短編50「カルーア・ミルク」 バー・ローズデヴァン#3
あらすじ
失恋の痛みを抱え、酔っぱらって歩く。彼は路地裏に現れた謎のバー「ローズデヴァン」にたどり着くが……。
……僕は、なにを間違えたんだろう。
最寄り駅の改札を出て、ふらふらとした足取りで帰省本能に従って歩き始めた。
そうだ。僕は、フラれたんだ、と思う。
学生時代からの友人だった彼女。甘いものが好きな彼女。何度も2人で会って話したり、お酒を楽しんだ。
でもある日から、メッセージの返事が返ってこなくなって1ヶ月が過ぎた。
きっと僕はフラれたんだ。
だから、学生時代の友人に付き合ってもらって、終電までしこたま飲んだ。
最寄り駅はかつての繁華街で、家の近くまで行くと1階でビジネスを行っていた形跡が残る住宅街へと移り変わっていく。
僕はふらふらとした足取りで、いつもの道を歩いて、自宅へと向かっていた。
ふと、夜空を照らすものが見えた。
ピンク色のネオン管で、「BAR Rose des vents(バー・ローズデヴァン)」と描かれている。
時間貸しの駐車場の隣に立つ、打ちっぱなしのコンクリートの建物。その壁に、ピンクのネオンと黒い壁があった。
僕は酔っ払った頭のまま、吸い込まれるようにその扉を開けてみた。
何階降りたのか分からない。ぐるぐると折り返す階段を降りるたびに、世間の喧騒から切り離されていくような感覚を覚える。
しばらくして入口のドアに辿り着くと、僕はドアを開けて店内に入る。からんからんと控えめなドアベルが聞こえた。
店内は、9人のカウンター席と丸テーブルが2つのオールスタンディング。自分以外に客はいない。
「いらっしゃいませ。お客様も、迷われたのですね」
無機質なバーテンダーが、カウンターの中から僕を迎えてくれた。
いやに現実感の無い人物だな、と僕は思った。薄緑色の髪をアップバングにまとめていて、細長く鼻筋の通った顔は造形された美しさを感じさせる。
「お客様、初めてのご来店ですね?」
彼はおしぼりとコースターを目の前に置きながら、そう問いかけた。
僕はそれに頷く。
「では、当店のルールを2つ説明いたします。ひとつ、未来が見えたら追い出します。ふたつ、座り込まないでください」
ちょっと言葉が理解に届かなかった。だが、それがルールというのなら仕方ない。
僕は曖昧に頷いて、了承した。
「それでは、一杯目はなにになさいますか?」
「じゃあ……カルーア・ミルクで」
彼はグラスに氷を入れると、カルーアを注ぐ。それから牛乳を注ぐと軽くステアして、僕の目の前のコースターに置いた。
「ありがとう」
「いいえ。……バーテンダーのスィエルです。よろしくお願いいたします」
彼は胸ポケットから名刺を取り出して、僕に渡した。
僕はグラスのカルーア・ミルクを一口飲んで、ゆっくりと息を吐いた。
ほろ苦いコーヒーの苦みが、過去の痛みを呼び起こすようだった。それをそっと包み込むように牛乳の甘みが広がり、心に静かな安らぎをもたらしてくれた。
「もしよろしければ、なにに迷われているのか、聞いても良いですか?」
スィエルがそう言うのに、僕はため息をつく。
「フラれたんですよ、僕。ダメなんですかね」
「そんなことはないですよ、タイミングが悪かったのではないでしょうか」
スィエルが指を鳴らすと、壁のスクリーンに映像が映し出される。
彼女との初めてのデート。緊張しながら準備して、当日を迎える。
ちょっとしたサプライズで、ハンドクリームをプレゼントした。少し、彼女が疲れているように見えていたからだ。
彼女はそれに驚き、喜んでくれていた。その時間は、輝いて見えていた。
「え……? この映像、なんで……?」
「お客様の魅力は、よく存じ上げておりますよ」
スィエルは人差し指を口に当てながら、もう片方の手で指を鳴らした。映像が切り替わる。
「僭越ながら申し上げますが……待てば海路の日和ありというのは、いかがでしょうか?」
ここで映像は彼女の視点に切り替わる。
どうやら、彼女は仕事で苦悩していたようだ。臆病な彼女はパワハラをする上司に抵抗できず、心身が疲れてしまったようだ。疲労困憊した表情、理不尽な叱責に耐え、涙する姿。
どれも、僕の心を深く抉った。
「……僕は、自分の視点でしか物事を見れていなかった。彼女にも色々なことがあることを忘れて、ただ、フラレた痛い男ぶって……」
「……もう、大丈夫そうですね。また、これから始められるんじゃないでしょうか?」
スィエルがそう言うのに、僕ははっきりと、大きく、頷いた。
彼は下からハンドベルを取り出して、ちりりんと鳴らす。奥の扉から強面の男性2人が飛び出してくると、僕の身体を拘束した。
「え……?」
「お会計、1500円になります」
「あ、ああ……」
戸惑いながらも、その状態で財布を取り出して会計を済ませる。
それから僕は入口まで運ばれてしまうと、店外に放り出されてしまった。
確か入店した時に『未来が見えたら追い出します』と言われていたと思うが、そういうことなんだろうか。いまの僕に、未来なんてあるんだろうか。
「……一体、なんなんだ……?」
僕は路上に座り込みながら、どうしたらいいのか分からずにいた。
……彼女に、もう一度だけ声をかけたい。
でも、なんて言えばいい? 謝罪から始めるべきか、それとも何も言わずにただ話を聞けばいいのか……。
いや、でも、彼女が僕に歩み寄ってくれた日々のことを考えたら、今度は僕が歩み寄るべきだ。
明日、連絡してみよう。
僕は呆然と夜空を見上げた。酔いはとうに覚め、代わりに胸に宿ったのは、後悔という重たい石と、かすかな希望という小さな光だった。
明日、またメッセージを送ってみよう。
とはいえいきなり「悩み事聞くよ」とか「なんでも話して」なんて言うのは、違う気がする。
そういえば、彼女は甘いものが好きだった。
だから、重すぎず、でも確かなメッセージを送ろうと思う。
……そうだな。「甘いもの、好きでしたよね?」とか、どうだろう。
きっと彼女は、前向きに考えてくれるんじゃないかと、僕は期待しているのだった。
仲なおりしたいんだ もう一度 カルアミルクで
標準的なレシピ
カルーア - 30ml〜40ml
牛乳 - 80ml〜120ml
作り方
1.氷を入れたロックグラスに材料を注ぎ、混ぜる。
カルーア:牛乳=1:3が標準的とされることが多い
カクテル言葉
「いたずら好き」「臆病」
注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する実在の地名や場所は物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。
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