『まともじゃない僕の履歴書に、星と海が宿るまで』
このページについて
本記事は、これまでの経歴と代表作をまとめたポートフォリオです。
プロフィール
船乗り・文藝春秋本誌掲載エッセイスト。市場調査、漁師、船舶機関士という経歴をもとに、人生の分岐点をテーマに執筆しています。
noteフォロワー約2万人。
2026年3月に船を降り、現在は陸で働きながら執筆を続けています。次の仕事も、暮らす場所も、まだ決めていません。
代表作(まずはこちら)
実家の青海苔漁で捨てていたB級品を、ある女性が「ほしい」と言った。都内での漁師飯イベントや子ども食堂への寄付へつながった実話です。
文藝春秋SDGsエッセイ大賞2025グランプリ。受賞作は『文藝春秋』2026年1月新年特大号に掲載されました。
二か月かけて準備をし、収穫できるのは四十日ほど。吉野川の潮に合わせて働いた日々、落水事故、収穫量の減少、四十年以上続いた実家の仕事が休業するまでを書いた長編エッセイです。
実家の青海苔漁が続けられなくなったあと、四十歳を過ぎて船乗りの学校へ入り、海技士免状を取得。船舶機関士として商船に乗るまでの学び直しと転職を記録しています。
食と家業のエッセイ
父が捌き、母が自家製のタレを塗る、実家の天然うなぎの蒲焼き。漁には出ても、生きたうなぎに包丁を入れることができないまま、父の隣で食べ続けてきました。
天然うなぎ漁と家族の手仕事を通して、継ぐことと、継げないことを書いたエッセイです。
ライティング
受賞・掲載・執筆実績
文藝春秋SDGsエッセイ大賞2025 グランプリ
約2万8000件の応募から選出。受賞作を『文藝春秋』2026年1月新年特大号に全文掲載
文春オンライン公式「グランプリ&優秀賞発表・選考会記事」
note公式・審査結果/審査員講評
・2026年度の公式募集ページでも、前年グランプリ作品として参考作品に掲載
・文芸誌『窻』第4号にテーマエッセイを寄稿
・サンクチュアリ出版「第3期 正直レビュアー」選出
2026年9月から1年間、本のレビューや告知案件を担当予定
企業オウンドメディア、インタビュー記事、体験ルポなどのご相談も可能です。
■得意テーマ
人生の分岐点/キャリア転換
船・漁師・現場仕事
地方での働き方
食と労働のリアル
■形式
エッセイ/取材記事/体験ルポ/コラム(企業・メディア案件歓迎)
■文字数
800〜5000字程度
■納期
通常1〜2週間(内容により応相談)
■料金
内容・媒体に応じてお見積り
■連絡方法
noteのDMよりご連絡ください
※掲載の写真・資料はすべて本人の実物資料です。
▶️各章は独立して読めます。気になる章からお読みください。
第1章:レールの上の僕 ―サラリーマン時代に迷った日々

大学卒業後、東京でサラリーマン生活10年以上。仕事はデスクワーク(市場調査、経理など)。
学生時代は新聞記者希望でしたが、結局新聞記者にはならず、新聞記者と探偵を足して二で割ったような仕事で働く。新規事業の参入のための調査だったりする。
国会図書館などで情報収集、あとはほとんど飛び込みで取材。工場とかは飛び込み無理なのでアポイントとりながら。
『前の車追ってください』
のような張り込みの仕事を期待していましたが・・一度もなく。一週間、双眼鏡で張り込みの仕事は入社直後にしましたが。
転職は数回し、事務という事務は全部経験済み(総務、経理、財務、人事、経営企画など)。
リーマンショック以降、僕は燃費の悪い車みたいになった。
朝、起きるのにも力が要る。出社しても、誰とも目を合わせられない。
いちばん近い感覚は、「泣いたあとの状態」だった。
もう涙は出ないのに、心のどこかが、毎日しんと湿っていた。
第2章:川とともに生きた日々 ―「自然と暮らす」ことは、本当に幸せか?
三十五歳で会社を辞め、実家の青海苔漁を手伝うことになった。
漁師になったと知人に伝えると、こう言われた。
「ここは日本だと思ったら、エジプトくらいの衝撃だよ」
実家では、吉野川に網を張り、スジアオノリを養殖していた。





最後はまとめて10キロ単位で出荷します。
最初に青海苔の養殖をはじめた頃。
ずっとデスクワークだった僕にとって、肉体労働は“未知の領域”だった。
朝から晩まで網を運び、ゴミを手で取り除き、海と向き合う日々。
全身が筋肉痛で、4日に一度は整体に通っていた。
唯一の救いは、作業の時期が秋から冬だったこと。
もし真夏だったら…と想像するだけで、今も少し身震いがする。
川に網を張る準備中。
錨を落とす作業でバランスを崩し、体ごと水中へ引きずり込まれた。
網と身体が絡まり、水の中で息ができない。
「もうだめかもしれない」と、頭のどこかで諦めかけた。
自分で網を振りほどき、水面に戻れた。
でも、足は震えていた。
船に戻ってからもしばらく、言葉が出なかったのを覚えている。
―それから1ヶ月後。
偶然出会った知人の占い師に、開口一番こう言われた。
「……あんた、最近、“死相”が出てたよ」
何も話していない。事情も説明していない。
けれど、彼女は見ていたらしい。
水の底で、何かを手放しかけていた僕の顔に、確かに“それ”が出ていたのだと。
信じるかどうかは別として、その言葉は、今も胸の奥で、小さな波紋を描いている。
それ以来、船に乗る前は、かならず空を見上げるようになった。
風の音にも、耳を澄ませるようになった。
ほんの数秒の判断ミスで、人は簡単に命を落とす。
海も川も、甘くはない。
―あの日の出来事が、それを教えてくれた。
漁師として過ごした5年間。
とはいえ、1シーズンだけ働くスタイルだったから、実質は2年程度の感覚だ。
1シーズンで1年分を稼ぐ。
生活は不安定だけど、心は少しずつ整っていった。
デスクワークから肉体労働に切り替えて、初めて気づいたことがある。
身体を動かすことが、こんなにも精神に効くなんて。
―もちろん、危険はある。それでも、あの頃の僕は、少しずつ“生きていた”。
あの頃の僕にとって、吉野川は“修行の場”だった。
夜明け前に船を出し、冷たい川風に震えながら網を張る。誰も見ていない場所で、自分を試す日々。
―そこで踏ん張れたからこそ、次の航路に進めた。
第3章:星に道をたずねた夜 ―迷った夜、あなたは何を信じる?


占いイベントをはじめたのは2017年。
ただ、本格的に占い師として学びはじめたのは、2020年のことでした。
コロナ禍でイベントもできず、時間を持て余していた頃、
ふと手に取ったタロットカードと、オンライン講座――
気がつけば、どんどん深みにハマっていきました。
第4章:エンジンの音に、人生のリズムを取り戻す
そんなそこそこ楽しい生活にも終わりを告げます。海に栄養がなくなり、実家が廃業することになりました。
将来が見えず、不安のなかで派遣社員として働いた時期もありました。
小型船舶いかす仕事を探していたら、海技士という資格にたどりつき、船乗りの学校へ行こうと決意しました。
船乗りの学校(機関)に行き、商船へ転身。

当時は商船に乗船しており、東京タワーを横に倒したほどの大きさの船で機関士として勤務していました。
振り返ってみると人生波乱万丈ですが、今は海技士という国家資格のおかげもあり、生活が安定してきてはいます。ほかセメント船、499トン貨物船、作業船など。
ちなみにうちの家系は、父の話によれば、漁師になる前は船乗りだったそうです。
詳しいことは分からないけれど、“海で生きる血”は、確かに自分の中にも流れている気がします。
まさにーー
運命は、静かに伏線を回収しにくる










実際の航海では、こんな記録を毎日書いています。
機関室でエンジンや補機の状態を記録し、船を無事に動かす―
そんな日々の積み重ねの上に、人生の「航海図」も浮かび上がってきました。

この工具が今日も船を動かす。

星は過去を照らし、海は未来を映す。 羅針盤が狂ったときこそ、自分の鼓動に耳を澄ませる。
それが、僕が学んだ“人生の舵の取り方”でした。
現在の活動とこれから
これまで、人生や仕事の分岐点をテーマにした少人数の対話会を開き、一人ずつ話を聞く機会も重ねてきました。
今後は、自身の転職、家業、船員経験と、エッセイの執筆・受賞経験を生かし、自分の経験を文章にするための少人数講座や個別の対話企画へつなげていきたいと考えています。
履歴書は、まだ途中です。
講座や個別企画については、noteのDMよりご連絡ください。
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