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英語のnounと日本語の名詞は違うものだ — 冠詞と名詞について1 —


名詞や冠詞について、あらゆる参考書や書籍を読んでも、イマイチよくわからない。いくら読んでもスッキリした納得が得られない。
わかった!と、自問自答すると、参考書と同じ文言をオウム返しに答えてる自分に気づき、ハッとする=わかってない💦
それなのに、ネイティブは大人だけで無く、年少者から、いろんなレベルの方でも、自由に使いこなせているから、難しいはずは無いと思うのですが・・・。


これは何か・・・、根本的な事が、違うのでは無いか?
そんな疑問から、これらの記事を書いてみました。
本シリーズと次シリーズの認知プロセスで、名詞と冠詞etcについて、スムーズ理解になると思っています💦
その入り口として、そもそも、日本語の名詞と英語のnounは違うものだ。と言うこと事から始めたいと思います。


さて本題の
「名詞とnounの違い」に入ります。

英語のnounは日本語で『名詞』と訳されています。
OXFORD wordpower DICTIONARY for learners of Englishによると

"a word that is the name of a person, place, thing or idea: 'Jane', 'London', 'table' and 'happiness' are all nouns."

とあり、確かに日本語の名詞の意味とまったく同じです。
しかし、もし、日本語と同じ意味であれば、名詞というのはモノの名前であり、モノそのものであるから、一つの物質に対して「可算名詞」、「不可算名詞」二つの意味があるはずがない(物質を辞書で引くとたいてい両方載っている)。
実際に、日本語の名詞には無いのですから。
→日本語の「名詞」とは全く同じではない事を意味することではないでしょうか。


また
マーク・ピーターセン著「日本人の英語」によると

「a(an)は、まるでアクセサリーのように正しく付けられるモノであるかのように思われるが、本当は逆である、ちゃんとした意味を持っていたのは"a second glass of the old Madeira"のglassではなく、そのaである」※Madeira:ワインの一種

→それどころか

「aという言葉で意味的カテゴリーをたててから、それに適切な名詞を探していくのが英語の思考プロセス。したがって、名詞にaを付けるという類の考え方は役に立たないどころか、その理解を妨げる」

とまで言っています。
これは、日本語の『名は体を表す』のではなく、モノはnounにない。実体はnounにないと言うことではないでしょうか。


さらに、
ロス典子著「ネイティブの感覚で冠詞が使える」p73においてでは

"Give me water!"では何を言っているのか分からず通じない。"Give me some water!"で、はじめてネイティブは水が欲しいんだなとわかる。
waterの前に何も限定詞を使わないと、頭の中の抽象化しているイメージの水になってしまい意味が通じなくなります。

という解説をしています。

これらのことから
”noun”は、日本語の『名詞』とは違う何かで、ある種のラベルのようなもの。実体はない、「形が無い」のでは無いか?
と言う事が強く示唆されます。
日本語でも「一本の」と言ったら、細長い棒状のものを想像し、そのあとに「電柱」や「鉛筆」で実在化するのと同じように、ラベル的なものなのではないでしょうか。
だから、noun単体だと、形態を表すものが無いので、appleであろうがwaterであろうが(抽象名詞もしかり)、形が不定で、漠然としているのでは。
一個の丸々としたりんご、1/4に切ったりんご、不定形にバラバラに切ったりんご、すりおろしたリンゴetc・・・、それら全てがりんごのカテゴリーなので、どれを指しているのか漠然として、特定できない、形がハッキリしない=不可算名詞と同じようなイメージに。


「ちょ、待てよ!」


いやいや、そんなはずはない。
例えば
久野暲/高見健一著「謎解きの英文法 冠詞と名詞」の例文

There's lettuce, cucumber, apple, carrot and mushroom in this salad.


デイビッド・セイン著「英文法、ネイティブが教えるとこうなります」にも

She put (some) apple on top of the yogurt.

とあるように、ネイティブが普通に日本語の名詞と同じように無冠詞で使っているではないか!
それだけではない、英和辞典、英英辞典もしくは絵辞典のCOLOUR VISUAL DICTIONARYはリンゴの説明に、絵や写真があり、その真下に無冠詞のappleだけで、普通に実在しているモノでも、限定詞なく用いてるじゃあないか!!
"by car"や"go to school"も然りだ。


この事の疑問は、以下のように考えると、noun名詞には「形が無い」、ラベルみたいなもでも、筋が通ります。
非常に都合の良いこじつけのように思えますが、この日本語とは異なる、モノを表現するにあたっての、『状況』と言う概念が、別記事の「日本語と英語とのモノの認知の違い」などをはじめ、名詞、冠詞についての、スッキリした概念理解に、不思議と繋がって来るのです。

There's—は話者と聞手は同じ現場にいて、同じサラダボールを見ていて、ソレが、ソノ形が両者ともわかる。
次文は、半固体のヨーグルトの一番上に乗せられる事から、リンゴがどう言う形態がわかる。
絵図鑑でnoun単体で用いられているのは、絵で、見ている人に「形」が示されているから、形を示す必要がない。
これらは皆、『状況』からわかるのです。

だから、イラスト図鑑で、一個の丸々としたリンゴが無冠詞の"apple"だと示されている事実があるのに、口頭でネイティブに"apple"は何か?と質問したら、答えられないし、文中で使うと"She put apple on top of the yogurt."と図鑑で示したモノと違う物を表すのです。
もし、nounが日本語の名詞と同じなら、こんな不可思議な、不可逆性がおきるはずがない。
"by car"や"go to school"については「冠詞は俯瞰認知するための因子」をご参照ください

それでは、nounには形が無く、日本語の名詞と同じでないとすると、本記事最初のOXFORD英英辞典のnounの説明と矛盾するではないか!!!
これは、物質の認知の仕方が、もっと、もっと根源的に日本語と違うということを意味していることに他ならないのです(どう違うかは別記事「英語ではモノは風景」や「英語の認知プロセス3」にて)。

結論
『noun≠名詞』であり、日本語の名詞では『名は体を表す』が、英語の『nounは体を表さない』

このようにnounは「形が無い」とすると、次第に、名詞と冠詞の複雑性や矛盾が紐解かれていきます。
モノには認知の最小単位というものがある」に続きます———→


※言葉の二重基準(ダブスタ)問題について
nounを従来のように『名詞』とすると、言葉の概念に二重基準が存在してしまうことになり、理解不能に陥る重大な問題を孕むことになります(ワナにかかる)。なぜなら、日本語の名詞の意味でnounをくみ取ろうとすると、言葉の意味の判別基準が違うために理解を深めようとすればするほど、日本語の名詞の概念が邪魔をし、混乱してしまいます。それじゃ、反対に、英語の視点からnounの本質的意味を確立しようとすると、今度は日本語の名詞の概念の修正を強いることになるからです。
この言葉の二重基準を克服するためには、片方の基準をきれいサッパリ忘れ去るか、全く別物として認識し直すしかありません。
となると、日本語ネイティブの我々には、後者しか選ぶ道はありません。
つまり、名詞とnounは全く別物として認識し、その上で(英語の目で)物質を捉え直すしか無いのです。
いままでのように、日本語の名詞と英語のnounを同一視すると、理解不明の「混乱の螺旋」から抜け出せなくなるのです。
この重大なダブスタ問題を、まったく問題としないのは、極めて一部のギフテッドだけです。

ここまで読んでくれてありがとう。
お疲れ様でした。
あなたに幸あれ!!

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