AI生成物の著作権をめぐる法的状況と国際的断片化EPRSブリーフィング(2025年12月)雑感Ver2.0
0 はじめに
生成AIが「それっぽい」文章や画像を量産できるようになった瞬間、著作権法はいつもの癖を急に思い出して、世界中で同じ問いを反復しはじめた。すなわち、誰が作者なのか、どこまでが人間の創作なのか、AIは道具なのか共作者なのか、という問いである。
2025年12月、欧州議会調査局(EPRS)は「AI生成物の著作権:EUおよびその周辺におけるアプローチ」と題するブリーフィングを公表した。このブリーフィングは、EUにおける議論の現在地を確認するとともに、米国、英国、中国、さらにはウクライナといった多様な法域における法的対応の現状を概観し、その断片化された状況を浮き彫りにしている。問いがEU域内でも域外でも、結局は「人間中心」という重力に引かれつつ、例外的な法技術で揺れ動いていることを手際よく整理したものである。
今回は、このEPRSブリーフィングに基づき、EUと比較法の観点から、AI生成物の著作権という、いま一番「定義の取り合い」が起きている領域を雑感としてまとめる。
1 問題の所在
EPRSが示す出発点は明確である。生成AIの普及は、著作権法上の著作物性と著作者、そして人間の創造性という前提に世界的な揺さぶりをかけた。この揺さぶりは、単なる学説上の上品な論争ではなく、クリエイターが自作をコントロールし収益化できるか、さらに革新技術を使うインセンティブがどう変わるか、という市場の骨格に直結する。
ここには鋭い対立構造が存在する。一方において、作家、音楽家、視聴覚作家などの伝統的なクリエイター層は、人間の関与や著作者性を欠く純粋なAI生成物に対して完全な著作権を認めることに強く反対している。そのような保護は、人間の生計手段の価値を毀損し、ただでさえ強大な巨大テクノロジー企業の支配力をさらに強めることにつながりかねないからである。他方で、AIツールを補助的に用いて作品を研磨し、あるいは準備する現代のアーティストや企業にとっては、その成果物に対して著作権を主張できることは望ましいはずである。
ただ、著作権法は(少なくとも欧州大陸法系の感覚では)創作と人格的表現という磁性を強く帯びており、そこへ統計的生成という異物が混入すると、議論の焦点は必然的に「人間がどれだけ関与したか」という量と質の測定に寄っていく。EPRSも、純粋にAIだけで出力されたものに全面的な著作権を認めることへの反発と、AIを補助線として使う創作をどう評価するか、という二層の緊張を描く。
ここで肝心なのは、著作権が出力そのものだけでなく、創作過程の可視性や関与の証明可能性にも負荷をかけはじめる点である。AIを介した制作では、プロンプト、反復生成、選別、パラメータ調整、編集、配置など、工程が細かく分解される。その結果、法が問う創作性は、作品の表現の中身だけでなく、工程のどこに自由で創造的な選択があったかへと移動する。EUでも米国でも、議論が自然にこの方向へ収束していくのは、むしろ当然である。
2 EUの現在地
2.1 EU法は沈黙しているが、沈黙の仕方に癖がある
EPRSがまず指摘するのは、EUにはAI出力の著作権に関する統一的な明文ルールが現時点で存在しないという点である。さらに、AIが著作者になり得るか、人間著作者がAIをどこまで使えるか(許容されるAI使用の程度)についても、EUレベルのルールは定立していない。AI法もこの点については実体的には沈黙し、汎用AIモデル提供者に対して著作権・関連権へのコンプライアンス方針の整備を求めるにとどまる。
だが、この沈黙は真空ではない。EPRSは、EU著作権ドクトリンが一般に著作者概念を人間の創造性に根づけていること、そしてCJEU判例の原創性、すなわち著作者自身の知的創作という枠組みが、自由で創造的な選択や個人的なタッチ、著作者の人格の反映を要求してきたことを確認する。この線からすると、ほぼ人間の介在がない純粋AI生成物が著作権保護に到達しにくいことは、かなり見通しがよい。問題はむしろ、専門的クリエイターがAIを使って制作した場合に、どの程度・どの性質の人間関与が最終表現に要請されるのかが不明確であり、法的不確実性が残る点にある。
2.2 加盟国・欧州議会の動向
加盟国レベルでも、相当程度の人間入力が必要だという一般的見解が共有されていることが紹介される。イタリアが2025年10月に、AIツールの助けを借りて作られた人間の創意工夫による作品について、著作者の知的作業の成果である限り著作権が及ぶ旨を明確化した動きが目を引く。また、チェコの市裁判所が2023年に、画像生成プロンプトを入力しただけでは通常著作者性にならないと判断したことも示される。
欧州議会もまた、人間中心アプローチを採り、AI支援による作品と純粋AI生成による作品を区別しつつ、AIツール使用作品への知財権適用について追加分析を求めてきた。さらに2025年6月のアクセル・フォス議員による自己発議報告書案は、AI生成コンテンツは著作権保護の対象外であるべきだと主張し、国際的規制の不整合リスクにも言及したとされる。このあたりの方向性は、EUが著作権を人間の創造性に繋ぎ止めるという直観を捨てていないことを示す。
3 域外比較
3.1 米国 人間中心を登録実務で徹底する
EPRSが描く米国像は一貫している。人間中心アプローチが強く、AI生成物にもその原理を適用する。1989年の最高裁判決の趣旨、2025年3月の連邦控訴裁判所による確認、米国著作権局の2023年ガイダンスおよび2025年報告の整理がその証左である。とりわけ「プロンプトだけでは、出力を著作者のものと言えるほどの人間によるコントロールが足りない」という結論は、実務的に効く。他方で、人間がAI生成物を十分に創造的に選択・配置した場合には、人間が創作した部分に著作権が及び得るという部分保護の道を残す。『Zarya of the Dawn』事案で、画像そのものは否定されつつ、テキストと画像配置は認められたという紹介は、その象徴である。
3.2 コモンローの妙技 著作者不在を言いながら、人間に帰属させる
英国、ニュージーランド、香港(およびアイルランド)は、コンピュータ生成著作物を明文で認めつつ、人間の著作者がいないと定義する場面がある。ところが同時に、著作者を作成に必要な手配を行った者に割り当てる。ここには、概念上のねじれがある。すなわち著作者なしと言いながら、結局は人間へ帰属させるのである。EPRSも、この規律がAI生成コンテンツに裁判所で本格適用されたわけではなく、英国知的財産庁が見直し・協議を進めている段階にあることを示す。
bこの構造は、実は現代の生成AIの実務に近い。生成AIの利用者は手配をしている(プロンプト設計、反復、選別、編集、納品)が、どの時点でその手配が創作になるかは揺れる。コモンローは、創作性の哲学を語る代わりに帰属先を決める技術で問題を処理しがちである。その長所は予見可能性であり、短所は(EU的感覚からすると)創作と人格の筋を曲げてしまう点にある。
3.3 中国 プロンプトと編集に労力を読み込むが、線引きは揺れる
中国についてEPRSは、裁判所が比較的早期からAI出力に向き合い、人間関与の程度について判断が割れていることを示す。北京インターネット法院(2023年)は、150以上のプロンプトからの選択と、その後の編集が個別化された人間表現として十分な知的成果であるとして、AI生成画像に著作権保護を認めたとされる。他方で、張家港の裁判所による判決は、より高い閾値を設定した。同裁判所は、問題となった画像やプロンプトには十分に独創的な著作者性が欠如しているとして、著作権性を否定した。プロンプトの追加やパラメータの変更によって元の画像を調整・選択・装飾し、意図的かつ個別化された選択と実質的な知的投入を実証できる検証可能な創作プロセスの必要性が強調された。
ここで興味深いのは、中国の議論が創作性という概念の抽象論に寄るよりも、人間の労力(選択・編集・管理)を通じて著作者性を構成しようとする点である。EU流の自由で創造的な選択と似ているようでいて、評価軸が人格より工程と投入に傾きやすい。
4 『Suryast』事例と国際的矛盾
『Suryast』は、同一(あるいは同種)のAI支援作品が各国でどう扱われるかを露骨に可視化したテストケースとして扱われる。フィンセント・ファン・ゴッホの『星月夜』と写真をブレンドしたAI生成作品である。
インドでは2020年にAIツールが共同著作者として登録されたが、後にAIツールの法的地位を理由に撤回通知が出された一方、登録簿上は掲載が続いているようだとされる。カナダでも2021年にAIツールを共同著作者として登録がなされ、しかも登録審査が自動化され個別評価が行われないため不確実性が強い、さらに連邦裁判所で争われているという。米国では逆に、十分な人間の創造性が欠けるとして登録が否定された。
同一の素材に対して、制度(登録審査の設計を含む)が異なるだけで結果が割れる。これは国際ライセンスや越境的流通にとって、かなり面倒な未来を示唆する。EPRSが国際的な調整の必要性を示すのは、この結果の分岐がそのまま取引コストになるからである。
5 ウクライナのスイ・ジェネリス権
著作権か保護なしかという二択を避けるための中道的なアプローチとして注目されるのが、ウクライナの事例である。ウクライナのスイ・ジェネリス権は、著作権(人間創作部分)と、AI生成画像に対する代替的保護を並走させる設計である。権利帰属をプログラム作者・承継人・譲受人・適法利用者に広く認めうる文言で、技術中立性を確保しようとする。
他方で、EPRSは、こうした権利がEU加盟国の多数には否定されてきたこと、また欧州議会法務委員会の委託研究が競争環境や文化・創造産業への影響を理由にスイ・ジェネリス権に否定的である旨を紹介する。自動化システムに市場支配力を与え、人間作品の価値を毀損し得るという懸念である。
6 人間関与をどう測るか
この領域の議論は、しばしば「良いプロンプトを書けば著作者だ」というプロンプト神話と、「AIは全部機械だから人間は無関係」というゼロ関与神話の間で振り子運動をする。EPRSが示す各法域の整理は、その両極を冷ややかに否定する。米国著作権局がプロンプトだけでは足りないと言い切りつつ、選択・配置などの人間的創作を評価するのは、その好例である。
EU的に言えば、焦点は最終表現が自然人の自由で創造的な選択の結果であるかに移る。そのため、今後の実務は(立法が追いつくまでの間)次の方向へ進む蓋然性が高い。
第一に、制作工程のログ化・文書化である。プロンプトの版管理、生成回数、採用・棄却の理由、編集工程、素材の出所、最終表現に対する人間の決定点を残すことが、権利主張や紛争対応のインフラになる。中国の裁判例の議論が、検証可能な創作過程や調整・選択・装飾の立証を求める方向を示すのは、この未来を先取りしている。
第二に、作品より作品群(キュレーション)へ創作性が移る可能性である。AI生成画像単体は薄くても、選択・配列・テキストとの結合・ストーリー設計など、編集著作物的な要素で保護を確保する発想が強まる。『Zarya of the Dawn』の扱いは、その帰結を端的に示す。
7 コピーフラウドの問題
EPRSが指摘するもう一つの問題は、いわゆるコピーフラウドである。AIの使用レベルを検出することが技術的に困難になるにつれ、実際にはAIが生成したものであるにもかかわらず、人間が創作したと偽って著作権保護を主張する事例が増加する恐れがある。逆に、主要なAIツール(GeminiやChatGPT等)が規約で権利を放棄している現状においても、ユーザーがそれを自作として権利主張する誘因は強い。
これに対処するためには、創作プロセスの透明化や文書化、あるいは新たな表示要件の導入が必要となるだろう。知的財産権執行指令における著作者の推定規定を見直す必要性も生じてくるかもしれない。
8 おわりに
EPRSの整理が示すのは、AI生成物の著作権が「AIをどう規制するか」という問いではなく、「著作権が何を守る制度なのか」という自己理解の問いに回収されていく、ということである。EUは、人間中心・原創性の枠組みを維持しつつ、AI支援制作における人間関与の評価基準を詰める方向へ進むだろう。
AI生成物の著作権をめぐる混乱の核心は、著作権が表現の保護であると同時に、創作主体(自然人)を社会的に名指す制度でもあるという二重性にある。前者だけなら、帰属先を便宜的に決めればよい(コモンロー型)。後者を重視すると、人格・自由意思・創造性といった概念が逃げ場を失う(EU型)。そして生成AIは、この二重性を、工程の分解によって露骨化させた。結果として、各国は保護するか否かという二値ではなく、どの工程・どの部分・どの設計思想を保護するかという多値の設計に追い込まれている。ウクライナのスイ・ジェネリス権は、その多値化の一類型にすぎない。
その過程で、プロンプトの魔術化でも、AIの悪魔化でもなく、創作工程の証明可能性(説明責任)という、地味で強い方向へ実務が寄っていくはずである。世界知的所有権機関も法的不確実性を警告し、執行や越境ライセンスに複雑性が生じる点を指摘している。EU内部でも、今後の政策スケジュール(文化・創造産業向けAI戦略、DSM著作権指令のレビュー等)が示唆されている。
(参考)AIと著作権まとめ
参考資料
Sofia Karttunen, "Copyright of AI-generated works: Approaches in the EU and beyond," European Parliamentary Research Service (EPRS), Briefing, PE 782.585, 19 December 2025.
https://www.europarl.europa.eu/thinktank/en/document/EPRS_BRI(2025)782585
(マガジン)「AIと法-雑感」
※目次は以下を参照
note総則規約3条2項前段
3.2 クリエイターが制作したデジタルコンテンツの著作権は、クリエイターに帰属します。
