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文学フリは戦場(番外編 文学フリマレビュー)

5月4日、初めて文学フリマへ行った。
本当はすぐに感想を書きたかった。
「行ってきました!」
と、その日の熱のまま投稿したかった。

しかし、久々に大きなイベントへ出撃した私は、帰還後、きれいに体調を崩した。
弱い。あまりにも兵士として弱い。前線に出た翌日に寝込むタイプの新兵である。

その間、noteも放置してしまった。
フォロワーさんの投稿も、いただいたコメントも、ほとんど見られていない。

申し訳ありません。
私はいま、ようやく塹壕から顔を出しています。


初期装備はたぶんこれじゃ無い

そもそも、なぜ文学フリマへ行こうと思ったのか?
noteを始めて3ヶ月ほど経った。
投稿も少しずつ増えてきた。

もう少し溜まったら、自分でもzineのようなものを作れるのではないか。そう思い始めたところで、フォロワーさんの中にも文学フリマへ出展される方がいると知った。

見てみたい。どんな人が、どんな顔で、どんな本を作っているのか。文章の向こう側にいる人を、少しだけ見てみたくなった。ただし、文学フリマの存在をちゃんと知ったのは開催のほぼ2日前である。
遅い。作戦会議としては遅すぎる。

しかし私は、そこでなぜか那須川天心のメンタリティを発揮した。「関係ないっしょ、気持ちっしょ
今思えば、見習うべきはファイティングスピリットであって、たぶんラジオのタイトルコールではなかった。文学フリマは格闘技ではない。気持ちだけで突破できるイベントでもない。でも、行った、行ってしまった。

zineとは、個人や少人数のグループが、自由なテーマで制作し、自主発行する小冊子のことらしい。
ページ数もサイズも内容も自由。
つまり、本の形をした個人の小さな基地である。
私は「気に入ったものがあれば買おう」くらいの軽い気持ちで出かけた。

軽い気持ち、そのわりに鞄は重かった。

姉は岡山まで行ったのに何故か現地でコナンの映画を観て帰ってきた、姉弟揃って旅の計画性が無い

いつも持ち歩いているミステリーランチのバッグ。
先日岡山旅行から帰ってきた姉から貰った冠バッチをつけている。
その中には、なぜかiPad Airが入っていた。
電車で読むかもしれない穂村弘の文庫本。
岸本佐知子の文庫本。
モバイルバッテリー。
ワイヤレスイヤホン。
小銭でパンパンの財布。
絶対に使わないカメラ用の小型ライト。
筆記用具はないのにB6のメモ帳だけは入っている。

装備の思想がバラバラだった。
本を買いに行くのに、すでに本を持ち込んでいる。
しかも2冊、何をしているのか。
さらにiPad Air、何をするつもりだったのか。
現地で急にPDF校正でも始めるつもりだったのか。
物欲が災いして、妙にガジェット系YouTuberの抜き打ちカバン紹介みたいになっている。

今日本当に必要なのは余白だったはずだ。
しかし、その時の私はまだ気づいていなかった。
補給線が最初から壊滅していることに。


地図は貰っとこう。


久しぶりのゆりかもめに乗って、浮かれながらビッグサイトへ向かった。あの謎にぐるっと迂回するところは、何度乗っても楽しい。私は完全に観光客だった。
これから戦場に行く人間の顔ではなかった。

ビッグサイトに到着し、人の流れに任せて進む。
私は仕事の展示会で何度もビッグサイトへ来ている。
だから油断していた。体が勝手に「展示会の時の動線」を覚えていて、つい左手へ進んでしまった。
そして、知らないアニメイベントに着いた。

違う、明らかに違う。
慌てて引き返し看板を見る。

文学フリマは大きく右手に案内されていた。
かなり大きく。敵の奇襲ではない。
完全に私の索敵ミスだった。

行列に並び、当日券を買い、ようやく入場した。
入口付近では、会場案内の地図が配られていた。
私はそれを、受け取らなかった。
いま思えば、この時点で敗戦は決まっていたのだ。

お目当てはエッセイのコーナーだった。
しかし私は方向音痴のくせに、こういう時だけ
「地図に頼らず、ふらっと歩いた先の出会いを楽しみたい🎵」などと言い出す、最悪のロマンチストである。

とりあえず入口に近い右端から順番に見ていこう。
そう思って歩き出した瞬間、会場の空気感に私はようやく正気に戻った。

…ここは、戦場だ。
なぜ私は、ここにiPad Airを持ってきたのだ。

昔、仕事仲間とサバイバルゲームに行ったことがある。その時、私はTシャツ短パンで参加した。
周囲が迷彩服とゴーグルと電動ガンで固める中、ひとりだけ夏休みの小学生みたいな格好で立っていた。
あの時と同じ匂いがした。


ブックカバーの陰謀論

文学フリマは、想像以上に広かった。
地図を見ていないので正確にはわからない。

ただ、最初にたどり着いたのは、
おそらく詩のエリアだった。
その隣に、社会学や思想系の本が並んでいた。
その先に、ようやくエッセイの気配がある。

私は普段、noteで詩も読む。
少し湿度の高い文章も、思想の濃い文章も、
嫌いではない。むしろ好きなものも多い。

なのに、紙の本として、書き手本人が目の前にいる状態で見ると、まったく違って見えた。
noteは顔が見えないから文章に先に入っていける。
プロフィールも読めて、過去記事も読める。
この人はこういう背景で、この言葉を選んでいるのだな、と距離を測れる。

でも会場では違う。
表紙、机の並べ方、作者本人の雰囲気。
それらを一瞬で見て、「これは自分が手に取っても大丈夫な本か」を判断しなければならない。

しかも、長く試し読みすると、急にデパートの試食コーナーみたいな気持ちになる。読んだ、目が合った、何か言わなければならない気がする。買わずに去るのは、人として薄情なのではないか。
私の中で、架空の軍事裁判が始まる。

途中、ブックカバーを売っているブースがあった。
気になって近づく。すると隣に、大きく「No War」と書かれたパネルがあった。ブックカバーとは無関係のはずだが、その時の私は過剰に警戒していた。

このブックカバーは普通のブックカバーに見えて、実はどこかに隠れミッキーのようなシステムで反戦メッセージが仕込まれているのではないか。
買ったあと家で広げたら、縫い目の角度が国際情勢を批判していたりするのではないか。

そんなわけがない。
私の中でオリジナル陰謀論が次々と生成され、そこで勝手に伏せ撃ちされた。そうやって、申し訳なさと疑心暗鬼を抱えたまま、いくつものブースを通り過ぎた。

混雑もあって、なかなか前に進まない。
文学のイベントに来たはずなのに、体感としてはお化け屋敷だった。次の角で何が出てくるかわからない。
しかし出てくるのは本である、怖がっているのは私である。

そんな挙動不審な新兵にも、優しく声をかけてくれる作家さんたちがいた。

沢山いたので、その中からnote活動をされている方を少し紹介したい。


出会った作家さん達


まず、お目当てのエッセイコーナーでお会いしたのが、小林エマさんだった。


今まで見て回った中でも、特に紹介の仕方がとても上手かった。本の作りも、これが本当にzineなのかと思うほどきれいだった。
平置きではなく、スタンドまで用意されている。

どういう人に向けた本なのかも大きく印刷されていて、初めて来た私にもわかりやすい。
SNSアカウントの載った名刺もおしゃれで、ご本人の説明も丁寧だった。それまで私の中に展開されていた謎の警戒網が、お陰でそこで少し解除された。

買おうか迷った。
ただ、その時点で私は、鞄のキャパシティという現実を思い出してしまった。一周回ってからもう一度来よう。そう思ったが結果、戻れなかった。戦場で「後で戻る」は、だいたい戻れないフラグだ。
これは今回の大きな教訓である。


初めて購入したのが、川成灯さん、谷浦マサヒロさんの『作成会議』だった。


二人の作家さんによる合同誌で、20代から30代へ差しかかる時期の心境を、エッセイ、詩、対談など、いくつもの形式で見せていく一冊だった。

タイトルの通り、本そのものが会議のようだった。
zineは完成品でありながら、作っている途中の気配も残せる媒体なのだと思った。
これはかなり面白かった。
5月23日のzineフェスにも参加されるらしい。
また行ってみたい。


はなうたさんにもお会いした。


私が見つけた時には、もう後半で、完売して撤退しようかというタイミングだった。

小柄で可愛らしい雰囲気の方だったが、この文学フリマという戦場で、半日で全冊を既に売り切った猛者である。

サバンナに兎が一匹いたら、たぶんその兎はめちゃくちゃ強い兎だ。そういう感じがした。
Xで紹介されていたエッセイの一節だけでも面白く、次にお会いした時にはぜひ購入したいと思った。


かくサトウさんのブースへ行った時にも、すでに全冊完売していた。


なんなら片付けまで終わっていて、何もないブースにご本人だけが佇んでいた。最初、私は現代アートの類いかと思った。

zineの表紙の配色やレイアウトについて、かなり詳しく分析されていて、初心者の私にはとても勉強になった。さらにプロフィールに格闘技好きとあり、そこで私の中の別部隊が出動した。

さっきまでの人見知りはどこへ行ったのか。
文学フリマの会場で、なぜかブラジリアン柔術の関節技の回避方法について話してしまった。本を買いに来た人間の会話として、かなり横転している。

そんな格オタのダル絡みにも笑顔で接してくださった、気さくな好青年だった。


そして最後に出会ったのが、
kenkoulandさんだった。


短歌とエッセイのzineを販売されていて、
私が訪れた時には、もう撤退間近だった。
それでも親切に接してくださった。

私は穂村弘さんのファンでもあり、短歌が好きなので、少し読ませていただいた時点でかなり好みだった。

本当は二冊とも買いたかった。しかしその頃には、すでにいくつかzineを購入していた。鞄に入りきらない本を手持ちしていた。つまり、兵站が崩壊していた。

最初に入れてきたiPad Airが急に憎くなった。
お前がいなければ、もう一冊入ったかもしれない。
今日一日、何の役にも立っていない。
なのに場所だけは一人前に取っている。
まるで会議にだけ出てくる上司のようだ。

ガチャガチャと同じくらいの可愛いサイズ感

結局、小さな『おやすみ雛鳥』を購入した。
短くても余韻があり、とても面白かった。


まとめと教訓

フォローしてから読んだエッセイもどれもよく、次はエッセイ本も買いたいと思った。こうして振り返ると、私は文学フリマで本と戦っていたのではない。戦っていたのは、自分の準備不足で鞄の容量だった。

初対面の人に話しかける時の妙な緊張だった。
買わずに去ることへの勝手な罪悪感だった。
文学フリマは戦場だった。

ただし、敵は作家さんではない。作家さんたちは、だいたい優しかった。本当に厄介だったのは、会場のど真ん中で勝手に警戒レベルを上げていた私の自意識である。

今回学んだことは多い。
表紙は大事。
第一印象は大事。
名刺や説明文は大事。
どんな人に向けた本なのかが見えると、
初見の人間はかなり安心する。

そして何より、イベントに行く前には鞄に余白を残しておくべきである。これは比喩ではない。

次に行く時は、地図を見る。
欲しい本をメモする筆記用具を入れる。
iPad Airは置いていく。
読みかけの文庫本も置いていく。
カメラ用の小型ライトは、何を照らすつもりだったのか自分でもわからないので、当然置いていく。

そして、少しだけ空いた鞄で行く。

次に出撃する時は、せめてそのくらいの兵站は整えておきたい。臥薪嘗胆の思いで、私はこの投稿を未来の自分に残しておく。

どうせまた浮かれて忘れるだろうから。




最後に、今回の文章が気に入った方や、初めて私の記事を読んで頂いた方へ、自己紹介のエッセイを書きました。 私の人となりが伝わるように、頑張って書きましたので読んでいただけたらうれしいです。

自己紹介エッセイ

今までの弁当とエッセイをまとめた
「弁当記録」というマガジンもあります。

マガジン|弁当記録


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