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仮定法は時制のズレを指す用語 —仮定法はまやかしだ!!イチ —

仮定法はなぜこんなにも難しいのか?
たしかに従来の勉強で、さわりの理解や、英語のテストで点数を取る事は出来ます。
しかし、実際の理解を深め正確に知ろうとすると、勉強すればするほど訳がわからなくなります。量子力学のように位置を正確にしようとすると、運動量が判らなくなるように。

一体これは何なのでしょうか??
本シリーズ「仮定法はまやかしだ!!」の1から3まで、お読み頂ければ、その原因が判明し、シンプルなスッキリ理解が得られます。
わたしには理解できなかった従来の日本語英語を、ディスっていますが💦ご了承ください。
※下線はリンクですので、記事中、クリックしていただければ、解説記事に飛びます。参考にしてみてください。&ここでいう「日本語英語」とは、現学校教育で教えている英語(文法)を指しています。

結論は
仮定法とは表題のとおり

仮定法は時制がズレていることを指す文法的な言葉であって
現実不可性を起こす文法的な機能は無い

と言うことです。
なんだか、突拍子もなく、「何言ってんだこの人」と笑ってしまいますが、きっと、シリーズを読み終える頃には「なんっ!だとっ?!!!」と驚きと共に、仮定法がスッキリ解決、いままでの暗澹たる混乱が雲散霧消するのではないかと思います。


本題に入る前に、頭の片隅にでも置いておいてもらいたいことがあります。
それは、「if」と「もし」の違いです。

“ if ”と「もし」について
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英語の“ if ”は右と左、どちらを選んでも100%実現する単なる条件である「直説法if」と、実現不可能から妄想の「仮定法のif」の二つに分けている。

日本語の「もし」は両者を分けず、条件から実現不可能から妄想まで全てを含む。
——————————


それでは本題です。

仮定法は時制のズレを指摘する用語


仮定法に機能はないとは?
いったい、どういうことか?そして、どうしてそうなるのか?を見ていきましょう(口語的になっているのは私の自問自答なのでご容赦くださいませ)。

河上道生著「英語参考書の誤りとその原因をつく」p432−441
本書は「仮定法過去がすべて現在の事実と反対の仮定を表すとの誤解がある」とし
日本の参考書や入試問題を取り上げ、ネイティブの文法書を根拠にして、それを指摘しています。
例えば

(車を洗車場に持っていく代わりに、ぼくが洗ったら、お父さんは節約できるお金をぼくにくれると思う?)
Do you suppose if I washed the car instead of taking it to the car wash, Dad would let me keep the money we’d save?

と母親に尋ねている仮定法について、「現在の事実と逆の場合を想定し云々」とのテキストの解説を完全否定し、「息子は自分が車を洗って洗車代としてお金を貰いたいのだから、ありうることを想定している」と、仮定法はすべて、事実の反対の仮定を表すのではない、としている、などなど。

関正生著 「真・英文法大全」p167でも「仮定法は妄想・反事実・非現実なので、「ありえないこと」に使うのが基本ですが、中には「あり得そうな内容」も有ります」とあり、他の書籍でも同じように述べています。

つまり

仮定法は現実可能なことから現実不可能なことまでを含む

ということです。

そうなんです。
この事実から、仮定法は

現実可能なことと妄想と分けるものではない

と言う事が言えるのではないでしょうか?
実際、現実可能なことも含むわけですから
・・・となると・・・

これは・・・、これでは、仮定の取り扱いは、日本語と同じでしょう?(日本語の「もし」は、実現可能の条件から全くの空想をもすべて網羅し、分けていない)


??いったい、これはどういったことなんでしょうか??


不可解な混乱を解決するために
ちょっと、結果とそこから生じる問題を整理してみます。

現実可能、不可で直説法(中学校で習うif)と仮定法(高校で習うif)を分ける。
確かに、直説法は現実可能な条件で、仮定法は現実不可能な仮定であります。
しかし、精査すると、その不可の仮定法ですら、現実可能から妄想の現実不可能まであるのですから、そもそも、分ける必要性がないのでは??

「文脈によってその意味が生じることがある??え??!、それじゃ、文脈によって『現実可能』があるなら、一体どういった理屈で、仮定法を使えばいいんだ?」

「仮定法は現実可能不可で分けられていないなら、「仮定法」という文法用語さえなければ、ifの取り扱いは日本語の「もし」と同じことになる事になるんじゃないのか?」

「だとするならば、それじゃ、いったい、なぜ分けてるんだ??」

突き詰めると
仮定法の文法的存在に疑問が出てしまう。
そう、英語のif文は、直説法と仮定法取っ払って、日本語の「もし文」と同じように一括りになってしまうのです。
言い換えると、
日本語に仮定法がないのは、日本語の「もし」が、現実可能な条件から空想までも含むからですが、じゃあ、英語の“ if ”だって同じなんだから、直説法、仮定法と、わざわざ分ける必要は無いんじゃないか
と言う事です。


ここでちょっと、日本語英語の眼鏡を外して見てみて下さい。
if条件節

直説法if過去と仮定法if過去

どこに違いがありますでしょうか?全く同じですよね(beは除く)
続く、帰結節

助動詞過去文と仮定法帰結節の助動詞過去文

どこに違いがありますか?全く同じです。


とりあえず、仮定法と直説法の違い、分ける基準は、現実性の有無で無い。
と、いったん置いておきましょう。

それではそれは、いったい、何処で見分けるんだ??

と、視点を変えてみます。
十分に精査すると、仮定法と直説法の違いは「時制のズレがあるかどうか」一点に収束します(→現在形で語っている中で突然過去形で表現する。過去形で語っている中、突然過去完了で表現するという時制のズレのこと。日本語と違って英語は突然時制はズレないし時制の混在もありません)。
ということは、仮定法が仮定法になるのは、現実不可性でもなければ、仮定法の公式文だからでもないと言うことになり得ます。

つまり、

仮定法と直説法を分ける基準は「時制のズレ」である。

と言うことです。
※ 次回解説しますが、" If he found a patient listener, he would pour out his troubles. "は、この文一文だけだと直説法と仮定法の区別がつかないのです。

「となると、subjunctive(仮定法の原語)という言葉は、(助動詞の)時制のズレを指摘する言葉ということに成りやしないか?現実可能、不可を表す『機能』で存在しているのではなく
実際、現実可能な仮定法もあるわけですから。

仮定法があるから、その仮定法の機能によって、そのような意味になるのではなく、ただ単に、時制のズレを指す文法的な用語ではないのか?ということです。
その時制のズレがある表現が、結果的に実現不可性が多い、と言うだけじゃないのか?!

仮定法に機能があるのなら、仮定法が現実可能も含むはずがありません。
機能でないから、仮定法は現実可能性もあり、それだけじゃなく、未来や丁寧なことを表したりと、幅広い意味があるのではないでしょうか?
そう、従来の英語の仮定法の理解だと、仮定法の存在に、矛盾が(おおいに)生じてしまうのです。

ひょっとして・・・(以下の強い疑義が私にはあります)
Grammarのpresent, past formは、日本語の「現在」と「過去」と完全に同一ではないのに、日本語英語が、日本語文法の「現在形」、「過去形」と同一視してしまった(本記事最後の※参考)。その結果、past formで表現する仮定法過去を現在の意味に訳すという大矛盾が生じてしまい、だから、日本語英語は、苦肉の策として「subjunctive仮定法」に現実不可性を表現するという『機能』を持たせ、仮定法とはこう言うものだ!と強引に辻褄を合わせたのではあるまいか?

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かなりのディスりですが、日本語英語を勉強すればするほど、わけが判らなくなる私の憤懣やるかたない気持ちですので、お許しを💦
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‥‥‥この様に、仮定法の理解不能さを突き詰めると、その原因は、日本語英語が時間を絶対軸にした結果生じてしまったかもしれないという、恐ろしい疑惑に行き着いてしまうのです。

と言う事で
話を戻して💦
強引に?結論づけると

Subjunctive(仮定法)は助動詞の時制のズレを指すだけの文法的な用語


である。
こうすれば、仮定法の実現可能性の度合いが、一定してないのは、機能ではなく、時制のズレを示す言葉に過ぎないから。
だから、その表現の結果に(実現可能性の度合いに)幅が出てくるのです。と筋が通るようになります。
そもそも、『機能が一定しないのなら、機能としての用を成さない』でしょう。

仮定法の現実可能性の有無は、表現の結果であって、文法的機能から生じるものでは無い。
そこには、原因と結果のという因果の関係は無いのです。


次回、「仮定法はまやかしだ!!2」では、subjunctive(仮定法)をなぜ、日本語英語は文法的な機能にしてしまったのかを解説し、『仮定法はわからない』の正体を暴きます。そして、「仮定法はまやかしだ!!3」で、その正体を完全に無きものにし、仮定法を完璧に解決します。



ちょっと、発想が飛躍しすぎましたでしょうか?
たまには、こういう、振り切った見解もいいじゃありませんか(笑
生物学や物理学、歴史でさえ私の学んだときと教科書が違っているのです。
英語だって100年前と同じではなく、いろいろな考えがあって、いいでしょう?

P.S
過去の自分の仮定法の記事を読み返したら、気張りすぎて空回りしていて、書いた自分でさえも??という、よくわからない箇所が・・・笑。
そこで、その思考を辿るために、その時、読んでいた参考書を読み返してみると、全く別の、面白い見解が生まれ、今回整理して、再アップしました。
外山滋比古著「思考の整理学」で示されているように、「思考を寝かせて醗酵させる」ということは、本当に大切なんだ、と痛感ました。

ここまで読んでくれてありがとう。
お疲れ様でした。
あなたに幸あれ!!



現在形と過去形について
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present form(現在形の原語)
話者に関係がある、関与できる世界

past form(過去形の原語)
話者に関係がない、関与できない世界
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現在形と過去形を、このようにする根拠は、お手元の参考書の現在形、過去形の項目をみても明らかなように、日本語文法の現在形、過去形と同じではありません。
現日本語英語が教えている、英語の現在形の意味である、現在の習慣、天体の運動、バスの運行、時間的に現在、etc・・・というのは総括すると、上述の、話者に「影響する関与する」事である、と言うことで一つにまとめることが出来ます。(present formで描くのは結局、今わたしやあなたに関与できる世界の描写。時間的に現在!ということではなく)。日本語英語が『現在』形と訳したから、この中の時間しか意味しなくなってしまったのです。だから、英語の現在形の意味は、幾つもあって多義的に見えてしまうのです。
それだけでなく、古・中英語で独立した動詞変化として存在していた「仮定法」が、現代英語で吸収消失、この事により、past formも時制の違いだけでなくなったのです (『英語の歴史から考える 英文法の「なぜ」』朝尾幸次郎著参照)
例えば昨日という過去の時間にいる彼女が、今日の私に声をかけられないし肩を叩けないのは、完全に話者のいる今と切れて関与出来ないからです。
一方、妄想彼女も、今のわたしに声をかけることは出来無し肩を叩けない。だから現実不可や妄想も、今の私に関与できない影響できない、からpast formに含まれる。
両者は、理由は違いますが、影響できない、関与できないと言う意味について同じだからです。『関与できない事』で両者を一括りに一緒にしたということです(past formで描くのは結局、今わたしやあなたに影響できない世界の描写であり、時間的に過去!ということではないのです)。
※詳細は「英語の言語構造におけるパラダイムシフト」

もしくは「過去形の多義性と三単現のsがある理由」を参考にしてみて下さい。

なお、このPresent, Past formの世界観は、実は英語の特徴である俯瞰認知であることが「英語における認知プロセス3」の最後で判明します。


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