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英語ではモノは風景 —冠詞と名詞について4 —

唐突ですが、英語においては「モノは風景の一部」です。
シリーズ4にまでなってしまったので💦前置き無しでいきます💦💦

モノの認知は、日本人が考えている事と異なる認知の仕方をしています。

モノの認知の仕方が根本的に違うことを示唆する現象

ロス典子著「ネイティブの感覚で冠詞が使える」p11と75では
ネイティブと会話していた著者がI like apple.と言ったら、ネイティブは困惑、会話が止まってしまった。しばらく考えた後、"I like apple."は
"What kind of pie do you prefer, apple or pumpkin?"
という質問の答えになら"I like apple."は使えるよ、とのこと。
同p81には
some apple単体では、some appleがどういうものかネイティブはなかなか思い浮かぶことが出来ず、やっと
"Could you please get me some apple at the salad bar?"
という、バイキングのサラダバーで、トマト、レタス、キュウリなど別々のボウルに分けられている状況で、いろんな形の切り身のりんごを思い浮かぶことが出来た、とのことです。


これって、日本人にとって非常に奇妙な現象に思えませんか?単語が指すものが何かイメージできないって。

それなのに
デイビッド・セイン著「英文法、ネイティブが教えるとこうなります」では
She put (some) apple on top of the yogurt.
とan appleとappleの違いを示すために、普通にsome appleを用いて説明しているのです。


なんとね。
これには驚きました!!

ネイティブが想像し難いsome appleをなぜ、ネイティブ自身がShe put some apple on top of the yogurt.と、普通に用いて、文にできるのか?

なぜなら、我々日本人にとって、モノがどんなモノか想像できないモノを、文章や言葉に使うことができないからです。
我々日本人は、モノが何かわかっているからこそ、想像イメージできて、それを用いて文章、言葉にすることが出来るのです。
つまり、この現象は、モノの認知が日本語と英語では、根源的に大きく異なると言うことを意味していることに他なりません。

そもそも、絵辞典COLOUR VISUAL DICTIONARYで、イラストの一個のリンゴが、無冠詞appleと示されているのに、
“apple”単体だと何だか判らないって、いったい、どういうことでしょうか。
しかも、英文中では無冠詞appleは、リンゴ料理や、すりおろしたリンゴ、バラバラに切ったりんごを示すという不可逆性。
一個のリンゴがappleと絵辞典で示されているというのに!

さらに、注意深く観察すると、上述のような、ネイティブが想像できないモノを無理くりイメージさせるとそれは、モノそのものではなくて、そのモノがある状況です。ロス典子氏同書には同じような事例が幾つも出てきますが、ネイティブはモノそのものではなく、そのものがある状況を言っています。

これはつまり、モノとは我々日本語ネイティブが考えているモノとは違っていて、英語では『モノとは風景の一部である』と言うことを意味することにならないでしょうか。
そうでなければ、モノを風景、背景とみなさなければ、これらの現象の説明が付かないからです。

しかし、このことは、重大な意味を孕んできます。
というのは、この理屈が真であるとするならば(日本語ではモノは単体でもその存在が許されるが)、英語に於いてはモノは風景なので、その単体だけでは存在できない。と言うことに成りかねないからです(モノは単体だけでは現実成立し得ない。必ずそれ以外のものと同居してしています)。

そ、そんなバカなっ!?

そのくらい、日本語と英語ではモノの認知が異なり、これが事実であることが、次シリーズの「英語は単数、複数に厳格は日本語の問題だった」で判明します。

よくよく考えてみると、確かに現実の物は、単体で存在し得ません。必ず他のモノと一緒に存在しています。
唯一、モノが単体で存在することが可能な場所は、話者の頭の中だけです
だから、英語では、by carやgo to schoolのように物質を「概念」と「物体」に分けているという事になるのでは無いでしょうか?
手段は頭の中だけで現実とは違い、ほかを存在させる必要が無いですから。

※ 先のロス典子氏著書の中で、" waters "はどんなイメージか?と質問すると、ネイティブの言語学者は、かなり長い間考えた末。「さまざまな異なる時(時期)を通して、さまざまな川や地下水などから、さまざまな種類の水が流れ込んでいる川や湖、海などの大量の水」と表現。
→つまり、「watars」という水そのものの説明では無く、その水が存在する状況=背景を説明してます。

モノは風景の一部だから、意識するモノに限定詞でハッキリさせてnounで確定させる(外観様態からの認知※別記事参照)。だからこそ、そのハッキリさせる形が必要で、ネイティブが共通に認識している形(=単元※別記事参照)があるのです。さらに、そのような機序でモノを確定するから、同一規格上(同一カテゴリー上)のドレを指しているのか?になってくるのです。※さらに具体的な詳細は「英語の名詞はラベル」をご参考下さい。
モノは風景という認知は、aとthe、はたまた関係代名詞の制限用法にも繋がってくることになるのです。

冠詞は俯瞰認知するためにある」に続きます------→

ここまで読んでくれてありがとう。
お疲れ様でした。
あなたに幸あれ!!



"a"と無冠詞との違いを"a ham"、"ham"や"a chicken"、"chicken"の例で示すことがよくありますが、ネイティブが"(some) apple"単体では、それが何かなかなか想像できないことから、"ham"や"chicken"も単体では想像できないはずです。友人たちとワイワイ、ガレージの前でBBQをしているという状況、"a ham"と"ham"との違いをネイティブと話し合っている状況だから、それが「ハム料理」、「チキン料理」とネイティブが推測できるわけで、唐突に"ham"、"chicken"の単体では、"apple"と同じように、ネイティブは困惑しすぐには想像できないに違いありません。


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