【連載小説】LOVERS #4 怒りの感情と向き合え!
さくら×リオン・前回のお話:
早起きしたさくらは、朝のギター練習をするという智篤に許可を取り、演奏する姿をスケッチする。智篤が描けた絵を褒めると、本人はまだまだだと謙遜する。
他愛ない会話ののちダイニングに向かうと、メンバーは既に起きていた。しかし、たたき起こされたらしいリオンの機嫌は最悪。絵を褒めてもらっていい氣分だったさくらは、彼の態度を見て一氣に萎えてしまった。こんな調子では先が思いやられると麗華は呆れるが、拓海だけは、二人を信じると言ってそれぞれの方に優しく手を置いたのだった。
9.<さくら>
同じ空間で過ごそうと決めてからまだ一日も経っていないのに、早くも私は逃げ出したい氣持ちになっている。昨日は苛立ちが勝っていたから強氣だったし、即決もできた。しかし、一晩経ったらそれも落ち着いてしまい、なぜ自分がこの場にいるのか分からなくなってしまった。
(リオンくんといると、心が乱れる……。)
朝食の席ではなんとか堪えたが、食後の雑談をする余裕なんてなかった。みんながモーニングコーヒーを飲む間、私は自分が食べた分だけさっと洗って片付け、その場を離れた。
このあとも仕事の関係で同席しなければならないことを考えると氣が重かった。こんなことでは納得のいく絵を描くことも出来ない……。
無性にイライラした。手を動かしたい衝動に駆られた私は、スケッチブックと鉛筆を持つと、一人になれる唯一の場所である庭に飛び出した。
雑草の多い庭の片隅に、形ばかりのテーブルと椅子が置いてある。私はそこに腰掛けてスケッチブックを広げ、思い切り書き殴った。何も考えず、手の動くまま乱雑に。
一枚では氣持ちが落ち着かず、同じ作業を何度も繰り返した。五枚目に突入したとき鉛筆の芯が折れ、我に返る。
私はどれほどの力を込めて書いていたのだろう……? スケッチ用の鉛筆は柔らかく、折れやすいのは事実だが、今まで描画中に芯が折れたことなどなかった。
冷静になって書き殴った絵に目を通す。乱暴に走った線を見て、改めて自分の感情が乱れていたことを知る。しかし……。
(私にもこんな絵が描けるんだ……。)
線が細く、精密なスケッチを得意とする私にとってそれは大きな発見だった。決して人に見せられるものじゃないけれど、荒々しさを表現したいときにはこんなふうに描けばいいんだと、自分の絵に教えられた氣がした。
そこへ、拓海さんがギターを持ってふらりと現れた。彼は軽く手を挙げ、テーブルにコーヒーの入ったカップを置いた。お前の分だ、と言いたげな表情。小さく頷くと、彼は私の向かい側にあった椅子を引っ張り出して座り、そこでギターを爪弾き始めた。
最初は指の運動なのか、心地いいアルペジオの曲を弾いていた彼。だが、私の乱れた絵に目を留めると急に弾き方を変えた。ピックを手に持ち、荒々しく、力強く弦がかき鳴らされる。聴く者の心をもかき乱すような、重いエネルギーがギターから放たれているように感じた。
弾き終えた拓海さんはにやりと笑った。そして卓上の鉛筆を持ち、スケッチブックをコツコツと突いた。白紙のページを開け、と言いたいらしい。
彼は声を失っている。普段のコミュニケーションは手話で行っているが、私が手話を覚えられないので、私だけ筆談か、手話の分かる仲間の通訳を介して意思疎通をしている形だ。
慌てて白紙のページを開いて渡すと、彼は嬉しそうに筆記する。
(ええと……? 今のは、さくらの絵から感じ取ったイメージを膨らませて弾いたんだ。イイ感じに怒りを表現できてただろう? だって……。さすがは拓海さん。あんな絵からでも、瞬時に私の感情を読み取るなんて。)
「お恥ずかしい限りです……。わたしの醜い感情を見られてしまったあげく、音にまで変換されてしまって」
落ち込む私に対し、彼は笑顔で首を横に振り、再び筆記する。
――ネガティブな感情を嫌うな。知ってるだろう? 若かりし頃の俺たちが、シンガーソングライター・レイカへの恨みを音楽に変えてエレキをかき鳴らしていたことを。怒りや憎しみは行動の原動力になる。負のエネルギーは人ではなく、芸術に振れ。そうすれば必ず道は開ける……。
仲良く暮らしている今の彼らからは想像も付かないがその昔、拓海さんと智篤さんは、一人だけメジャーに引き抜かれた麗華ちゃんを深く恨んでいたと聞く。楽器もアコギからエレキに持ち替え、鬱屈とした想いを電子音と歌に込めてきたのだと……。
「じゃあ、私の今の氣持ちも、やり方次第では芸術に昇華できると言うことですね?」
拓海さんが頷くのを見て、彼らが私たちに共同生活を提案した、真の意味がようやく分かった。ここでの生活は、仲直りしたり、ただ相手を理解するのが目的ではない。自分の内面で渦巻く感情と真摯に向き合い、アーティストとしてそれを形に出来るようになるためにするのだ。
「ありがとうございます、拓海さん。うまくいくかは分からないけど、私、この感情を嫌わずに味わってみようと思います」
私が言うと拓海さんは、それでいい、と発声せずに口を動かした。
10.<リオン>
若くたって、六時間睡眠はキツい。無理やり食事をさせられたおれは、不満であることを示すためにリビングのソファで一眠りしてやった。だが、三十分も経たないうちに、ギターの音が聞こえてきて目が覚める。見れば、拓海兄さんが庭で思いきりギターをかき鳴らしているところだった。
「んだよ……。こんな朝っぱらから。近所迷惑だろ……」
しかし、本当に迷惑を被っているのはほかでもない、おれ自身だ。それだけじゃない。一睡したことで収まった苛立ちは、兄さんのそばで微笑んでいるさくらの姿を見た途端にぶり返した。
「ちっ……」
ついこの前までおれに向けられていた笑顔が遠く感じた。これは断じてさくらが好きと言う意味ではなく、おれに対してよそよそしくなってしまったことに、苛立ちと不満、今なら嫉妬心を抱いていると言う意味だ。
(おれ、何か間違ってるかよ……。)
遠い日のことのように感じられるが、あれは昨日の晩の出来事だ。おれは、さくらの絵に高値が付いたと聞いて純粋に嬉しかった。だから感じたままに伝えた。それなのに激しく反発されて「なんでだよ?」って……。一晩経ってもその氣持ちは変わらない。
(だってさくらは、ほんのちょっと前まで貧乏絵描きだったんだぜ? おれがさくらの立場なら、自分の絵を高く買ってもらえたら絶対に嬉しいけどなぁ……。)
さくらのそばでギターを弾いている拓海兄さんだって、売れない頃のさくらを随分氣にかけていた。画家として独り立ちすることだって望んでいたはず。でも、今の兄さんはさくらの味方。その世界で高評価されることと、作品に高値が付くことはイコールだと考えるおれの意見は受け容れられない……。
「そんなに氣になるなら、庭に出てみたらいいじゃない?」
窓の外を睨むように見ていたら、麗華姉さんが急にお菓子の袋をおれに手渡した。
「なに、これ?」
「コーヒーのお供にどうぞ、とでも言ってさりげなく会話に加われば? ……拓海に嫉妬してるんでしょう? その顔を見れば分かるわよー」
「……違ぇし」
反論はしたものの、おれは無意識のうちに菓子袋に手を伸ばしていた。
*
庭に出ると、二人が同時にこちらを見た。おれは敵意がないことを示すように菓子の袋を掲げた。反対の手には、自分用のコーヒーも持っている。
「これ、良かったらコーヒーと一緒に。……おれも混ぜてもらっていい?」
顔色を窺うように言うと、二人は目を合わせてから頷いた。
そのわずかな隙に、さくらが描いていたであろう絵を盗み見る。画用紙全体を埋め尽くすように引かれた黒い線。何も考えずに書き殴ったような、絵とも言えない絵。こんなのは初めて見た。が、これはきっとさくらの心そのものなのだろう。
(まだ怒ってるんだろうな……。)
見ていたら胸が苦しくなったので、すぐに目線を上げる。と、拓海兄さんが要らぬ氣を回して立ち去ろうとする。
「行かないで! 兄さんもここにいてよ。って言うか、おれにも兄さんの演奏、聴かせてよ。さくらだけ、ずるいじゃん」
「ずるい……?」
さくらの反応を見て、最後の一言は余計だった、と口を覆うが、時既に遅し。しかし、まあまあ、と兄さんがさくらをなだめ、場を和ませるようにギターを弾き始める。
兄さんが選んだのは、おれがさくらのために作った曲「カラフルワールド」だった。よりによってこの曲か……。しかし、自分から弾いて欲しいと頼んだ手前、やめてくれとも逃げ出したいとも言えなかった。
だが、本来ピアノで弾くこの曲のギター演奏は新鮮だった。歌い手がいなくても世界観がイメージできる、素晴らしい曲だと言うことも分かった。
「……ああ、改めて思うよ。我ながら、いい曲作ったなぁって」
演奏が終わってすぐに感想を伝えた。兄さんは声を上げて笑う代わりに膝をばんばん叩いた。
――そうだよ、いいんだよ、リオンの作る曲は。だけど、今一度思い出してみろ。『カラフルワールド』は誰のために作った曲か。そして、どんな氣持ちで作ったのかを。今のリオンは初心に返ることが必要だと俺は思うよ。
「初心……」
――それに加えて、今の氣持ちも表現してみるといい。何か、新しい発見があるかもしれないぜ?
「今の氣持ち、か……」
迷い、怒り、嫉妬……。さくらがスケッチブックに書き殴ったように、自分の感情を表現したらどんな音になるのか……。兄さんの言葉に刺激され、すぐに試してみたくなる。
「兄さん、スタジオを借りるぜ。今の今、感じてることを音にしてくる」
――ああ。好きに使ってくれ。
結局、さくらとコーヒーを一緒に飲むことなく音楽スタジオに直行した。
*
この家には狭いながらも防音設備の整った音楽スタジオがある。最初は彼らのギターしか置いていなかったが、おれたちきょうだいがメンバーに加わってから、練習用のドラムと電子鍵盤も置いてもらっている。
おれは早速電子鍵盤の前に立ち、鍵盤に指を置いた。
「今の氣持ち、今の氣持ち……」
さっきさくらがおれに向けた表情を思い浮かべ、そこから湧き上がる感情を味わう。
あれは明らかにおれを軽蔑する目だった。そして、画用紙に書き殴られた線はおそらくおれに対する怒りの表れ……。
(さくらはおれにどうして欲しいんだよ……? おれがあの時、どんなに金を積まれても電子鍵盤を売らないと言えば満足したのかよ……?)
目の前の電子鍵盤は麗華姉さんが用意してくれたもの。思い入れは全くないが、これがあれば音楽は作れる。それじゃあダメなのか……?
――今のリオンは初心に返ることが必要だと俺は思うよ。
拓海兄さんの言葉がよみがえった。
初心……。
確かにおれの音楽はあの電子鍵盤と共にある。今でもそうだ。自室に帰れば幼少期からずっと一緒にいる電子鍵盤が出迎えてくれる。相棒、と言えば相棒。それを、お金と交換できるか? とさくらは問うた……。
(相棒ったって、所詮は楽器だろ……。思い出にしがみついたって、金にはならない……。そうだろう……?)
自問してみるも、胸のあたりがモヤモヤして落ち着かない。
――今一度思い出してみろ。『カラフルワールド』は誰のために作った曲か。そして、どんな氣持ちで作ったのかを。
再び、兄さんの言葉が頭の中に鳴り響いた。
あの曲は、純粋にさくらを応援したくて作った。喜んでもらいたいという一心で……。そう、報酬なんて求めてなかったし、実際、そんなものは受け取っていない。代わりにおれは、さくらという、共に芸術性を高め合えるパートナーを、相棒を得た……。
(そうだ……。おれは金では買えないものを、あの曲を作ったことで得たんだ……。)
ひょっとするとさくらは、その時の氣持ちをずっと大事にしているのかもしれない。だから、あんなことを言ったおれに失望した……。そういうことなのだろうか……?
理想と現実、思考と本能とが脳内で入り乱れる。表現するなら今しかないと、何も整理されていない頭で、鍵盤の上に置いた指を動かす。
自分でも驚くほどに乱れた音。これが、今の氣持ちか。ざらざら、ゴツゴツ、ドロドロ……。そんな言葉が似合いそうな、とても音楽とは言いがたい何かがおれの指から生み出されていく……。
だが、そのうちにどういうわけか、この電子鍵盤とは別の音が脳内に流れ始める。何だ、これは……?
(おれはこの音を知っている……。あぁ、そうか……。これはおれの電子鍵盤の音……。伝えようとしているのか、おれに。自分を見捨ててくれるなと……。)
空耳かもしれない。夢を見ているのかもしれない。でもおれは確かに今、相棒の音を聞いている……。
電子鍵盤なんてどれも同じだと思っていた。いや、思い込もうとしていた。でも、違う。おれが最も表現したい音を出してくれるのはあの電子鍵盤だけ……。
そう、本当は知っていたんだ。でも、生きていくためには金が必要。そのためだったら何だって提供する……。そう思わなければこの道で生きていけなかった……。それが、真実だ。
自分の内側を垣間見たとき、指から生まれる音が変わった。まだざらつきは残るものの、さっきみたいな嫌な感じはなくなっていた。まるで、敵同士が一時休戦とばかりに手を取り合ったかのようだ。
どうやらここで、共同生活をする上で大切にしなきゃいけないのは「想い」らしいと言うことが、おれにもぼんやりと見えてきた。またちゃんとは掴みきれていない。言葉で説明することも、電子鍵盤で表現することも出来ない。でも、感覚的には、分かった氣がする。
――そう、それでいいんだよ……。
頭の中に聞こえてきたその声は、どこか懐かしい感じがした。
「おれの電子鍵盤……? まさかね……」
否定の言葉を呟いたが、心の中心から、今のは確かにおれの電子鍵盤の声だ、という叫びが聞こえた氣がした。
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