《葬送のフリーレン》誰が英雄を殺したか? 誰が大魔法使いを殺すのか?(第146話)

第146話「人類最強の戦士」までのネタバレと先の展開に関する考察・予想が含まれます。

第146話の感想・考察はこちらになります。


はじめに

第146話「人類最強の戦士」は、最初に読んだ印象では緊張感あり衝撃ありの刺激の強いエピソードでしたが、何度も読むと前半のヴァルロスとクライスの対話劇が滋味深く、複雑な味のするエピソードだと思いました。

私は特に冒頭部分のヴァルロスとクライスの対話が好きで、ここには人間の美徳が描かれていると思いました。話の枕として最初にそのことについて触れます。

その後に記事タイトルの「誰が英雄を殺したか? 誰が大魔法使いを殺すのか?」を扱うのですが、これは具体的なキャラクタを「犯人」として名指しする考察ではありませんのでご了承ください。エッセイ的な考察?かもしれません。

ちなみに、『誰が勇者を殺したか』(著:駄犬、角川スニーカー文庫)というライトノベルがあり、話題になっていますし面白そうなので私も読んでみたいと思っているのですが、まだ読めていません。

人間の美徳

冒頭の場面から引用します。雪解け水の中を泳いで潜入したヴァルロスをクライスが気遣います。好きな場面なので、私なりに情景の説明も入れてみます。

クライス:まったく、クレマティスも無茶をさせるぜ。
ヴァルロス:儂は顔が割れているらしいからな。仕方があるまい。
クライス:顔が割れている? あんたの偉業を讃える像も肖像画も、ずっと昔に打ち壊されて燃やさられちまった。
《焚き火に照らされるクライスの横顔》
クライス:もう誰もあんたのことなんて覚えちゃいねぇよ。
《ヴァルロスは黙ってクライスを見る》
【ページめくり】
《クライスはヴァルロスに背を向けて焚き火を見つめながら》
クライス:覚えちゃいねぇんだ。この国の英雄だってのに。
ヴァルロス:お前が気に病むことじゃない。
《水面。二人は黙ったまま時間が流れてゆく。クライスは焚き火を見つめ、ヴァルロスは武装を整えている。》

第146話「人類最強の戦士」

ここはクライスがヴァルロスに感情移入して(ヴァルロスに代わって)ヴァルロスに対する仕打ちに憤りや悔しさを感じ、それを表明している場面です。(というのが私の解釈です)

理不尽な目にあっている人を見た時に素直にその人に共感・感情移入できることは、人間の美徳のなかでも最も価値あるものの一つではないでしょうか。どんなに優れた能力があっても、この美徳がなければ人間として優れているとは見なせないと私は思います。この場面では、その人間の美徳が派手な演出なしに淡々と美しく描かれています。

派手なところはありませんが、ページめくりが効果的な演出になっています。

第146話

クライスが「もう誰もあんたのことなんて覚えちゃいねぇよ」と言った後、左ページ最後では黙ってクライスを見つめるヴァルロスが描かれているため、ここで読者は(ヴァルロスまたはクライスの)次の言葉への期待を高めてページをめくります。

第146話

すると、クライスのほとんど同じ台詞が繰り返されていて(覚えちゃいねぇよ。覚えちゃいねぇんだ)、この言葉がクライスの心の深い所から発せられていることがしみじみと伝わって来ます。

ヴァルロスは現在は「浮浪者」です。教会の炊き出しを受けたり(第14巻129話)、茶葉を失敬している描写がありますから(第14巻134話)、「ふり」ではなく実際に「浮浪者」なのでしょう。ですから、生活は苦しく、普段から様々な理不尽な扱いを受けているだろうことが想像できます。

凍り付くほど冷たい雪解け水で水没しているにもかかわらず地下通路から宮殿に潜入せよというクレマティスの指示も、ヴァルロスに対する理不尽な仕打ちの一つだとクライスは感じたようです。(他のメンバーは正装して正面から入っています。おそらくクライスもです)

クライスは「流石にそれは死ぬぞ」とヴァルロスを心配し、クレマティスに対しては「無茶をさせやがる」と反発します。

しかし、ヴァルロスは「仕方があるまい」と言うだけで特別な感情を見せません。

内心では「戦士ならこのくらい普通だ(特別なことではない)」と自分に言い聞かせているのでしょうか。

もちろん、それもあると思いますが、英雄から浮浪者への転落と、その後の浮浪者としての生活の影響もあると感じます。ヴァルロスはあまり感情を表しません。感情が磨耗してしまっている印象を受けます。そして、そんなヴァルロスに代わってクライスが感情を表現する場面が目立ちます。

第146話

ヴァルロスが「戦士ならこのくらい普通だ」と自らへ「言い聞かせ」ると、それに対してクライスは「普通ではねぇだろ」と看破するなど、人の心がわかる人物として描かれています。若い頃のクライス(ゴリラ)はその名が表すとおりに型破りに楽観的でマンガチックな面白い人物でしたが、成長して再登場した帝国編では深い人間性を見せています。

第146話

※(補足)クレマティスの指示に合理性はあると思います。クレマティスはヴァルロスに対して「顔が割れているから」と説明したようですが、実際に懸念しているのは「顔が割れているかどうか」ではなく、ヴァルロスの纏う「魔族の将軍と見紛」う ただならぬ雰囲気でしょう。ファルシュは「あんなものが魔導特務隊の目を欺いて、正面から堂々と入って来られるはずがない。この通路を通ってきたのも納得できる」と感じています。また、ヴァルロス自身は「顔が割れているらしい・・・からな」と言っていますから、クレマティスの真意はそこ(顔が割れているか)ではないとわかっている様子です。ですから、ヴァルロスは「仕方があるまい」と結論付けています。

誰が英雄を殺したか?誰が大魔法使いを殺すのか?

ここまでは私の感想という色彩の強い作文ですが、これを枕にして少し考察のようなことを書いてみます。

人々の心(人心)

この場面でクライスが憤りを感じているのは、国の英雄ラーゼン(ヴァルロス)のことをあっさりと忘れ去ってしまった、それどころかラーゼンの像を打ち壊し、肖像画を燃やすことまでした帝都の人々の薄情さ、人々の心の移ろいやすさに対してです。言い換えれば世の中、世間、人心に対して憤っているわけです。

これまでの《葬送のフリーレン》でも、人々の心は何度も描かれてきました。

たとえばフランメが御伽話の中の存在になってしまう等は物語の序盤(第2巻13話)でも現在の帝国編(第138話)でも、一貫して扱っています。

第2巻13話

クライス(ゴリラ)と関係の深いクラフトたちの偉業は誰も覚えておらず、エルフのフリーレンでさえ全く知らないというケースもそうです。

第4巻34話

しかし、この第146話ほど人々の心のあり方がクローズアップされたことはないと思います。

英雄ラーゼンの場合、彼が活躍したのはまだ最近のことです(ヒンメルたちと同時代ですから、忘れ去るには早すぎるでしょう)。さらに、彼の場合は単に忘れ去られただけではなく、評価が逆転して英雄から浮浪者に転落させられた上で忘れられてしまっています。(時代の波に翻弄されたイメージですね)

また、これまで人間社会の移ろいを描く際はエルフ(フリーレン、ゼーリエ)の視点を使うことがほとんど(すべて?)でしたが、第146話では人間であるクライス視点から描いています。エルフのフリーレンたちから見て「人間たちにとっては大昔のことだから忘れられても仕方ない」という話ではなく、人間のクライスから見て「皆んなはどうして忘れてしまうんだ」という出来事になっています。

ですから、忘れられないために「ゴリラ」と名乗るというクライスの工夫も、実際そのために彼の事を覚えていてくれた人達がいたのは事実ですが、かつての英雄ラーゼン、現在のヴァルロスの姿を目の当たりにすると、人々の心の移ろいやすさの前ではほとんど意味のない虚しい行為であったと感じられてしまうわけです。

第4巻34話

こういったところ(人間の視点から見てもあまりにも移ろいやすい人々の心)に私は「帝国編は今までとは何か違うぞ?」という変化の兆しを感じます。

※レルネンやレーヴェからも、時代の流れから取り残されることや、時代とのミスマッチによる悲哀という要素は感じ取ることができるのですが、ここまで詳細に描かれてはいません。

ゼンゼの懸念

この違和感を最初に覚えたのは、同じ帝国編の第14巻137話「撃退」で描かれたゼンゼの懸念です。

第14巻137話

20年前大魔法使いミーヌスが人間の戦士の手によって討たれた。エルフが決して不死の存在ではないというイメージが、ひっそりと世界に広がっている。そのイメージの恐ろしさを理解しているはずのゼーリエ様でさえ、自身の死というものをどこか朧げなものとして捉えている。

第14巻137話「撃退」

これまでの「魔法はイメージの世界」理論であれば、問題になるのは暗殺者がゼーリエを殺すイメージを持てるか否かのはずです。(第6巻57話)

第6巻57話「第三次試験」

わかりやすいのは、ユーベルの「切れる/切れない」問題ですね。問われるのは大体なんでも切る魔法レイルザイデンを使うユーベル自身が切れるイメージを持てるか否かです。ユーベルに言わせれば「皆 頭を使いすぎ」なのですから、他の人々がどのようなイメージをもつかは無関係です。(第6巻54話)

第6巻54話

しかし、帝国編のゼンゼが懸念しているのは「イメージが、ひっそりと世界に広がっている。そのイメージの恐ろしさ」ですから、世間の人々が「エルフの大魔法使いと言えども不死の存在ではない」というイメージを持ち始めたことを心配しているわけです。これまでの「魔法はイメージの世界」理論の説明では理解できないところです。

人心が偉大な個人を殺す

そうすると、先程のクライスの憤りと、ここで見たゼンゼの懸念には共通するものがあります。

クライスは「人々の心」の変化に憤っていて、ゼンゼは「人々の心」の変化に恐れを感じています。ですから、英雄vs.人心、大魔法使いvs.人心という対立が生じていて、人心が偉大な個人を殺した(殺そうとしている)と見ることができます。これは物語における普遍的(よくある)テーマでしょう。「人々の心(人心)」=「時代」と捉えれば、「偉大な個人も『時代』の流れという圧倒的な力の前では無力である」という一般論にも還元できるかもしれません。

そして、ゼンゼは「そのイメージの恐ろしさを理解しているはずのゼーリエ様」と言っていますから、ゼンゼが根拠なく一人で心配しているわけではなく、何かしら具体的で理論的な裏付けがあって懸念しています。

ですから、帝国編では「魔法はイメージの世界」理論のこれまでとは異なる一面に焦点が当てられている可能性があります。

こういったところからは、同じ人の心を描くのでも、今までは個人に焦点を当てたミクロな視点だったのですが、帝国編では人々に焦点を当てたマクロな視点であると感じます。言い換えれば、帝国編では人物だけではなく世界(世界の過去という意味では時代や歴史)も描こうとしているように感じるのです。

世界の謎

そして、この変化の兆しは全く別のところからも感じ取ることができます。

ヴァルロスが「一体儂等は、何を相手にしようとしているんだろうな」(第146話)と問うことで立ち上げた「ゼーリエとは何者なのか?」という疑問です。

第146話

これに関する考察は下記の記事で扱っていますが…

帝国編では「ゼーリエとは何者なのか?」という読者の期待(疑問)に対する作者からの応答があるはずだと私は考えています。理由は上記の考察や次の作文を読んでください。(簡単にまとめると、優れた物語というものは「作者が読者の期待を作り出して、その読者の期待に作者が応答する」という仕掛けを使って読者を物語に引き込んでいくものだからです)

そして、「ゼーリエとは何者なのか?」という問いに答えようとすると、必然的に《葬送のフリーレン》の世界観の説明をすることになります。なぜなら、ゼーリエは「神話の時代の大魔法使い」(第10巻93話)だからです。

第10巻93話

まずは神話の時代と大魔法使いについての説明が必要ですし、そこから当然、女神様とは?魔法とは?魔族とは?といった読者が知りたいこの世界の謎が芋づる式に関連してきます。

ですから、帝国編は《葬送のフリーレン》の物語全体の中では、物語の世界を説明する(少なくともその一部を明らかにする)役割を持っているのではないかと思います。

おわりに

とかくキャラクターの生き死にに関心の行きがちな帝国編ですが、それだけではなく世界観の開示にも期待できると思います。

水曜日に「サンデーうぇぶり」で第146話が公開になり、第147話予告も出ると思いますので、そうしたら予想でも書いてみようと思っています。

《葬送のフリーレン》に関する記事は下記のマガジンにまとめています。

140本以上ありますが、とりあえず、初めての方にお勧めなのはこちらです。

これを読んだ上で、フランメ、ヒンメル、エーヴィヒなどで検索すると物語の全体像に関わる考察が出てきます。

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