他人任せの連鎖〜なぜ誰も止められなかったのか・報告書の後半〜 辺野古転覆事故・第49稿
前稿で、報告書が認定した事実を書いた。この稿は、その後半を読む。なぜ誰も止められなかったのか、の構造である。
七月三十一日の午後四時、大阪市内で、特別調査委員会の三人の委員が会見した。渡辺徹委員長は言い切った。学校法人同志社は、生徒に対する安全配慮義務違反の責任を免れない。多くの教職員において、生徒の身体・生命の安全を確保するために何をなすべきかという観点での大きな想像力の欠如があった。猛省しなければならない。
委員長は、調査の途中からの実感も語っている。何か大きな間違いが、本流にあるのではないかと思うようになった、と。委員は三人とも大阪弁護士会の所属で、調査は日弁連の第三者委員会ガイドラインと文科省の学校事故対応指針に依拠して行われた。報告書は本文百六十二頁、別紙を含めて二百十八頁。その後半は、この手続きで解剖された、本流の記録である。
箱は五つ、検討はゼロ
制度の上では、辺野古ボートコースは四つの箱で決められ、一つの箱に報告されることになっていた。学年主任が案を作る。担任会で協議する。研修旅行委員会が確認する。教職員会議が承認する。そして法人の事務責任者会に報告される。
報告書は、箱の中身を一つずつ開けた。研修旅行委員会(教員)は、メンバーが実際に集まって会議や議論を行ったことがなく、旅程を確認してそのまま上程するだけの形式的な関与だった。教職員会議は、ボートの安全性等について特段の議論もなされぬまま、原案のまま承認した。法人の事務責任者会は、実施日程の共有こそなされたものの、プログラムの詳細が報告されることはなかった。
会見で秋山洋委員は、この構造をこう表現した。一人の学年主任に一定以上の負担が押し付けられ、本来であれば平等に自分事として検証していくべき担任会も、研修旅行委員会も、教職員会議も、機能していなかった。検証の箱は五つあった。検証は、どの箱でも行われなかった。箱の数と検討の量が、反比例していた。報告書はこれに、他人任せの連鎖、という名前を付けた。
連鎖の末端では、情報はさらに痩せていた。担任団から次年度の担任団への正式な引き継ぎの機会は設けられておらず、担任団ではない引率教員は事前の計画段階に関与せず、出発の約一週間前に初めて自分の役割を知らされる運用だった。当日、船の脇に立った教員が持っていた情報は、この連鎖の末端まで流れ落ちてきた、わずかな残りだった。
三パーセントと、途切れた記憶
連鎖の土壌についても、報告書は数字を出している。同志社国際高校の専任教職員六十一名(教員五十四名、職員七名)のうち、法人内の他校への異動経験者は二名。約三パーセントである。採用は各校が独立して行い、人事交流はほぼない。同じ場所に、同じ顔ぶれが、長く居続ける。
その組織で前例がどう働くかを、報告書は教員自身の言葉で記録している。一度始まったプログラムを止めるには、物理的に無理になるか、理屈で戦うしかない。そして、間違えた前例を繰り返した、と。
記憶の断絶も、人の入れ替わらなさと表裏だった。二〇一八年度に安全上の理由で辺野古テント村コースを廃止したとき、その判断に関わった教員は、二〇二二年度にもまだ学校にいた。それでも、ボートコース導入の場で、あのときの経緯を指摘した者はいなかった。会見でこの点を問われた委員長は、本当に不思議だ、と述べた上で、安全管理に関する意識が欠如していたと考えざるを得ない、と答えている。
検証の不在は、特定の方向に偏ってもいなかった。二〇一五年度の生徒向け資料には、反対運動の側を、漁業施設を不法占拠し、と記す記述があったが、これにも担任団から削除等の指示はなされなかった。向きにかかわらず、記述は見直されない。問題は思想の偏りである前に、検証という行為そのものの不在だった。
一つ、丁寧に書くべき認定がある。委員会は、意見を言えない組織だったとは認定しなかった。心理的安全性を欠くような状況があったとは考えていない、ベテランに物を言いづらいという声は一部あるが、校長や教頭の提案が教職員会議で否決されることもある自由闊達さも語られた、と。つまり、言えなかったのではない。言おうと思えば言えた組織で、誰も言わなかった。委員会が原因の根底に置いたのは、風通しの悪さではなく、安全への意識そのものの欠如だった。この認定は、組織の外から見るよりも、むしろ重い。
法人と学校の距離
もう一つの本流は、法人の側にある。学校法人同志社は、各設置校の研修旅行の実態を把握できておらず、指導監督できる体制になかった、と報告書は認定した。リスク管理を担う会議体は法人にも学校にもあったが、いずれも形骸化していた。法人の同志社リスク管理本部も、国際高校のリスク管理本部も、その会議は過去三年間、一度も開かれていない。国際高校の危機管理委員会は開かれてはいたが、危機管理マニュアルの見直しを一度も行っていなかった。監事監査も内部監査も、校外活動の安全管理に及んだことは一度もなかった。
第四十七稿で、武石さんの父の言葉を書いた。私学は運営団体の管理下に置かれ、運営団体は都道府県の管轄にある。その管理ルートが機能していない、と。会見の翌日、委員会は同じ構図を内側から認定した。学校は法人に日程しか伝えず、法人は中身を尋ねなかった。管理ルートの最初の一段が、そもそも情報を運んでいなかった。
盲目的信頼の、中身
文科省の報告書にもあった、船長への盲目的な信頼。その中身を、委員会は正面から調べている。会見で秋山委員が読み上げた認定は、こうだった。盲目的信頼が生じた理由について、教員らのヒアリングによっても、牧師であることや平和活動に従事する人との印象を基礎とするとしたものとしか言いようがなく、何らかの客観的・合理的な根拠は見い出せなかった。
信頼の根拠を探して、印象しか出てこなかった。四十七稿で父が言った、信頼してよい根拠が何もありません、という言葉の、これが調査による裏付けである。
一方で、委員会は金井船長個人の評価に踏み込みすぎることを避けてもいる。委員長は、船長が研修旅行に関わったことがおよそ全ての点で不適切だったとまでは考えていない、と述べた。その上で、開会礼拝で海保に拘束された経験を語ることが高校の礼拝として適切だったのか、学校の側が議論して判断すべきだった、と学校の責任に引き戻した。船長の死亡が事案の解明を最も困難にした、とも繰り返した。紹介の経緯すら、供述が食い違ったまま確定できていない。亡くなった一人に原因を集めず、生きている組織の側に問いを返す。それが報告書の一貫した態度である。
会見では、もう一つの事実も明かされた。委員会が沖縄で関係者に確認したところ、過去に、東京の私立のキリスト教系学校の中高生が、研修か修学旅行で訪れた際に抗議船に乗って見学したことがあったという。時期は二〇二二年度より前ということしか分かっておらず、詳細は未確定である。ただ、生徒を抗議船に乗せた学校が、同志社国際だけではなかった可能性が、ここで初めて公の記録に残った。
スコープの線
委員会が引いた線も、記録しておく。個人の民事・刑事責任の追及は、調査の目的ではない。懲戒処分にも言及しない。会見でその理由を問われた委員長の説明は、明快だった。懲戒処分も含めて、再発防止である。問題を起こした組織体が、自分の頭で考える必要がある。だから提言は、あくまで提言なのだ、と。
ただし、谷明典委員が付け加えた一言がある。組織の中の一部の方については、意思決定等にどう関わったのかも記載している。この後は、学校法人の方で検証されるべきではないか、と。事実は認定した。名前は仮名で残した。誰がどの決定に関わったかは、百六十二頁の中にある。それをどう扱うかは、法人自身の仕事として、ボールごと返された。武石さんの姉が七月に書いた言葉を思い出す。指摘される前に、自分の言葉で語られる反省。委員会の設計は、その機会を法人に残す形になっている。
平和学習の内容の適切性も、教育基本法の判断も、この委員会の対象外だった。それは教育の専門家による別の検証に委ねられ、委員会は判断の材料となる事実だけを、遺族と社会の関心を踏まえてできる限り詳細に認定したという。責任論と安全論の二枚の地図は、ここで制度として分離が確定した。それぞれの地図に、それぞれの検証者が付いた。
検証は、この委員会だけでもない。海上保安庁の捜査と、運輸安全委員会の調査が並行して進んでいる。委員会は、強制力を持つ捜査の認定と、任意の協力に基づく自分たちの認定が異なる可能性があると、報告書の中で自ら留保した。海保からは、海保がこれを認めたかのような受け取られ方をする記載ぶりは避けてほしいという申し入れがあり、配慮したことも会見で明かされた。三つの検証は、互いに混ざらないよう、線を引き合いながら走っている。
遺族の意向が、形を決めた
この報告書は、中身だけでなく、形も語っている。
報告書で、武石知華さんだけが実名で記載されている。会見で委員長が明かした経緯は、こうだった。他の方々は仮名化します、武石さんについても仮名化をご希望されますよね、と遺族に尋ねたところ、実名でもいいですよ、という答えが返ってきた。むしろ積極的なニュアンスを感じた、と委員長は言った。
要約版は、作られなかった。法人のホームページにも全文しかない。谷委員は個人の受け止めと断った上で、遺族の意向として、要約でつまみ食い的な形で把握してほしくないのではないか、と説明した。二百十八頁を、全部読んでほしい。名前を、残してほしい。遺族のnoteが最初の投稿から貫いてきたもの、すなわち誤解を解くことと全容が明らかになることが、報告書の版面の設計にまで届いている。
調査の時期にも、見覚えのある配慮があった。生徒アンケートは五月中旬に予定されていたが、中間テストの準備期間にかかるため、五月末に繰り下げられた。ゴールデンウィークも避けた。谷委員は自ら、昨日の会見でご遺族が語った、夏休みを待った告訴の配慮と、似たような配慮を我々もさせていただいた、と重ねてみせた。遺族と委員会は、別々の場所で、同じ型の配慮を設計していた。
報告書そのものは、遺族には手渡されていない。調査の内容は適切な時期に報告済みだという。手渡しの相手は、法人だった。公表当日の午前、委員会は八田英二理事長に報告書を直接渡し、説明した。宛先の順序は、この委員会の性格をそのまま示している。依頼主は法人であり、認定の名宛人も法人である。遺族は、依頼主ではなく、調査がその意向を汲むべき相手として、別の線でつながれていた。
目盛りは、埋まっているか
提言は五つ。危機管理マニュアルの見直し、校外活動の決定・実施プロセスの安全管理体制の整備、リスク管理体制の再構築、人事異動の活性化を含む組織風土の改革、意識向上のための研修。
ここに、答え合わせの目盛りが既に埋まっている。法人が設置を予定する安全管理室(仮称)を、委員会は一定評価した。規程案の施行日は九月一日とされ、設置までは常務理事の下で法人事務室が安全管理を統括するという。だが、報告書は同時に、五月二十七日の改定版マニュアルに残る未対応事項を別紙で列挙している。人事の一元化は二〇二八年度から始まるが、対象は職員のみで、委員会は、教員についても含めることが望ましい、と注文を付けた。評価と注文が、同じ報告書に並んでいる。会議が三年間開かれなかったリスク管理本部と同じ規程の紙から出発する安全管理室が、同じ轍を踏まずに済むのかどうか。目盛りは公開された。読む側は、数か月後に当てるだけでいい。
協議会の側にも、開いたままの問いがある。委員会はヘリ基地反対協議会の五名に聴き取りをしており、協議会側は、遺族への謝罪は学校法人あるいは同志社国際高校を通じて申し入れているが、受け入れられていない、と説明したという。一方、遺族が会見で語った経緯は、四月の月命日に代理人経由でメールの申し入れがあり、誰がどのような内容で謝罪しようとしているのかが分からないまま、やり取りが続いた、というものだった。学校を通じた申し入れと、代理人経由の申し入れ。二つの説明は、経路も描写も異なる。どちらが正確なのか、両方が別々に存在したのか、この稿では確定させない。謝罪という一つの行為の輪郭が、当事者間でまだ一致していないことだけを、記録しておく。
報告書の公表を受けて、両親はコメントを出した。学校関係者の当事者意識のなさが際立っている。何度も止める機会があったのに、その全てが素通りされ、本当にやりきれない思い。産経新聞が伝えた言葉である。委員会が、他人任せの連鎖、と名づけた構造を、遺族は、当事者意識のなさ、と言い換えた。会見で父が示した四層の防止機会、委員会が認定した素通りの連なり、そして遺族の受け止め。三つは同じものを指している。
コメントには、注文も含まれていた。個人の責任の重さについて、もう一歩踏み込んでほしかった、と。委員会が引いたスコープの線に対する、遺族側からの正確な応答である。そして提言については、実行されて初めて意味を持つ、として、学校側に具体的な計画と経過の公表を求めた。目盛りを読む観察者は、僕のような外野だけではない。当事者が、公表を求めると宣言した。
最後に、この報告書が図らずも証明してしまったことを書く。関西テレビが伝えたところによれば、両親は、娘がコース変更を希望して抽選に外れていたことを、報告書で初めて知った。心の整理ができていません、と。三回の説明の場でも、五月の一時間の面談でも、学校はこの事実を両親に伝えていなかった。情報が組織の中で誰にも届かない構造は、遺族への説明に、最後までそのまま現れていた。
法人自身の記者会見は、まだ日程が決まっていない。報告書を受け取った理事長は、重く受け止め、再発防止策を講じていきたいとの意向を示したという。次に観察するのは、その言葉が、いつ、どの形で、誰に向かって語られるかである。
姉は書いていた。自分で気づき、自分で認め、自分で正す。それは、学校が生徒たちに教えているはずのことです、と。気づく作業は、二十人余りの外部の弁護士が終えた。認める言葉は、真摯に受け止め、として出た。残っているのは、正す、である。それだけは、誰にも代行できない。
僕は書き続ける。
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