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AI政策・法・規制の実装と「計算資源」の地政学 / UNDP・ACSH報告書『Global Approaches to AI Governance』を読む雑感


0 はじめに

 2023年の生成AIブーム以降、AIガバナンスを巡る議論は急速にそのフェーズを変えている。かつてはOECDのAI原則(2019年)に代表されるような、抽象的な「倫理」や「原則」の策定が主眼であったが、2024年から2025年にかけては、それらをいかに各国の法制度や行政実務に「実装(Implementation)」するかという段階へ移行したことは疑いない。
 この潮流の中で、欧米中心の視点だけでなく、グローバル・サウスや新興国がどのような戦略を描いているかを知ることは、AIガバナンスの全体像を把握する上で極めて重要である。

 2025年、国連開発計画(UNDP)およびアスタナ公務員ハブ(ACSH)は、韓国行政安全部(MOIS)と韓国情報化振興院(NIA)とのパートナーシップの下、包括的な報告書『GLOBAL APPROACHES TO AI GOVERNANCE: POLICY, LEGAL, AND REGULATORY PERSPECTIVES』(以下「本報告書」という)を公表した。本報告書は、AIガバナンスにおける政策、法、規制、そして倫理的側面に焦点を当て、カナダ、韓国、英国といった先進国(ベンチマーク国)に加え、カザフスタン、フィリピン、その他中央アジア諸国(プロジェクト対象国)における最新の動向を包括的に調査・分析したものである。
 今回は、この100ページを超える報告書が提示する多角的な視座を足掛かりに、グローバルなAI規制の潮流、インフラストラクチャーとガバナンスの交錯、そして新興国における「ソブリンAI」の追求について考察を加える。

1 問題の所在:原則から実践へのギャップと「ペーシング問題」

 AIガバナンスにおける最大かつ古典的な課題は、「ペーシング問題(Pacing Problem)」である。報告書も指摘するように、AI技術は指数関数的に進化し、生成AIの登場によってその速度はさらに加速している。対して、法制度の改正や新たな規制枠組みの構築には、民主的なプロセスを経るがゆえの時間を要する。このタイムラグは、規制の空白を生み出し、予測不可能なリスクを社会にもたらす可能性がある。

 また、2019年のOECD AI原則の採択以降、世界中で数多くのガイドラインが策定されたが、それらが現場レベルで実効性のあるメカニズムとして機能しているかについては、依然として課題が残る。報告書は、現在のフェーズを「原則から実践へ(from principles to practice)」の移行期と位置づけ、各国がいかにして抽象的な価値(公平性、透明性、説明責任等)を、具体的な法的義務や技術的標準、あるいは行政手続きに変換しようとしているかを分析している。
 ここで浮き彫りになるのは、AIガバナンスが単なる「規制(Regulation)」の問題にとどまらず、「能力構築(Capacity Building)」や「インフラ整備(Infrastructure)」の問題と不可分に結びついているという事実である。法規制を作っても、それを執行する規制当局の専門性や、国内でAIを開発・検証するための計算資源(Compute)がなければ、実効的なガバナンスは成立しない。特に開発途上国においては、この「ガバナンス・ギャップ」がデジタル・デバイドをさらに拡大させる要因となり得る。

2 国際的な規範形成と断片化のリスク

 各国の個別事例を見る前に、報告書が整理する国際的な規範形成の重層構造を確認しておきたい。
 まず、国連(UN)の役割が拡大している。国連事務総長の「AIに関するハイレベル諮問委員会(HLAB-AI)」による提言『Governing AI for Humanity』や、2024年の未来サミットで採択された「グローバル・デジタル・コンパクト(GDC)」は、AIガバナンスにおける「世界的な空白」を埋め、包括的かつ人権ベースのアプローチを確立しようとする試みである。報告書は、これらがAI開発における公平なアクセスや、グローバル・サウスの利益を代弁する重要なプラットフォームになっていると評価する。特にHLAB-AIは、科学的合意形成のための「国際科学パネル」や、計算資源へのアクセス格差を是正する「グローバルAI基金」の創設を提言しており、ガバナンスの物質的基盤(Materiality)に踏み込んでいる点が注目される。

(参考)人権分野

 一方で、地域レベルではアプローチの二極化、あるいは多様化が見られる。EUのAI法(AI Act)は、リスクベース・アプローチを採用した世界初の包括的な「ハードロー」として、禁止されるAIや高リスクAIへの厳格な義務を定めた。これに対し、ASEANの「AIガバナンスおよび倫理ガイドライン」は、各加盟国の発展段階の差異を考慮し、イノベーションを阻害しないための柔軟な「ソフトロー」アプローチを採用している。
 報告書は、こうした地域ごとのアプローチの違いを、それぞれの社会的・経済的文脈に根差した合理的な選択として捉えつつも、結果として生じる規制の「断片化(Fragmentation)」に対する懸念も示している。企業や開発者が国境を越えて活動するためには、異なる規制体系間での「相互運用性(Interoperability)」の確保が不可欠であり、米欧間の貿易技術評議会(TTC)やOECD、GPAIといった枠組みがその調整機能を担いつつある。

3 ベンチマーク国のガバナンスモデル:三つの潮流

 報告書では、AIガバナンスの成熟モデルとして、カナダ、韓国、英国の事例が詳細に分析されている。これら三国の共通項と相違点は、日本の法政策を考える上でも示唆に富む。

3.1 カナダ:研究主導のエコシステムと公共部門の透明性

 カナダは2017年に世界初の国家AI戦略(Pan-Canadian AI Strategy)を策定したパイオニアである。報告書によれば、カナダの特徴は、CIFAR(カナダ先端研究機構)を中心とした研究主導のエコシステムと、連邦政府による公共部門ガバナンスの徹底にある。
 法的には、包括的な「人工知能データ法案(AIDA)」の議論が進められてきたが、報告書によれば2025年初頭に廃案(lapsed)となったとされる。しかし、それ以前から「自動意思決定指令(Directive on Automated Decision-Making)」という強力な運用ルールを行政機関に適用している点が興味深い。これは、連邦政府がAIシステムを導入する際に「アルゴリズム影響評価(AIA)」を義務付けるものであり、リスクレベルに応じて人間による介入やソースコードの開示等を求める。報告書によれば、2025年時点で29の連邦AIシステムがこの評価を受け、その結果が公開されている。
 包括的なハードローの成立を待たずとも、行政内部の規定によって実質的なガバナンスを先行させ、透明性を担保するこの手法は、アジャイルなガバナンスの一例と言える。また、2024年には「AI安全研究所(CAISI)」を設立し、CIFARと連携しながら安全性研究を進めている。

3.2 韓国:国家主導の産業振興とハードローへの転換

 本報告書のパートナー機関の母国である韓国の事例は、そのスピード感と包括性において際立っている。韓国は「AI G3(世界3大AI強国)」を目指し、2019年の国家AI戦略以降、矢継ぎ早に政策を展開している。
 特筆すべきは、2024年から2025年にかけての「AI基本法(Framework Act on AI)」制定の動きである。これはEU AI法に次ぐ包括的な法律とされ、2026年1月の施行が予定されている。同法は、高リスクAIの定義や事業者の義務、利用者への通知義務などを明文化する一方で、産業振興とのバランスを重視している。また、大統領直属の「国家AI委員会」を司令塔とし、官民一体となってAI政策を推進している。
 韓国のアプローチで興味深いのは、規制と産業振興が密接にリンクしている点である。「AI半導体イニシアティブ」や「World Best LLMプロジェクト」など、ハードウェアや基盤モデルの国産化(K-Cloud)に向けた投資が、ガバナンス戦略の一部として組み込まれている。また、ICT規制サンドボックスを積極的に活用し、既存の規制がAI新サービスの障壁となる場合に一時的な免除を与えるなど、「アジャイル規制」を実践している点も、技術進化への適応策として参考になる。

3.3 英国:プロ・イノベーションと安全性評価への特化

 英国は、EUのような単一の包括的規制機関を設けず、既存の規制当局(CMA, ICO, Ofcom等)がそれぞれの所管領域でAI原則を適用する「コンテキスト・ベース」かつ「プロ・イノベーション」のアプローチを採用している。
 しかし、報告書が指摘するように、英国もまた「AI安全研究所(AISI)」を世界に先駆けて設立し、最先端モデル(Frontier AI)の安全性評価においてリーダーシップを発揮しようとしている。法的な拘束力を持つ規制の導入には慎重でありつつも、安全性評価の技術的標準化を通じて実質的な影響力を行使しようとする戦略は、コモン・ローの国らしいプラグマティックなアプローチと言えるだろう。また、Isambard-AIやDawnといったスーパーコンピュータへの投資により、ソブリンな計算能力の確保にも余念がない。

4 新興国における挑戦:インフラとしてのガバナンスとソブリンAI

 本報告書の独自性は、カザフスタンやフィリピン、そして中央アジア諸国といった「プロジェクト対象国」の動向を詳述している点にある。これらの国々は、AIガバナンスを単なる規制の問題ではなく、国家のデジタル主権確立の問題として捉え、独自のアプローチを模索している。

4.1 カザフスタン:法整備と計算資源の確保

 カザフスタンは、中央アジアにおけるAIハブを目指し、極めて野心的な取り組みを見せている。報告書によれば、同国は「AIおよびイノベーション開発委員会」を設立し、EU AI法を参照した「AI法案」の策定を進めている。
 特筆すべき実装事例として「デジタル・ファミリー・カード(DFC)」が挙げられる。これは、AIが100以上の社会経済指標に基づき市民の脆弱性を評価し、申請を待たずに社会保障給付の受給資格を自動判定・通知するシステムであり、ガブテック(GovTech)の成功例として国際的にも評価されている。
 さらに重要なのは、カザフスタンが「インフラ主権」を重視している点である。報告書では、国営のスーパーコンピュータ「Alemcloud」(FP8精度で2エクサフロップス相当とされる)の構築や、カザフ語LLM(KazLLM)の開発、国立AIプラットフォーム(NAIP)の整備が進められていることが報告されている。これは、AIの「頭脳」となる計算資源やモデルを外国企業に依存せず自国で保持しようとする「ソブリンAI」の追求であり、法規制の実効性を担保するための物理的基盤作りとも解釈できる。

4.2 フィリピン:分散型ガバナンスと実用重視

 フィリピンは、BPO産業の集積地としての背景から、AIによる労働市場への影響に敏感であり、AI準備指数でも一定の評価を得ている。しかし、報告書は、貿易産業省(DTI)、科学技術省(DOST)、情報通信技術省(DICT)などが個別に戦略を策定しており、強力な司令塔機関が不在であることによる「サイロ化」の問題を指摘している。
 包括的なAI法は未制定であり、現在は国家AI戦略(NAISR 2.0)に基づく産業界での活用促進や人材育成に重点が置かれている。一方で、デング熱の流行予測を行う「Project AEDES」や、司法における文字起こし支援など、現場レベルでの具体的な社会課題解決に向けたAI実装が先行している点は興味深い。フィリピンの事例は、包括的な法制度がなくとも、セクターごとのニーズに応じたボトムアップの実装が可能であることを示しているが、長期的には統一的なガバナンス枠組みが必要となるだろう。

4.3 その他の中央アジア諸国:言語モデルと法典化

 報告書は、キルギス、ウズベキスタン、タジキスタン等の動向もカバーしている。
 キルギス共和国は2025年に「デジタル法典(Digital Code)」を採択し、AIシステムの定義やリスクベースの規制枠組みを法制化した点で先駆的である。また、キルギス語AIアシスタント「AkylAI」の開発など、言語的自立性の確保にも動いている。
 ウズベキスタンは「AI戦略2030」を策定し、規制サンドボックスの導入や、MyID(生体認証システム)の活用など、デジタル政府基盤とAIの統合を進めている。タジキスタンでも「SoroLLM」というタジク語LLMの開発が進められている。
 これらの国々に共通するのは、AIを経済発展の起爆剤と捉えつつも、データセットの不足(特に現地語データ)や専門人材の流出、計算資源の欠如といった構造的な課題に直面している点である。報告書は、これらの課題に対し、地域間協力や国際機関によるキャパシティ・ビルディングが不可欠であると結論づけている。

5 計算資源とデータ主権:新たなガバナンスの地平

 報告書全体を通じて浮かび上がる重要な視点は、AIガバナンスが「ルールの制定」から「インフラの整備」へとその重心を広げているという事実である。

 AIモデル、特にLLMの開発・運用には莫大な計算資源(Compute)と高品質なデータが不可欠である。報告書では、カナダや英国がソブリン・クラウドや国立データ図書館の構築に巨額の投資を行っていること、韓国がAI半導体の国産化を進めていること、そしてカザフスタンでさえもスーパーコンピュータの構築に注力していることが強調されている。
 これは、法学的な観点からは「アーキテクチャによる規制(Regulation by Architecture)」の変種と捉えることも可能であろう。国家が計算資源や基盤モデルというアーキテクチャを管理・提供することで、その上で動作するAIアプリケーションの安全性や倫理性(バイアスの排除や現地語への対応)を間接的にコントロールしようとする試みである。
 裏を返せば、自前のインフラを持たない国は、外国のAIモデルやクラウドベンダーの定める規約(Terms of Service)にガバナンスを依存せざるを得ない。「ソブリンAI」の確保は、単なる産業政策ではなく、法的なガバナンスの実効性を担保するための前提条件となりつつある。

6 結びに代えて

 UNDP・ACSH報告書は、AIガバナンスが抽象的な倫理議論の段階を脱し、具体的な法制度設計、そして計算インフラへの投資競争のフェーズにあることを鮮明に描き出している。

 欧米の先進国がリスクベース規制や安全性評価の標準化を主導する一方で、新興国はインフラ整備と実用的なユースケースの創出を通じて、自国の文脈に即したガバナンスを模索している。そこには「ワンサイズ・フィッツ・オール(万能な解決策)」は存在しない。
 しかし、共通する方向性も見出せる。それは、AIのリスクを管理しつつ、その便益を最大化するために、政府が「放任」でも「過剰規制」でもない、適切な介入点を模索し、法規制とインフラ整備をセットで進める「エコシステムとしてのガバナンス」を志向している点である。

 日本においても、人工知能基本計画・人工知能関連技術の研究開発及び活用の適正性確保に関する指針の検討が進められているが、本報告書が示す世界の多様なアプローチ、特に、韓国のアジャイルな法整備や、カザフスタンのインフラ主導型モデル、そして各国の計算資源への戦略的投資――は、重要な参照点となるはずである。AIと法を巡る議論は、条文の中だけでなく、データセンターのサーバーラックや、現場のエンジニアと公務員の対話の中にこそ存在していることを、本報告書は改めて教えてくれる。

参考資料
Astana Civil Service Hub (ACSH), Global approaches to AI Governance: Policy, Legal, and Regulatory Perspectives (Astana: United Nations Development Programme 2025).
OECD, Recommendation of the Council on Artificial Intelligence (OECD/LEGAL/0449) (22 May 2019) (https://legalinstruments.oecd.org/en/instruments/oecd-legal-0449, 2026年1月9日最終閲覧).
United Nations, Governing AI for Humanity: Final Report (High-level Advisory Body on Artificial Intelligence 2024) (https://www.un.org/sites/un2.un.org/files/governing_ai_for_humanity_final_report_en.pdf, 2026年1月9日最終閲覧).
United Nations, Global Digital Compact (22 September 2024) (https://www.un.org/en/summit-of-the-future/global-digital-compact, 2026年1月9日最終閲覧).
Regulation (EU) 2024/1689 of the European Parliament and of the Council of 13 June 2024 laying down harmonised rules on artificial intelligence (Artificial Intelligence Act), OJ L, 2024/1689, 12.7.2024.

(マガジン)「AIと法-雑感」

 ※目次は以下を参照

note総則規約3条2項前段
3.2 クリエイターが制作したデジタルコンテンツの著作権は、クリエイターに帰属します。

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