地方の図書館にどれだけ参考になる資料があるものなのか
はじめに
ネットでさまざま検索をおこなえるがそれでも敢えて本をさがす。場所は古本の店や図書館。新刊を置く店にはなかなか向かう機会がない。年に数回あるかないかぐらい。中心街かターミナル駅やショッピングモールぐらいしかその所在が思い浮かばないから。本の所在地は年々変わりつつある。
きょうはそんな話。
処分に出会う
かなり以前のことだが、図書館の本の処分に出会ったことがある。廃棄処分の手続きが済んでとびらに廃棄印の押された本を、市民は数冊にかぎり無料で入手できた。近くに住んでいたおかげでその情報をもとにならび、ずらりと背をならべて台に置かれた書物を見ていく。
なかには「これを処分してしまうの~」というものに出会う。冊数の制限があるので取捨選択が難しい。小脇に本をかかえるヒトビトであたりはごったがえす。これをあきらめてそちらをと躊躇するうちに、もう一度そこに向かうとともうなくなっていた。それはそれでいい。他の方がそうして入手したのならば廃棄にならずにしばらく本としての機能をもたせたまま延命できる。
なかにはわたしの農業を長い期間にわたり指南してくれた2冊の本がある。毎夜寝る前に手にとり何十回も読み直して頭に入れて、おかげではたけでそのとおり実行できるまでになった。すでに再生紙か灰になってしまったはずのシロモノ。そんな本のおかげで100種を超える野菜や果実を栽培・販売できた。わたしのつくるものが懐かしい味がすると言ってくださる方々のいらしたのはそのあたりに要因があるのかもしれない。

書店では
職場の方々と飲む機会がないかぎり、大型書店のあるターミナル駅や中心市街地に向かう機会はほぼない。すこしだけ早めに出かけ本の店に向かうがなかなかこれといって買うほどの本に出会うことはない。どうしてだろう。わたしが最新の情報を欲していないからか。
それとも最近出版される書物の内容に興味が湧かないからか。そのいずれも可能性はある。ふりかえると世に評判のベストセラーの新刊を買ったことがなく、文庫になってからおもむろに手を出す。
古書店で
そんなだからあまり新刊を置く大型書店に足が向かわない。むしろ古書店や図書館の方に向かいがち。
その古書すらなかなかお目にかかれなくなった。2週間ほど前、久しぶりに街に出て、旧知の方に出会った。わたしのむかしの教え子。わたしの忘れていたとはいえなつかしい話が出た。その道すがら若い頃よく通った路地に出た先には小さな古書店があった。
今回訪れてみるとあとかたもなく、どこにでもある平地の駐車場に変わっていた。がっかりする痕跡すらない。やはり後継者がいなかったのだろう。
図書館では
住んでいる場所から数駅はなれたところまでのいくつかの図書館にどんなもとめる本を置いているかそれぞれそこそこ把握しているつもりでいた。ところが実際にはあまりなじみでないジャンルの本についてはそうともいえず、新鮮な境地に浸れた。
小規模な施設だからといって軽くみると後悔する。そこにある情報はひとりのあたまのなかをはるかに凌駕するほど蓄積のあるもの。それが相応に時間の広がりをもって存在するし、情報の厚みもある。もちろん図書は充実しているほうがいい。
すこし前の情報にこそネットでは入手しがたい内容がみつかる。長年ヒトビトが手にしただけあって、そこに書かれていることに価値を確認できる。
おわりに
地方だからといって情報まで過疎である必要はない。もちろん税金でまかなわれ維持されているのだから限界はあるし、贅沢はいえない。学校ごとにもそろえたい。それでも通いつづければ新しい本にも出会えるし、到底読み尽くせないだけのひろがりがある。
その意味では、地方の図書館でもどなたにとっても少なからず参考になる資料があるとお伝えしたい。
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