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いい人でいないと、愛されないと思っていた

——「ちゃんとする私」を手放して、少し壊れにくくなった話

いい人でいないと、愛されないと思っていた。

そして、ちゃんとしていない私は、誰にも認めてもらえない気がしていた。

今思えば、
私はずっと、
「いい人でいること」と「ちゃんとすること」を、
同じようなものだと思っていた。

いい人でいることは、嫌われないために身につけた癖だった。

相手の機嫌を読む。
断らない。
迷惑をかけない。
本音を飲み込む。
いつも感じよくいる。

ちゃんとすることは、認めてもらうために覚えたやり方だった。

家が散らかっていると、だらしない人だと思われそうな気がする。
料理を手抜きすると、申し訳なくなる。
身なりが乱れると、ちゃんとしていない人に見える気がする。
仕事で期待に応えられないと、役に立てていない気がする。
成果を上げていないと、認めてもらえない気がする。

だから私は、
いい人にも、ちゃんとする人にもなろうとしていた。

* * *

誰かに頼まれたら断れなかった。
期待されたら、期待以上に返さなければと思った。
本当は嫌でも、「大丈夫です」と言ってしまうことが多かった。

自分では、それが普通だと思っていた。

でも本当は、普通ではなかったのかもしれない。

ちゃんとしたいのではなく、
ちゃんとしていない自分が怖かった。

気を抜いたら、何かが崩れるような気がしていた。

私は、自分にだけ厳しかったわけではない。

ちゃんとするべき。
普通は、こうするはず。
大切に思っているなら、わかってくれるはず。

そんな「べき」が、私の中にはたくさんあった。

相手が少し雑だと、腹が立つ。
期待した反応が返ってこないと、がっかりする。
ちゃんとしてくれない相手を見ると、不安になる。

本当は疲れているのに引き受ける。
本当は嫌なのに笑う。
本当は休みたいのに動く。
本当は傷ついたのに、「大丈夫」と言う。

そうやって飲み込んだものは、消えるわけではなかった。

私はこんなに我慢しているのに。
私はこんなにちゃんとしているのに。
私はこんなに気を遣っているのに。

どうしてこの人は、そんなに適当でいられるのだろう。

いつの間にか私は、
自分に課していた「ちゃんとするべき」を、相手にも向けていた。

* * *

そんな私の横に、今のパートナーはいた。

彼は、かなり適当なところがある。

私が出かける前に服を選んでいると、

「そんな服着てどこ行くんよ。そこ行くだけやで」

と言う。

掃除をしようとすると、

「掃除なんか、そんなにせんでも死なん」

と言う。

ご飯を作らなきゃと思っていると、

「冷凍食品でいいやん」

と言う。

疲れていても何かしようとする私に、

「とりあえず横になろ」

と言う。

私が自分に出せなかった許可を、
彼はいつも雑に出してきた。

休んでいい。
手を抜いていい。
今日はもう何もしなくていい。

そんなことを、私は自分ではなかなか言えなかった。

でも彼は、

「今日はもうええやん」

と、当たり前みたいに言った。

最初は、正直、理解できなかった。

そんなに適当でいいのか。
そんなに力を抜いていいのか。
ちゃんとしなかったら、嫌われるんじゃないか。
それでも、相手はそばにいてくれるのか。

昔の私なら、たぶん彼のことを「だらしない人」と思っていたと思う。

実際、だらしないところはある。

でも、そのだらしなさの中に、私が長い間知らなかった空気があった。

ちゃんとしていなくても、怒られない空気。
完璧じゃなくても、責められない空気。
手抜きをしても、誰かが普通に隣にいる空気。

私が必死で守ってきた「ちゃんとしなければ」を、
彼は悪気なく、毎日の生活の中でゆるめてきた。

* * *

昔の私は、いい人でいることが相手のためだと思っていた。

我慢して、合わせて、機嫌よくいる。
そうしていれば、相手を困らせない。
相手に負担をかけない。
相手が安心する。

そう思っていた。

ある日、他の人の恋愛の話になった。

その流れで、何気なく彼の意見を聞いた時、彼がこんなことを言った。

「ちゃんとしてくれることを求めてるわけじゃないと思うで。みんなそこを勘違いしてるけど、たぶんそこじゃない」

私は少し驚いた。

彼は、私に向けて言ったわけではなかった。
誰かの恋愛について、ただ自分の考えを話していただけだった。

それなのに、その言葉は妙に残った。

彼は続けた。

「絶対的な安心感とか、帰ってきてほっとできる空気とか、プレッシャーを与えてこないとか、そういう方が大事なんちゃう」

彼は、こんなことも言っていた。

「好かれるために、気の利く良い彼女を演じてるのって、相手はけっこうすぐ気づくで」

その言葉に、私は少しぎくっとした。

昔の私は、まさにそれをしていたからだ。

気が利く彼女。
怒らない彼女。
重くならない彼女。
相手に合わせられる彼女。
ちゃんとしている彼女。

そういう自分でいれば、大切にされると思っていた。

でも彼は、

「そこじゃなくて、腹割って素の自分を見せてくれる方が安心するんちゃう」

と言った。

素の自分を見せたら嫌われると思っていた。

でも、気の利く良い人でいようとするほど、
本当の私は、相手から少しずつ遠くなっていたのかもしれない。

できない日まで、できるふりをしないこと。

それは、わがままになることとは少し違った。

私が無理をしないでいられる方が、
相手も、私のそばでほっとできるのかもしれない。

いい人を手放すことは、
自分のためだけではなく、
一緒にいる人への優しさでもあった。

* * *

犬たちは、こちらの都合などほとんど気にしていない。

ソファに座れば膝に乗ってくる。
横になれば、当たり前のように場所を取る。
洗濯物をたためば邪魔をする。
パソコンに向かえば、足元で寝る。
ベッドでは、人間より犬の方が堂々と真ん中にいる。

犬たちは、私に「頑張らなくていいよ」と言ってくれたわけではない。

ただ、好きな場所で眠り、好きなタイミングで甘え、こちらの予定などおかまいなしに生活していた。

その自由さに、最初は少し振り回された。

でも、その姿を見ているうちに、私は少しずつ知っていった。

完璧な自分じゃなくても、犬たちはそんなことを気にしなかった。

いつも通り膝に乗ってきて、
好きな場所で眠っていた。

彼も、いつも通り適当なことを言っていた。

ちゃんとしていない私がいても、
何も壊れなかった。

むしろ、家の中は思っていたより平和だった。

* * *

昔、私はもっと感動的な回復を想像していた。

誰かが私の過去を深く理解してくれる。
傷ついた私を、優しく包んでくれる。
「もう頑張らなくていいよ」と言ってくれる。

そんな、映画みたいな場面をどこかで期待していたのかもしれない。

でも現実は、全然違った。

彼は私の過去をほとんど知らない。
私の傷を丁寧に聞いて、深く理解してくれた人でもない。

ただ、横でだらだらしていた。

その横で、犬たちもだらだらしていた。

回復は、そんなに立派なものではなかった。

犬にベッドを取られて、端の方で眠ること。
彼の適当な言葉に、少し腹を立てながら、少し救われること。

そういう、かなり雑な日常の中にあった。

* * *

今の家では、犬たちが好きな場所で眠っている。

彼は相変わらず適当なことを言う。
私は時々それに呆れながら、時々笑う。

掃除が途中のままの日もある。
予定通りにいかない日もある。
ご飯が手抜きの日もある。

それでも、夜は来る。

犬たちの寝息が、部屋のあちこちから聞こえる。
誰も私を急かさない。
誰も私に、完璧な一日を求めていない。

彼もたぶん、そのうち寝る。
私も眠る。

いい人でいないと、愛されないと思っていた。

でも、少し違ったのかもしれない。

手を抜いた日も、
断った日も、
残るものは、案外そのまま残っていた。

犬たちは変わらずそばに来る。
彼は、いつもの調子でそこにいる。

そのたびに私は、
ああ、大丈夫だったんだなと思う。

そうやって、私は少しずつ、壊れにくくなっている。


ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

この文章に出てきた「ちゃんとする私」の背景について、
もう少し深く書いたエッセイもあります。

よろしければ、あわせて読んでいただけると嬉しいです。

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