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小説「LOVERS」サクライロ編 #3 苺が繋ぐ、芸術と人の輪

本作は、ライブペイント画家のさくらと、即興ピアニストのリオンが、福岡のアトリエを拠点に、芸術を通して人々の心を再調律していく物語です。


ここまでのあらすじ:
福岡のアトリエから癒やしの輪を広げたいとの思いを抱く画家のさくらとピアニストのリオンは、憩いの場を提供している喫茶「ワライバ」の店主を招いた。しかし「静かな空間を求める人のために無音の日を作るのはどうか?」という案を受け、ピアニストのリオンは反発する。そんなリオンにさくらが寄り添い、なだめる。
落ち着いたところで再度話し合った結果、「アート作品が生まれる瞬間を見られる場にするのはどうか」という案が浮上、その方向で話がまとまっていく。



第3話:苺が繋ぐ、芸術と人の輪



<さくら>

 マスターがコーヒーを飲んでいるアトリエ。この状況は既にワライバ化したアトリエのプレオープンと言っても良かった。ここに居心地の良さを感じ始めた矢先の、誰かに見られながらの作品づくり。案としては魅力的だが、実際にできるかどうかは別の話。私はキャンバスの前で固まってしまった。

「……そんなに緊張しなくても良いって。おれのことは空氣だと思って自由に作品づくりしてよ」

 立つでも座るでも描くでもなく、中途半端な状態でいたからか、マスターが氣を利かせてくれたが、すぐに描けるものでもない。

 そのとき、リオンくんが鍵盤の前に座った。静かに呼吸し、優しい音を鳴らし始める。

 まるで場を浄化するような旋律。その音が私に向けられたものであることが分かったとき、自然と胸が熱くなった。

(ピアノの音はリオンくんの言葉そのもの……。彼は私の緊張を解きほぐそうとしてくれているんだわ……。)

 まぶたを閉じ、その音に耳を傾ける。今は何も浮かんでは来ない。けれど、雑念が払われていくのが分かる。

 私は白いキャンバスの前に立ち、筆を握った。その筆を、旋律に合わせて指揮棒のように動かしながら聴き入っていると、マスターがこんなことを言う。

「良いねぇ、ピアノの演奏を聴きながらアート作品が生まれる瞬間をじっと見守るこの感じ。これ自体がもう、おれに言わせればアートだよ」

 これ自体がアート――。それは私にとって衝撃的な一言だった。

 これまでライプペイント画家として「魅せる」ことを仕事にしてきたからだろう。自分の聖域であるアトリエにいるのにもかかわらず、マスターに見られるこの状況下では肩肘に力が入っていた。緩急が同居している心理状態で、いい絵が描けるはずがない。

 けれども今のマスターの一言で、迷いがなくなった。無理に描こうとしなくていい。白いキャンバスを前に何かを生み出そうとする姿、その過程すらも作品……。そう考えたらとても氣が楽になった。

「ありがとう、リオンくん。それからマスター。張っていた緊張が取れてきました」

「そいつは良かった。氣持ちは分かるよ。おれだって、キャプテンで四番任されてたときは、毎度『ここで打ってこそ四番だ!』って氣負ってたけど、そういうときに限って打てなかったもんだよ。でもさ、あの緊張感こそが醍醐味って言うのも実はあるんだよなぁ。ピッチャーとの駆け引きとか、ここで打ったら試合が動くみたいな状況下を見守る側の、手に汗握る感じは、芸術家が作品を生み出す前の緊張感に似てるって、おれは思ったよ」

 元球児のマスターの喩えは、私にはちょっと分かりにくかったけど、そういう捉え方もあるのだということを教えてもらった氣がした。

 その瞬間に、あるものの存在が脳裏をよぎった。
「そういえば、苺……」

 朝市で買っては来たものの、その場で食べなかったこともあって、それは小さな冷蔵庫の奥でいまだ眠っているのだった。でも、唐突にその「赤」が目の前にぱっと広がって手に取りたくなった。

 冷蔵庫から取り出した苺はまだ瑞々しい赤色をしていた。赤い実と、濃い緑色のへた。それを白いキャンバスにかざす。その瞬間、神々しい光と爽やかな春風のイメージが降りてきた。思わず苺を口にくわえ、そのままキャンバスに色を乗せていく。

「さくらが動き出したな……」
 リオンくんは一度手を止めてから嬉しそうに呟き、私の絵を見て再び弾き始めた。




<リオン>

 聖域をアート鑑賞や集いの場にする――。それはこれまでにない全く新しい試み。アーティストであるおれとさくらはもちろんのこと、ここを訪れる鑑賞者、またはアーティストにとっても未知の体験になるのは必至だ。

 それ故に、ここを開放するのは慎重に行いたいとの思いがおれにはある。話が盛り上がって「よし、やろう」と前のめりになりたい氣持ちもあるが、そのせいでさくらが苦しむのなら何の意味もない。

 もはや、おれとさくらの芸術作品は二つで一つ。融合することで真に完成する。そして、その制作過程においても互いの氣持ちが一つに、幸福状態になっていなければいい作品は出来上がらない。たとえそれが習作であっても、悲しみや緊張を伴う状態でキャンバスに描けば、その絵はおそらく「死んだ絵」になるだろう。あとからおれが癒やしの旋律を鳴らしたとしても、死んだものは蘇らないのだ。

 だからこそ、アトリエの空間づくりは非常に重要になってくる。誰でもウェルカムではない、と言ったのもそういう理由で、鑑賞者自身もアトリエをアート空間にする一躍を担うような関係性を築きたいというのが、今おれが描いているビジョンだ。

 おれはこれを、「音と絵による次元融合パフォーマンス」と呼びたい。
 
 どちらが先でも構わないが、例えばおれがピアノを奏で、さくらがそこから色や情景を膨らませてキャンバスに描き始めたとする。そのカラフルな線は光を放ちながら空間を満たす。その純粋な光を浴びたおれが再び音で返す……。これを繰り返すことによって場と鑑賞者が一体となり、人々はまるで生まれ変わったかのような心地になる。それが成功すればみんなハッピー、ってわけだ。

 次元融合なんて言うと、頭に「はてな」がつく人もいるだろうが要は、おれたちのパフォーマンスを体験したいなら、アトリエの空氣を隅から隅まで味わい尽くせ、ってこと。それこそ今し方、さくらが描き始める前の空氣感さえも「アート」として鑑賞するような。

 アーティストってのは生活に役立つものを生み出していない、娯楽の一つのように言われがちだがおれはそれを真っ向から否定する。これからは、物を消費するのではなく、おれたちのようなアーティストが癒やしの空間を作り出し、提供するのがスタンダードになるとおれは信じている。だからこそ、「アトリエONEワン」での「ワライバ」運営なのだ。

 おれたちは何も特別なことはしていない。しようとも思っていない。だけど、アーティストとして生まれた以上、もはやこれは使命だと受け止めて動いている。この歩みはもはや誰にも止められない。

 さくらが苺を加えながら筆を動かし始めた。おれに言わせりゃ、その姿は「聖母」。かつてさくらと訪れた美術館で見た絵にそっくりだった。




 彼女が解説してくれたからよく覚えてる。確かあれは、ルネサンス期に描かれた宗教画で、そこには聖母マリアと幼子イエス、そして背後に苺が描かれていた。

 苺の「」には、正義、愛、受難などの意味が、色の三つ葉には、復活や三位一体の意味があるという。それがいキャンバスに重ねられ、最後にはさくらの口へ運ばれた。それはつまり、さくらが聖母、あるいは女神として、場の空氣を癒やす存在になったということを意味している。

 一旦弾く手を止め、おれ自身も、さくらがテーブルに置いた苺を、彼女にならって口に放った。

 甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。そしてこの瑞々しさ。おれは直接見ていないけれど、多分これはさくらが今朝、天守台で見てきたという朝日と、それに照らされた福岡の街を包み込んでいた空氣や人々の感情の軽やかさそのもの。

 手を拭いて、再び鍵盤と向き合う。目を瞑って一度、深呼吸をしてから指を置く。さくらの絵筆から放たれる美しい光の粒がおれの指先に降りかかり、美しい旋律を奏でる手助けをしてくれる。

(あぁ、この感覚……。おれの音と、さくらの色が重なるこの瞬間がたまらない……。)

 おれとさくらが心地よくライブパフォーマンスをするとき、場の空氣は柔らかくなる。息がしやすくなり、心拍も安定する。おれが一人で弾くよりも、さくらと一緒のほうが、その影響力はずっと大きくなる。

 さくらが描き終わり、おれが弾く手を止めると、マスターが何度も頷きながら拍手をした。

「おれ、今までこんな感覚、味わったことがないよ。なんだか、細胞が震えるっていうのかな? うまく言えねえけど、とにかく、すごく良かったよ。ありがとう! ……あ、おれも苺、もらっていい?」

 マスターは言うが早いか、苺を一粒、口に放った。

「やっぱ、福岡で苺って言ったら『あまおう』だよなぁ。うまい、うまい。お土産に買って帰ろうっと」

 マスターと共におれたちも残りの苺を頬張る。空間だけでなく、食べ物をも共有する。これこそが「ワライバ」の象徴であるように思えた。





第4話:「何者でもない自分になれる場所」はこちら



※ 今回、リオンが演奏する曲をイメージしながら、いろうた自身がさくらの氣持ちになって、即興画に初挑戦しました。AI生成画像にも、頑張って合成してみました。あなたも「アトリエONE」に遊びに来たアーティストの一人として、さくらとリオンの世界観を味わっていただけましたら幸いです。


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