小説「LOVERS」新時代のきらぼし編⑤最終話:自分を愛すれば、世界からも愛される
救世主は、あなた自身の中にいる――。
<<ユージン・東京>>決戦の朝に漂う不穏な空氣
その日、東京の街はやけに静まり返っていた。
7月15日の今日は、福岡の博多駅周辺で行われている祭り、そして姪っ子の生誕六ヶ月目の記念日に合わせて日本に電氣を取り戻すためのライブパフォーマンスをする。これはただのゲン担ぎではない。オレたちは本氣で芸術の力でそれを成そうとしている。
ここに、義姉にあたる画家・さくらさんが魂を込めて描いたいくつかの小さな絵がある。喫茶『ワライバ』の店主宛てに贈られたものだが、今日はこれがオレたちの生命線になる。

福岡にいる弟、ピアニストのリオンが奏でるピアノの旋律を、さくらさんの絵をスピーカー代わりにして流すという、前代未聞の試み。普通の頭で考えれば「ありえない」こと。しかし、オレ自身がその「ありえない」こと――リオンのピアノ演奏で、電源供給ができなくなったエレキギターを鳴らす――を体験してからは、この世で不可能なことはないんだという思考になってしまった。
だから、その話を聞いた瞬間、オレだけはすぐに「面白い、やってやろう」と思え、懐疑的な仲間を説得して今日に至る。
***
奇しくも、この国から電氣を巻き上げているであろう組織の拠点が所属事務所の近くにある。それを利用し、福岡にいるリオンが弾くピアノの音色を、そのエネルギーを間近で聴かせてやろうという作戦だ。
もちろん、目に見えない力だからリオンの純粋なピアノ演奏のエネルギーは、一瞬にして世界中に届く。それでも「この響きが世界を変えるんだ」という宣言をするために、リオンのピアノ、そしてオレたちのギターの音を直接聴かせる。これはアーティストとしての執念とも言えよう。
オレたちの計画など、相手は知るはずもなかった。しかし、電氣が完全に使えなくなったはずの静まり返った街に突如として不協和音が鳴り出したのは、リオンの演奏が聴こえてくるのを待つだけの状態でスタンバイしていた矢先のことだった。
商業ビルに設置されたスピーカーから流れてきたのはピアノの旋律。だがそれは、リオンの演奏のようでいて全く違う音。聴いているだけで不安感が増してくる、心地の悪いものだった。
にもかかわらず、音楽に飢えている人々が、その音を求めるようにどこからともなく現れて道を占拠する。そして口々に言う。さすがは『サクライロ』のピアニスト、リオンの曲は違う。これこそが自分たちの求めている音だ、と。
そんな人々の中に異質な存在を発見する。黒ずくめの集団だ。彼らは氣味の悪い笑みを浮かべながら勝ち誇ったように人々を見ている。オレは、奴らが電氣をせしめている連中だとすぐに見抜いた。

(これが奴らの手口なのか……。人々を不安のどん底に落とすだけでなく、それを悪用してさらに意識をコントロールしようとするなんて……。)
不安になっている人は、絶対的な存在が現れた時に救いを求めて縋る。たとえ理不尽な目に遭っても、命を取られないと分かるだけで付き従う。そうすることで精神的苦しみを味わうことになるとも知らずに。
(リオン、さくらさん……。東京がヤバいことになってるよ……。早くライブを始めてくれ……。でないと、先にやられちまう……。)
リオンもどきのピアノの旋律が鳴り響く街に立ち、遠く福岡にいる弟夫婦を思いながら祈る。
<さくら>光の想いをキャンバスに乗せて
博多祇園山笠最終日。福岡の街を朝日が照らし始めると、それを合図に人々が姿を現し、突如として活氣づく。各町の山笠も舁きまわされる。静まり返っていた街が嘘のように賑やかさを取り戻し、早起きの眠氣をも吹き飛ばす勢いだ。
祭りを見に出てきた人が、博多駅前に設置されたピアノとキャンバスに目を留め、何が始まるのかと興味を示し始める。その人が人を呼び、あっという間に人だかりが出来る。
ピアノの脇には、少し前に私が描いた「光の扉」を思わせる絵。これを集音器にし、全国各地にある私の絵という “子どもたち” に、“歌ってもらおう” という話になっている。
だが、絵から絵に音を飛ばす試みは初めて。ぶっつけ本番で臨むライブには多少なりとも不安が残る。けれど、リオンくんも娘も「絶対に出来る」と力強く言う。その言葉を信じ、私は真っ白なキャンバスの前に立ってリオンくんが弾き始めるのを待つ。
リオンくんは静かに目をつむり、この街の空氣を取り込むように深呼吸したあとで最初の一音を鳴らす。たったの、一音。だがそれは人々の声や祭りの喧騒を包み込むように強く響いた。
その美しい音色から広がるイメージをすぐにキャンバスに落とし込む。動かす筆に迷いはない。彼の音を視覚化し、キャンバスに描ききるのが私の使命だ。

The dawning of a new era wrapped in cosmic love.
すると、どうだろう。今描いている絵はもちろんのこと、ピアノの脇に置かれた絵までもがにわかに光り、震え始めたではないか。
――ママの絵がマイクの代わりになって、東京にいるユージン伯父さんたちのところで響き始めたよ。ふづきちゃんには分かる。
「心の声」で娘が語りかけてきた。
(じゃあそれを合図に、東京でもユージンさんたちがライブを始めた頃かしら……? うまく行くといいけれど……。)
――大丈夫。絶対にうまく行く。そう信じて。
その声が届くと同時に、リオンくんの膝の上にいる冬月ちゃんがこちらを見てニコリと笑った。あの顔で微笑みかけられたらもう、疑う氣持ちなど何処かへ行ってしまう。
(そうだよね。こっちの音は届いているんだもん。あとは彼らを信じるだけ、だよね?)
リオンくんのピアノ演奏が届くだけではない。ユージンさんのもとには、ピアノの音に共鳴するクリスタル製のエレキギターがある。それを彼の優れた技巧で演奏するだけでも、場は自然と調律されていくはずだ。
(私たち『サクライロ』の想いが全国に、世界中に届きますように……。)
祈りを込めながらキャンバスを彩っていく。
<リオン>救世主との共演、この命に感謝する人々
膝の上に娘の冬月を乗せてライブパフォーマンスをする。それでどこまで普段の演奏が出来るかわからないが、とにかくやってみるしかない。
遠巻きに見ている人の「赤ちゃんをあやしながら演奏なんて出来るの?」という声が耳に届く。見た目はたしかに六ヶ月の赤ちゃんだ。しかしその魂は、ここにいる誰よりも高い純度をもつ救世主。さくら曰く、母子間で交わされる「心の声」は大人の会話そのものだという。ならばこのライブでどんなパフォーマンスをすればいいか、冬月はちゃんと分かってるはずだ。
祭りの開始と同時に、博多の空氣が一氣に熱を帯びたものに変わった。それを胸いっぱいに感じながら弾き始める。
膝の上の冬月はおれの演奏を邪魔しない。落ちないようにバランスを取りながらおとなしく座っている。

にわかに光り始めたさくらの絵の輝きが、ピアノに視線を落とすおれの目にも届く。やっぱり思ったとおり。この絵は、おれの音を遠くまで運んでくれる特別な力を持っている。
しかし、安堵したのもつかの間、共鳴する「あちら側」の絵からも音が流れ込んできた。それは、純正律を鳴らすおれの演奏を邪魔する、ひどく濁った不協和音。
(何だこれは……? 兄貴たち……なわけないよな? いったい、誰がこんな音を鳴らしている……? 東京だって電氣は死んで……。あっ……。)
奴らだ。奴らが密かにこの計画を知って、敢えてこのタイミングを狙い、電波ジャックしているに違いない。そしておそらく、おれが生演奏するより先にこの「不協和音」を街中に流し、人々の耳に入れているはず……。
(邪魔はさせねえ……! そんな姑息なマネをしても、おれたちには通用しねえんだよ……!)
――パパ。ふづきちゃんが一緒に弾いてあげる。そうすればもう、大丈夫。
突然、母子間のみに許されていると思った「心の声」がおれにも聞こえた。冬月が触れているピアノを介して聞こえてくるのか……?
――そう。わたしたちは今、一心同体。この身を音に変え、世界を調律する者になるの。
それはまさに「救世主」の言葉そのものだった。我が子とは思えないその発言に体が震えた。
(おぉ、救世主よ……。今こそ、その力をお貸しください。この国に明かりを取り戻すために……。)
祈るように心の中で言い、冬月とともにピアノを奏でる。
彼女が鳴らす音は、この世界に降り注ぐ星屑のようにキラキラしていた。おれでさえその純粋な音に圧倒され、心身ともに浄化されていくのが分かった。そのエネルギーは、祭りを牽引する男衆の掛け声と混ざり合って膨れ上がり、降り注ぐ太陽をも凌駕する勢いで熱を、光を生み出す。
やがてそれは、マイク代わりの『光の扉』をいっそう輝かせ、今さくらが描き途中の絵、果ては、絵の具で濡れる筆先をも光らせる。
「街が……。空氣が……震えてる。何もかもが、輝いている……」
さくらが筆を止め、空を仰ぎながら言った。
おれは弾きながら、それを感じる。おれたちの弾くピアノの音に触れたすべてのものが喜びに震え、内なるエネルギーを解放し始めていることを。
街や空氣だけじゃない。ここにいるすべての聴衆。この音が届いているはずの東京の人々もまた、閉じきっていた自己のエネルギーを解き放とうとしている。
その過程で人々は氣づき始める。今ここにいるすべての生命は、何もしなくても生きることを赦されていることに。息をしながら朝日を浴び、ピアノの音を聴き、ライブペイントを見守る。
本来はそれだけでいい、それが自然な生き方なのだと思い出す時、多くの人の価値観は崩壊し、一時的に絶望する。だが、膝を折りながらもどこか救われたように感じるのは、自分の足で立ち上がれることへの自信と誇りを取り戻すからだ。
誰かが自らに語りかけるように言う。
「俺の中の魂よ。これまでずっと見てみぬふりをしてきてごめんな。これからはちゃんと自分を愛する。周りに振り回されないで、魂の声に従って生きる。……それで、いいんだよな?」
その声は、最後には涙に震えていた。

<<ユージン・東京>>絶望からの逆転劇。街に電氣が戻る時
絶望を覚えたのもつかの間、さくらさんの絵が光を帯びた直後に震え出し、まるで間近で聴いているような鮮明さでリオンの弾くピアノの音を鳴らし始めた。
「やべぇ、ほんとにスピーカーになったよ……」
出来ると思っていたオレでさえ、実際にそれを目の当たりにして驚きを隠せない。仲間の驚きようと言ったら尋常じゃないが、圧倒されている場合ではない。こっちもこっちで楽器を共鳴させなければ。
黒ずくめの集団がオレたち側の異変に氣付き、近寄ってくる。焦る奴らをあざ笑うかのように仲間がアコギを、オレがクリスタルギターを弾く。それに合わせるようにして、妹が美声を響かせると、街のラジオやスピーカーに釘付けだった人たちが、我に返ったようにオレたちの音楽に耳を傾け始める。
すると、どうだろう。黒ずくめの集団が流していたであろう不協和音が鳴り止み、代わりにリオンやオレたちの弾く音楽が流れ始めたではないか。

「馬鹿な……! 放送班は何をやっている……? なぜ、こいつらの音楽が我々の占拠するスピーカーから流れてくる?! 早く原因を突き止めなさい!」
中年の女が、長い髪を振り乱しながら言った。もしかしたらこの女が、リオンたちの言っていた、福岡のワライバに足を踏み入れた人物かもしれない。直感したオレはこれみよがしに、アンプのつながっていないエレキギターを見せつける。
「今更何をしても無駄だ。オレのクリスタルギターは、既存の電氣に頼らずとも鳴る。そして、どれだけ距離があっても、リオンのピアノ演奏は空氣を震わせて世界中に響く」
「なぜだっ……?!」
「理由、知りたい? それは、リオンの指先から放たれているのが、ただのピアノの音じゃなくて『愛のエネルギー』だからだよ」
「愛の、エネルギーだと……?! そんなものが電氣の代わりになるものか!」
「疑いたくなる氣持ちは分かる。だけど、それが真実。その耳も届いているだろう? 遠く福岡にいるリオンのピアノの旋律が」
「くっ……!」
女が唇を噛み締め、地団駄を踏めば踏むほど、街にはオレたちの生演奏が響き渡る。そのうちに、消えていたはずの街のネオンまでもが光り始める。
「電氣が……! 電氣が戻ってる……!」
誰かその事実に氣づいて叫ぶように言うと、多くの人が「本当だ!」と歓声を上げた。
「なら、電車も動くようになるのか? 恋人に会いに行けるぞ!」
「ネット回線も復活している! これで実家の両親に連絡が出来る!」
「冷房が使えるようになれば、夏の暑さからも解放されるわ!」
人々は、電氣が使えないことで感じていた不便が解消されるとわかり、口々にそう言った。その様子を見て負けを認めたのか、先程まで狼狽えていた女が手のひらを返したようにヘコヘコしながらオレたちに近づいてきた。
「わたしたちは何も知らないんです。ただ、言われた通りに動いていただけ。なんの罪もないんです。どうか、わたしたちの所業を見逃してください……」
一体、何を言っているのか……。一言いってやろうとしたとき、さくらさんの絵からリオンの声が聞こえる。
『そこにいるのは香府さやかだな? 自分たちも被害者だ、と言いたいんだろうが、そのせいで多くの命が脅かされたのは紛れもない事実。罪がないなんて言い逃れ出来ると思うな。おれの名を語って、それっぽいピアノ曲を全国に流したのも罪深いぜ』
「それも指示されてやったことです……。これからは心を入れ替えて、あなたたちの言うとおりにします。ですから、どうか命だけは取らないでください……」
『ふっ……。命なんて、とりゃしないさ。ただ、もうそうやって誰かに媚びへつらう生き方は、やめな。街を見渡してみろ。自立している人々を見ろ。そこに、生き方のヒントが隠されている』
リオンの言葉を聞いてハッとした女は、歓喜する人々を見て涙を流し始めた。
「リオン、今日のライブは大成功だ。東京には電氣が戻った。礼を言う」
絵に向かって語りかけると、向こうからはピアノの音が返ってきた。
『今の、誰が弾いたと思う? 今日で満六ヶ月を迎えた冬月だぜ? ライブを成功に導いたのは紛れもなく冬月だ。礼を言うなら娘に言ってくれよな』
「天才の子供も天才ってわけか……。じゃあ今度、冬月に会いに行って生演奏を聴かせてもらうことにするよ。電氣が復旧したなら、電車も飛行機も動き始めるだろうから」
『あぁ、待ってるぜ。……今日はありがとう』
礼を言われたのを最後に絵は光を失い、音も聞こえなくなった。
<さくら>平穏な日々に一層の感謝を
ライブのあと、冷房も冷蔵庫も使えるような、便利な生活が戻った。政府も正式に「以前の半分程度ではあるが、発電所の連続稼働が可能になった」ことを発表。節電を呼びかけつつも、これで死と隣合わせの生活に終止符が打たれる格好となり、人々は生氣を取り戻しつつある。
ワライバにもかつてのような平穏な日々が戻った。だが、取り巻く空氣は確実に変わった。
私たちが対峙した黒ずくめの組織は、氷山の一角に過ぎない。今回は私たちの芸術の力で闇を払い、いくらか電氣を取り戻すことに成功したが、私たちが感謝を忘れ、再び便利な暮らしにあぐらをかけば、彼らはいつでもその手を伸ばしてくる。決して氣を抜いてはいけない。
「神さま、救世主さま。今日も生かしてくださってありがとうございます」
私とリオンくんは毎朝、娘に向かってこのように手を合わせている。傍から見ればおかしな行動かもしれないが、たとえ誰かに見咎められても氣にしない。だって本当にこの子は「救世主」だし、神さまに生かされているのは事実なのだから。
◇◇◇

今宵、私は久々に電氣のありがたみを感じながらキャンバスを彩っている。電氣の明かりでホッと出来るのは、単に宵闇を照らしてくれるからではない。それが発電所で作られたものではなく、神さまの「愛のエネルギー」によって作られたものだと知っているから。
愛のエネルギーはとても不安定だ。かつてのように、いつでも好きなだけ使えるわけではない。そしてそれすらも神様の愛であることを頭の片隅においておけば、電氣に頼りすぎる生活は自然としなくなる。
電灯のオレンジ色や、扇風機から送られる風に優しさを感じることが出来た時、あなたもこの世界が宇宙の愛に包まれていることに氣づくだろう。
――END――
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