『働きマン』と『プラダを着た悪魔』に共通する“キラキラの罠”
『働きマン』と『プラダを着た悪魔』が、わりと好きです。
ただ、好きなんですが、
どうしても引っかかるところもあって、
その違和感がずっと残っています。
どちらも、出版社というか、
いわゆる「キラキラした仕事」の話です。
昔だったら、
かっこいい
最前線
なりたい仕事
そういう場所だったと思います。
実際、僕もどこかで
👉 「いいな」と思っていたはずです。
■ でも、なんかおかしい
ただ、改めて見ると、
👉 「そんなに働いて、どうするの?」
と思ってしまう。
ミランダも、弘子も、
とにかく働く。
仕事が中心で、
生活は後回しで、
人間関係も削られていく。
それでも続ける。
その姿が、
かっこいいというより、
👉 ちょっと怖く見える
■ キラキラしているから、やめられない
ここが一番引っかかっているところかもしれません。
あの仕事って、
ただ大変なだけじゃなくて、
👉 ちゃんと“キラキラしている”
だから、
👉 やめにくい
たとえば、
普通の会社だったら辞めるような状況でも
夢のある職場だと続けてしまう
そんな感じがある気がします。
■ 「働いたーって思って死にたい」
『働きマン』の初期で出てくるこの言葉、
当時はかっこよく見えた気もします。
でも今読むと、
👉 ちょっと危うい
その後の展開で、
弘子は少しずつその価値観から
ズレていくように見えます。
「あれ、これでいいのか?」と、
どこかで立ち止まる。
■ ミランダは止まらない
一方で、
ミランダは止まりません。
突き詰めた先にいる人です。
成功していて、
誰よりも強くて、
でもどこか孤独で、
👉 あそこまで行くと戻れない感じがある
■ 同じ場所の、途中と終点
なんとなくですが、
弘子 → 途中で気づく人
ミランダ → 行き切った人
そんなふうにも見えます。
どちらも同じ「キラキラした仕事」の中にいて、
その中で、
👉 どう生きるかが違う
■ キラキラの正体
たぶん、
あのキラキラって、
👉 憧れであり、同時に拘束でもある
外から見ると魅力的で、
中に入ると、
それに縛られていく。
■ 最後に
この2つの作品を見ていると、
「働くって何なんだろう」
という、
シンプルな疑問に戻ってきます。
頑張ること自体は悪くないはずなのに、
👉 頑張りすぎると、どこかで歪む
その境界線が、
この2つの作品には出ている気がします。
うまく言えないんですが、
👉 キラキラしているからこそ、少し疑ったほうがいい
そんなことを思いました。
■ 最後に 2
ただ、この話をする上で、
アンドレアの存在を外すと、
少し違う気もします。
彼女は、最初はあの世界に興味がなくて、
途中でしっかり飲み込まれて、
そして最後に、自分の意思でそこから離れます。
だから、
ミランダのように行き切るわけでもなく、
弘子のように途中で迷い続けるわけでもなく、
👉 一度入って、ちゃんと出てきた人
なのだと思います。
その選択ができたこと自体が、
この作品の中では
一番重要なことだったのかもしれません。
■ 最後に 3
「働きマン」が一時連載休止したあたりから、
安野モヨコ先生の仕事の仕方は、明らかに変わったように見えます。
それまでの、
どこか“突き詰めていく感じ”から、
少し距離を取るような、
呼吸を整えるような、
そんな変化があった気がします。
それでも、
「働きマン」は復活し、
さらに「後ハッピー・マニア」まで描いてしまう。
そして、
プラダを着た悪魔も、まさかの続編が作られる。
一度“やりすぎた”場所から、
少し距離を取ったはずの人たちが、
またそこに戻ってくる。
👉 それは、前と同じなのか
👉 それとも、少し違う形なのか
正直、まだよく分かりません。
でも、
もしあの頃と同じままだったら、
ちょっと怖い気もしますし、
逆に、
少し変わったまま戻ってくるのだとしたら、
それはそれで、少し楽しみでもあります。
👉 どうなっちゃうんでしょうかね。
