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「ありがとう」の後に、「ございます」を付け足した理由 🇹🇭バンコクより


「ありがとう」

最近、この言葉だけでは足りないと思うようになった。

5年にわたる1つのミッションをクリアし、ホッとした時に、ある思いが頭をよぎった。

振り返れば、感謝のしるしである「ありがとう」という言葉に向き合う機会が、あまりにも多い
数ヶ月だった。

この言葉が、この年になって内面の価値観をこれほどまで揺さぶるとは思わなかった。

「ありがとう」に感じた、想定外の違和感


トラブル続きの数ヶ月。でも、そこにはいつも誰かの善意があった


ここ数ヶ月、バンコクと日本で本当に色々なことが起きた。

スーツケースの大破損。
電車の忘れ物。
突然の抜歯。

さらに、バンコクのバスにiPadを置き忘れるという失態まで演じた。

情けない限りの失態。

QR決済に慣れきったバンコクで現金を忘れ、食堂で立ち往生したこともあれば、バイクがパンクしたこともあった。

しかし、そのたびに私は誰かの善意に救われてきた。

馴染みの食堂の店主。

空港の職員。

コンドミニアムのスタッフ。

彼らの温かさに触れたとき、私の中に最初に出てきた言葉は、軽く明るい「ありがとう」ではなかった。

「有り 難し」

めったにない、貴重な瞬間への感謝。

深い思いを込めた、最後の一音まで丁寧な「ありがとうございます」だった。

私はふと、「ありがとう」と「ありがとうございます」の違い、つまり「敬語」の存在が気になりはじめた。

間違っていた? 私の武器「ありがとう」


会社員時代、私は誰よりも毎日「ありがとう」と言うことを心掛け、実践してきた。

ありがとうの「魔法」を信じ、部下がミスを報告に来た時も、

「素早い報告、ありがとう」

と返してきた。

これでお互い嫌な思いをしないで済む。

そして、配慮ある上司と思われているとの勝手な思い込み。

そこに「ありがとうございます」という敬語はなかった。

「ありがとう」は毎日口にしていた。でも、本当に伝わっていたのだろうか。


取引先には当然のように敬語を使い、部下には使わない。

典型的な「優秀なサラリーマンロボット」だった当時の私は、そこに違和感など1ミリも感じていなかった。

しかし今、こうして肩書きを外して振り返ると、自分の浅さに静かに苦笑してしまう。

今頃になって気づくのだから手に負えない。

気づいただけ良しと慰めるほかない。

実は、「魔法の言葉」をバリアにして、無意識のうちに上下の境界線を引いていたのではないか。

同じ人間としての目線で横に立つのではなく、上から下へ投げかけるだけのツールだったのではないか。

相手を一人の人間として尊重する本当の「優しさ」が、そこからは、すっぽりと抜け落ちていた気がするのだ。

タイで気づいた、敬語の価値は「上下」ではなく「横」にある


「コップクン・クラップ」が当たり前に交わされる市場で、私は敬語の心地よさを少しずつ知っていった。


バンコクで暮らすようになり、タイ語の敬語の心地よさに気づいた。

文末に「クラップ」と添えるだけの、シンプルで気軽な敬語。

そこでは年齢に関係なく、当たり前のように敬語が交わされている。


相手が誰であれ、一人の人間として接し、素直に「クラップ」を使い始めたとき、私の中の何かが変わり始めた。

そんな折、たまたま目にした動画の言葉が、強く心に突き刺さった。

その創作作品に愕然とした。

年下にも敬語を使う理由


「敬語は弱さじゃない、余裕」

「上に立つためじゃなくて、横に立つため」

「上下よりも尊重を選んでいる、支配よりも信頼を選んでいる」

そして、

「敬語は、優しさの連鎖である」

ということ。

お詫びやお礼や上下関係だけの「作法」ではない。

相手を尊重し、心地よい距離感を保つための、本当の敬語の価値。

それを、異国の地で改めて教わった気がした。


「敬語は、隣に立つためにある。」──その意味を考えながら歩いた、いつもの帰り道。

敬語がくれる、小さな安心


尊重し合い、お互いが信頼できる距離を保つ。

それは結果的に、誰よりも自分自身の心を一番穏やかに守ってくれるのではないだろうか。

「ありがとうございます」と最後の一音まで丁寧に伝えたとき、ふっと周りの空気がやわらかくなる気がする。

皆さんにもそんな経験がきっとあると思う。

動画で語られていた「優しさの連鎖」は、きっとそんな小さな安心から始まっていく。

会社員時代のあの魔法の言葉、「ありがとう」を否定はしない。

今のこの考えが絶対の正解とも思わない。

手探りで勉強中である。

「敬語」
相手への配慮・敬意を表す言語表現
出典 ウィキペディア(Wikipedia)より


でもこれからは、先ず相手の心にそっと寄り添うような、そんな言葉を選んでいきたい。

バンコクの雑踏で放つ「コップクン・クラップ」。

日本の街角で伝える「ありがとうございます」。

この「敬語」が、また次の誰かの笑顔と安心につながりますように。

これからも
「ありがとうございます」を口にしてから一日を終えようと思う。

バンコクの郊外より。


ワット・アルンの夕暮れと共に


60代、言葉の勉強中です。

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ミッション完了の裏側で起きていたトラブルの詳細は、こちらに詳しく書いています。

・[完遂]ようやく通院帰国が減らせることになった

・[悲劇]日本短期帰国中に突然の抜歯

・[失態]バンコクのバスにiPadを忘れた私を救ってくれたもの

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