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不登校な中2次女、エネルギーが満ちてきた

※記事が長くなってしまった。4000字超え⋯
見出しなんかもつけてみた。
ご興味あれば読んでみてくださいね。
ヘッダーは数年前の次女の絵。ホワイトボード。

今日は、絵の話や、ほかのきょうだいとのかかわりの話で、時々noteにも登場する次女と不登校のこと。

次女は最近、すこぶる機嫌が良い。
鼻歌を歌っている。
絵と勉強がのりにのっているらしい。

でもこの笑顔が出るようになったのは、ここ半年のこと。それまでは、毎日ため息をつき「元気が出ないよぉ」と苦しんでいた。

中2次女の軌跡


次女のこと

次女は3歳頃から絵に味があって、感性豊かだなと感じていた。
感性鋭く、同時に、思い通りにならないことへの怒りや癇癪も強かったため、4歳から6歳の次女と相対するのは少し大変だった。

泣きながらちゃぶ台をひっくり返す子だったので、家族は彼女の機嫌に振り回されていた。
それでも6歳になればかなり落ち着いた。

次女には特技がある。
誰かの探し物を一瞬で見つける力だ。

次女3歳ごろのこと。
私の母が、キョロ、と目だけで探し物をしたその瞬間、「これ?」と、次女は母にメガネケースを差し出したのだ。

母はまさに、それを探していた。
母も私もびっくり。

今に至るまで、誰かが何かを探し始めると一瞬で次女により見つかる。
「一家にひとり、次女だね」などと冗談めかして言ったりする。

だから、というわけでもないけれど、パズルなどは大の得意。

人の目もあまり気にしないし、型にはまった考えはしない。独特の感性で絵を描いたり物事を考えたりする。だからこそ真理に近かったりもする。
そして、やはり独創的な長男の一番の理解者でもある。

次女は、そんな子。



こわばる身体、嘔吐

次女は、小3からほとんど学校を休んでいる。
6年生のとき、えいやっと学校に行ったけれど、1学期で疲れ果ててしまった。

一念発起して私立中学を受けて心機一転、入学式から通い始めたものの、夏休み直前に力尽きた。

小2のとき、長男と次男が学校に行っておらず、担任の先生に「うちには2人、学校に行っていないきょうだいがいて、私まで休んだら家が大変なことになる」と心配しながら話をしたらしい。

担任の先生から、「よく見てあげてください。がんばりすぎていないか、心配です」と言われた。
とてもよく見てくれる先生だった。

それまでも学校に不満はありつつも、家で話したり自分なりに落としどころを見つけたりして通っていた。

3年生の途中まで行ったとき、ぷつんと糸が切れたようだった。

新たに3年生で担任を受け持った(ザ昭和な)先生が、やや無理やりに玄関から教室に次女を連れて行く。
が、手足をつっぱり、直立不動で顔をこわばらせたまま「ぶぇー」と泣き、嗚咽のせいで吐いてしまった次女。

担任は「これは無理に連れて行ってはいけない」とようやく思い、それからは無理に教室に連れて行くことはなくなった。

それから5年の終わりまでは、次女にとってもつらい日々だった。



「学校に行けない自分は生きていてはいけない」

病気があるわけでもないのに、学校に行かない自分は、生きていてはいけない人間なのだと思っていたと、ある日、涙をポロポロこぼしながら打ち明けてきた。

母親である私が元気なく見えるのも、家が散らかっているのも、自分が休んでいるせいだと思っていたと、あとになり言っていた。

その度に「◯◯は、なにも悪くない。いるだけで、大事な子だよ。いなくなったらお母さんはどうしてよいか分からない。生きて、生きて。生きてるだけですごいんだよ。大事なんだよ」と私も泣きながら繰り返した。

こんなに小さな子に「いちゃいけない存在」だと思わせてしまったことが、母親として全くだめだと思った。

学校に行かなくても大丈夫、大丈夫、と伝えたつもりでも、3人の不登校な子がいる私は親として失格なんじゃないかと、どこかで思っていた。
それが顔に出ていたのかもしれない。



自閉症スペクトラムと、凹凸の特性

次女は学校を休み始めた3年生のとき、次男と共に精神科で診察を受けたことがある。
診察というより、私も相談をしたかったのだ。

地域の社会福祉士の方が親身になってくれて、診察を勧めてくれた。

長男はそのころ人と会うことをすべて拒んでいたので、小1で自閉症スペクトラムの診断を受けたあとは病院には行かなかったし、このときも行かなかった。

次男はそこで、ADHDの診断を受け、次女は、自閉症スペクトラムの診断を受けた。
また、WISK(16歳までの知能検査)も受け、言語やワーキングメモリなどに高い数値が出た一方で、処理能力がかなり低く、そのギャップで苦しいのかもしれないと言われた。

そのギャップは、年齢とともに小さくなり、今よりは生きやすくなるかもしれないとの話であった。

だから「病気」ではないまでも、そうしたギャップや、「こうでなければいけない」というこだわりや正義感(マイルール)は、もともと持った特性で、学校でみんなと同じようにやっていくのがつらいことはあるのではないかな?と伝えた。

自閉症スペクトラムという言葉を使うのはそぐわないと感じて、娘の気持ちに寄り添いながら、一生懸命伝えた。

私にも、次女とは違うかもしれないけれど、やはり学校や集団行動に相容れないことは多かった。
変わった子と言われ続けた幼少期のことも合わせながら、とつとつと次女に話した。

それは次女が5年生の頃だったか。

夜な夜なそんな話をし、手足をマッサージして、寝入るまでそばにいる日々であった。



中学に入学、再び不登校に

6年生で久しぶりに登校したとき、仲良しの友達がみんな再登校を喜び、毎日昼休みには次女を中心に楽しく過ごしていたらしい。

友達はありがたい。

それでもがんばって笑顔をつくり、心で思ったことをそのまま言わないよう友達関係を大事にするために気を遣っているうちに、やはり疲れてしまった。

「友達には、こう接したほうが良い」というこだわり、これを言ってはいけないとブレーキをかけること、次女はそれが少し極端なのだと思う。

知っている人がいない中学で、新しくがんばってみようと思ったという次女。

次女も場面緘黙のある長男と似て、思いをうまく口にできない性質があり、学校では大変おとなしかった。
それでも持ち前の明るい絵や穏やかさで、優しい友達ができて、それなりに楽しくやっているように見えた。

一方で次女は0か100の考えがあり、たとえば1分でも支度ややろうと思ったことができなかった瞬間、すべてをやめてしまう。

そのやめ方は強い癇癪となって現れ、そのころ家族はみんなハラハラして過ごしていた。

中1の1学期の期末テストの日、家を出るのが少し遅れ、私が車で送ることになったものの、自分が到着すべき時間に到着しなかったことで感情は爆発して大号泣、その日、またぷつっと糸が切れた感じがした。

翌日から次女は、起きられなくなった。



次女、始動

夏休み明けには行こうとしていたものの、宿題や1学期に出ていた課題ができていないからと登校できずにいて、いくら私が「身ひとつでも先生は歓迎してくれるよ」と伝えても、自分でそのルールを作った以上、無理なものは無理なようだった。

中1の終わりが近づいたある日、「勉強が追いついたら、学校に行こうかな」と次女が言い始めた。

中1で不登校を始めてから、勉強は学校を想起するのか、ほとんど手を付けていなかった。

その宣言以来、まずは英語から次女は学校でもらったテキストで勉強を始めた。

英語に力を入れている学校で、次女も学校が用意してくれたテキストへの信頼が厚く、これさえやれば大丈夫だと思う、と毎日勉強をするように。

それがひと月前、ついに、夏休みの課題まで終わらせて、おそらく学校の授業に追いついた。

その達成感に満ちた表情!!

自信も出てきたようだった。

でもまだ英語だけ。
次女の「学校に行くためのハードル」は、数学でもやはり追いつくこと。

しばらくの休憩を経て、中1の復習から始めた数学も最近かなり波に乗ってきたらしく、それが冒頭の機嫌の良い様子につながる。



子の充電を信じて「待つ」

6人の子どものうち、ずっと学校に通い続けているのは長女と三女のふたりだけだ。

なんでこんな風になったのかと考える。
考えても、そのとき、学校に合わなかったのだろうということしか出てこない。

少なくとも我が家は、あえて学校に行かない選択をしたわけではなかった。

でも子どもの特性で、合わなくなる時があった、そういうことだと考えている。

特に長男は、学校で過ごしている様子が全く想像もできなかった。集団行動に息子が合わない。

ママ友はみんな優しくて「無理しなくていいよ」「学校行かなくても大丈夫だよ。元気でいれば一番!」「元気にしてる?」と、ことあるごとに話してかけてくれる。

中には、親のしつけのせいではないか、変わった家族、親がおかしい、と陰で言う人もいたかもしれない。実際、少しは聞こえてきた。
でも味方でいてくれる人が圧倒的に多くて、本当に救われた。

同じような人が周囲にいなくて、孤独も感じていたのは事実だ。
それでも一番つらいのは子どもだからと、気持ちを奮い立たせて、子どもが自分を責めるようなことにならないように、とは心がけた。

時が経ち、長男は通信制の高校への進学を自ら決め、次男は中3から学校に行き始めた。

いまは、中2の次女と小2の三男が家にいる。

この長くも感じられる時間を過ごして、実感としてひとつ言えるのは、子の成長を信じて「待つ」。それが唯一にして、一番大事だということ。

このままだったらどうしよう、将来、ちゃんと自立できるのだろうか?親だから、さまざまな心配や不安があるのは当然だ。

でも、何年かかっても親が焦らずに子どもの方を向いて待っていれば、子どもは自分でエネルギーを満たして立ち上がり、歩き出すということ。

私もSNSやさまざまな体験談を読み、「子どもが自分で立ち上がる」と目にしても、半信半疑だった。
でも、それしかすがるところがなければ(社会福祉士さんなどできる限りの人の助けは得るにしても)、それを信じるしかない。

そしていま、はっきりとわかる。

子を信じて「待つ」。それが唯一で最も大事なんだと。



おわりに

子どもを初めて産んだとき。
いつかこのようになるとは思いもしなかった。

でも子どもはたくさんのことを教えてくれて、私に多様な見方や考え方を示してくれた。

いまもまだ、親として発展途上だと感じている。
たぶん死ぬまで私は未熟なままなのだろう。

なんだかこの数年で一気に老け込んだ気はしないでもないけれど、子どもたちはたくさんの喜びも教えてくれた。

そうそう、三男が、学校を紹介する番組をみながら「ぼく、3年生になったら学校行こうかな」と言ってきた。

そのために、2学期の終業式と3学期の行けるときに、練習で行ってみようかと話した。
「昼間に行くんだよ」と、三男ははにかんだ。

中2の次女も、小2の三男も、これからどうなるのかは分からない。
学校に行くかもしれないし行けないかもしれない。

それでも日々の変化し成長する子どもたちと、一緒に歩いていきたいなぁと、感じている。



次女に関する記事など。

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