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母がママのお店にやってきた 2/4 (大学3年のころ)

春。
大学3年になった私は、実家近くのコンビニで働いていた。
ある日、おなじみの“おネエっぽい”常連のおじさんが、
赤い角丸のショップカードをそっと差し出してきた。
「うちのお店、来てみない?」
書かれていたのは、新宿二丁目のゲイバーの住所だった。

カードの住所を頼りにたどり着いたそのお店は、
想像よりもずっと静かであたたかくて、
まるで、おばあちゃんちに帰ってきたみたいな匂いがした。
店内には、小さなカウンターとテーブルがふたつ。

そして、カウンターの中には、あの常連さん——“ママ”がいた。
「いらっしゃい」
その声に、思わず「ただいま」と返したくなった。

初めての注文は、カクテルでもフルーツ盛りでもなく、おでん。
その味が、びっくりするほど沁みて、やさしかった。

数日後、もう一度お店を訪ねた私は、ママから「実はスタッフが一人辞めてしまって、手が足りなくてね」と言われて——

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「ママは、人生で一番の恩人」と語る男性

「うちの店、来てくれたらうれしいんだけど…」

ママがそう言ったとき、わたしは迷わず返した。

「俺じゃダメですか?」

その一言が、5月からの新しい日々のはじまりだった。

詳しく話を聞いてみると、時給はコンビニよりずっと良かったし、まかないもついてくるという。

それだけで、だいぶ生活が変わりそうだった。
履歴書なんて不要で、ノートに名前と住所と電話番号、それから生年月日を書いて、
学生証で年齢確認されたら、その場で即採用。

あれよあれよという間に、1ヶ月後にはコンビニを辞めて、
ゲイバーでのバイトがわたしの「日常」になっていった。


働き始める前から何度か客として顔を出していたし、
忙しい夜はちょっとだけ皿を洗ったり、ビールを運んだりしていたから、
本格的にバイトを始めても、「お客さんの延長」みたいなノリだった。

常連さんたちとも、自然と顔なじみになった。
千葉、横浜、ちょっと遠くから来てる人もいれば、
大阪や広島、北海道から、出張のたびに立ち寄ってくれる人もいた。

「近くにもゲイバーあるでしょ?」って聞いたら、
みんな口をそろえて言うのだ。

「昔、ママに世話になったから」

今よりもっと、性的マイノリティへの偏見が強かった頃、
どこにも話せないことを、この店だけでは話せた。
「ママは、人生で一番の恩人」と言う人もいた。

それを聞いていたママは、照れくさそうに、
「あんたなんかに恩人なんて言われたくないよ」なんて言うけれど、
その顔には、こっそりと嬉しさがにじんでいた。


次々と出てくる「ママ伝説」

週に一度やってくる、派手で豪快な常連さんがいた。
建設会社の社長さんで、みんなからは「タカシさん」と呼ばれていた。

店で一番高いウイスキーのボトルをキープしていた…というか、
あのボトルは、実質タカシさんのために仕入れていた。

笑い声は大きくて、話し方も勢いがあるけど、
財布よりも、心が太っ腹な人だった。

可愛らしいポチ袋に入った“おこづかい”をくれたり、
「仕事ないんなら、うち来い。寮あるぞ」と、
困ってる人を片っ端から引っ張り上げたりしてた。

うちの店なんかより、もっとギラギラした夜の街の方が似合いそうなのに──
本人いわく、「一人のときは、ここが落ち着く」らしい。

その理由を聞いて、わたしは言葉を失った。

若い頃、建設現場で住み込みで働いていたタカシさんは、
ある日“ゲイであること”がバレた。
「まわりが気持ち悪がっている。申し訳ないが、辞めてほしい」
そう言われて、仕事も寮も、いっぺんに失った。

飛び降りようかと思った。
──自分が建設していたビルの屋上から。

「でも、そのとき助けてくれたのがママだったんだよ。
住むとこ用意してくれて、別の現場も紹介してくれてさ。
俺、ママがいなかったら、今ごろいなかったと思う。
助けてもらった命だから、一生懸命使おうと思って、がむしゃらに働いた。
そしたら、いつの間にか社長になってたってわけさ」

照れたように笑うその顔を、ママは黙って見ていた。


ゲイバーだったけど、女の人のお客さんも来ていた。

「歌舞伎町でトラブルがあったとき、ママがオーナーと掛け合ってくれた」
「仕事を辞めたとき、寝る場所を用意してくれた」
「昼の仕事を紹介してくれた」
「ママは、私にとって本当のお母さんみたいな存在なの」

そんなエピソードが次から次へと飛び出してくる。
もはや、“ママ伝説”で1冊の本が書けるレベル。

わたしは皿洗いの手を止めて、ついつい聞き入ってしまう。

「あんた、手が止まってるよ!皿でも洗っておくれ!」

ママにピシャリと怒られて、慌てて水を出す。

──たぶん、ママは、
自分の昔話を誰かにされるの、ちょっと恥ずかしいんだと思う。
その横顔が、どこか誇らしそうに見えていた。


包丁の跡には、性格が出るらしい

うちの店では、飲み物と“本日の一品”、あとは乾き物くらいしか出していなかった。

“本日の一品”は、日によって違っていた。
そうめんにナスの煮びたしを添えた夏の日もあれば、
うなぎ丼をギュッと握った「うなぎおにぎり」の日もあったし、
秋にはサンマの炊き込みご飯、冬にはあったかいもつ煮やおでん。

時々、お客さんが差し入れてくれた野菜や魚介が料理に変身することもあって、
まるで、ちいさな家庭の食卓みたいだった。

「うわ、びっくりするほど美味しい!」ってほどじゃない。
でもどれも、ほっとする味で、あったかくて、
体の奥からふわっと力が抜けていくような、そんな料理だった。


以前、同棲していた彼氏がいたころ、オムレツを作ったことがある
それが、唯一の「料理経験」だった。
そのあと、料理から遠ざかっていた私にとって、
ママの料理は、なんだかまぶしかった。

せっかくこんなに近くで働けるなら、教えてもらいたい。
そう思って、「料理、覚えたいです」と伝えたら、
ママは「じゃあ、今日の豚汁から作ってみようか」と言ってくれた。

こんにゃくの下処理をして、ごぼう、にんじん、里芋、だいこんを刻む。
豚肉と炒めて、沸騰したら火を止めて、味噌を溶く。

ひとくち飲んで、思わず「あ、うまい」と声が出た。
でも、汁の中で浮かぶ野菜たちの断面を見た瞬間、
「あ、これがママの切ったやつで、こっちが私のか…」ってすぐに分かった。
包丁の跡には、性格が出るらしい。

それからは、バーに来るたびにママの料理を手伝った。
最初は下ごしらえとか、鍋の番とかだけだったのが、
だんだん「これならあんたにも任せられるわね」と、
買い出しから仕上げの手前までやらせてもらえるようになった。

味付けと仕上げは、まだママにお任せ。
でもレパートリーが少しずつ増えていくのがうれしかった。

お店のキッチンで、ママと肩を並べて野菜を刻んでいると、
「料理をもっと上手くなりたい」って思えた。


兄弟とか、自分の生んだ子がゲイだったら…

店にはほとんど常連さんしか来なかった。
でも、たまにふらっと一見さんが入ってくることもある。
中には、ゲイバーって知らずに入ってくる人もいた。

ある日、若い女性2人組が来た。
「一度、ゲイバーってところに行ってみたくて!」
ちょっと緊張した笑顔で、カウンターに並んで座った。

自分が初めてこの店を訪ねた日を思い出した。
ドアを開ける前、ちょっとだけ息を吸った、あの感じ。

ママは、相変わらずすごかった。
常連さんのテーブルに料理を運びつつ、皿を洗いつつ、
途切れることなく、2人の話し相手もできてしまう。

2人は最初ビールを飲んでいたけど、そのうち焼酎のボトルを入れて水割りを始めた。
酔いがまわってきたのか、片方の女性がぽつりとつぶやいた。

「ゲイバーとかだったらいいけど、
兄弟とか、自分の生んだ子がゲイだったら、気持ち悪くない?」

喉の奥がつまった。
弟や妹の顔、親の顔が浮かんできた。
カウンターにいた常連さんたちの視線が、ゆっくりと下がっていった。

「男同士とか、ほんとありえないでしょ」

──ママ、怒るかな。
昔、歌舞伎町で揉めた相手に一人で乗り込んでったっていう“ママ伝説”を思い出す。

でも、ママはただ、こう言った。

「飲ませすぎちゃったみたいね。今日はこれぐらいにしておきなさい」

いつもの穏やかな声だった。
怒ってるでもなく、我慢してるでもなく。
まるで、その場にあった空気そのままの、やわらかい声音だった。

もう一人の女性が「本当にスミマセンでした」と平謝りして、
2人はそそくさと店を出ていった。

店内に、ぽつんと残った焼酎のボトル。
そのラベルが、やけにやさしく見えた。

( 3/4に続きます  ↓ )



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