慰安婦論36)金福童・元慰安婦の衛生サック証言
金福童 Wikipedia
金 福童(きん ふくどう、韓国語:김 복동、キム ボクドン、キム ポットン、1926年4月19日 - 2019年1月28日)は、元日本軍慰安婦だったと主張していた女性。活動家としては新参の立場であったが、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)に所属する慰安婦の中心人物であった吉元玉が衰弱したことにより活動の中心人物に躍進。挺対協の国内外の活動に協力的なために優遇され、挺対協管理の施設に死没するまで住んでいた。
日本統治時代の朝鮮慶尚南道梁山郡生まれ。1992年、慰安婦であったことを公表。『宝石』1992年5月号の臼杵敬子論文で紹介された。「14歳のとき、村の区長から挺身隊として軍服工場で働くようにいわれ、行ってみると広東の慰安所だった」、「1940年代に広東・香港・シンガポール・オランダ領東インドで軍人の性行為の相手をさせられていた」と証言を行った。歴史家の秦郁彦は「4年間に香港、スマトラ、ジャワ、シンガポールなどを転々としたというが、こんなに頻繁な転勤は考えられない。」と否定的な見解を示してしている。
1992年に慰安婦であったことを公表して以降、韓国の支援団体「挺対協(挺身隊問題対策協議会)」の中心人物として国内外で活動した。日本政府に謝罪と賠償を求めたり、被害者支援基金の設立を提唱したりした。』
吉見義明による聞き取り
吉見義明「ある元日本軍『慰安婦』の回想(6)──金福童さんからの聞き取り」(中央大学論集 第37号 2016年3月)
金福童・元慰安婦からの聞き書きで注目すべきところを吉見はこう列記している。
徴募時に徴募人のほかに警官や班長などが同行していたということ,
軍服工場で働くと騙されて連れて行かれたこと(誘拐),
外出の自由も拒否する自由もない軍慰安所の様相が具体的に述べられていること,
慰安所に来た軍人たちの様子がなまなましく語られていること,
慰安所では性の相手を拒否することができなかったなど無権利状態であったことが詳しく語られていること,
帰国後の苦難の生活が語られていることなどである.
証言:階級章のない軍服を着た男2人
「私はまだ14歳だから考えてもいなかったんだけど,軍服,階級〔章〕のない軍服を着た男2人と警察官ひとりと村の班長が一緒に来て,私に,今日本で戦争をやっていて軍服をつくるのに人手が足りない,だから軍服をつくる工場に行かなきゃいけない,と.」
「階級章のない軍服を着た男2人」とは、民間人が着用する国民服を身につけた男たちだろう、従って軍人ではない。「ひとりは韓国語がちょっとしゃべ
れたよ.」警察官も同行しているが、日本の官憲が積極的に関わっているわけではない。

吉見も、「彼女を連行したふたりだが,彼女の自宅から釜山・下関・台湾・広東・シンガポールと,ずっと彼女たちを引率しているので,軍人ではなく,軍に選定された業者だということになろう」と見ている。
証言:軍服工場で働くと騙されて連行される
「そしたらお母さんが,まだ幼い子を工場には送れない〔と言ったが〕,行って習えばいい,もし逆らったら,日本に反対する反逆者だということで全財産を没収して外国に追放する,と.それで工場に行くんだからまさか殺されはしないだろうとついて行ったところが工場ではなく,戦場で,日本軍の奴隷になって無残に踏みにじられた過去がどれほど辛いか,話していると本当に胸が痛むよ.」
挺身隊として工場で働くといった嘘をついて騙して誘拐しており、明らかな民間人による違法行為である。
証言:14歳、年齢制限違反
「台湾を経て広東に行ったじゃない.広東に着いたらその人たちが検査するの.何歳なのかって聞くから,14歳だって言ったら〔驚いたようで〕顔を上げたよ.」
そもそも慰安婦になるにはまず年齢制限があった。日本の内地で募集する場合であれば21歳以上、台湾であれば16歳以上、朝鮮であれば17歳以上の女性でなければ慰安婦にはなれなかったので、14歳というのは明らかに規則違反であった。
だから、日本人の未成年の娘の場合だが、例えば通常ならこのような対応がなされる。
五、邦人渡支阻止状況
渡支邦人身分証明書発給拒否理由調
拒否廳府縣名被拒否者住所氏名年齢拒否理由
香川縣高松市××
藝妓 ×× 當十七年
同 ×× 當十六年
河南省開封市軍隊慰安婦として渡支せんと出頭せるが、慰安婦の業態を知らず 且年少にして身心発育不完全なる為本年九月之を拒否。 ←★
『1910年に締結され、1925年に日本も加入している「醜業を行はしむる為の婦女売買取締に関する国際条約」の第2条において「詐欺・暴行・脅迫・権力乱用その他一切の強制手段を以て成年の婦女を勧誘・誘引・拐去したる者は罰せられる」という規定がある。ここでは、だまして慰安婦にさせること=「詐欺」も「強制手段」の一つとされている。この国際条約の第1条では未成年者はたとえ本人の承諾があっても売春行為をさせることを禁じている。仮に暴力的な拉致ではなくても、「詐欺」による募集や未成年者を就業させることは、この国際条約に違反する行為である。』
林博史「マレー半島における日本軍慰安所について」
1938年2月23日、内務大臣の決裁を経て「支那渡航婦女の取扱に関する件」が内務省警保局長から各庁府県長官宛に通達された。この通達は、中国戦線の現地事情を考慮し、以下の7項目にわたる命令を含んでいた。
海外での売春目的の婦女の渡航条件として、現在内地で娼婦をしており、満21歳以上で性病や伝染病のない者で、華北・華中に向かう場合に限り、当分の間黙認し、外務省の身分証明を発行する。
身分証明発行時に、契約期間満了時や営業が不要になった際には速やかに帰国するよう諭すこと。
婦女本人が警察に出頭し、身分証明書の申請をすること。
承認者として、同一戸籍内の最近尊属親、または戸主、それが明らかな者がいること。
身分証明書発行前に、娼婦営業に関する契約などを調査し、婦女売買や略取誘拐がないよう特に注意すること。
婦女の募集斡旋について、軍との了解や連絡があるなどと称する者は厳重に取り締まること。
広告宣伝や虚偽・誇大な話をする者は厳重に取り締まり、募集斡旋にあたる者がそれをしている場合は、国内の正規の認可業者か、在外公館などの認可業者かを調査し、証明書のない者は活動を認めないこと。
「兵站司令部は慰安所を管理する一方、慰安婦を業者の不当な搾取から保護する債務もあった。 朝鮮人業者の中には、ひどい例もあった。証文も何も書類らしきものは一切なく貧農の娘たちを人買い同然に買い集めて働かせて奴隷同然に使い捨てにする。これでは、死ぬまで自由を得る望み はないのだが女たち自身もそうした境涯に対する自覚は持ってないようだった。』
⇒そこで人道的対処──
『藤沢軍医は業者が女に支払った金に雑費を加えて借用証を作らせ女たちが働きさえすれば借金を皆済し自由な身の上になれるようにした』
「漢口慰安所」(1940) 長沢健一 軍医著 (図書出版社)
『どういう人間がどのような手段で募集したのか、支部の知るところではないが、そのうち一人が、 陸軍将校の集会所である偕行社に勤める約束で来たので、慰安婦と知らなかったと泣き出し、就業を拒否した。』
⇒そこで人道的対処──
『支部長は業者に対しその女の就業を禁じ、適当な職業の斡旋を命じた。おそらく、ぜげんに類する人間が、甘言をもって募集したものであろう。』
ところが、金福童・元慰安婦のケースの場合は、性病検査を終えた軍医がその後すぐに彼女を何とレイプしたというのだから呆れる。そのために、同じくレイプされた他の2人の娘と共に3人全員で大酒を煽って自殺を図るが未遂に終わったという話だった。
金福童・元慰安婦の場合、朝鮮における17歳以上という年齢制限の違反をしていたばかりか、兵隊の性的暴行を回避するという慰安所の目的をそこの軍医自らが性病検査した後に犯していたことになる、しかも14歳のまだ初潮も迎えていない少女(16歳で初潮を体験した事実も語られていた)に対する強姦であり、許しがたい悪行である。とにかく本当の話であれば、この鬼畜な所業をした担当軍医は、軍法会議にかけられて厳しく処罰されるべき事例である。
証言:衛生サック、所要時間3分
「軍人たちは時間がないんだよ.とにかく女にしょっちゅう会えるわけじゃないから,女を見ただけで気分がおかしくなるのか何か知らないけど,触っただけで何て言うか,サックあるじゃない,ゴムの.そのゴム付けようとしても,そのゴムがうまく入らないのよ.そしたらそこに塗るのがあるの,薬が.それを絞り出して塗ったら油みたいなの,それが.油みたいになってるの.それ塗ったらすぐにすっと入るんだよ.そしたら3分もかからない.3分もかからないで終わるんだよ.だから1日に数十人の相手ができるんだよ.そうすると,日曜日みたいな日には,夕方日が暮れると,立ち上がることもできない,四肢が腫れる.そうすると軍医官が来て治療して,薬をくれて,注射を打ってくれる.」
「毎日そんなだったら生きていけないよ.土曜日は12時から始まって夕方5時まで,日曜日は朝8時から始まって夕方5時まで.時間を決めて,時間が過ぎたら憲兵隊が見張っていて…….」
「平日は日曜日に来られなかった奴ら.だからちょっと暇だよ.土日が終わると下半身が腫れて大変だよ.すると軍医官たちが来て治療してくれる.薬もくれて,治療もしてくれる.それから平日はそんなに大勢来ないからまだましじゃない.それでまた土日になると大勢来て…….」
別の所の【慰安所規定】
一、本慰安所には陸軍軍人軍属のほか、入場を許さず。
慰安所入場者は慰安所外出証を所持すること。
一、入場者は必ず受付において料金を支払い、←★
これと引き換えに入場券、及びサック1個を受け取ること。 ←★
一、入場券を買い求めたる者は指定せられたる番号の部屋に入ること。
但し、時間は30分とす。入場時間は午前10時から午後5時まで。←★
李 容洙元慰安婦の場合は、”衛生サックのことを知らなかった”と言ったそうだが、慰安所の第一の目的が兵士たちが性感染しないことなのだから、全く信用おけない(無闇矢鱈に強姦されたと言った手前、コンドームを装着した兵士に強姦されたとは言えなかったのだろう)が……、
金福童・元慰安婦の場合は、兵士たちとの生々しいやり取りが語られておりこちらの証言の方が信用おける。水木しげるのラバウルでの兵士たちの行列の目撃談にも符合する。
また、憲兵の次の証言にも符合する。
『関口竜一氏が聞き取りをした元憲兵の回想によると、シンゴラの町はずれに慰安所があり、輸送船で送られてきた兵士たちが慰安所に殺到し長蛇の列を作ったという。慰安婦は一人一日平均17~20人の兵の相手をしていた。憲兵隊長と兵站司令官の承諾を得て慰安所利用料金を値上げしたとも語っている。』
『こうした慰安所で使用する「衛生サック」の配給状況を記した史料がある。馬来軍政監部が出していた『戦時月報( 軍政関係) 』によると、1943年7 月31日付には、「衛生」の項目の中の5番目に「医薬品衛生材料の配給状況」の項があり、その第4項に「衛生サック ネグリセンビラン向 一〇〇〇個 ペラ向 一〇〇〇〇個」という記述がある。同年8月31日付には、「衛生サック マラッカ州 五〇〇〇個 セランゴール州 一〇〇〇〇個 ペナン州 三〇〇〇〇個」、9月30日付には、「衛生サック 軍政監部 五〇〇〇個 浅野物産及永福産業 一五〇〇個」、10月31日付には、「衛生サック 永福産業公司 一〇〇〇 ペナン政庁 二〇〇〇〇個 昭南特別市 一二〇〇〇個」、11月30日付には、「衛生サック マラッカ州政庁 五〇〇〇ケ」と毎月の配給状況が記載されている。『戦時月報(軍政関係)』はその後『軍政月報』と改称されるが、その1944年2 月29日付には、「衛生」の項目の中の「医薬品衛生材料配給状況(二月分)」に「軍専用特殊慰安所料理店倶楽部用一ケ月分として 衛生サック 七五〇〇〇個 過マンガン酸加里 七瓩(kg 筆者注) を各州市向に慰安婦数に応じて配給す 尚今後引続き補給の予定なり」と記述されている。』
李榮薫によれば、日本軍相手の慰安婦の利用料金は兵士と将校には区別があったが、兵士はおおむね1円から2円であった。当時の兵士の月給は7円から10円であった。売上金はおおむね慰安婦と業者間で折半されたが、業者に負った前借金が多すぎたり、悪徳業者に出会った場合は、首尾よく金を稼ぐことができない場合もあったとしている。
日本人戦争捕虜尋問レポート No.49によれば中部ビルマにおける朝鮮人慰安婦のケースで平均的な料金体系は、兵士が1円50銭、下士官は3円、将校は5円、将校は20円で宿泊も可能だった。当レポートによれば、慰安婦の月給は平均で1500円であったという。
土日は数十人を相手にしたと言っているけれど、一人一回3分で計算すると膨大な稼ぎになったはずだ。
吉見は「慰安婦」を「性奴隷」としか見なしていないから、マルクスやエンゲルスが奴隷労働から賃労働を区別する指標であるとした賃金の発生について質問していないのは残念である。
その点、同じ挺対協に集う文玉珠元慰安婦は同じ過剰労働であっても稼いだ賃金をなるべく使わずに軍事貯金口座に貯めていたことがわかっている。
証言:憲兵が監視
「軍人が酒を飲んで暴れたりすると他の人に支障があるから,朝,軍人が出て来ると,あそこから出て来て守るのよ.酒を飲んでふらふらしている人は入れない.憲兵が立ってて.時間になったら憲兵たちが〔軍人を〕外に出すし.」「(軍人が各部屋の前に並び、)それでひとり出て行ったら次がすぐ入ってくる.割り込みというのはない.やって口げんかをしているのを聞いたことがある.」
因みに、「慰安所で発生した事件やトラブルの実態」に関して興味深い論文があるが、論者はこう結論づけている。
「軍幹部にとっては,軍人の不満が軍隊内秩序に向う場合は問題だが,殺伐とした軍人の不満の捌け口として慰安所を位置づけている以上,そこで発生する問題は,ある程度は仕方がないものと捉えていたことを示していると考えられる。本来,暴行・傷害事件の再発を防止するためには,暴力や飲酒に関する規制を厳しくするとともに,加害者を厳罰に処することが必要であるが,日本軍がそのような措置を講じなかったという事実は,慰安婦とされた女性を犠牲にすることによって軍隊秩序を維持しようと考えた身勝手な軍の姿勢そのものを示しているのではないだろうか。」松野誠也「陸軍慰安所における軍紀・風紀についての一考察 ─慰安所で発生した事件やトラブルの実態─」(中央大学商学部『紀要』2018.10)
死んでも、死なない金福童

『晩年には、北朝鮮系の朝鮮学校生徒や市民活動家の子供たちのための奨学金事業「金福童奨学金」を設立したが、その運営については後に会計不透明性が指摘された。また、ウガンダに「金福童センター」の建設を計画したが、ウガンダ側から「ウガンダに日本との問題を持ち込むな」と言われた事を理由に計画は白紙撤回された。
2018年に韓国挺身隊問題対策協議会が日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶財団と合併し、日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義連)を旗揚げすると、同団体に移籍した。
2019年に亡くなった際には、韓国の多くの要人が弔問に訪れるなど、その活動は高く評価された。「2019年1月28日、死去。告別式は水曜デモを行っていたソウル日本大使館の前で行われ、韓国外交部の康京和長官をはじめ、法務部の朴相基長官、潘基文元国連事務総長、文喜相韓国国会議長のほか韓国与野党の多数の議員が弔問に訪れ、29日には文在寅大統領が弔問し、遺影の前で土下座をして敬意を表した。」(但し、土下座したというこのWikiの情報は未確認)
しかし、彼女の証言内容や、彼女が関わった支援団体の会計処理には異論や問題提起も存在する。「2019年8月8日、生前密着取材したドキュメンタリー映画『金福童』が公開されたが、韓国挺身隊問題対策協議会は無償にしてもらった上映費を其の数倍の経費として支出したとすることで中抜きをしていたことや上映のためとして集めた寄付金を収益として横領していたことが発覚した。』
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