英語のモノには認知の最小単位と言うものがある —冠詞と名詞について2—
冠詞や名詞について勉強をすると、勉強すればするほどよく判らなくなる💦
わたしには、どんな参考書を当たっても同じでした💦💦
あまりにも複雑で全体を見渡すことすら出来ない。
正直な感想は、「こんな複雑怪奇な認知方法を、ネイティブ全員が齟齬なくやっているはずがない」です。
前記事で結論づけた「nounには形が無い」は、はたして一体どういうことなんだろうか?と考えると・・・↓
モノについて(日本語には無い概念で)、ネイティブ全てが共通に認識している、モノの認知の最小形態単位。英語にはそれがあるのではないか?
という事が浮かんできます。
不思議な事に、これを是とすると、モノに対して単純になり、理解が非常にスッキリしたのでご紹介します。
従来の日本語英語とは違っていますので、戸惑いや、失笑あるかもしれませんが、きびしいツッコミなしで💦軽く、読み物としてお付き合いください。
※「ネイティブが共通して持っているモノに対する認知の最小の形態単位」とすると長いので、以降「単元」と省略します。

リンゴ一個、キュウリ一本、自動車一台が単元(モノの認知の最小単位)。それはネイティブ全てが共通、認知した形。
an apple
至極単純に、このリンゴの最小単位形態がどんな形態か共通認知としてわかっているから、その形の提示を省略して、an-, some-sにnounを用い、それだけで、聞手と話手が、モノと形を同一させるのです(nounは日本語英語にて名詞と訳されている)。
この
共通認知の形(体)を省略している
ために、日本人には、nounが、日本語の名詞のように、体を表しているように見えてしまい、
noun=日本語の名詞
であるとして、同じように、形(体)を示すのだ。と錯覚してしまうのです。
このように考えると、前記事「名詞とnounの違い」にて、nounには形がないと言うことが理にかないます。
このあたりの具体的な詳細は「英語の名詞はラベル」をご参考下さい。
一方、不定形の代表「水」を、a waterとしたら、waterはりんごと違い、ネイティブにとって、共通した形が無い=最小単位という単元はない。
だから、a cup of 等で聞き手もわかるネイティブ共通認識の形を提示しているのです。
したがって、複数の時であってもtwo cups of waterとwaterではなく(単元リンゴの時のapplesと同じように)、単元のcupにsをつけ、そして、それを"water"というnounでラベリングするわけです。
さらに、リンゴやキュウリを最小単位の単元から、切って、分けてしまったら、切り手次第で、どんな形にもなってしまう。そのため、共通の認知した形から外れてしまい(単元が消失してしまい)、とたんに、countable(可算名詞)であったものが、uncountable(不可算名詞)になってしまうのです。
だから、どんな形になったかを提示し、さらに、two applesであったものが、今度は、two slices of appleとappleにではなく、単元のsliceにsが付くのです。
ええ、そうなんです。
この単元というものは可算不可算に他ならないのです。しかし、数えられる、数えられないという具合にすると
「じゃあ、四つに切ったリンゴはどうなんだ?輪郭ははっきりしているし、一個、二個と数えられるじゃないか!!!」
等々の矛盾が生じてしまいます。したがって、"countable nouns", "uncountable nouns"と言うのは、日本語直訳の可算不可算ではなく、以上のように単元という概念の方が、日本人には理解しやすく、その真意に近いのではないでしょうか。
以下のkakinotaneの例で示唆されるように、英語の"countable"と日本語の「数えられる」では、意味が同じではないのです。
可算、不可算というのは、共通に認知した形(単元)があるかないか。あるから数えられ、ないから数えられないのです。
形が無いとどんなモノか想像出来ないから数えることが出来ないからです。なぜそういった事になるかは(次シリーズで判明するのですが)、英語では、モノの認知を外観の様態から認知するからなのです。
※carやschoolなどの不可算的意味は「英語の単複厳格は日本語の問題だった」の最後&「冠詞は俯瞰認知する為の因子」参照。
リンゴを表現する場合、話者も聞手も、リンゴはどういうものか既に知っており、つまり、単元は一個のリンゴであり、さらにそれは、いろいろな形に切ることができ、すりおろしても、それは、リンゴの風味、食べ物という性質を失わないことを共通認知として知っている。
だから、コレが成り立つのです。
しかし、リンゴが食べ物かどうかもわからない、全くの未知物質で、四つに切られた一切れのリンゴを、生まれて初めて見た場合は、事情は異なり違います。
その時は、uncountableではなくcountableのはずです(つまり、1/4の切り身のりんごはan apple.四つまとめてsome apples)。
そうでなけば、未知の物質なのに、既にどういうモノか知っていたことになり、uncountable, countable(可算不可算が) 決まっていたことを知っているということを意味するからです。
そんなことはあり得ません。
ロス典子著「ネイティブの感覚で冠詞が使える」p11より
著者がネイティブとのやり取りで
"One peanut among some kakinotane tastes good!"
「いくつかの柿の種とピーナッツ1個と一緒に食べるとおいしい!」
と感想を述べるネイティブに対し、著者が、「someは『何個かの』だから、sをつけてkakinotanesではないか?」とツッコミを入れると、「柿の種は数えにくいのでuncountableだ」と、答える記述があります。
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日本人からするとkakinotaneが数えにくいはずはありません。20コであろうが30コであろうが、1000,100000であっても、日本人は「数えられる」と認識します。
しかし、ネイティブはそうでは無い。
ということは・・・・英語と日本語では「数える」という意味概念が同じではないということを意味しています=モノの認知が違うと同意。どう違うかは「英語におけるモノの認知プロセス3」の記事にて。
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このネイティブが数えられないとした現象は、ネイティブが一掴みで掴んだ柿の種10〜20個を、
個別ではなく、不定形の一個体として捉えた(外観様態からのモノの認知)。
からであり
それによって、共通認識した形のない(単元がない)一個体、ということになって、uncountableに識別したと言うことを意味します。
じゃあ、柿の種5個に一個のピーナッツだったらどうなんだ?
この場合は、逆に5個を、まとめて一個体として認識しにくいので、おそらく、countableのsome kakinotanesになったはずです(先の例でも、一掴みぐらいならネイティブによっては個々と認識しsome kakinotanesとするでしょう)。
ということは、countableの意味しか無いcarであっても(駐車場に駐まっている数台の車はsome cars)、衛星写真で見た超巨大駐車場、例えば、ディズニーランドの駐車場に駐まっている、何千台という米粒のような粒子に見えるcarはuncountableとなってsome car?と表現するはずです(たしか何処かの書籍に、このような記述があったと思うのですが、ちょっと出典を思い出せません)。
何が言いたいのかと言えば、countable, uncountableはモノ個別に決まっているのではなく、外観の様態によって、捉え方によって、流動的に変わると言う事です。
ということは・・・・
リンゴだって有り得ます。
リンゴの共通認知最小単位=単元の丸々としたリンゴ一個を、切り分けると途端に、可算(countable)から不可算(uncountable)になるけれども、リンゴが集合し山のようにあれば、全体的に一個の不定形と成ってuncountableになるはずです。
逆に、柿の種一粒はcountableだけど、割ってしまったらuncountable。
つまり、こういうことです。

この場合、話者と聞手とが共通に認知一致している形は単元のみ
あれれ?ふと、面白いことに気づきませんか?
そうです!
集合名詞が不可算なのはこの理由
だからなのです。
柿の種の集合体、リンゴの集合体、carの集合体には、名前がついていないだけで。
お金の単元のbill, note, coinは可算だけど、その集合体のmoneyは不可算。
家具の単元のchair, couch, deskは可算。その集合体のfurnitureは不可算。
牛の単元のcow, bullは可算。その集合体のcattleは不可算。
etc…
集合名詞というのは、その集合体に名前がついただけなのです。
※「英語におけるモノは複数が基本」もご参考下さい。
英語には、物質の共通認知として一致した形=単元があり、それを切るとどんな形かが、切り手次第(=不定形)なので、聞手は話者と形が一致できず、どんな形状か判らなくなる。そのため、countableだったものが、uncountableに。
同様、それが集合し一個体と認知すると、聞手には、どのくらい集合させてどんな形の一個体(=不定形)になっているか判らないので、それもuncountableになるのです。
集合名詞とは、その集合体に、たまたま名前がついているだけなのです。
これは、日本語と違って、英語ではモノの認知を『外観の様態』から意識するから、このような、単元やkakinotane、集合体などの現象になることになるのです。
それではなぜ、日本語と違い、英語では、外観様態から認知するのか?
は、「英語におけるモノの認知プロセス3」や「英語は物に対して常にカテゴリー分類する」、「英語はモノを風景の一部として捉える」を参考にしてみてください。
※石田秀雄著「わかりやすい英語冠詞講義」p100−108に可算名詞が集合すると不可算名詞化するという記述があります。
「英語はモノに対して常にカテゴリー分類する」に続きます----→
ここまで読んでくれてありがとう。
お疲れ様でした。
あなたに幸あれ!
