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「自分軸で生きる」というトリック


脱色された自分軸

「自分軸で生きることで人生をトリートする」というのはシンプルに聞こえるがそこにはトリックがあった。

個人主義の今、「自分軸」を排他的で利己的なものだと解釈して生きてる人材が多いが、彼らの中には他人を意識しすぎた結果としてそういう思考になった者も多い。しかしそれは「競争心」という他人軸で生きているにほぼ等しい。

「たいていの人間は欲望のおもむくまま生きてるから内省的で禁欲的に生きても損するだけだから世界に配慮するのやめるわ」

これは"たいていの人間"に合わせた他人軸的な生き方(消え方)だ。

自分の価値軸で世界をひとまとめに考えること、全ての人に受け入れられる哲学を考えるという"生き方"、自分軸を押し付けること。これらも全て他人軸な生き方だ。私はずっとそうやって消えてきた。

「自分軸で生きる」という、ポジティブなセルフトリートメントに聞こえる生き方が実際には周囲にとってネガティブで利己的であるというトリック。そしてその排他性は他人軸の究極形であるというパラドックス。図書館やネカフェでキーボードを激しく叩くのが自分軸な生き方なら、私は他人のままでいたい。

他人色に染める

じゃあ他人や地球に配慮しまくって生きれば良いのか。この忙しない情報過多社会で自分を保ちながらそれをするキャパシティを持つのは不可能に近い。

私のように、他人の性格やその場の空気に合わせて自分を見失う人も多いだろう。

しかし社会生活を送る以上、人間は何らかの色に染まる必要がある。「社会からはみ出す」という色も含めて。

色に染まる、その時点で全ての人の人生とアイデンティティは「他人軸」がベースになっている。他人色、社会色に染まりながら「そんな自分のことも他人のことも気にしないで"自分軸"で生きよう」という風潮に染まる、というスパイラルが世界各地で形成されてる。

(親を含めた)他者なくして自分が成立することはない。個人主義者のネコですら、他人軸の尻尾を使ってバランスをとる。

自分軸には、「利己的になる」という誤解釈に加えて、「一つの色に染まること」と語釈されるケースも多い。

多様性の世界に、自分の一つの居場所や生き方を見つけて"自分らしく"生きる。そこにもまた「自分という複雑で多様な存在を、一つの場所に収める」というパラドックスが発生する。

カラフルな枝毛

自分の価値軸で多様な世界を統一させるか
多様な自分を世界の断片に統合させるか
世界を遮断して精神の統一を図るか

いずれにせよ、見せかけのトリートメントであることに変わりない。

理想は、自分を保ちながら自分の断片を世界の断片に合わせること。そういうトリッキーな生き方にこそ、真のトリートメント効果がある。

「TRICK」の中央には「I = 自分軸」がある。しかし1人では寂しいから他人とつながる必要があるが、そのためには他人軸で生きる必要がある。

しかしこれほど難しいことはない。私を含め、これが出来ない人のほうが圧倒的に多い。世の悲しみと憎しみのほとんどはこれが出来ないことに起因している。「もののあはれ」とはまさにこのことを表してるのだろう。

これは自分の軸を持たずにカメレオンのように生きるのとは違うし、居酒屋にありがちな「社交性の押し付け」とも違う。社交的な人間には、メタ的には社交的ではないパターンが多い。

心のコアを保ちつつ、自分の断片と世界の断層をリンクさせるためのプロトコル。それが未開発であるばかりに、「心の核戦争」が連日連夜繰り広げられている。

コア・アップデートが必要だ。SEOに流されず、自分軸で生きるために。

他意


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