小説「LOVERS」サクライロ編 #4 何者でもない自分になれる場所
本作は、ライブペイント画家のさくらと、即興ピアニストのリオンが、福岡のアトリエを拠点に、芸術を通して人々の心を再調律していく物語です。
ここまでのあらすじ:
福岡のアトリエから癒やしの輪を広げたいとの思いを抱く画家のさくらとピアニストのリオンは、憩いの場を提供している喫茶「ワライバ」の店主を招いた。「アート作品が生まれる瞬間がみたい」というマスターを前にうまく描けないさくらだったが、リオンのピアノで緊張はほぐれ、苺を咥えながらキャンバスに描く。その姿は、リオンの目には「聖母」のように見えたのだった。
第4話:何者でもない自分になれる場所
<さくら>
マスターが帰路につき、アトリエは再び静寂を取り戻した。
マスターがいたとき、ここは確かに「ワライバ」だった。彼自身があの店の空氣感を作り出していることは明白で、居心地の良さや会話が続く楽しい時間はあたかも、“あの” ワライバに身を置いているように錯覚するほどだった。
けれどもやはり、沈黙し、キャンバスと向き合う静かな時間は心をクリアにし、私の内側を整えてくれる。一日のうち、数時間でもこのような時間がないと私は落ち着けないのだと再確認する。
まずはプレオープンから始めてみたら、とマスターは言った。けれど、リオンくんと話し合って、その時期は、私が心からここを「ワライバとして解放したい」と思えたときにしよう、ということになった。
「焦る必要はないよ。心の準備ができていないのに、外から人を迎え入れようとしてもうまくいかないのは目に見えている。だから、ゆっくりやってこう」
リオンくんの優しい言葉は、いつも私の心を支えてくれる。その優しさに触れるとき、私の筆は風のように自由に動き出すのだった。
***
アトリエでの静かな日常が続いたある日。開け放たれた窓から漏れ出たピアノの音に誘われたのか、一人の中年男性が窓越しにこちらを、怪訝な表情で窺うのが見えた。
「リオンくん、あの人、中に入りたいのかな……?」
自ら誘い込む勇氣を持てない私は彼に相談した。
「きっとそうだよ」
彼は一言そう言うと、さっと立ち上がってドアを開けた。すると、男性は驚いた表情でリオンくんを凝視した。
「おれたちのアトリエに用があるの? まだお客さんを迎える準備は整ってないけど、興味があるなら、おれがちょっとだけピアノを披露しても良いよ」
「いや……。用事があるわけじゃなくて……」
男性は言いにくそうにしながらも、ぽつりぽつりと言葉にする。
「あなたたちが東京から来たアーティストだと、風の噂に聞きましてね。わざわざ大都会から、遠く離れた福岡で新しいことを始めようなんて、それだけでも普通じゃない。……いや、正直に言いましょう。隠居の老人ならそれもあるかもしれないと思って、ちょっとのぞきに来たんです。でも、想像していたよりずっと若い二人組だったんでびっくりしています。……東京で、成功してたんじゃないんですか? なのにどうしてこんな地方都市に?」
私たちの出身地と経歴を聞いた人は必ず同様の疑問を抱く。なぜ、ここなのか? と。
ただ静かに絵を描いたりピアノを弾いたりする、それだけだったらこの場所を選んだ理由にも納得してもらえるだろう。しかし私たちは、ここに人を集め、時にはライブパフォーマンスさえやろうと計画している。まだ大々的に宣伝はしていないが、多くの人が行き交う大濠公園近くのアトリエで「不審」な動きをする私たちの姿を見れば、地元の人なら氣になって情報を集めたり、のぞいてみようかと思ったりするのは当然だろう。
男性はブランドものの衣服に身を包み、腕には金色に輝く時計をつけていた。私にはその姿が「鎧」のように見え、こう言っては失礼だが哀れに思えた。
(もしかしてこの人、本当は……。)
私は男性の方に一歩進み出て言う。
「私たちがなぜここで活動しようとしているのかを言葉で説明するのはとても難しいです。でも、目と耳で感じてもらったらきっと心で理解できると思います。……少しだけ、私たちのアート活動を見ていきませんか?」
「さくら……」
私が男性を受け容れるような発言をしたので、リオンくんが心配そうに名を呟いた。私は「大丈夫」とだけ言って頷き返した。
「……さくらがオッケーなら、おれも小父さんを歓迎するよ。ま、座るなり、アトリエを見て回るなりしてもらって構わないから。……ほら、入って」
「え、僕はまだ何も……」
「良いから、入りなって」
少し強引ではあったが、リオンくんに背中を押された男性は遠慮がちにアトリエに足を踏み入れた。
<リオン>
「……名前、聞かないの? なんの仕事してるのか、とか」
おれたちが自分の『仕事』を始めると、居心地が悪くなったのか、小父さんはウロウロしながら勝手に話し始めた。
「は? そんなの聞いて、意味ある? 別におれたち、小父さんの肩書きになんて興味ないし、むしろ収入の多さを自慢げに語られても困るし」
「まぁ、それはそうだろうけど……」
会話が強制終了したことで、小父さんは再び困り顔でうろつき始めた。
小父さんから放たれるエネルギーの『音』は酷く嫌なものだった。いっそ、この音を聞かせてやったら自分の内面に渦巻く負の感情に氣づくんじゃないかと思い、即興で弾いてみる。
不安と恐怖を感じさせるような音色は、弾いているおれ自身の心をも蝕みそうだった。小父さんもそれを感じ取ったのだろう、程なくして「その演奏はちょっと……」と止められた。
「今の演奏聴いて、どう思った?」
今度はおれから問うた。
「心をえぐられるような感じがして苦しくなった」
小父さんは正直に答えた。
「今のが、小父さんの心の音だと言ったらどう?」
「……そうかもしれないな」
小父さんはまたしても素直に応じた。
「じゃあ、こういう音はどう? ……さくら、おれが弾いたら絵を描いてくれる?」
「分かったわ」
さくらが新しいキャンバスを立てるのを待ってピアノを弾き始める。
イメージするのは、さくらとこの地に初めて降り立ったあの日の陽光の暖かさ。そして空の青さ。東京にいるときには感じられなかった軽やかな空氣を指先で表現する。
すると、その音をさくらがキャンバス上に写し出してくれる。日の光。まだまだ原石が眠る福岡の街、そこに生きる人々の姿……。おれが音で、さくらが筆で世界を作り出していく。

「あぁ……」
小父さんが声を漏らした。もう、さっきのようなドロドロとしたエネルギーは感じなかった。
演奏を終え、小父さんに向き直ると、彼は静かに涙を流しながら拍手した。そして胸に両手を当てたまま語り始める。
「……僕は、本当はミュージシャンになりたかったんだ。でも、音楽では食べていけないと親や周囲の人間に言われてその道を諦めた。もちろん、その言葉があったから今は裕福な暮らしができているのは事実だ。けど、責任ある仕事で心労はかさむし、毎日が虚しいとも感じていたんだ。……君たちの様子を見に来たのだって、本当はただの嫉妬心からだ。自分が諦めた夢を、キラキラした目で、今まさにやっている。それが赦せなかっただけなんだ」
「……本当の氣持ちを打ち明けて下さって、ありがとうございます」
さくらが礼を言った。
「なぜ、あなたが礼を言うんだい? 僕は君たちに嫉妬心を抱いていると言ったのに?」
「私たちのアトリエが、あなたのような方に訪れてもらいたい場所だからです。何者でもない自分になれて、実家のようにくつろげる。そんな場所づくりをしようと思って、準備しているところなんです」
さくらの言葉に小父さんはハッと顔を上げる。そして小さくため息をつく。
「……僕のような人間はたくさんいると思うよ。腐ってるやつは一杯いる。そういう連中がここを訪れるようになればきっと、世の中は良くなるだろうね。そうか……。君たちはもはや成功者という枠ではなく、人々の心を救うという使命を全うしようとしているのか。どうりで僕のような、出世と高収入を追い求めるサラリーマンの目には異質に映るわけだ」
小父さんは一人、納得した。
「……でも、一つだけ聞かせてくれないか? こんなところでアート活動をしていても、正直大した稼ぎにはならないだろう? それでもいいのかい?」
その問いに、おれとさくらは顔を見合わせて笑った。
「おれだって最初は小父さんと同じ考えだったよ。一流のミュージシャンになって大金持ちになるのが夢だった。でも、さくらがその考えを変えてくれた。おれはもう、魂を売るのをやめた。これからは、魂を喜ばせるためにピアノを弾く。そしておれのピアノを聴いて感動したり、癒やされたりする人が一人でもいてくれたらそれで充分。今はそう思ってる。そのせいで収入が少なくなって飯が食えなくたって、おれは別に構わない。心が、魂が満腹の方がずっと健康的だもん」
「あはは、心が満腹の方が健康的、か。至極もっともなことを言うな」
小父さんは小さく笑った。
「……ありがとう、また来ても良いかな? ここに来れば、肩に乗っているものをすべて忘れられる氣がする」
「ええ、もちろん」
「ああ、いつでも来てくれよ」
「ありがとう」
すっかり良い笑顔になった小父さんは、結局名前を知ることもなく別れた。
「……よかった」
小父さんの背中を見送ったさくらがホッとしたように呟いた。
「まさか、さくらから小父さんを招き入れるとは驚いたよ。でもお陰で、早速一人の男が救われた。やっぱりさくらは、存在自体が癒やしなんだとおれは思う。だから小父さんはあんなにもいい顔になって帰ったんだ」
正直な感想を言うと、さくらは恥ずかしそうに、キャンバスの方に顔を向けた。
「私は何もしていないわ。でも……誰かの役に立てるって、嬉しいことね」
「ただ役に立つだけじゃない。さくらの存在が、その絵が、役に立つんだ」
「……リオンくんのピアノもね。私、コーヒーを淹れるね。なんだか、喉が渇いちゃった」
さくらは、ほんのりと赤く染まった頬を隠すように動き始めた。そんな彼女を見ていたら、こっちもなんだか心がほっこり温かくなったので、コーヒーが出来上がるまでの間、ピアノを弾くことにした。
目を瞑り、指先に任せて弾く。コーヒーの香りに鼻腔が刺激され、耳はさくらの鼻歌で癒やされる。体全体がアトリエの空氣に溶け込むような感覚になり、心地よさに包まれる。
(あぁ、このままおれ自身が “音” になってしまいたい……。)
すっと意識が抜け落ちそうになったとき、さくらに肩を叩かれた。
「リオンくん、戻っておいで。一緒にコーヒー、飲もう?」
さくらが、笑顔と共にコーヒーカップを渡してくれた。
「うん」
カップを受け取るとき、さくらの手が少し触れた。その柔らかさとぬくもりがここにあることで、おれは彼女のそばに留まることが出来る。
「ありがとう、さくら。いつも隣にいてくれて」
「……今日のリオンくんは、私を褒めすぎ。でも……ありがとう」
そう言ってさくらは微笑み、コーヒーカップを口元に運んだ。
第5話:「ライブパフォーマンスが作り出す笑顔の循環」はこちら
💖本日も最後まで読んでくださり、ありがとうございます(^-^)💖
あなたの「スキ」やコメント、フォローが励みになります。
『更新通知』の設定もよろしくお願いします(*^-^*)
あなたに寄り添う、いろうたのオススメ記事はこちら↓
🔳自己紹介
🔳いろうたの記事 サイトマップ
🔳敏感な親子のゆっくり生活(マガジン)
🔳完結小説あらすじ
🔳世の中への違和感・主張などをまとめたマガジン
🔳大人氣💓⤴️いろうたの情熱的な詩(マガジン)
いいなと思ったら応援しよう!
芸術家が集う癒やしの場「ワライバ」を提供するのが夢。共感者を大募集中💖記事を読んでピンときたらお声がけを💕一緒に愛と調和の世界を物語りましょう💖