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ととのえるとは何か

ハイサイ。
ととのえ職人、五木田穣ごきたゆたかです。

「ととのう」という言葉を
よく耳にするようになりました。

気持ちがいいとき。
すっきりしたとき。
何かがうまくはまったとき。

それらも、ひとつの「ととのう」だと思います。

けれど、
私が大切にしている
「ととのう」そして、「ととのえる」という言葉は、
もう少し静かで、もう少し広い意味を持っています。

今日は、
そのことをあらためて書いてみようと思います。



「整える」と「調える」のあいだにあるもの

私は「ととのえる」という言葉を、
あえてひらがなで書いています。

それは、この言葉に
「整える」と「調える」
その両方の意味を込めているからです。

整える、というのは、

形を整えること。
配置を整えること。
暮らしや環境を整頓すること。
姿勢や習慣を見直すこと。

一方で、
調える、というのは、

本来の調子に戻っていくこと。
呼吸や感覚やリズムが、
その人にとって自然な状態へと戻っていくこと。

私は、
このどちらか一方だけでは足りないと思っています。

見た目は整っている。
でも、心の中は張りつめている。
生活はちゃんとしている。
でも、体はずっと休まっていない。

そういうことが、実はよくあります。

逆に、

感覚を大事にしたいと思っていても、
日々の暮らしが乱れていたり、
無理な過ごし方が続いていたりすると、
少しずつ苦しさは増えていきます。

だから「ととのえる」とは、
表面だけの話でも、
内側だけの話でもありません。

その人全体が、少しずつ調和に向かっていくこと。

それが、私にとっての「ととのえる」です。


ととのえるとは、何かを足すことではない

私たちはつい、
苦しくなったときに
「何を足せばいいのだろう」と考えます。

もっと、頑張ったほうがいいのかもしれない。
もっと、知識を増やしたほうがいいのかもしれない。
もっと、前向きになったほうがいいのかもしれない。
もっと、ちゃんとしたほうがいいのかもしれない。

もちろん、
必要な学びや努力もあります。

でも、ときには、
足すことより先に見たほうがいいものがあります。

それは、

今の自分に、どんな力が入りすぎているか。
どこで無理をしているか。
何を抱えすぎているか。

本当は疲れているのに、
まだやれると思ってしまう。

本当は不安なのに、
大丈夫だと言い聞かせてしまう。

本当は苦しいのに、
ちゃんとしようとしてしまう。

そうやって、
自分の感覚よりも、
役割や正しさや習慣を優先し続けていると、
少しずつズレていきます。

だから、
ととのえるとは、

何かを足して別人になることではなく、
まずは、余計な力に気づくことです。

ほどくこと。
ゆるめること。
引いてみること。
手放してみること。

そうしたことの先に、
ようやく見えてくる“本来の自分”があります。

ととのえるとは、自分に還ること

私が「ととのえる」というとき、
いちばん大切にしている感覚は、
自分に還ることです。

新しい自分になることではありません。
立派な自分になることでもありません。
誰かの理想に近づくことでもありません。

そうではなくて、
頑張りすぎて離れてしまった感覚に、
少しずつ戻っていくこと。

浅くなっていた呼吸を、取り戻すこと。
置いていってしまった本音に、気づくこと。
急ぎすぎていた心を、少しゆるめること。
無理の上に成り立っていた毎日を、見直すこと。

そうやって、
外側に引っ張られ続けていた自分が、
少しずつ内側に戻ってくる。

それが、
私にとっての「ととのえる」です。

人は、
ずっと同じ状態ではいられません。

疲れる日もあるし、
乱れる日もあるし、
自分を見失う日もあります。

でも、

ととのえるというのは、

一度も乱れないことではなくて、
ズレてもまた、自分に還ってこられること
だと思います。


体と心と思考が、つながり直すこと

ととのえることは、

体のことだけではありません。
心のことだけでもありません。
思考のことだけでもありません。

それぞれは、
いつもつながっています。

考えすぎているとき、
肩や首に力が入っていることがあります。

体がずっと緊張しているとき、
理由もなく不安が大きくなることがあります。

安心できていないとき、
頭では大丈夫だとわかっていても、
どこか落ち着かないことがあります。

そんなふうに、
体と心と思考は、
きれいに分けられるものではありません。

だから、

体だけを何とかしようとしても、
思考が追い立て続けていれば、
また苦しくなることがある。

心をゆるめようとしても、
体がずっと緊張していれば、
安心まで届かないことがある。

ととのえるとは、
このばらばらになってしまったものたちが、
もう一度つながり直していくことでもあります。

呼吸が変わると、気持ちが変わる。
気持ちがゆるむと、見える景色が変わる。
考え方がやわらぐと、体の力みもほどけていく。

そうやって、
その人の中にあるものが、
少しずつ響き合っていく。

それもまた、
ととのえていくということです。


ととのえることは、生きやすくなること

ととのえる、というと、
何か特別な時間のことのように考える人もいるかもしれません。

実際は、
もっと日常の中にあるものです。

朝、少し呼吸を感じること。
無理をしている自分に気づくこと。
今日は頑張るより、休む方がいいと認めること。

ちゃんとしすぎる前に、立ち止まること。
人に合わせすぎていた自分を、そっと戻してあげること。

そういう小さなことの積み重ねが、
少しずつ生き方を変えていきます。

ととのえることは、
不調をなくすことだけではありません。

もっと大きく言えば、
生きやすくなること
と思っています。

無理を無理と感じられること。
自分の感覚を置き去りにしないこと。
必要なときに立ち止まれること。
人との関係の中でも、自分を見失いすぎないこと。

そうしたことが増えていくと、
日々は少しずつ変わっていきます。

大きく変わらなくてもいい。
劇的でなくてもいい。

ただ、呼吸がしやすくなる。
少し、生きやすくなる。

私は、その変化をとても大切にしたいと思っています。


ととのえるとは、戻ってこられること

ここまで書いてきて、
あらためて思うのは、

ととのえるとは、
完璧になることではないということ
です。

一度ととのったら、
もう乱れない。
もう迷わない。
もう疲れない。

そういうことではありません。

人は揺れるし、
乱れるし、
ズレることもあります。

でも、

そのたびに戻ってこられる。
また呼吸を思い出せる。
また自分の感覚に触れられる。
また、自分の場所に立ち戻れる。

私は、
それがとても大事なのだと思っています。

ずっとととのっていることより、
還ってこられること。

戻ってこられる居場所があること。

それがあるだけで、
人は少し安心して生きられるのではないでしょうか。

だから私は、
「ととのえる」という言葉を、
とても大切に使っています。

それは、
誰かを完璧にするための言葉ではなく、
その人が、その人に、
戻っていくための言葉だからです。

おわりに

「ととのえる」とは何か。

それは
整える」と「調える」の
両方の意味を含みながら、自分に還っていくこと

体だけではなく、
心だけでもなく、
思考だけでもなく、

その人全体が少しずつ、調和を取り戻していくこと。

何かを足して立派になることではなく、
余計な力をほどいて、
本来の感覚を思い出していくこと。

そして、
乱れないことではなく、
ズレてもまた戻ってこられること。

私は、
そんな意味を込めて
「ととのえる」という言葉を使っています。


ここから先は、
その「ととのえる」ということを、
もう少しずつ、別の角度から書いていこうと思います。

たとえば、
戻ること。引くこと。
安心を思い出すこと。つながり直すこと。

そんなふうに、
ひとつずつほどくように書いていけたらと思っています。

また、次の記事でお会いしましょう。

ととのえ職人、五木田穣ごきたゆたかでした。


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