[195] 負けることが嫌だったんじゃない。ただ「醜く(みにくく)」なるのが嫌だったんだ。―それは「弱さ」ではなく「成熟」の証しだったのかもしれない―
こぐまパパです。
僕はこれまで
「勝負」の土俵から降りて
「挑戦」という
自分だけの道を
歩きたい
と話してきました 👇 。
勝負の世界で真剣に
生きれば生きるほど、
どうしようもない
「痛み」と「嫌悪感」を
感じたためです。
でも…
僕の心の中には
ずっと下記の問いが
残っていました。
なぜ僕はこんなにも
『勝負』の世界
を嫌悪したのでしょうか?
僕が
競争が苦手な臆病者
だからでしょうか。
あるいは
負けるのが怖いだけの
甘えなのでしょうか。
今日は
僕の
勝負の世界への
「嫌悪感」の正体を
深く掘り下げてみて
僕が腑に落ちた
三つの理由
そして
その全てを貫く
僕の
『心の美学』
について
お話ししたいと思います。
【嫌悪】理由1:「勝負」は僕の「目的(プロセス)」を否定するから
僕は
今までの探求を通して
自分が本当にやりたかったことの
輪郭が見えてきて
以前、人生の目的を言葉にしました👇 。
僕の人生の目的は
「何かになること」や「何かを達成すること」ではなく
「自分自身を探求し、理解し、表現し、分かち合い続ける」
探求→理解→表現→分かち合う→探求→‥‥
という終わりなき
「プロセスそのもの」
です。
そして僕は
プロセスについて
次のようなことも言ってきました。
僕が大切だと思うのは
他人の評価や結果ではなく
自分自身の意志で
『これを選んでみよう』と決め
『実際にやってみた』という
プロセスそのもの。
人生の目的(プロセスそのもの)を
「誠実に、一歩一歩 歩んでいく時」に
「自分らしく」あることができる。
と。
しかし
「勝負」の世界の
たった一つの神は
「結果」です。
その冷徹な世界の
ルールブックには
こう書かれています。
「負ければお前のプロセスには一円の価値もない」。
これは
僕の
人生の目的
そのものを
根底から否定する
暴力です。
僕が大切に
積み上げようとしているものを
「無価値なゴミ」へと
貶めること。
これに
激しい嫌悪感
を抱いたのです。
【嫌悪】理由2:「勝負」は僕の「誠実さ」を汚すから
僕は
今までの探求の中で
繰り返し
次のようなことを
言ってきました。
自分自身に不誠実になることはしたくない。
ありのままの自分でいたい。
目に見えない『誠実さ』や『優しさ』は
「僕の人生」を支える。
と。
しかし
「勝負」の世界で
生き残るために
最も効果的な戦略は何でしょうか。
それは
「嘘」であり
「駆け引き」であり
「ポーカーフェイス」です。
本心を隠し
相手を欺き
時には
心にもない笑顔で
敵の懐に入り込む。
「勝負」の世界は
僕が
せっかく脱ぎ捨てようとしている
「偽りの自分」の鎧を
もう一度
「それも戦略だ」と
さらに着込むことを強要します。
これに吐き気を催したのです。
【嫌悪】理由3:そして「勝負」は僕の「繋がり」を断ち切るから
僕は
今までの探求の中で
このようなことも言ってきました。
僕が心の底から求めているのは
「安心して 信頼できる 心の土台の上で
大切な人と温かく関わる」
という
静かでささやかな
「繋がり」。
僕が求めているのは
「断絶」ではなく
他者や世界と
温かく「繋がる」
ことでした。
しかし
「勝負」のルールは
僕に
目の前の相手を
「打ち負かすべき 敵」と
見なすことを強要します。
それは
「他者」との繋がりを
断ち切る行為。
そして
「結果」だけを追い求める
そのプロセスは
他者から
僕自身を
「断絶」させること。
それは
僕にとって
あまりにも
悲しい行為
なのです。
僕が「勝負」を嫌悪したのは
僕の心が
「断絶」よりも「繋がり」を
「結果」よりも「プロセス」を
本質的に求めていたから。
「勝負」という
あまりにも未熟で
あまりにも野蛮で
あまりにも
分かり易すぎる
ゲームのルールを
ただ
「受け入れられなかった」
のだと思います。
もうこれは
「正しいか、間違いか」
「得か、損か」
という次元の話ではありません。
「美しいか、醜いか」
という、
僕の
『心の美学』
の次元の話だと思っています。
結果だけを追い求め
プロセスを無視する生き方は
僕にとって
「醜い」。
嘘と駆け引きで
人を欺く生き方は
僕にとって
「醜い」。
繋がりを断ち切り
孤立する生き方は
僕にとって
「醜い」。
そして
たとえ
不器用でも
たとえ
敗北したとしても
プロセスを慈しみ
誠実さを貫き
繋がりを信じる
その生き方が
僕にとって
どうしようもなく
「美しい」
と感じるのです。
僕が「勝負」の世界を
受け入れられなかったのは
僕の心が
勝負の世界のルールを
ただ
「美しくない」と
感じてしまった。
ただそれだけのことだったのです。
それでも
時々
僕の目の前に
あの
勝負の世界に
どっぶり浸かっていた頃の
亡霊
が現れます。
「結局 勝てなかった だけだろ?」
「きれいごとお疲れ様。その『優しさ』で家族を食わせていけるのか?」
「でその『探求』とやらで、具体的に何か生み出したのか?」
「『勝負から降りる』って聞こえはいいけど、楽な方へ逃げただけだろ?」
この亡霊は
一体誰でしょうか?
それは、
28年間
「勝負」の戦場で
僕を守るために
ボロボロになりながら
戦い続けてきた
「過去の僕自身」
です。
亡霊は
僕が「勝負」から降りたことで
自分の存在意義を失い
置き去りにされた
孤独な
『傷を負った兵士』
なのです。
「結局 勝てなかっただけだろ?」の本当の声は
「必死で守ってきた
『勝つこと』への価値を
そんなに簡単に捨てるな。
俺の28年間は
無駄だったと言うのか?」
「きれいごとで 家族を食わせていけるのか?」の本当の声は
「家族を守るために
どれだけ心を
殺してきたと思ってるんだ。
その現実の重さを
忘れるな。」
「楽な方へ 逃げただけだろ?」の本当の声は
「あれだけ苦しんで
耐えてきたのに。
お前だけ
簡単に
『美しい』世界へ
行ってしまうのか?
俺を
この泥の中に
置き去りにするのか?」
僕が
すべきこと。
それは、
『心の美学』という新しい剣を
彼に抜くことではありません。
傷だらけの
彼の前に座り
心から
こう告げます。
「ありがとう」
「あなたが28年間
戦い続けてくれたから
今の僕がいる。」
「あなたの戦いは
何一つ無駄ではなかった。」
「もう、これからは
戦わなくていい。
あなたの
痛みも
誇りも
全て僕が引き連れて
生きていくから」
「だから、 もう
安心して
眠ってほしい」
と。
僕を守るために
ボロボロになりながら
戦い続けてきた
「過去の僕自身」
に伝えること
そして僕は
これからの人生
たとえ
他人から理解されない
ことがあっても
たとえ
他人から効率が悪いと
揶揄(やゆ)されても
僕だけが信じる
『心の美学』
を胸に
静かに生きていきたい。
今は
そう思うのです。
きっと
僕を守るために
ボロボロになりながら
戦い続けてくれた
「過去の僕」も
理解してくれると
思います。
なぜなら
僕にとっての
『心の美学』
とは
「自分自身に
がっかりしたくない」
という
譲れない「誇り」
のようなもの。
『心の美学』
とは
僕が
これからの人生で
重要な選択の帰路
に立った時
迷いに迷って
最後の最後に
決断する時に委ねる
究極の「判断基準」
=僕の『羅針盤』
だからです。
👆この当時は『心の美学』について、意識していませんでした👆
上記記事は、無意識に「自分が美しいと思うことを 信じられるか?」
について
触れた記事です。
よろしければ『心の美学』の参考にしてください。
ありがとうございました!
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