本物を選ぶということ〜後ろ姿に惚れたクルマが"初代アウディtt"だった
本物を選ぶということ
師走の映画館は、子供連れとポップコーンの匂いで溢れていた。
やまさんが向かったスクリーンだけが、静かだった。ガラガラだった、と後から聞いた。「分からない人には見てもらわなくていい。そんな感じがした」と、彼は言った。倉本聰の「海の沈黙」。贋作を巡る物語。本物の美とは何かを問う、静かな映画。
私はその言葉を聞いて、少しだけ笑った。それ、クルマの話と同じじゃないですか、と。
やまさんがアウディTTに惚れたのは、後ろ姿だった。
街中でほとんど見かけない。だからWEBの画面越しに見て、かっこいいと思った。理由はそれだけだ。初代TTの、あの丸みを帯びた独特のフォルム。デザインとしての純度が高すぎて、時代に置いていかれたようなクルマ。不人気で、見かけない。それでも、かっこいい。
名張りの売り主のところへ実車を見に行った日、「これがオレのものになるのか」と思ったと言う。その感動は、本物だった。
ただし、売り主の説明文は本物ではなかった。
ヤフオクの誇大説明。実際のコンディションとは違うクルマが、そこにあった。感動の純度が、一瞬で汚された。
それでも、やまさんはTTを手放さなかった。
映画の中で、主人公は贋作師だ。本物に見せかけた絵を描き続け、最後は血を吐きながら、誰にも頼まれていない一枚を完成させて死んでいく。嘘をついていたのは彼自身だったはずなのに、最後の一枚だけは、完全に本物だった。
やまさんのTTは逆だ。
嘘をついたのは売り主だった。でもクルマは何も嘘をついていない。後ろ姿の美しさは、WEBで見たときのままそこにあった。エンジンチェックランプが点いていても、それはTT自身の正直さだと思う。隠しようのない不調を、ちゃんと表に出している。
ただ、やまさんには黒のTTに乗り続けながら、静かに気づいていたことがあった。
美しいデザインのクルマは、美しくあるべきだ、と。
初代TTのフォルムはシルバーで完成する。その確信が、ある日ふいに揺るぎないものになった。そしてシルバーの一台と出会い、乗り換えた。京都まで引き取りに行った。満足感は上がった、と彼は言う。
当然だと思う。本来あるべき姿に、辿り着いたのだから。
転売目的の人たちは、クルマを価値の器として扱う。上がれば売る、下がれば手放す。でもやまさんが選んできたクルマたちは——DS3も、TTも——そういう文脈の外にいる。不人気で、維持が楽でもなくて、誰かに説明しにくい選択。
「本物を選ぶ」とは、そういうことかも知れない。
誰かに説明できなくていい。流行に乗らなくていい。ガラガラのスクリーンで静かに観ればいい。後ろ姿を見て、かっこいいと思えばいい。そして美しいものは、美しくあるべき姿で乗ればいい。
それだけでいい。
映画館を出て、やまさんはシルバーのTTに乗り込む。
贋作師の主人公が最後に描いた一枚も、きっとこういうことだったと思う。誰かのためでも、売るためでもなく、ただそうあるべきだから、描いた。
美しいものは、美しくあれ。
答え合わせは、もう終わっている。
(終わり)
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