(5)マンラーイ王によるラーンナー王国の建国
タイ最北部地域でチェンセーン(เชียงแสน)、ナーン(น่าน)、プレー(แพร่)、パヤオ(พะเยา)といった古代小王国が割拠する中で台頭したマンラーイはモンゴル帝国の更なる南下を警戒し、1200年代中期にチェンラーイ(เชียงราย)付近からピン川沿いに支配を広げながら、アンコール(อังกอร์)王朝の統治が緩んだチェンマイ(เชียงใหม่)周辺に進出し、ラーンナー(ล้านนา)王国を興して初代国王となった。
タイ族最初の王朝であるスコータイ(สุโขทัย)王国の建国に遅れること約60年のことであった。しかし、小王国を寄せ集めた王国は、当初は西方のビルマ王朝の干渉を度々受けて寝返る有力部族もおり、政情が安定しているとは言えなかった。

1300年代になって王国の統治は漸く確立した。モンゴル勢は1278年にインド支那半島東岸部やフィリピン諸島にまで長駆遠征し、現地部族と激しい戦闘を繰り広げた。タイ北部に対しては1301年に最大規模の討伐が行われたが、圧倒的に劣勢な状況の中、ラーンナー王国側は小規模な戦いを挑んでは負けを装って後退し、敵軍をチェンラーイ周辺の広大な密林に引き込むことに成功、戦力の大半を熱帯病で失わせて、本格的な戦闘を交えることもなく退却させたと言われている。
揺籃期のラーンナー王国は名目的な朝貢と引換えに大帝国の虎口に呑みこまれる危機を脱した。ラーンナー王国の主体であるタイユアン族は、近縁のラーンサーン(ล้านช้าง)王国と縁戚関係を持ち、言語や生活様式での共通性も多く、モン族やシャン族の文化も混淆し、一時期支配下にあったビルマ王朝の影響も受けて、スコータイ王朝からアユタヤ王朝を経てチャクリ朝へと続くタイノーイ族とは異なった独自の文字や文化・風習を持っていた。
山岸ハニー
《スミ―のひとこと》
ついに、ラーンナー王国のスーパーヒーロー登場です°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
最近日本でも、YouTube等で「元寇」についての再評価が盛んです。たくさん説が出てきたので、フムフムと楽しんでいます。
私がベトナムに行った時のことです。日本の元寇と同時期に、モンゴル軍はベトナム侵略のため南下しました、当時、ベトナムにはとても強い将軍がいたらしく、その将軍にかなり手を焼いたモンゴル軍は、一旦ベトナムに集中するために日本から撤退したという説を、ベトナム人から聞いたことがあります。なんと!面白~い!!
ハニーの解説によるモンゴル軍とタイ人の戦い方…やっぱり、タイ人は昔からタイ人だと、妙に感心してしまったスミーでした。
