ととのえるとは、戻ること
ハイサイ。
ととのえ職人、五木田穣です。
「ととのえる」という言葉について、
前の記事で書きました。
整えること。
調えること。
ととのえること。
何かを足すことではなく、
自分に還っていくこと。
今日はその中でも、
私がとても大切にしている感覚をひとつ、
もう少しだけ丁寧に書いてみたいと思います。
それは、
ととのえるとは、戻ること
だということです。
私たちは、気づかないうちに離れていく
人は、
毎日の中で少しずつ、
自分から離れていくことがあります。
やることが多い日。
気を張る時間が続く日。
ちゃんとしなければ、と思う日。
誰かの期待に応えようとしている日。
気づけば、
呼吸が浅くなっていたり、
肩や首に力が入っていたり、
自分が何を感じているのか、
わからなくなっていたりします。
でも、その多くは、
特別な異常ではありません。
むしろ、
まじめに生きている人ほど、
一生懸命にやっている人ほど、
気づかないうちに自分から離れていくことがあります。
頑張ることが悪いわけではありません。
役割を果たそうとすることも、
誰かを大切にしようとすることも、
とても尊いことです。
ただ、その中で、
少しずつ自分の感覚が置いていかれることがある。
私はまず、そういうところから、
大事に観ていきたいと思っています。
戻る、という感覚
「戻る」という言葉には、
どこか安心感があります。
どこかへ“行かなければならない”のではなく、
本当はいたはずの場所に、
もう一度戻ってくる。
新しい自分になるのではなく、
忘れていた感覚を思い出す。
失っていた何かを、
外から手に入れるのではなく、
もともと自分の中にあったものに触れ直していく。
それが、
私の感じている「戻る」です。
呼吸が深くなること。
体の力みが少し抜けること。
考えすぎていた頭が、少し静かになること。
本当は疲れていたんだ、と気づけること。
無理をしていた自分に、ようやく気づけること。
そういうことは、
何かを足したから起こるのではなく、
自分に、戻ってきたときに起こります。
戻る場所は、特別な場所ではない
ここでいう「戻る」は、
どこか遠くにある理想の場所へ戻ることではありません。
昔の元気だった自分に戻る、
ということでもありません。
もっと静かで、もっと身近なものです。
たとえば、
少し呼吸を感じられること
足の裏の感覚が戻ってくること
今、自分が無理をしているとわかること
本当は悲しかったと気づくこと
頭ではなく、体の感じを思い出せること
そういう、
小さくて見落としやすいものの中に、
戻る場所があります。
だから、ととのえるとは、
大きく変わることではありません。
劇的に生まれ変わることでもなければ、
一瞬で完璧になることでもありません。
ほんの少し、
自分の場所に戻ってくること。
それだけでも、
人はずいぶん違います。
頑張ることより、戻ることが先にある
私たちはつい、
何かうまくいかないときに、
「もっと頑張らなきゃ」と思ってしまいます。
もっとちゃんとしよう。
もっと考えよう。
もっと改善しよう。
もっと応えよう。
でも、
すでにズレたまま頑張っているとき、
必要なのは“もっと”ではないことがあります。
そんなときは、
進むことより、戻ることのほうが先です。
いったん立ち止まること。
今の呼吸に気づくこと。
体の力みに気づくこと。
本音を置いていないかを見てみること。
無理を前提にしていないか、
そっと確かめてみること。
それは後退ではありません。
むしろ、
戻らないまま、進み続けるほうが、
苦しさは大きくなっていきます。
本来の自分とかけ離れた場所で頑張り続けると、
どれだけ前に進んでも、
どこか苦しいままになります。
だから私は、
頑張る前に、戻ることを大事にしています。
それは甘えではなく、
本当に進むために必要なことだから。
戻ると、つながりが戻ってくる
自分に戻るとき、
戻ってくるのは感覚だけではありません。
体と心と思考のつながりも、
少しずつ戻ってきます。
呼吸が少し深くなると、
考え方も少しやわらぐことがあります。
体の力みがほどけると、
心の緊張まで少しゆるむことがあります。
本音に気づけると、
無理に正しさだけで動かなくてよくなることがあります。
そうやって、
ばらばらになっていたものが、
また少しずつ響き合い始める。
それはとても静かな変化だけれど、
人にとっては大きなことです。
「なんとなく苦しい」
「うまく言えないけれど、しんどい」
そんな状態のときは、
このつながりが一時的に見えなくなっています。
だから、ととのえるとは、
整えることでもあり、
調えることでもあり、
そして
つながりを取り戻すこと
でもあります。
戻れる人は、乱れても大丈夫になる
人は、
ずっと安定していられるわけではありません。
疲れる日もある。
揺れる日もある。
余裕がなくなる日もある。
また頑張りすぎてしまう日もある。
でも、
そのたびに戻ってこられるなら、
少し安心して生きられます。
一度も乱れないことを目指すと、
人は苦しくなります。
でも、
乱れても戻れる。
ズレても気づける。
離れても、また還ってこられる。
そう思えるだけで、
生きることは少しやさしくなる。
私は、
ととのえるとは、
そのための感覚を育てていくことでもあると思っています。
完璧になることではなく、
戻れるようになること。
それが、
生きやすさの土台になっていきます。
戻るために必要なのは、大きなことではない
戻るために、
必要なことは特別なことではありません。
たとえば、
少し深く息を吐くこと。
今の肩の力みに気づくこと。
歩く速さを少しゆるめること。
今日は休んでもいいと自分に言うこと。
誰かの期待ではなく、自分の感覚をひとつ確かめること。
そういう小さなことで、
人は少しずつ戻ってこられます。
大きな変化はなくてもいい。
派手な実感がなくてもいい。
ただ、
「あ、少し戻れたかもしれない」
と思える瞬間があるだけで、
十分意味があります。
おわりに
ととのえるとは、戻ること。
それは、
昔の自分に戻ることでもなく、
理想の自分に近づくことでもありません。
頑張る中で置いてきてしまった感覚に、
もう一度触れ直すこと。
浅くなっていた呼吸を思い出すこと。
ズレたまま進み続けるのではなく、
いったん自分の場所に立ち戻ること。
私は、
その感覚をとても大切にしています。
人は
揺れるし、乱れるし、ズレることがあります。
でも、
戻ってこれるなら大丈夫。
また自分に還ってこれるなら、
きっと大丈夫。
ととのえるとは、
そんなふうに、
自分の中にある“戻る力”を思い出していくこと。
ととのえ職人、五木田穣でした。
また、次の記事でお会いしましょう。
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