50代 おひとりさま 小さな家を建てる|孝行のしたい時分に親はなし
親不孝者の、小さな改心
孝行のしたい時分に親はなし
「じぶん」って、てっきり「自分」だと思っていたけれど、「とき」だったのねと知る50代。
息子たちは巣立ち、音沙汰ない。
立派に巣立ったと思うようにしようと思っていたら、息子本人から
「立派に巣立ったと思って」
と言われてしまった。
そういえば、わたしも母に
「ひとりで大きくなったような顔をして!」
と何度不満をぶつけられたことだろう。
実家に帰るのは年に数回。しかも日帰り。
「連絡がないのは元気な証拠」と言わんばかりの態度だった。
そんな母が急逝して13回忌を迎えた年に、わたしは小さな家を建てた。
地元に戻らないと豪語していたわたしの終の棲家
親が高齢になり、子どものいない伯母に介護が必要になったことで、地元へ戻る決心をした。
賃貸、伯母宅のリフォームまたは建て替え、実家の畑を造成しての新築、と選択肢はいろいろあった。
最初は、「せいぜい10年、父と伯母の介護のためだけに地元にいればいい」と思い、賃貸を探していた。
でも、10年後は、自分が60歳を超えていることに愕然とした。
そこから、住みたい街へ引っ越したとして、賃貸を借りれるのか、家賃を払っていけるのか、仕事があるのか、知り合いのいない街で老後を過ごせるのか、不安ばかりが押し寄せた。
コストを抑えて、すぐに引っ越しできるのは、空き家になった伯母宅という選択肢。
でも、ここは平成築だけれども、ザ・昭和の家。
そして、ひとり暮らしには広すぎる。
「減築やフルリノベをしたら、新築が建ちます」と言われる始末。
しかも、よく調べてもらったら、現在の建築基準法では建て替えができないこともわかり、この案は却下。
そうなると、実家の畑を造成してもらい、新築というのが一番スムーズ。
とはいっても、わたしひとりではとても家を建てる資金はない。
かといって、ひとり暮らしの快適さは捨てられないので、同居も避けたい。
家を建てるとなれば、父の協力は必須だった。
父からは、離婚騒動のときも母が亡くなったときも、戻ってくるよう提案をもらっていたけれど、
「地元には戻らない」
と宣言していたわたし。
覚悟もないまま相談すれば、後にひけなくなる。
だから、まずは住宅メーカーをまわり、自分の理想が叶うのか確かめていた。
ただ住めればいいわけじゃない。
家が欲しいわけでもない。
老後まで安心して住める場所であり、もし自分が住めなくなっても資産価値のある家でなければならなかった。
住まいのこだわりの強いわたしが、納得できる家でなければ、地元に戻るという選択が”自己犠牲”になってしまう気がした。
とはいえ、介護のために高速で往復2時間の距離は、自分の体力も時間も奪われ、限界が近づいていた。
そんなとき、わたしの理想を予算内で叶えてくれる建築会社さんとの出会いがあった。
神様は感謝を伝えるところ、お願い事はご先祖様に。
地元に戻るたびにお墓に寄った。
この頃は、すっかりお墓参りが習慣になっていた。
それまでは、曾祖父母の名前すら知らなかった。
「ご先祖さまの名前を呼ぶといい」と聞き、曾祖父母の名前もこの頃に覚えた。
わたしが安心して暮らせる家をください。
父やお墓はわたしが守っていきます。
そういうことができる健康状態でいさせてください。
その願いが届いたのかどうか……いや、届いたのだと思う。
家を建てたいなんて、一言も言っていないのに、父が水道工事を計画していると知った。
てっきりわたしのための水道工事かと思いきや、自宅の水道管が50年近くになり、耐用年数だから引き直すだけらしい。
あ…わたしのためじゃなかったんだ…
ちょっとがっかりした。
でも、これはチャンスかもしれない。
父に具体的な金額を提示し、相談した。
自己資金だけでは足りないこと。
補助金は完成後にしか受け取れないので、先に全額を準備しなければならないこと。
そして、父が亡くなったときにわたしが受け取る予定だった生命保険を、今解約してもらえないかということを。
最初は怪訝な顔をしていた父に、わたしは言った。
「死んでから渡すより、今あげた方が、『ありがとう、ありがとう』っていわれるよ?
自宅での介護はできないけれど、ちゃんと最後まで面倒はみるよ。
お父さんが亡くなったときにわたしが受け取る予定の生命保険、今解約してもらえないかな?元本割れするならそのままでいいけれど…」
後日、元本割れしていないことがわかり、解約金が振り込まれた父の通帳の残高証明をもらった。
わたしの残高証明と合わせ、なんとか契約できる準備が整った。
そして、家づくりが始まった。
伯母が倒れて、半年後のことだった。
わたしの求めた小さな家
冬はあたたかく、夏はサラサラという無垢材のフローリングと、小上がり和室は譲れなかった。
小さくていい、いや小さい方がいい。
自然素材の家を求めていた。
小さな庭での家庭菜園やDIYを楽しみ、暮らしを豊かにしていくシンプルでナチュラルな暮らしがしたかった。
父が元気なうちに、野菜作りや日曜大工のコツを学びたかった。
家づくりは好きなものをひとつひとつ選んでいく楽しい過程だった。
とはいえ、人生を賭けた大きな決断。
怖さと興奮が同居していた。
何気ない日常のぬくもり
好きなものに囲まれた快適な住まいを手にした今、日常がプライスレスだ。
「今日も一日、健康で安全におだやかに過ごせますように。
いつもありがとうございます。
わたしが、今こうやって過ごせているのは、みなさんのおかげ。」
毎朝、実家の仏壇で手を合わせ、母や祖父母や曾祖父母の名を呼ぶ。
そして、父の生存確認。
といいつつ、実際は80代の父より50代のわたしの方が、更年期の不調や病気、けがなどに悩まされている。
それでも、ひとりじゃないという救いがある。
父といっしょに食事をしたり、DIYをしたりという何気ない時間を持ち、伯母への恩返しも、無理なくできている。
自然の中で、土に触れ、植物に季節や実りを教えてもらう。
慌ただしかった日常が、今、ゆっくりと流れ始めた。
ご近所さんから、
「娘さんが帰ってきて、お父さん喜んでるでしょう?」
「親は直接は何もいわないけれど、うれしいのよ」
と言われる。
わたしも巣立った子をもつ親として、身に染みてわかるようになった。
「この歳になって、脛をかじりました!」
と言ってみるが、少しは親孝行になっているかなとも思う。
父は友人たちに
「死んでから渡すより、今、渡した方が『ありがとう』っていわれるからね」
と言って回っているようだ(笑)
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