?

Kevin:そうだね、週に1回か2回くらいのジャズ・アンサンブルのクラスみたいなものだったよ。たぶんカルテットかクインテットみたいな編成だったと思うけど、はっきりとは覚えてないな。でも、そういうクラスにいたんだ。

それから、彼と一緒にたくさん演奏するようになった。その少し後に、彼がセントポールのダウンタウンにあるThe Artists' Quarterでレジデンシーをやるようになったんだ。毎週火曜日、僕たちは一緒にジャズを演奏していた。そこには本物のピアノがあって、きちんとしたジャズクラブだった。火曜の夜の出演バンドの前座として演奏していたんだよね。僕たちはそれを6年間続けた。Coryや僕の曲や、ジャズスタンダードなどを演奏してね。それがたぶん、2007年から2013年くらいまでだったと思う。

(筆者注:当時のCory、Kevinのレコーディング👇)


――Petarが入ってきたのは?

Kevin:Petarが入ってきたのは、たぶん2008年か2009年だね。彼が街に来てすぐに、僕たちは彼と演奏するようになった。Yohannesがいつ街に来たかは覚えてないんだけど、たぶん同じくらいの時期にYohannesのことを知って、一緒に演奏したいと思ってそれが実現したんだ。

その出会いが最終的に、Foreign Motionになった。あれは楽しかったし、
クールだったよ。1枚レコードを作って、Twin Cities Jazz Festivalにも出て、街のいろんな所でライブをした。もちろん小さな活動だったけど、それでも僕たちがバンドであろうとした最初のタイミングだったからね。とても良い時間だったと思う。


――そして、それが現在のあなたたちのバンドに繋がっていくわけですね。Coryのバンドでは、これまで一緒に演奏してきた他の人たちや他のバンドと比べて、何か特別な点がありますか?

Kevin:そうだね。まず第一に、5人編成のホーンセクションがあるというのは、かなり特別なことだと思う。そして彼らを統括している、Michael Nelsonがいること。彼のホーン・アレンジの功績は世界的に有名で、非常に独特なサウンドなんだ。つまり、このバンドはMichaelととても深く関わっている。彼からの影響は計り知れない。

僕が参加してきたホーン入りのバンドはほとんどが2管、3管くらいで、基本的にはユニゾンのラインを演奏しているような感じだった。でもMichaelはそうじゃなく、ものすごく複雑なラインを書く。5人のセクションをまるで2つの別々のセクションのようにして、お互いに競わせるようなラインにすることもある。そのやり方が本当にすごいんだ。だから、これはかなり特別な点だと言える。


――それは、あなたのプレイにも影響しますか?

Kevin:もちろん、とても大きな影響があるよ。Foreign Motionの頃は4人編成だったけど、Coryのバンドになってホーンが増えるにつれて、僕の役割はかなり小さくなっていった。というのも、ステージ上のミュージシャンが増えれば増えるほど、一般的には全員の演奏できるスペース、余地が少なくなっていくんだ。

だからチームの一員であること、自分の隙間を見つけること、グループの中にどう収まるかを見つけることが大事になってくる。みんなのためにスペースを空けることが必要なんだ。

それに、Coryがリズムギター・プレイヤーであることも、僕の役割に大きく影響している。彼がやっていることの多く、特にファンキーなプレイは、やろうと思えば僕がそれを担当することもできる。

つまり、もし彼がメロディを弾いているなら、僕はその後ろでファンキーな伴奏をする。でも彼がメロディーを弾いていない時(カッティングをしている時)は、僕も同じようなファンキーな伴奏をしても仕方ない。だから僕は、常に、自分が何をするべきかを考えなければならないんだよね。

そして、ホーンセクションも同時に複雑なプレイをしている。だから、自分の居場所を見つけて、センス良くそこにいることが非常に大事になってくるんだ。場合によっては、僕はサウンドエフェクト担当みたいになることもある。ロングトーンで、リズムの邪魔をしないようにするような役割だね。

このバンドでは常にたくさんのリズムが鳴っているから、僕はそれに対抗するのか? あるいは彼らに加わってまったく同じことを弾くのか? それとも完全に違うことをして邪魔にならないようにするのか? ということを考えている。いつも、自分がどう収まれるかを探しているんだよ。

こういうファンクやソウルを演奏するバンドでは、自分の居場所を見つけて、それをひたすら貫くんだ。なぜなら、もはやバンドが一つの機械のようなものだから。まるでJames Brownのバンドのようにね(笑)。


――あなたは最近、Petarのバンド、Uncle Broncoにも参加しましたよね。あれはどういう経緯だったんですか?

Kevin:僕は数年前にナッシュビルに引っ越したんだけど、Petarもナッシュビルに住んでいるんだ。Petarは、僕らの友人の素晴らしいオルガン奏者のTy Bailie、それとギターのAdam McPhailと一緒にUncle Broncoをスタートさせた。

最近、彼らはバンドの方向性を変えようと決めたんだ。それで彼らが「バンドに参加したい?」と聞いてきたから、僕は「もちろん」と言った。そして彼らのために曲を書き始めて、バンドの一員になった。

Uncle Broncoは、とても対等なバンドなんだ。全員が対等なメンバーで、対等な貢献者で、リスクも対等に負っている。だから楽しいよ。最近シングルをリリースして、新しくレコーディングも始めたんだ。

Petarはもちろんとても長い間の友人だし、Tyは素晴らしいキーボードプレイヤーで、彼もナッシュビルに住んでいて、とてもいい友達になったんだ。

だから、キーボードが2人いるんだよ。Tyはオルガンを弾いて、僕はフェンダーローズやクラヴィネットなどのキーボード楽器を弾く。それでコントラストを出したり、ギターがやっているようなことを鍵盤でプレイするような感じかな。僕はギターアンプを持ってきて、自分のキーボードをそこに通したりしてサウンドを作っているんだ。ちょっとフュージョン寄りのキーボード・バンドっていう感じだね。


――Uncle Bronco以外でも、Petarとはかなりよく一緒に演奏していますよね。

Kevin:そうだね、僕はPetarとは本当にたくさん演奏している。僕はCoryのためにも、Uncle Broncoのためにも、自分のためにもたくさん作曲しているんだ。ライセンス関連の仕事もやるんだよ。

最近はナッシュビルで自分のインスト・トリオもやっている。僕の曲を演奏するバンドで、これもPetarと、ナッシュビルにいるベーシストの友人が参加してくれているんだ。例えばウーリッツァー、クラヴィネット、ファルフィッサ(オルガン)、それにエレクトリック・ベース、ドラムみたいな感じのサウンドだね。僕は数多くのバンドで演奏しているけど、Petarはそのどれも叩いてくれているんだ。本当に素晴らしいことだと思う。

そうだね、僕は世界中の誰よりも、Petarと演奏してきたと思う――間違いなくね。昔、僕たちはBunkersで何年も一緒に、週3回演奏していた。週3回、52週。それを何年もね。そして今のCoryのバンドのことは言うまでもない。だから、ドラムに彼がいることにはかなり慣れていて、安心できるんだ。

そして、僕たちはみんな家にいる時はフリーランスのミュージシャンで、街のいろんな人たちと演奏する。そういう仕事のいくつかにも、Petarがいる。この前も、ポップ・アーティストのバックを一緒にやったばかりなんだ。

このバンドは基本的には1年の半分くらいか、少し少ないくらいのツアーに出ている。だから家にいる時は、僕はいろんなところで演奏して、素晴らしいプレイヤーたちと過ごしているんだよ。僕はこのバランスが好きなんだ。


――では、キーボーディストとしてどんな人から影響を受けていますか?

Kevin:まず、高校時代はChick Coreaだった。その次は、たぶんHerbie Hancockだったね。

Chickを好きでなくなったということではないよ(笑)。順番に好きになっていったんだ。Chick、Herbie、Brad MehldauJohn MedeskiLarry Goldings。このあたりが僕にとっては大きいな。

Robert Glasperも、彼の初期の作品からは大きな影響を受けた。SouliveのNeal Evansもだね。

僕は昔からこういう鍵盤プレイヤーが好きだったけど、幸運だったのは彼らは今僕たちがやっているジャンルと同じだということだね。Coryが自分のバンドをやるかなり前から、僕は既にこういったジャンルが大好きだったんだ。自分のバンドでもやっていたしね。だから僕はミュージシャンになれたんだと思う。Coryがこのバンドを始めた時、「これは完全に僕のテリトリーだな」と思ったんだよ。

後は、Joe Zawinulの影響も大きいね。僕は70年代のジャズ・フュージョンからスタートして、その後ファンクにハマっていった。70年代ファンク、60年代ファンク、それからもっと現代的なもの。Robert Glasper、Neal Evans、そしてLarry Goldings。僕はLarryの大ファンなんだ。

それから、Brad Mehldau。大学で彼にハマった時、僕は「彼は史上最高だ」と思ってた。だから彼も大きな影響源だね。


――同じような質問ですが、あなたのフェイバリット・アルバムを3枚挙げてもらえますか?

Kevin:まず、Brad Mehldauの『Largo』。それから、Chick Coreaの『My Spanish Heart』。それから、Herbie Hancockの『Thrust』だね。

『Largo』は素晴らしいアルバムだ。『Thrust』はHerbie HancockのHead Hunrters期にやったものがすべて入っている、という感じだね。本当に信じられないくらい最高なんだ。

あとはChickの『My Spanish Heart』。これはあまり知られていないアルバムだと思う。でも僕はレコード店で見つけて「これは最高だ」と思って、大好きになった。

『My Spanish Heart』は、本当にいろいろな場所へ連れて行ってくれるアルバムなんだ。いくつもの楽章のように展開して、オーケストラ的なものもあれば、トリオのものもあり、シンセを駆使したまるでアシッド・トリップみたいな曲もある。Stanley ClarkeやSteve Gaddが演奏していて、本当に信じられない作品なんだ。

あれはとても大きな影響を与えてくれた。バンドとキーボード、シンセ、ピアノ、そういうものを使って何ができるのかを教えてくれたんだ。どうやって本当にクールなレコードを作るのか、ということをね。僕は昔からアルバム全体を聴くタイプの人間だったから、そのレコードを通して何度も何度も聴いたんだよ。


――では、最近聴いているものは?

Kevin:最近は、The Timeを聴いていたね。若い頃に聴いていたものを、大人になってから聴くと、完全に違って聞こえるんだ。面白いよね。

それから、Billy Taylorというピアニストも聴いていた。昔の人だけど、本当に素晴らしい。それから、Ray Charlesの『Love Country Style』。これにかなりハマったよ。


――では最後は、日本について。日本で演奏するのはどうでしたか?

Kevin:それはもう、素晴らしかったよ。世界で一番行くのが好きな場所だ。食べ物は信じられないくらい美味しいし、観客も最高だ。僕は、日本の人たちは本当に音楽を大切にしていると思っている。彼らは僕たちの演奏にとても共感して、入り込んでくれる。とても嬉しいよ。

それに、日本という国全体が本当に大好きなんだ。僕たちは世界のいろいろな場所に旅をしてきたけど、僕にとって大きいのは食べ物と、そこに住んでいる人なんだ。そして日本の人たちは本当に僕たちを大切にしてくれる。

それから、エスカレーターで人が列を作るところも好きなんだ。人々がゴミをきちんと持ち帰るところとか、そういうルールが好きなんだよ。だから、日本の文化はとてもクールだと思っているんだ。電車や地下鉄も清潔だし、パス(Suica)を買えばどこにでも行ける。前はGoogle Mapsでいろんなところに行ったよ。楽しかった。

それにたしか東京は、世界で最もミシュランの星が多い場所だったよね。前に食べたお寿司も、ピザも、本当に美味しかった。

早く日本に戻りたいよ。妻はまだ日本に行ったことがないから、一緒に行きたいって話しているんだ。だから、今後数年のうちに日本に行って、しばらく滞在して、そこでいろいろやりたいなと思っているんだ。


――素晴らしいですね。では最後に、日本のファンへのメッセージをお願いします!

Kevin:OK、僕たちは必ず戻って来るよ! 今日はありがとう!



インタビュワーを務めていただいた、ヨウヘイさん
ありがとうございました!




インタビュー:ヨウヘイさん
著:Dr.ファンクシッテルー

宇宙からやってきたファンク博士。「ファンカロジー(Funkalogy)」を集めて宇宙船を直すため、ファンクバンド「KINZTO」で活動。「KINZTO」と並行して、音楽ライターとしても活動しています。


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