(2)ハリプンチャイ王国
ハリプンチャイ(หัริภุญชัย)王国は、伝承や後世代に刻まれた古刹の碑文によれば、ラムプーンの地に住む隠者(Sherman /呪術師)が660年代にロッブリー(ลพบุรี)辺りを本拠とするラヴォー(ละโว้)王国から王女ジャーマテーウィ(จามเทวี)を招いたのが始まりだとされている。その後、双子の兄王子に首都ラムプーン、弟に副首都ラムパーンの統治をそれぞれ継がせたとされているのが、二つの地の歴史舞台への初登場である。
しかし、考証に耐え得る資料によれば、ハリプンチャイ王国の歴史が遡れるのは12世紀までと言われており、前回述べたドヴァーラヴァティー王国の歴史年代と比較しても早すぎると言わざるを得ない。ここからは個人的な推理だが、新興のクメール族が西方に勢力を伸ばしてラヴォー王国を占領した950年頃が一つのヒントになると思っている。
故国を追われたモン族が、北方のラムプーンまで移動して新しくハリプンチャイ王国を興したとするのは如何であろうか。奇しくも、中国の古代史書(北朝時代年代記では羅渦と表記されている)にはラヴォー王国の建国は659年と記されている。
ラヴォー王国の建国年代をハリプンチャイ王国の建国年にすり替えた可能性も否定出来ない。この年代説に基づけば 6 世紀後半に興ったドヴァーラヴァティー王国の塩・鉄と言った戦略物質の交易を通じた緩やかな同盟の中から、7 世紀の半ばには文明文化を共有しつつも古代国家として独立したのがラヴォー王国であったのかも知れない。
山岸ハニー
《スミ―のひとこと》
ラムプーンは、チェンマイとラムパーンの間に位置する古都です。
タイの夜明けといえば、皆さんご存じのスコータイ王国。それよりはるか以前、「女王北遷」というロマンチックな伝説からハリプンチャイ王国は始まります。この町で現在、王女ジャーマテーウィは、すでに神格化されています。ロッブリー(ラヴォー王国)にあった高貴な血は、重要でした。現在のチャクリ王朝に至るまで、「血の正統性」という考えは、形を変えながらも、この国で重要視されているのだと思うのです。

