(4)タイ族は、どこから来たのか?・・・ハニーの一考察
タイ諸族の原始の出自については諸説が乱立し、民族のナショナリズムに潜む機微にも触れ、定説に至るものはない様だが、中世には雲南の南部地方からシーサンパンナー(สิบสองปันนา/西双版納)一帯に、各部族が小国家を築き農耕生活を営んでいたとされる。
1200年代初頭に大理国を征服し、1279年には大国南宋を滅亡させたモンゴル帝国(元朝)の急激な南方への勢力拡大の圧迫から逃れるために、タイ諸族の一部は西と南に移動を余儀なくされたと言われている。
概略的に見ると、タイユアン(ไทยวน・ไทโยนก)族とラーオ(ลาว)族やシャン(ฉาน・ไทยใหญ่)族の諸族は南西に向かい、モン族等の先住民を押し退けて現在のタイ北部、ラオス、ビルマ北部に夫々進出定着したと考えられている。
タイノーイ(ไทน้อย)族は南に逃れてメコン(แม่โขง)川中流域に開けた低湿地を経てタイ東北部(อีสานเหนือ)に上陸し、クメールの支配地に分け入りついにはヨム(ยม)川やチャオプラヤー(เจ้าพระยา)川河畔の肥沃な平野に辿り着いたと推測されている。
又、アホーム(อะโฮม)と呼ばれるシャン系統の一族は、西方のインドアッサム(อัสสัม)地方まで移動して王国を興し、1826年まで存続したが現在では民族的にも文化・言語面でもインドに同化吸収されてしまっている。因みに、アッサムの地名はアホームに由来すると言われている。
ビルマ族も西に移動したが途中イラワジ川に沿って南下しビルマの中央部に定着したと言うのが通説である。

サイアム(สยาม)又はシャムの語源も原始の出自同様諸説あり明確ではない。その内の幾つかを紹介すると
1:バーリー語のsyama(黒い)に由来する説。
2:タイ人の思想家であり歴史学者でもあったチット・プーミサック(จิตร ภูมิศักดิ์)はタイ族が稲作を良くすることから、南紹語の低湿地を意味する語をあてられたと主張した。
3:古来よりビルマ族はタイ族をSiam或いはShamと呼んでおり、漢語ではSiamの発音が難しくShamになったとする説。
などが挙げられるが、いずれも確固たる根拠が薄くタイ族が自称した民族名でもないことは明瞭である。しかし、チャクリ王朝ラーマ四世の時代には外交上の都合もあり、国号として対外にSiamを用いた時期もあった。
“タイ(ไทย)”と自らを名乗るのはピブン政権時の1939年を待たなければならなかった。又、“タイ”の呼称は自由を意味すると言う説もあるが、漢語の“大蒙(ไทเมือง/大国の意味)の大”から来ているとの説も有力である。
又、タイと表記するには “ไท” と綴るべきところを “ไทย” とした事情についても謎に包まれているが、帝国主義が世界中を跋扈していた時代、国語上の文法を超えてナショナリズムの覚醒と共に新たな国家統一の象徴としての自称の国号を制定する意気込みが示されているのかも知れない。
しかし、ピブン政権の強引な制定事情もあってか、現在に至ってもアユタヤ朝の頃より慣れ親しんで来たSiamに一定の支持があることも事実である。
山岸ハニー

