慰霊の日に、自立と共生を思う― 沖縄に暮らす者として、今日という日に手を合わせる ―
ハイサイ。
ととのえ職人、五木田穣です。
このnoteでは、心と体と思考のズレをやさしくととのえる話を、日々書いています。
6月23日。
沖縄にとって、とても大切な日です。
慰霊の日。
沖縄戦で亡くなられた方々を悼み、
平和を祈る日。
沖縄に暮らしていると、
この日をただの一日として通り過ぎることはできません。
私は、沖縄で生まれ育った人間ではありません。
だから、沖縄の痛みを、
自分のもののように語ることはできません。
わかったように書くこともできません。
けれど、
今、沖縄に暮らしている者として、
今日という日に何も書かないということはできません。
観光地としての沖縄だけではなく、
美しい海や空だけではなく、
沖縄の歴史にも触れたい。
この土地に残る祈りや記憶に、
静かに手を合わせたい。
今日は、そんな気持ちを書いていきます。
美しい沖縄の奥にあるもの
沖縄に来てから、
何度もこの土地の美しさに癒されてきました。
海の色。
空の広さ。
風のやわらかさ。
緑豊かな自然。
湿度を含んだ空気。
太陽の光。
今では日常となりましたが、
私の心と体を、
何度もゆるめてくれています。
でも、沖縄は、
ただ明るく、美しい場所ではありません。
沖縄で暮らしている者として、
移住者の一人として、
伝えていきたい。
沖縄という土地には、
深い祈りがあります。
言葉にしきれない記憶があります。
静かに手を合わせる場所があります。
美しい景色の奥に、
失われた命がある。
今の暮らしの奥に、
戻ることのできなかった日常がある。
笑い声の奥に、
涙の歴史がある。
それを、忘れずにいること。
それを、伝えていくこと。
それが、
沖縄に暮らす者として、
先人たちへ、またウチナンチュへの敬意だと思っています。
慰霊の日は、立ち止まる日
私たちの暮らしは、
日々、流れていきます。
仕事がある。
予定がある。
やることがある。
考えることがある。
人と会うことがある。
毎日は、
気づけばいつもの速度で進んでいきます。
でも、
6月23日は、沖縄全体が立ち止まる日。
学校や公的機関はお休みになり、
島全体で祈りを捧げる日。
ただ、
静かに手を合わせる。
言葉にしきれない想いを胸に。
今、自分がここに生きていること。
今日もごはんを食べられること。
安心して眠れる場所があること。
大切な人を思えること。
自分の言葉で、
自分の考えを書けること。
それらは、
決して当たり前なことではありません。
とても、とても、
有り難いことなんだと実感します。
慰霊の日は、
失われた命を悼む日であると同時に、
今ある暮らしの尊さを、思い出す日でもあると感じています。
平和は、大きな言葉だけでは守れない
平和という言葉は、
とても大きな言葉のように感じます。
大切な言葉でありながら、
大きすぎて、
どこか遠くに感じてしまうこともあります。
でも、
世界の平和は、言葉だけで守るものではなく、
私たち一人一人の意識と行動で守るものだと思います。
戦争を二度と繰り返さないこと。
命を奪い合わないこと。
武力で支配しないこと。
それは、絶対に大切です。
でも、
平和というものは、日々の暮らしの中にもあります。
誰かを急がせないこと。
誰かを支配しようとしないこと。
違う考えを、すぐに敵にしないこと。
相手の背景を見ようとすること。
自分の正しさだけで、
人を押し切らないこと。
身近な人との関係の中で、
奪い合うのではなく、
支え合うこと。
自分の心と体と思考のズレに気づき、
そのズレを誰かにぶつける前に、
少し立ち止まること。
そういう小さな選択の積み重ねが、
私たち一人一人の日々の何気ない行動と意識が、
平和につながっているのではないかと思います。
平和というものは、
遠い場所にある理想の話ではなく、
私たち一人一人の在り方の中にある。
そう思います。
自立と共生
私が大切にしている言葉に、
自立と共生があります。
自立とは、
誰にも頼らず、一人で生きることではありません。
全部を、自分だけで背負うことでもありません。
自分のいのちを、
自分のものとして引き受けること。
自分の足元を見つめること。
自分の心と体と思考を、
できる範囲でととのえていくこと。
自分の人生を、
自分の頭と心と足で歩いていこうとすること。
それが、自立というもの。
そして、共生とは、
誰かに依存することではなく、
互いの違いを尊重しながら、
必要な時には、支え合って生きること。
自分を大切にできるから、
他者も大切にできる。
自分の足で立とうとするから、
誰かと手を取り合うことができる。
自分の弱さを知っているから、
誰かの弱さにもやさしくなれる。
自分一人では足りないことを知っているから、
補い合うことができる。
共に、この世界を、生きていく。
共に、助け合い、支え合い、生きていく。
それが、共生というもの。
慰霊の日に思う平和も、
私にとっては、
この自立と共生という想いが、切り離せません。
戦争は、命を奪います。
そして、
人が、自分の人生を自分で生きる力も奪います。
暮らしを奪い、
家族を奪い、
言葉を奪い、
選択を奪い、
その人がその人として生きる時間を奪います。
平和とは、
ただ争いがないことだけではなく、
一人ひとりが自分の命を生きられること。
そして、
互いの命を尊重し合えること。
それぞれが自分の足で立ちながら、
必要な時には支え合い、
奪い合うのではなく、分かち合うこと。
慰霊の日は、
そんなことを、私は思います。
ととのえることは、平和と無関係ではない
私が言う、ととのえるは、
自分だけをととのえることではありません。
もちろん、
まずは、自分の心と体と思考をととのえることが大切です。
自分が疲れきっている時、
余裕がなくなっている時、
不安や怒りでいっぱいになっている時、
私たちは、目の前の人を丁寧に見ることが難しくなります。
相手の言葉を、
攻撃のように受け取ってしまうことがあります。
自分の正しさで、
相手を押し込めてしまうことがあります。
本当は大切にしたい人を、
傷つけてしまうことがあります。
だから、
自分をととのえることは、
自分だけのためではありません。
自分が少し落ち着くことで、
身近な関係が少し穏やかになる。
自分が少し立ち止まることで、
誰かを急がせずに済む。
自分の中の怒りや不安に気づくことで、
それをそのまま誰かにぶつけずに済む。
自分の心と体と思考のズレに気づくことで、
相手との関係のズレにも、
少しやさしく向き合えるようになる。
その小さな穏やかさは、
とても小さいものかもしれません。
でも、
小さな穏やかさの積み重ねが、
暮らしをつくります。
その暮らしの積み重ねが、
社会をつくります。
その社会の在り方が、
未来をつくります。
そう考えていくと、
ととのえることは、
決して、平和と無関係ではありません。
私たち一人一人が、
心の平穏を持ち、
日々を過ごしてくこと、
関係性を築いていくこと、
社会を生きていくこと、
それが、平和というものを築いていくと
私は考えています。
祈りを、特別な日だけで終わらせない
慰霊の日には、祈ります。
そっと、手を合わせます。
戦争で失われた命に、
静かに、想いを向けます。
でも、
祈りは、この日だけで終わらせてはいけないと思います。
今日、手を合わせたあとに、
明日からどう生きるのか。
身近な人と、
どう関わっていくのか。
自分の言葉を、
どう使っていくのか。
違う意見を持つ人と、
どう向き合っていくのか。
自分の不安や怒りを、
どう扱っていくのか。
誰かを支配せず、
誰かに依存しすぎず、
互いに尊重し合う関係を、
どう育てていくのか。
祈ることは、
過去に手を合わせること。
そして同時に、
未来に対して、
今の自分の在り方を問い直すこと。
今日という日を、
ただ悲しむだけでなく、
今をどう生きるかに戻していくこと。
特別な日に祈るだけでなく、
日々の中で、そっと手を合わせて、祈ること。
過去と向き合い、
今と向き合い、
未来と向き合うこと。
それが、祈るということ。
祈りを日常に。
「祈り」とは「意宣り」でもある。
自分の意思を、想いを、宣る。
宣言する。言葉にして、行動していく。
沖縄に暮らす者として
私は、沖縄の地に生まれたわけではありません。
だから、
沖縄の歴史や痛みを、
自分の言葉だけで語りきることはできません。
語れないことがあります。
わからないことがあります。
簡単に言葉にしてはいけないことがあると思います。
だからこそ、
沖縄の本を読み、沖縄の人の話を聴き、
実際の場所も訪れるようにしてきました。
そして、
手を合わせること。
敬意を持って暮らすこと。
この土地に住まわせてもらっているという感覚を、
忘れないこと。
そういう気持ちを持って、日々過ごしています。
沖縄の海を見る時。
沖縄の空を見る時。
神社や御嶽に手を合わせる時。
雨上がりの道を歩く時。
市場で人の声を聞く時。
普段の何気ない
日々の暮らしの中にも、
この土地の記憶は流れています。
その記憶を、
全部わかった気にならず、
でも無関心にもならず、
静かに受け取っていきたい。
そして、少しでも伝えていきたい。
沖縄に暮らす者として、
そんなふうに思います。
今日、静かに手を合わせる
思っていること、感じていること、考えていること、
たくさん、あります。
でも、今日は、
大きなことを書く日ではなく、
強い言葉で語る日でもなく、
ただ、
静かに手を合わせる。
亡くなられた方々を想う。
今ある命を想う。
沖縄に暮らせていることを想う。
自分が今日、
どんな言葉を使うのかを想う。
どんな在り方で人と関わるのかを想う。
自立と共生。
それぞれが自分の命を生き、
互いの命を尊重し合うこと。
ととのえること。
自分の心と体と思考を見つめ、
身近な関係から少しずつ穏やかさを取り戻していくこと。
慰霊の日に、先人たちの尊い犠牲に感謝をし、
私は、自分ができること、やるべきことを想います。
戦争で亡くなられたすべての方々に、
心より哀悼の意を捧げます。
そして、
今を生きる一人として、
今日の暮らしの中で、
平和につながる小さな選択を重ねていきたいと思います。
祈りを、
特別な日だけで終わらせないために。
慰霊の日という今日、この記事を書きました。
今日は、関東に出張中のため、
沖縄で祈ることはできませんでしたが、
心は沖縄にいます。
そして、静かに手を合わせ、
今日という日を味わいたいと思います。
ととのえ職人
五木田穣
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