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英語はモノに対して常にカテゴリー分類する —冠詞と名詞について3—

従来の名詞(noun)を、このシリーズ1と2の記事「nounには形がない」&「英語のモノには共通認知した最小形態単位がある」であるとして、nounや冠詞についてよく精査熟考すると、ある法則が見えてきます。※下線はリンクです。
それが↓

英語はモノに対して常にカテゴリー分類する

です。
一風変わった見解ですが、このようにすると、不思議と、冠詞のバラバラで煩雑な機能、用法が、系統だってスッキリしてくるのです。

どういうことかというと
どうも英語は、モノに対して、カテゴリー分類していて、その中のどれ?という意識が常にあるようなのです(日本語は、一人称視点だから、モノは目の前にあって、それは何?と言う認知ですが)
本記事は、どうしてそうなるかを解説し
そうする事によって、モノの認知が、結果的に一つにまとまり、さらに、視野が広くなって、英語の特徴である俯瞰視点を形成してしまう。
という記事です。
冠詞の、こういう変わった視点の解説も、たまにはいいでしょう?💦
気楽に、最後までお付き合いください。


詳しく見ていきます。

上のルーレット。
"the"とは、7をあるカテゴリーで区切って特定したら(例えば数字のカテゴリー1〜8の数字がある内の7と定めたら、もしくは、赤、黄色、青、緑などの色というカテゴリーで水色と定めたら)、ルーレット回して7がどの位置に行っても(1時や5時の位置に行っても)、定めた7は7であるし、定めた水色は水色。それが定冠詞。
日本語英語で、theは「唯一の」と説明されることが多いですが、「唯一」は、そのカテゴリー内の中での唯一ということ。そうしないと、固有名詞は唯一なので混合してしまいます。

一方、"a"とは、例えば、数字を2でカテゴリー分類したもの。ルーレットの数字全部が2のルーレット。このルーレットは幾ら回しても、aの位置に来るモノ(どれを取っても)は2で、それが"a"という不定冠詞。


具体的に見ていきましょう。
関係代名詞の制限用法を用いて冠詞の説明をいたします。
"a" nounで単元(モノの認知の最小単位、詳細は下線リンクにて)だから、聞き手も判ります。それをあえて関係詞でカテゴライズ。
よって、関係詞以降は、そのカテゴライズした理由で、その中の一つという意味。
つまり、カテゴライズしたモノたちは、その意味で皆同種ということ。

一方、theは、"a"と違って、あるカテゴリーの中で、何かの理由で指定し、区切り、特定している。
だから、その注目した理由が必要。文脈か、それとも一文の中なら関係詞などで。
したがって

「山田さんは頼れる人です」

→日本語は自分が見た一人称視点のため、自動的に身近にいる人の中でという認識になる。しかし、英語は常にカテゴリーの中の!という認識があるので

Mr. Yamada is a man you can rely on.

→と言う英文は、人類を頼れる人でカテゴライズし、その中の一人。先のルーレットで言えば、そのルーレットは全て頼れる人(でカテゴライズしたということ)。

Mr. Yamada is the man you can rely on.

→では、人類というカテゴリーの中で、頼れる唯一の人。と言う意味。
上のルーレットだと、ルーレットが人類全て。
このように、theは、話し手と聞き手での共通認知された範囲で狭めたり、文脈等でカテゴリーを狭めないと、どの?となり、そのどの?が無いと、この世の中で、という事になる。
と言うことで、この英文は成立しにくい。
この文に、そのどの?が、会社組織、クラス内とかの文脈、もしくは話手聞手との共通認知があれば、そのカテゴリーの中でとなるから成立可(日本語はカテゴリー認知しないので、そういう言や文脈がなくても、自動的に、この様な「身近な」、となる)。

This is the house that Jack built.
This is (a / the) house that I was born in.

前者は家と言うカテゴリーの中で、ジャックが建てた家がコレ=この世の中でコレのみ(日本語は一人称視点なのでどうしても、自動的に身近な、目の前の家と言う認識になり、関係詞の継続用法的認知になってしまう)。文脈に、この地域か、話手聞手とに共通認識したカテゴリーがあれば、その中でのこの家とかになる。

後者はtheしか成立しない。
"a"は、「私が生まれた家」とカテゴライズした家々の中の一軒家と言うことだから、生まれる家は一軒しかないから不可。

theは家というカテゴリー。aは生まれた家でカテゴライズ

ロス典子著「ネイティブ感覚で冠詞が使える」p131
「英語の世界では a/an を使うと背景にはいくつか、同じ物を同時にイメージします」、「 a/an を使うためには、ひとつだけのもの、一人だけ、ではなく、背後に幾つかある、何人かいることを思い浮かべることが必要なのです」
という記述があります。
※ちなみに、このように関係代名詞は先行詞を説明するものではなく、先行詞をカテゴリー、カテゴライズする文法なので、その必要のない固有名詞(この世の世界で一つしかない)は先行詞になり得ないのです。それは2つ以上ないと、ひとくくりカテゴリー分類が出来ないからです(これで固有名詞は制限用法の先行詞に成らないというナゾの現象は解決しました)。


このように、"a 単数名詞"は同一カテゴリー分類した中の一つということで、総称にも成り得るのです。

一方、the 単数名詞での総称は、あるカテゴリーの中でのコレ!と特定するので、総称になることもあるのです。
the cat, the dogは生物、哺乳類というカテゴリーの枠組みとしてとらえると、猫や犬と言うその種、と言う具合に。theの総称は硬いとか、学術的な響きがあると言うのはそういった理由から。

さらに、無冠詞複数名詞は、限定詞が無いから、頭の中の概念でということで、これも概念的な意味で総称に(詳細は「冠詞は俯瞰形成する因子」にて)。


the east, the west, the north, the south
方角というカテゴリーの中で、それぞれの方角はそれしかない、唯一。

the sun, the moon, the earth
古・中時代、99.99%?の人は、空を見上げて動く天体は、地球を中心とした、これらしか無い(知らない)。そういった当時の一般人が認知していた太陽系というカテゴリーの中で、唯一。
近代になって、その他の惑星(火星や木星など)は発見、そして、一般化し、固有名詞で無冠詞。上の三つに定冠詞があるのは昔からの慣例から。
a full moon(満月)、a cresent moon(三日月)は、毎月?巡ってくる月の、いろいろな形のうち、満月、三日月でカテゴライズ。月が誕生したときから現れていた満月だけをピックアップそれら全部をひとくくりにし、三日月ならば今まで現れた三日月だけを分けてひとくくりにし、その中の無数満月や三日月の一つ。
津守光太著「aとtheの底力」p34に『full moonとなるとaを付けるのは、月の満ち欠けは毎月繰り返される、1年に何度もある満月のうちの一つだからaをつける』とあります。

the members(the -s)は話者と聞き手が共通に認知した、特定の集団全部を指す

それを
the members of the teamは、the membersをteamでカテゴリーを狭め種類を特定しているので、team=member、member=teamでチーム全員を指す。

一方、a member of the teamは、memberをそのチームでカテゴライズし、その中の一人の、ある一人のメンバーを指す。


The United States of Americaは、the membersと同じ様に、the statesはその特定のstate(州)全部。the united states集合(united)された州全部という意味。
そのstateのカテゴリーをAmericaで特定している。だから、アメリカ=その州の集合体すべて。つまりは米国合衆国を示す。
the Philippines, the Netherlandsも同じ理屈です(詳細はGoogleにて)。

県はprefectureですから、この表記にならうと、The prefectures of japanは47都道府県すべて、つまり日本を示す事になります。

The Great Lakes五大湖は、特定(五大湖)のlake群全部。
The Rocky Mountainsロッキー山脈は、特定(ロッキー)の山々全部。

the名字=名字一家となるのも、同じ理屈なのです。


不思議なのは、理屈は一つなのにどうして日本語英語は、いくつもいくつも分類し増やすのでしょうか?
しかも、これは覚えることが5、6個あるのではなく、判断基準が5、6個もなのです。
判断基準が一、二つならともかく、こうまで多いと、極めて複雑なことを脳に強いて、とても会話なんてできませんし、英語の特徴である俯瞰認知は、到底できません。
でも、この記事の冠詞の説明のように、カテゴリーカテゴライズすると、視野が広くなり俯瞰視点になりそうじゃありませんか?
→具体的な詳細は「冠詞は俯瞰認知するためにある」をご参考を。


the train, the subway, the bus
→一定の路線を巡る乗り物はthe。
山手線。常磐線。丸ノ内線。そういう一定の路線を走るカテゴリーの中で、電車なり地下鉄を走る路線で区別して特定。
一方、自由に行ける乗り物はその必要が無いので a/an
I took a taxi to Narita.

This is the most beautiful lake around here.
→最上級も、このあたりの湖というカテゴリーの中で、一番美しいという事で特定。

単位や時刻にthe
You can buy tea leaves by the gram.←グラムで特定=区切って=お互いの共通認知単位
For my rantal car, I get charged by the mile.←マイルで区切って=マイルごと=お互いの共通認知単位


このように、冠詞をカテゴリー、カテゴライズ概念にすると、随分とスッキリとします。
つまり、カテゴリー、カテゴライズ概念で導き出されるのは、冠詞は、英語特有の俯瞰認知を形成する因子。という事。
俯瞰認知しないと、視野を広くしないと、カテゴリー、カテゴライズにならないですから。



"a"にしても"the"にしても、文法書を開くと、まったく別物と言っていい程の用法、機能があります。しかもそれが幾つも!
だったら、"a"だけではなくて、機能別に"b"でも"c"にでもしたら良いのではないか?
と素朴に思うのですが、そうで無いのは、やはり、別れている様に見えるけれども、実は全て同じで、原意は一つであることに他ならない(もし原意も別れているのならば、それはもう別物であるから同じではない)と思います。
この、冠詞の無秩序と言えるほどの用法の多さは、その一つである原意の、見方の違いであると思われます(≒日本語に訳すから分かれる)。
したがって、冠詞の機能用法を幾つも別に憶え、別の意味で理解するのではなく、一つの原意に(現状、分離している意味用法を一つに束ねると言う意味で)当てはめるべきで、それが本来の姿、理解法、本質的理解ではないでしょうか。
だからこそ、一つの意味に押し込んでみましたが、如何でしょうか?
わたしには、従来のように、用法機能を細かく分離させるのは言語学者の仕事、領域であって、言語を学ぶ者にとってはそれは混乱を助長することに他ならないと思うのです。

※※以上、T.D.ミントン著「ここがおかしい日本人の英文法Ⅰ&Ⅲ」、ロス典子著「ネイティブ感覚で冠詞が使える」、デイビッド・セイン著「ネイティブはこう使う!マンガでわかる冠詞」、久野暲/高見健一 著「謎解きの英文法 冠詞と名詞」を元にした私の勝手な解釈です。

英語ではモノは風景」に続きます------→
各書籍からの以上の解釈の例は「冠詞と名詞について 総括—」にて

ここまで読んでくれてありがとう。
お疲れ様でした。
あなたに幸あれ!!


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